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コルピッツ家は想像していたよりも早くレディレイクを訪れた。首領の情報網は決して遅くなく、むしろ早いといえるものであったため、数週間はさきのことだろうとアンジュは思っていたのである。だが、実際には情報が届いたほんの数日後の来訪であった。
そうであったとしてもアンジュはとりたて慌てることなく、もとより依頼されていたシシリア嬢の護衛の準備を恙なく終えることができた。
しかし、準備に問題がなくとも、問題というのはときに思いもよらぬところからやってくるものである。
「アンジュちゃん……」
戸惑いを瞳に浮かべ、ユラがアンジュに視線を向ける。だが、アンジュはそっと目を逸らしてしまった。流石に私もこれは予想外だ、と。
シシリア嬢と護衛を担当することになっていた二人の顔合わせも、特にコルピッツ側から不満を言われることなく終わろうとしていた。
父親であるコルピッツ卿が、ユラに向けて邪な視線を向けていたが、それは許容範囲である。そっと彼女を卿の見えない位置へ動かすことはしたが。
だが、直後に問題は起こった。
「リヒターというのね」
愛想のない表情でアンジュの隣に立つ男を真っ直ぐにとらえ、シシリア嬢は言った。
そしてアンジュなど視界に入っていないのか、つかつかとリヒターの傍に近寄ると、彼の腕を取って「嬉しいわ、あなたみたいな素敵な方が護衛をしてくれるだなんて」と甘い表情でしなだれかかった。
つまりは、そういうことである。
顔を顰め、それから助けを求めるようにリヒターはアンジュを見るが、残念ながら依頼主にただの受付嬢であるアンジュは強く出れない。どうやらリヒターとしても、一介の傭兵が依頼主に強く出るわけにはいかないと思っているようだ。
頑張ってください。そうおもいながらも、なんだか面白くない。アンジュの瞳が細まり、ついとリヒターと、それから彼に下品にも抱き着くシシリアを見る。仮にも貴族令嬢だというのならそんなはしたないマネはやめてほしいわ。心の中で舌打ちを一つすれば、びくりとリヒターの肩が揺れた。気付いたのだろうか。
そんな二人を見て、ユラは困ったように、そして戸惑いを瞳に浮かべ、アンジュの方へ視線を向けるのだった。いや、ついね、と内心言い訳を漏らしながらアンジュは黙ってユラから目を逸らした。
だが、次いで聞こえた声に驚き顔を上げる。
「あ、もうあんたたちいいから」
は? と口には出さないものの怪訝そうな顔でシシリア嬢へ意識を向ける。
「彼さえいればそれでいいわ、あんたたちはいらない」
まるで子供のようだ。実際にそうなのかもしれない。無邪気に笑う姿はどこからどう見ても貴族令嬢とは言えない様子。とはいえアンジュ自身、学園に入学するよりも前は令嬢らしからぬ行動を多くとっていたので何も言えない。
――とはいえ、アンジュの場合その『らしからぬ』というのは主に武芸に関することであるので、みっともないといわれる道理はないのだが――
しかし、令嬢らしくない、ということを面と向かって言えなくとも、それ以外のことは言う必要があるだろう。
アンジュはこの場にギルド側の責任者として来ているので、依頼主より「必要ない」と言われてしまえば引き下がる以外に手はない。一応顔合わせは終わってしまったので、あとは依頼主と依頼される側、即ち傭兵との話し合いとなるだろう。
だからこそ、一言言わなければならなかった。
リヒターが一人でシシリア嬢の護衛をするのではなく、ユラと二人で任務を行うのだと。
形のいい眉を吊り上げると、「あの、」とアンジュはシシリア嬢へ声を掛ける。
だが、全てを言うよりも先にシシリア嬢はリヒターの腕に自分のそれを絡ませ、「いきましょう」と甘い声を出した。これにはアンジュもまいり、「ちょっと」と声を荒立ててしまったのだが、
「アンジュちゃん」
