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 翌日になってリヒターがギルドへ行くと、いつもであれば笑顔で迎えてくれるアンジュの姿がカウンターにはなく、代わりに笑顔が何とも恐ろしいユラの姿があった。

 アンジュがいればきっと「美少女は怒っても可愛いのね」と言っていたのだろうが残念なことにこの場に彼女はいない。そしてリヒターはユラがあの顔をしているときは大抵自分が何かをやらかした時だと知っていた。だが、何をしたのか全く覚えがない。

 行きたくねぇ、という気持ちでいっぱいだったが、行かなければ面倒なことになるのは長い付き合いでよくわかっている。思えばユラとは本当に長い付き合いだ。互いの長所も弱点もよく分かり合っている仲だ。だからこそ、恐ろしい。


(昨晩帰ってこなかったのはこういうことか?)


 アンジュに言ったことはなかったが、リヒターはユラと同居している。ただし長い付き合い故か互いに互いを異性と思えたことはなかった。それでも勘違いをされたくないため言っていなかった。


 できることならば話しかけたくないし見なかったことにしてこの場を立ち去りたい。だが、ギルドへ報告しなければならないことがあるため、いかないわけにはいかなかった。

 恐る恐ると言った様子で一歩ずつカウンターへ近づいていけば、それに比例するかのようにユラの笑みが深まるのがわかった。周りの男たちはその笑みに見惚れているようだったが、頼むから気付いてくれ。あいつがあぁ笑った時に話しかければ、チクチクと針を刺すようにこちらを追い詰めるのだから。


 しかし、リヒターが針に刺されることはなかった。

 その前にユラに見惚れていた男たちの一人が、何かを思い出したようにリヒターの名を呼んだ。これ幸いとそちらへ近づけば、ユラの熱気を纏っているのが目に入った。それによって周囲が歪んで見える(・・・・・・・・・)。その様子には少し眉間にしわが寄った。


(あの馬鹿、干渉(・・)しすぎだ)


 自分が原因であることは分かっている。だがそれを含めてもユラはさすがにやりすぎ(・・・・)ている。自分を呼んだ男を含め周囲に気付かれないよう右手の指先を擦り合わせ、ユラの周囲のみに冷気を展開させた。そこでようやく気付いたのか、ばつの悪そうな顔をし、そして「お前が悪い」と開きなおった。表情の変化は乏しく、周りからしたらどれもただ笑っているように見えただろう。


 そしてようやく、「なにかあったのか?」と男に尋ねることができた。

 ギルド職員であることは分かったが、彼が一体どこの担当なのかはわからない。ただ以前アンジュと話しているところを見た覚えはあった。男は緩く笑うと、


「俺らからしたら特に何でもないけど、お前さんには知らせた方がいいだろうなと思ってな」


 と答えた。

 一体何があったのか。男に先を促せば、馴れ馴れしく肩を叩いてきた。そういえばこの男はフレンドリーで通っていたなと思い出す。その態度は男に対しても女に対しても変わらないらしいので、あまり気にするものはいないらしい。


「アンジュさんと次期殿(・・・)が、昨日の夜ギルドで何かを話してたんだよ」

「そうなのか?」


 ボーアの次期当主ということでアシェルは周りから《次期殿》と呼ばれている。

 彼とアンジュが従兄妹同志で互いに喧嘩が多く、それでいて仲が悪いというわけではない二人が、夜にいっしょにいたところで何かが起こるわけがない。そんな関係を知っているものは非常に少ない。というより、ボーア領の上層部と呼ばれるものたちぐらいではなかろうか。

 だからこそ周りはこうやって騒ぐのだろう。

 そんなやって騒いでも心配することは何一つないのにと内心苦笑を漏らしながら、自分とアンジュのことを心配してくれる彼に感謝を思い浮かべていたリヒターだったが、そこでようやくある疑問に行き着いた。


()に、ギルド(・・・)であっていた?)


 二人とも周りの目を気にする性格をしていない。だが、それでも貴族らしく世間体は気にする。自分のためでなく、そこからつながる者たち、自分の家の者のためにも。

 だからこそ、アンジュとアシェルの関係が悟られることによってボーアの不利益――今の場合、アンジュが平民の真似事をしていること――になることを避ける。

 そんな二人がギルドであっていた。男の口調から察するに、その場の目につく位置に首領(ドン)はいなかったのだろう。


「ま、甘い空気を醸し出してたってわけじゃねェから、安心しろよ!」

「ちなみになんで二人を見たんだ?」

「ん、あぁ、オレ夜間業務担当なんだけどさ、その最中に変な奴から手紙が届いたんだよ」

「…………それで?」

「それがさぁ、全身黒尽くめでいかにも怪しい雰囲気醸し出してたんだけど、そいつが言うんだよ。「これをアンジュという女に渡せ」って。怪しかったけどほら、お前さんが知ってるかわからねェけど、アンジュさんって首領(ドン)の手足って言われてるだろ。だからまぁ、渡しても大丈夫かなって」


 最後の方は声を潜め、それから「これ、内密に頼むわ。あまりいい話じゃねェし」と口止めをされてしまった。言うつもりもないから構わないし、アンジュがそういわれるのは恐らくボーアの地に連なるものとして、周囲とは少し異なった関係を首領(ドン)と気付いているからだろう。


