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 探れることがないか探りに戻るとリヒターが疲れを感じさせない表情で告げた。どうやら自分は彼の息抜きになれたらしい。

 正直なところ、コルピッツ家の情報は彼からだけでなく、ボーア家の私兵であったり、首領(ドン)の個人的な部下たちも調べてくれており、その情報の内容はリヒターがもたらすそれと大差ないことが多かった。しかし、情報の届くスピードは断然リヒターのほうが早い。そうなればやはり彼に頼まないわけにはいかなかった。出来れば父親との会食にも参加してほしかったところだが、さすがにそれは何が起こるか分からない。身体的危険ではなく、シシリア嬢の思考回路(恋愛脳)とい面で。


(ま、そちらへはきっと首領かお爺様がうまくやってくれているわよね)


 アンジュの祖父であるボーア家前当主は、前線を息子である現当主――言わずもがな、アシェルの父のことであり、アンジュの母の兄、すなわち叔父のことだ――に譲った後も、王都で多忙の日々を送る当主に変わってレディレイクを中心とした付近一帯のボーア領を治める豪傑だ。首領に頼ることも少なくないとはいえ、祖父の手腕にはまだまだ衰えを感じさせることを許さない何かがある。

 暫く顔を合わせていないが、アシェルという後継者育成も終盤に差し掛かり、祖父にも余裕ができていることだろうから、アンジュのような若輩ごときが心配することなど一つもないだろう。


(そうなると、どうしてコルピッツはレディレイクを訪れたのかしら)


 目的という意味ではなく、その目的を何故この地で(・・・・・・)達成しようとしているのか。そちらに着眼点が向いた。

 目的自体は彼の家のこれまでの行動から『ボーアの掌握』であることは予想はつく。

しかし、今までそのようなことができたのはコルピッツよりも力を持たないもの達ばかりを狙ったからだ。ボーアとコルピッツでは天と地ほどの差がある。それなのになぜだろう。


(駄目だ。私はアシェルやお爺様方ほどこのような考え事には向いていない)


 首を横に振り、悩むことを諦めた。

 しかしアンジュは決して『向いていない』のではない。―――ただ、わからないだけだ。アンジュはこちらで生を受けてから、18年もの長い間を貴族令嬢として、前世の記憶を取り戻すことなく過ごした。騎士としての性質も持ち合わせているが、しかし根本的な面では変わらない。

 実に、令嬢らしいのだ。なぜそうまでして権力を求めるのかがわからない。恵まれているからこそ、わからない。特にアンジュの記憶はゲームのことにばかり偏っているので、余計にそれを助長しているのだろう。


 しかし、わからなくてもいいのだろう。

 他者を卑劣な手で蹴落とすような者の気持ちなどは、想いなどは、アンジュに必要のないものだ。





 伏せていた顔をアンジュがあげると、リヒターが柔らかく笑ったのがわかった。

 何故そのような笑みを浮かべるのかわからないでいると、彼は瞳を閉じ、瞼の裏に何かの情景を映すような、そんな表情を浮かべた。


「…………本当の意味で、知らなかったんだな」


 言葉の意味が、わからない。

 目を細め次の言葉を待つも、リヒターが口に出したのは全く別のことだった。


「そろそろお暇するよ。また休ませてくれ」

「そんなのは全然かまわないのだけど……ねぇ、さっきのどういう意味?」


 そう尋ねるも彼は何も語ろうとはせず、美しい顔に曖昧な笑みを浮かべるばかり。ねぇ、ねぇ、と尋ねても何も答えてくれない彼に思わず顔をしかめれば、リヒターは肩を震わせ始めた。そんな態度に余計腹が立つのは仕方のないことだろう。

