4
レディレイクにおける領主邸――ボーア家の納めている領はレディレイクの街を含む周辺の土地のため、領主邸は何か所かに存在する――へ歩いてたどり着くと、生垣を整備していた庭師の男が主人であるアシェルへ向かって「おかえりなさいませ、アシェル様」とにこやかに挨拶をし、次いで隣にいた美少女ユラとその後ろの長身男リヒターに目を向け―――最後に、アシェルの背に隠れるように縮こまっているアンジュへと目を向けた。
庭師がアンジュの姿を確認しようとする度「私はいないわ! 誰でもないわ!」と小さく叫び、顔を手で覆っていると、庭師は観念したのか、肩を竦めアンジュの姿を確認するのを諦めた。―――かと思ったが。
「アシェル様、その後ろにいらっしゃるのは」
「リンクスだ」
「アンジュよ! ……あ、違う、違うの違いますわ!」
駄目だこりゃ。可愛そうなものを見るようにリヒターはアンジュを見るど、彼女の首根っこをグイと掴み庭師によく見えるようアシェルの背から離した。その際「ぐぇっ」と女性らしからぬ声が聞こえたが紳士として――本当の紳士は人を猫のように捕まえたりなんてしませんという主張が聞こえてきたがそれも含めまるっと――リヒターは無視をする。ただ一人ユラだけは「こら! 女の子をそんな風にもったりしたらダメだよ!」と怒ってくれたが、リヒターはどこ吹く風と聞き流した。
「おお、やはりお嬢様でしたか! お戻りになられたのですね、すぐに皆を呼んでまいります!」
「主人のときよりも歓迎が派手だね」
「やめて、ちょっと寄っただけなのよ……帰ってきたとかそんなことしなくていいのよ……ねえ聞いてる? 聞いてない? もう……リヒターさん苦しい下ろして!」
涙混じりの叫び声にストンと地面に下ろしてやると、これ幸いとアンジュはするりとその場から逃げだそうとした。だがそう簡単に逃げられるのであれば領主邸にまず来ていない。この女、道中も何度も逃げ出そうとしていたのである。何度も何度もスッと静かに逃げ出そうとしては、リヒターに捕まる。そのやり取りを繰り返すうちに逃げ出すことは不可能に近いと諦めていたのだったが、ここにきて庭師のあの過剰な反応。
「もう無理! 無理です帰ります!」
「何を言っているんだい。貴女の家はここでしょう。まさか貴女とユラさんが知り合いとは思ってもいませんでしたが、幸運の女神は私に微笑んでくれたようだ。ああ、ユラさんが女神なのでしょうか」
「アシェルさんって女性を褒めるの上手だねえ、ありがとう」
「いやあリヒターさん、お願い、むしろ依頼する、私を、ギルドに、ギルドに行かせてください!」
「…………お前性格違うくないか?」
二人だけの空気に入る者と、性格の変わったアンジュの肩を抱くリヒター。なおその肩からはギチギチと可笑しな音が聞こえてくるが、聞こえないふりをしてそのままアンジュを押さえつける。
凄い光景ですねとはアンジュを出迎えるべく現れた使用人たちの心の声である。
「まさかお嬢様が戻ってきてくださるとは、思いもしませんでした……」
「大げさね、この間も戻ってきたばかりよ」
「この間とはいつのことです! もう二月も経っておりますぞ!! 大旦那様も大奥様も、それはそれはご心配なさっておいでで……」
「わかったわこれからはもっと戻ってくるようにする、だからほら涙を拭いて」
「も、もったいないお言葉を……」
玄関ホールにて、アンジュの姿を目にし初老の執事は涙をぽろぽろと零しながらいかにアンジュが領主邸に戻ってこなかったか、いかに皆が心配したかをエンドレスで話続ける。
しまった話が長いのよね、と顔を引き攣らせアシェルに助けを求めれば、それはそれは綺麗に微笑み親指を立て口パクで「がんばれ」とだけ告げ、ユラとリヒターをサロンへと案内しはじめた。
裏切り者! と叫んでやりたい気持ちでいっぱいになりながらも、執事が言いたいことも分かっているために動くわけには行かない、と見つからぬよう、本日何度目になるかわからない溜息を吐いた。
サロンへ来ると、アシェルは侍女に紅茶を三人分運ぶよう指示し、それから人払いを命じた。
二人掛けのソファに深く腰掛け、目の前にアシェル同様二人掛けソファに一人で座るリヒターをじっとみつめ、真面目な表情で口を開く。
「さて、邪魔者もいなくなったことですし、貴方とはゆっくり話がしたかったんです」
「奇遇だな。私もだよ、ボーア卿」
先程まで浮かべていた笑みとは打って変わり、大変リヒターらしい笑みを浮かべると、足を組み膝の上へ手を重ねる。
猫かぶりが多いなあと肩を竦めながら、ユラもまた先程までの愛らしい笑みからすっと刃物のように鋭い表情へと変わる。
「さて、始めましょうか」
―――彼女が戻るまでに終わらせなければなりませんしね
酷い目にあった、とげっそりしながらもそれを上手く隠しアンジュはサロンへ向かう。表情を読まれることは貴族にとって喜ばしいことではないという小さい頃からの教えで、表情を偽ることは呼吸をするようにアンジュには当たり前のようにできた。そこだけは貴族として生まれて良かったと思っている点である。
しかし、いかにアンジュが表情を偽ることに長けていようとも、この状況には眉をしかめてしまう。
なぜ、サロンへ向かおうとすればするほど皆がこちらに押し寄せてくるの?
