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「姉上の望みは、何ですか?」
先程まで、あれだけローズマリーについて騒いでいたとは思えないほど、落ち着いた声でコンラッドは尋ねる。
単純な質問であるが、それはアンジュの悩みを、葛藤を、真っ直ぐ射抜いていた。
レディレイクに戻ること、騎士団に戻ること、新しい道を見つけること。
―――そして、リヒターと共に歩くこと。
望み、というよりも、アンジュの進みたい道はどれなのかと。
「どうみたってリヒター殿は、姉上のことを……」
「コンラッド。…………私、暫く、恋愛だの結婚だの、そういう類のことを、考えたくないの」
姉さまの結婚式の直後で申し訳ないけどと付け加えながら、首を横に振るアンジュの姿に、コンラッドは唇を噛み締めた。アンジュとは異なり父方の血を濃く引いたコンラッドの金色の髪が、その拍子にさらりと流れ落ちる。それを押さえながら、コンラッドは小さな声で言葉を紡ぐ。
「四年前の、ことですか?」
「いいえ違う。あの人とのことはもう決着はついたし、それに関しては……もう、済んだことよ」
「ならば、なぜ?」
リヒターがアンジュのことを想っているのは、見ていれば容易にわかる。
そして、わかりにくくはあるが、アンジュの気持ちもまたリヒターの方を向いていると、コンラッドは、アンジュの家族は気付いていた。
本人だってそれはわかっているはず。なのに、なぜそのように認めようとしない。なぜ、その道を歩もうとしない。
「……いろいろと、あるのよ」
それだけでは納得がいかない。きちんと説明してくれ。
そう身を乗り出そうとしたところで、コンラッドの耳が、アンジュの微かな声を聞き取った。
「だって、どうしたらいいのかわかんないんだもの」
四年前、『全て』が終わったあとで、アンジュはゲームの知識を手に入れた。
自身の経験とゲームの内容は似て非なるものではあったけれど、己はほぼゲーム通り婚約破棄された。
ゲームでは、その後のアンジェリーナについて語られていない。ハッピーエンドの大団円に、ライバル令嬢は不要なのだ。
だから、わからなかった。
ゲームを知る前ならば、自分の思うままに進めただろうけれど、ゲームのことを知ってしまっては、それがどの程度の影響力を持つか、ゲームの裏側で、アンジェリーナは、その家族は、無事平穏を過ごせるのか。そればかりが気になり、思うように動けなくなってしまった。
最近になって、ようやく『ゲームの世界だから』などと考えることはなくなってきたが、それでも、この世界が恋愛ゲームだからこそ、自分の恋愛によって自身の回りに何か影響があるかもしれない、何か被害を受けるかもしれない。
そう考えたら、何もできない。どうしたらいいのか、わからない。
ゲームの世界でないと考えながらも、ゲームの世界だからといいわけしてしまうアンジュの心は、矛盾と葛藤ばかりが渦巻く。自分が何を考えているかも、何をしたいのかも、時々、わからなくなることがある。
「姉上らしくありませんね」
黙り込んでしまったアンジュを見かねて、コンラッドがそう言い放った。
アンジュが何を考え何を悩むのか見当もつかないであろうコンラッドは、それでも自分の知る姉とは異なる考えをみせるアンジュに、思わずそんな言葉が飛び出した。
アンジュはそれにはっと顔を上げながらも、そんなことは自分が一番よくわかっていると叫びたくなった。だがそこは姉としてのプライドと、オルフィーユの令嬢としての自覚がそれをとどめた。
―――ゲームのことを知らなければ、きっと私らしくいられただろう。悩むことなく進めただろう。
知ってしまっては、どれが正しいのか分からなくなってしまった。
臆病に、なってしまった。
男へ「前に進め」といいながらそれができない。自分が一番踏みとどまっている。
「…………どうすることが最善の道なのかしら」
零れおちたアンジュの葛藤に、コンラッドは思わずといった様子で眉をひそめた。
「姉上はこれまで、最善だからと道を選んできたのですか? ……違いますよね。やりたいこと、信じたことだからこれまで進んできたのではないですか? 少なくとも俺にはそう見えました。ならばこれからも、姉上の信じる道を進むことが、姉上にとっての最善につながるのではないでしょうか」
イースと同じことをいうのねと、アンジュは凍り付いていた表情を和らげた。
身内二人の言葉ではあるが、きっとそれが周りから自分への評価や想いなのだろう。