「ま、そういうことだから気にしなくてもいいんだろうけど、一応報告までな」


 ひらひらと手を振り業務に戻るのかはたまた帰宅するのか、判断はつかないが男はその場を離れた。


 この話を聞いていたのだろう。耳の良いユラが、先程とは異なり真剣な表情を見せ、リヒターの名を呼んだ。周りに休憩に入る旨を告げると、指で扉を指しリヒターに外へ出るよう促した。


 どうやら、状況はそう楽観できるものではないらしい。


 一般出入り口から外へ出ると、近くの裏路地へズンズン進んでいく。できればそういうところに入ってほしくはないのだが、そうも言っていられない状況なのだろう。素直にユラの後を続く。それに彼女ならばその辺にいる暴漢などあっさり倒してしまう腕をもつ。

 人気のなくなったところで、眉を吊り上げてユラは言い放った。


「いったいアンジュちゃんに何を言ったの?」


 想像していた言葉とかけ離れていたため、返答が遅れた。ユラはその隙に「わかんないわけ!? ありえない!」と悲鳴のような声を上げた。さすがにそれでは人が集まってくるので声を抑えるよう告げるが、残念なことに興奮したユラは「言い訳しないの!」と余計声を荒立ててしまった。仕方なしに完全遮音障壁を展開すれば、ユラは捲し立てるようにこちらへ詰め寄った。この結界では周囲に音は聞こえずとも何をしているかはわかってしまうのに、それをわかっていないのだろうか。呆れたおもいは、次のユラの言葉でかき消される。


「アンジュちゃんの様子、おかしいと思わなかったの!?」

「どういうことだ」

「…………呆れた。本当にわかんなかったの?」


 今度は逆に、リヒターがユラに詰め寄った。逆転した立場にユラは落ち着きを取り戻したようで、声のボリュームは下がった。しかしトーンは限りなく低い。口調こそ異なれど、その声はユラでなく、彼女(・・)の声に近い。


「リヒターが帰った後のアンジュちゃん、なんか様子が変だった。他の人は気付いてなかったみたいだけど、でもリヒターなら気付いてるとおもってた」


 そうじゃなかったんだね。そういったユラの声が突き刺さる。これならば怒鳴られたほうがましだと思えるほどに。


「ねぇ、何をいったの? アンジュちゃん、私には何も言いたくないみたいで、ひとりにしてって言ってた」

「…………だから、アシェルを呼んだのか?」


 静かに頷いた。


「アシェルさんならきっと話せると思って。リヒターが原因であぁなったのなら、私には言いたくないんだろうなって思ったから」


 そういってユラは寂しそうに俯く。


 アンジュにはいくつか話をした。だが、彼女の様子がおかしくなるようなことなど一つもなかったはずだ。

 考えられるとすれば―――


「本当の意味で、知らなかった。わかったつもりでいた……」

「なにを?」


 間髪入れず聞き返された。

 だがそれを黙殺し、リヒターは考え込む。


 そういえばあの言葉を言った後、アンジュの表情を見ていなかった。どのような反応をしていたのか確認することなく、部屋を出てしまった。


(失望されていたら、怖かったから)


 彼女は失望し、それで様子がおかしいと思われたのだろうか。

 それを考えると、体が震えそうになる。好きな女の前では格好つけていたい、そんな気持ちが彼女の反応を恐れてしまい、そのせいでフォロー出来ずこのような状況が起こってしまった。そうだとしたら、情けなくて涙が出そうだ。


 顔を顰め黙りこくったリヒターに、ユラは何が起きたか察してくれたらしい。すべてではなくとも、表面上は。


「……アシェルさんが全部知ってるよ。それから、『手紙』の内容も」


 ハッと顔を上げる。忘れていたわけではなかったが、意識から外れてしまっていた。


「聞いてきてみたら? 私はアンジュちゃんの代わりに仕事しなきゃだし」


 ―――ごめんなさい、今日ちょっとお休みをいただくわ。リヒターさんは昨日の今日でギルドに顔を出すのは護衛を終えてからだと思うから、すぐに言わなくてもいいの。……むしろ、言わないでほしい。


 アンジュはそう言って今日一日休暇を取ったらしい。リヒターに言うなということから、昨日のことが仕事に支障を来すためかとユラは考えたようだが、先程の『手紙』の件でリヒターに関することでないと当たりがついたらしい。たしかにリヒターもそれには同意見だ。


「リヒターが今ギルドにいることも、その手紙に関係しているんじゃない?」


 ―――本当に、察しの良いやつだ


 一つ首肯すると、あることを告げた。

 ユラはそれに対し少し考える素振りを見せ、小さく首を横に振った。


「材料が足りない。予測はたっても事実がどうかはわかんない」

「同意見だ。……俺はアシェルの元へ向かう。お前はどうする?」


 そう尋ねれば、ユラからは簡潔に「私はギルドに残るよ、何があるかわかんないし」と答える。

 術を解き踵を返し走り出そうとしたリヒターの背中へ、ユラの声がかかった。


「アンジュちゃんが大変じゃないよう、仕事溜めないから安心してって伝えて!」


 返事をする代わりに手を振れば、ほっとした空気が伝わってきた。

 今度こそリヒターはボーア邸へ向かって走り出した。

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