これではまるで私をサロンへ近付けさせないよう足止めをしているみたいだわ
従兄は昔からアンジュをからかって遊ぶことが好きな男だった。その結果アンジュと顔を会わせる度にあのような口喧嘩をしてしまっているのだが今その事は一先ず置いておく。だがこうやって使用人をけしかけて自分を足止めするだなんてやり方、彼に似合わない。
思い過ごしならいいけれど、と思いながらアンジュは訪れる侍女の「いかに心配をしたか」「是非とも領主邸にて暮らしてくれ」という言葉に再び耳を傾けた。
二度と領主邸には近付くまい。アンジュがそう決心している頃、彼女と使用人たちの間の生暖かい空気とはがらりとかわり、鋭い空気の漂うサロンではアシェルが顎にてをかけ「なるほど……」と小さく呟いた。
対面するリヒターは、そんな彼の頭の回転のはやい様子を気に入り、「話が早くて助かる」と笑った。
「そろそろあれが機嫌を損ねている頃でしょうし、今日のところはこの辺りでいかがでしょう」
「ああ、そうだな。先程のアンジュと貴方のやりとりから彼女を怒らせると相当面倒ということがわかったしな」
「どうぞアシェルと。……そうですね、彼女の口があそこまでたたなければ私もつまらないとあのような言葉を吹っ掛けることもなかったでしょう」
「それはそれは。ならば俺も気を付けないとならないな」
アシェルの言葉にリヒターは笑みを深める。まだまだアンジュのことは知らないことが多そうだ。
「貴女はいつまでそうやっているつもりなんだ?」
「それは私に聞かず皆に……あら、どうしてリヒターさんとユラちゃんもでてきているのです?」
「そろそろ戻ろうと思ってな。もとはこいつをなんとかするために来ていたからな」
「リヒターちょっとひどくない?」
口を尖らせそっぽを向く美少女は相も変わらず可愛らしい。ほっと癒されながらも、そういえばアンジュとアシェルが言い合いを始めてしまったために延びていたがもとをたどるとユラの恋煩いを何とかすべく動いていたんだっけ、と思い出した。
「どうにかなったんですか?」
「アンジュちゃん!?」
どうして貴女までそんな言い方をするのと言わんばかりに目を潤ませるユラに、アンジュは苦笑いで「ごめんごめん」と謝りつつ、リヒターを窺う。すると彼は「大丈夫」と言う代わりに深く肯いて見せた。
どうしてユラが恋をするとまずいのかはいまだに分かっていないが、その相手がアシェルというのはアンジュとしては困る。理由はただ一つ。
アシェルは非常に、女癖が悪い。
あえて口説くようなことはしていない、と本人は言っているがそれが逆にまずいのだ。どの女性にも同じ態度、だがそんな中で少しでも優しくしてみれば―――結果はただ一つ。領主家の跡取りという立場もそれを助長している。
来る者拒まず去る者追わず。だが去った女性たちもアシェルを忘れられず再び彼の元に現れるという。そんな女性たちからのやっかみを防ぐためにもアンジュは領主邸を出たがったのだった。
そんな男がユラの恋する相手と知った時、呆然としたものだ。
これではユラが傷ついて終わる、と。
だがどうにかなったのであれば問題ない。アンジュは安堵のため息を吐くとジロリとアシェルを睨み付けた。
「いい加減腰を落ち着けたらどうなの?」
「周りの女性たちが放っておいてくれないんだ。私のせいではないよ」
「本当に良かったわ話がついて。貴方みたいな人といたらユラちゃんが苦労するばかりだもの」
アンジュの言葉に反論ができないのか、アシェルは「ははは」と乾いた笑みを漏らすとアンジュからそっと視線を逸らした。
「どうしてユラちゃんが恋をすると困るんですか?」
領主邸を出てから、ずっと気になっていた疑問をリヒターにぶつける。その際ユラの方から「困るって何?! どういうこと!? ちょっとリヒター!」という叫び声が上がったがアンジュもリヒターもそれを聞かなかったことにした。
「単純にこいつがそれ以外のことを考えられなくなるのが第一の理由」
「たしかに、ギルドに来たとき様子可笑しかったですね」
「そして第二に、こっちの方が面倒だな。その男が手に入った途端に……」
「途端に?」
「捨てる」
「捨てる! わあ……酷い……ユラちゃんそれはアシェルと同レベルで酷い」
「キャッチアンドリリース精神旺盛なんだよ!」
「全然自然に優しくない! 責任もって!」
もしかしたらどうにもしなくて良かったのかもしれない、という考えに陥りアンジュは掌で額を覆う。想像以上にこの美少女酷いわ……。
「だから俺はどうにかしたかったんだ。捨てられた男が逆上するのは面倒だからな。こいつは後始末を何もしないし」
「えっ、後始末も何もリリースしたら終わりでしょう?」
「終わりじゃないから困っているんだろうが……」
頭を振ってリヒターは「どうしてこうなんだ……」と呆れた声を出すもユラはなにがなんだか分からないと言った様子で首を傾げるばかり。苦労してきたんだなあ、とアンジュはぽんぽんとリヒターの背中を叩いてやった。