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ボーア邸はレディレイクの中心部にある。またギルドも同じく街の中心部にある。とはいえレディレイクは決して狭い街などというわけではなく、同じ中心部と言っても歩いて数分なんて距離にはなかった。
魔術師というのは動かないものである。
昔そんなことを言う人間がいたそうだが、それは決して正しくない。術の発動中は詠唱に集中する必要があるため動けないが、実際に戦いの場に出るときは魔術師の位置を悟られないことが勝敗を決めると言われているほど、足を使い逃げる必要がある。しかしそうはいっても魔術師という生き物はたいていが頭脳派で、体を動かすことを不得手としてるものが多い。―――そこで役立つのが、魔術師であるという事実だ。
魔術師は、前線で戦う騎士と比べ莫大な魔力をその身に宿している。魔力は魔術の発動に使われることが殆どだと一般には考えられているが、実際は何かに纏わせそれを強化するという力も持っていた。もちろんこれは魔力をそれなりにもち、コントロールする必要がある。しかし魔術を発動するよりも圧倒的に簡単なため、魔術師は体の表面に魔力を纏うことでその身を守ってきた。
魔力量の少ないものでは決してできない、魔術師ならではの戦い方。今回はそれを活用した。
足に魔力を纏わせ、脚力強化の術式を展開する。これならば半分以下の時間でボーア邸まで辿り着ける。己が魔術師であることをあまり周囲に話していないためそのようなことをしているとばれぬよう裏道を通るにしても、大通りをただ走るだけよりは大幅に時間を短縮しボーア邸に到着することができた。
そしてそこで漸くアシェルへ訪問するとの連絡をしていなかったことに気付いた。
参ったなぁと内心彼に似合わない舌打ちをしながら、それでも迷っている時間はないかとため息を漏らす。
アシェルが中にいることは分かっているのだ。正面から入りすぐに取り次いでもらえるか確認し、だめなら窓から入ればいいかと大雑把なことを考え、正面玄関へと向かった。
結果としてリヒターは窓から侵入するなどという盗人のような真似をせずに済んだ。―――ただ、再度だけは裏切ってはならないなと確認をさせられたが。
「お待ちしていましたよ」
玄関で待っていたのはまさにリヒターが尋ねようとしていた目的の人物。ユラから連絡が行ったのだろうかとも思ったがあいつはそんな律儀な女じゃない。―――予想、していたのだろう。アシェルは人の好い笑みを浮かべ「どうぞ中へ」とすたすた屋敷の中に入っていく。本当に、《ボーア》の人間は恐ろしいものだ。リヒターはそのことを顔には出さぬよう細心の注意を払い、唇を噛みしめた。
執務室に入るとまだ湯気の立つお茶が用意されていた。ここまでくるとこの男、リヒターが何のためにこの場を訪ね何を尋ねようとしているのかまで分かっているような気がした。これまで手の内を見せようとしなかったアシェルからは考えられないほどの用意のよさだ。―――彼はこれまで一度だって、《ボーア》の力を示すような振舞いはとってこなかった。
まるで、「リンクスを貴方に任せられない」と言っているようではないか。「《ボーア》にさえ匿われていれば、彼女に危険はない」と、言っているようだ。
―――これは、この後の俺の言葉ですべて決まりそうだな
何というのが正解なのか。ごくりと無意識のうちに唾を飲み込めば、アシェルはただ「紅茶が覚めてしまう前にどうぞ」と笑った。その言葉にふっと息を漏らす。もういい。腹の探り合いをしている時間が勿体ない。
「アンジュは今どうしている?」
端的にそう尋ねれば、アシェルは呆気にとられたような表情を見せ―――呆れたようにため息を零した。いつも笑みを絶やさないこの男には珍し顔だ。
「そう来ましたか。てっきり昨晩のことについて聞きに来るかと思っていたのですが」
「一番に聞くのはそれのつもりだったんだがな。既の所で俺がギルドへ行った理由を思い出した」
「といいますと?」
すぐに笑みを浮かべいつもの胡散臭さを纏ったアシェル。しかしそれを指摘したところでこの男は何も答えない。だからもう会話だけに集中することに決めた。
「突然休暇を言い渡された」
「よかったではありませんか。あのお嬢さんには辟易していたのでしょう、リンクスから聞きましたよ」
「―――本気でそういっているのか? あの女が、自分から俺に今日はくる必要がないといったんだぞ」
「ほぅ」
楽しそうな表情で耳を傾けるアシェルは、おそらくリヒターが話し終えるまでは自分から情報を開示するつもりはないのだろう。
これでアシェルが敵方だったのであれば話術・交渉術などを使い口で戦うべきなのだろうが、彼は味方だ―――今のところは。しかも正確にはリヒターの味方なのではなく、アンジュの味方でしかない。
それでもリヒターがアンジュのために動いているうちは、彼は、《ボーア》は、リヒターの味方であるといっても問題はない。
―――曖昧な関係は非常に面倒だが、昔から《ボーア》はそういうものだ。まったく面倒な家があったものだ。貴族という存在はそういうものだといってしまえばそれまでだが、それにしたっても本当に面倒だ。
「あの女、確実に何かを企んでいる。ここにきて確信したよ。昨晩アンジュに届いたという手紙、あれはあの女がアンジュを呼び出すためのものだろう」
「なぜお嬢さんと言い張れるのです? もしかしたらコルピッツ卿があれの有用性に気付き、勧誘目的で手紙を書いたのかもしれませんよ」
「それは絶対にない。卿の方も探ってみたが、アンジュのことはただのギルドの人間ということしか知らなかった。《ボーア》の血を引くことも、オルフィーユの令嬢だということも、全く気付いていない。しかもあの男は俺が今日娘についていないことを知らなかったから、恐らく娘が何をしようとしているのかも分かっていないだろう」
父親にも知らせずあの娘は一体何をしようとしているのか。その時点では全く思い当たらず、一先ずギルドへ向かったのだが、そこで聞いた話を合わせ考えれば、呆気なく答えは出た。
―――シシリアの狙いは、アンジュだ
憶測である点も多いが、手紙がコルピッツの誰かから届いたということをアシェルは否定しなかった。全然見当違いのところから届いた手紙が理由でアンジュがいないのならば、アシェルはあんな紛らわしいことを言わないはずだ。
だから、これが正解。
「アンジュは今どうしている?」
まっすぐ見据え、再度同じ言葉を紡ぐ。
―――呆れたように笑うアシェルの青い瞳が、酷く印象に残った。