 一体何なんだこの男は。知らなかったとは、何に対しての言葉なのだ。

 いつも人を見透かしたような態度ばかり取って、そしてアンジュのことをアンジュ以上に分かっていそうな彼が、突然なんだというのだ。


 むっとした表情を取り繕おうともせずにいれば、リヒターはついに観念したように「それだよ、それ」と言いのけた。


「俺は、アンジェリーナのこともアンジェリカのことも分かっているつもりだったけどな、目の前にいる君がそんな表情を浮かべるなんて思いもよらなかった」


 そういえば、先程からリヒターはアンジュの名を呼んでいない。意識してのことかもしれないが、アンジュとしてはそうでないような気がした。


「―――分かったつもりでいたんだろうな」


 独り言のように呟かれた言葉に、どうしてかアンジュは顔を酷く歪めてしまった。それは怒っているというよりも、泣き出しそうな、そんな顔。

 リヒターはそれに気づかない。気付かないまま立ち上がり、そのまま応接室を出ていってしまった。



 残されたアンジュは―――


「なに、よ、それ」


 強く拳を握り締め、膝の上で震わせる。


「なによ、なにが、知らないって、」


 ―――私は私よ。知らないとしても、あなたがその面を見ていなかっただけ


 はっにりと言いきりたかったのに、唇が縫い付けられたように何も話せなかった。


 ―――私を、否定された気分だ


 リヒターにはそんなつもりはなかったのかもしれない。

 だが、彼の表情を見れなかった。失望されたくなかった。


 令嬢である私も、騎士である私も知っている彼に、今の私を見て、がっかりしてほしくなかった。


「ほんと、私らしいって、何よ……何なのよ…………」


 私らしくいて欲しいと言いながら、知らなかったなどとのたまう。


 お願いよ。お願いだから、

 ―――本当の私を、教えて




 リヒターの告げた何気ない一言は、ひどく容易くアンジュを一喜一憂させるものだ。

 アンジュはそれに気付いているのか、リヒターはそれに気付いているのか。

 互いに分からないことだろう。分かってしまえば、これ以上に簡単なことはないのだから。






 その後すぐに仕事へ戻ったアンジュは、失敗続きで家に返される―――ということは一切なく、完璧に仕事をこなした。そのうえ自主的に残業をして帰ると言ってのけた。そんな彼女を周りは何もおかしく思うことなく、頑張れと一言二言言い残し各々仕事が終わり次第帰っていった。

 ただ一人を除いて。


「アンジュちゃん、急ぎの仕事でもあったの?」


 ユラがなんでもない風の口調で聞いてくるが、アンジュの様子がどこかおかしいことに気付き心配で声をかけていた。脇目も降らず、一心不乱に仕事を続けるなど、普段の彼女ならば有り得ない。何かを気にしたくない、忘れたい。まるでそういっているようではないかと、ユラにはそう思えてならなかった。

 しかしアンジュはその声に緩く首を降ると、


「そんなことはないけど、今日途中抜けちゃったから、その分の仕事をして帰ろうと思ってさ」


 夜間業務に切り替わったギルドは、酷く静まり返っており、アンジュの声は小さかったにも関わらずよく響いた。

 幸いこの場にはアンジュとユラしかいない。夜間カウンターはここから離れた場所にあり、こちらに夜間担当者が来る必要もない。


 だから、ユラは静かに尋ねた。


「リヒターとなにかあったの」


 声に疑問符は浮かず、断言しているようだった。

 目を通していた書類を手放すと、アンジュは緩慢な動作でユラの方を向いた。

 止めと言わんばかりに「何でも話、聞くよ」というユラの声。しかし、アンジュは首を横に振った。


「アンジュちゃん、」

「ごめん、一人にして」


 その後はユラと目を会わせようとせず、書類に没頭する体を作った。だから何も見れないし、何も聞けないよと暗に告げるように。


 ユラはその様子に言葉を失った。何が、そこまでアンジュを頑なにさせるのか。―――リヒターが何を言えば、アンジュはここまで傷つくのか。


 目を伏せ、ユラはアンジュの言葉に従い小さく「お疲れさま」と言いギルドをあとにする。



 ―――ひとりにしちゃ、だめだよね



 そんなことを思い浮かべながら。


 ある目的地を定めると、足早にそちらへ向かった。

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