正直、今は何を信じればいいのかもわからない。
けれどやりたいことならば、それは、わかっている。
「……信じる道、か」
直後、ノックオンが響き、イースよりリヒターとユラの支度整ったという知らせが届いた。
コンラッドと二人、オルフィーユ邸の玄関ホールまで出てくれば、すっかり準備が整い、旅装束に身を包んだリヒターとユラの姿が見えた。最初にアンジュたちに気付いたのはユラで、彼女は「アンジュちゃーん!」と元気よく手を振ってくれている。そんなに距離が開いているわけじゃないのだから、そんなことしなくても気づくのに、と苦笑にも似た笑みを浮かべつつ、それに返事をするように小さく手を振る。だが直後ユラはごめんというように両手を合わせ、アンジュの両親と姉の元へ行ってしまった。どういうことだろうかと首を傾げていれば、「気付いたらあの調子で仲良くなっていたんだ」と肩を竦めながらリヒターが教えてくれた。彼は逆にこちらへ来てくれたようだ。
そうなんだ、と驚きながらもそちらの様子を眺めて入れば、コンラッドが突然、アンジュの耳元で
「先程のこと、忘れないでくださいね」
と囁き、リヒターに向けて「馬車の様子を見てきますね」と笑いかけそのままその場を立ち去った。
コンラッドめ……! 弟の態度に天を仰げば、リヒターが「何かあったのか?」と心配そうに尋ねてくる。それになんでもないと返せば、彼はすんなり納得したようで、そうかというようにうなずいた。
そして、沈黙。
何かしゃべらなきゃとは思うのだが、ついパーティでのリヒターを思い出し、またコンラッドに言われたこともぐるぐると頭の中を回り、言いたいことが浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す。
彼と、元婚約者とのことが解決した話しでもしようか。だがそんなのきっとイースのことだからリヒターにはすぐ話していることだろう。
変な気を使わないでほしかった。それからどうしてユラちゃんはこちらに来ようとしないんだもしやグルか! 主犯は絶対に母さまだろう! もしくは姉さま!
そう八つ当たり染みたことを考えていたら、リヒターが「もう面倒になった」と何やらそんなことを突然呟いた。「何が?」と尋ねようとアンジュがリヒターの顔を見ようと横を向こうとすれば、それよりも先にリヒターがアンジュの耳に顔を寄せ、
「本気にしてもいい、そういったがな。訂正するよ。本気にしてくれないか?」
そうそっと囁いた。驚き今度こそリヒターの顔を見れば彼は恐ろしいと思えるほど穏やかな微笑を携えている。アンジュは自身の顔がぶわぁっと赤くなるのがわかった。
「茹でダコも驚いて逃げだすほどに真っ赤だなあ」
どこかで聞いたような台詞を言いのけながらくつくつ笑うリヒターに、アンジュはパタパタと手で顔を仰ぎながら
「誰のせいだと思ってんですか……!」
と声を押さえつつも噛みつくように告げる。意識してどうなるものでもないので、顔を火照らせたまま器用にも顔を顰めれば、リヒターはそんな彼女を、なんとも愛おしそうに、優しげに、見ている周囲が恥ずかしくなってしまいそうなほど、蕩けるような笑みでアンジュを見つめた。
そんなリヒターの様子にはアンジュも参ったようで、彼からほんの気持ち距離を開けるように、むぐぐと顎を引いた。だがリヒターは逆にその距離を詰め、アンジュの髪を一房取り口付ける。
遠くで「よくやったリヒターそのまま止めいっちゃえ!」というなんとも物騒な声が飛んできたが、アンジュの耳にその声は届かない。
「返事はいつでもいいさ。十分悩め。……だが、ま、その反応を見るに…………」
なんとも楽しそうにそう告げるリヒターにすべての意識を持って行かれていたからである。
とんでもない爆弾が最後に待ち構えていただなんて、そんな、だって……
―――アンジュは後に、これらすべてを家族及び使用人にみられていたことに気付き、頭を抱えることになるのだった。
どうしてその時に気付かなかったのだ。気付いて対処すれば後から生暖かい目で見られることなんてなかったのに、と。
これにて今章は完結になります。途中更新が開き申し訳ありませんでした。
もともとこんなに長くなる予定じゃなかったんです……。
次章はおそらく年明け(暫くしてから)となるかと思います。そろそろ受付嬢の仕事をさせようと思っているのですがどうなるかは未定。
※ また、章タイトルが『姉の結婚式』編のわりに結婚式関係ないことをしていましたので、今話更新と共に『王都』編と変更させていただきました。