らしからぬ静かな声で、ユラがアンジュの腕をつかんできたため、それ以上の言葉は続けられなかった。
「大丈夫だから、いいから、ね」
小さく笑うと、ユラは踵を返しこの場から立ち去ろうとする。コルピッツ卿がそんなユラを追いかけようとしたのが見えたが、それよりも先に彼の部下らしき男が卿に近寄り、何やら耳打ちをしている様子だったので、問題は特におこらないだろう。
しかし、どうすべきか。
逆方向を進むリヒターとユラを交互に見ていれば、リヒターが少し振り向き、ぱくぱくと口を動かした。
―――こちらは任せろ、ユラを頼む
そういっているように見えたが、実際のところは分からない。
だけど、きっと見えた言葉が正しいのだろう。アンジュはシシリア嬢に対抗するように、貴族らしい振る舞いで一礼し、ユラを追いかけるのだった。
ユラの足はそれほど速くないため、出遅れたアンジュもほんの少しばかり走ったところですぐに追いついた。
しかし、追いついたところで何を話していいのかもわからず、ユラの隣を並んで歩きながら「えっ、と……」と口を噤んでしまった。
(一体、何を話そうか)
黙り込んでしまったアンジュを見て、ユラが小さくくすりと笑った気がした。
「ユラちゃん……?」
「ねぇ、アンジュちゃん。この後お仕事、すぐ戻らなきゃ?」
少し考え、首を横に振る。
終わり次第ギルドへ戻った方が良かったのだろうが、今の時間ならばそれほど受付はこまないし、ルイーシャだっている。
少しぐらいの時間ならば問題ないだろう。
「ちょっとお茶しない?」
その誘いに、アンジュはすぐさま首肯するのだった。
「リヒターはあの顔だから、ああいう子がたくさんいるってのはよくわかってるんだ」
だから気にしてない、とユラは屈託なく笑った。
無理をしているような笑顔ではなかったが、アンジュは何と返してよいのかわからず、紅茶に口をつけた。
ギルドから少し離れたところに位置する喫茶店。そこは、アンジュやユラ、それからリヒターがよく訪れる店で、店員は三人が目立つことをよくわかってくれていた。何も言わずとも、店員である初老の女性は店の奥に位置する外からは目立たない席へ二人を案内し、「ごゆっくりどうぞ」と朗らかに笑ってくれた。
「だから邪険にされることも少なくないから、あんまり気にしてないんだ」
アイスクリームの乗ったパフェを幸せそうに食べるユラは、本当に気にしていなさそうである。
「それより、アンジュちゃんは良かったの?」
「何が?」
「だって、妬い」
「てない!」
ユラの言葉に被せるように思わず返せば、ユラはあっけにとられたような表情でアンジュを見ていた。しまったと思うが後の祭りである。
表情を引きつらせるアンジュとは対に、ユラはどこか穏やかである。ふふっと笑う姿はまさに美少女の鑑だろう。
「リヒターが好きになったのがアンジュちゃんでよかった」
花がほころぶような笑みに、アンジュは何とも言い難い表情になってしまう。
「ねぇ、アンジュちゃん」
しかしユラはいつまでも朗らかに笑ってはいなかった。
いつの間にかユラの前にあったパフェは姿を消し、からのグラスだけが置いてある。つぅ、とそのグラスの淵をなぞり、ユラは口元に笑みを携え、しかし真剣そのものといった眼差しでアンジュをとらえる。
「アンジュちゃんは、リヒターのこと、好き? それとも、嫌い?」
小さな子供に尋ねるように、ユラは静かに言葉を紡いだ。
直球すぎる言葉にアンジュの視線は右往左往するも、ユラの真っ直ぐな瞳に射抜かれ、どうにもできない。
「そりゃ、好きか嫌いかなら、好きだけどね」
ぽつり、アンジュは小さな声で答える。
「でも、そういう好きとは、違うんじゃないかなって」
「知り合いとして、ってこと?」
「うーん、知り合い、よりは深い付き合いなんだろうけど……」
けれど、恋愛としての感情は持ち合わせていない。……と、思う。
自分の感情が分からない。そのことにひどくもどかしさを覚えた。




