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さぁ帰ろう。
予定よりも遅れているということはなかったが、王都からレディレイクへは半日かかるのだから出発は早いに越したことはない。
リヒターやユラだっていつまでも王都に残っていては仕事に支障をきたしてしまう。彼らはよく忘れてしまいそうになるがSランクの傭兵。レディレイクのギルドのエースを張っている二人がいないということでギルドも大忙しなことだろう。
―――そのことを考えたら、よけいに早く戻らなければならない気がしてきた。急ごう。アンジュはひそかに一人決意するのだった。
誰かに二人を呼びにいかせるようイースに言いつけると、アンジュは再び自室へ戻り、一人鏡の前に立つ。
真っ直ぐ自身の顔を見つめ、鏡にそっと触れると、小さく口を開いた。
「大丈夫。これで、彼は前に進める。これでよかったのよ。これで、…………」
囁きは部屋の静けさに飲み込まれ、誰にも届かない。どこにも届かない。
それが余計にアンジュの心を突き刺し、目にうっすらと膜が張る。
静寂を切り裂くように、部屋の扉をノックする音が響いた。
その瞬間にはアンジュの表情には普段の笑みが浮かび、入室の許可を示す言葉を口にする。二人を呼びにいったにしてはやけに早いなと思いながらそちらへ目を向けるも、そこにはイースでなく、弟の姿があった。
どうしてここにいるのかと尋ねたところ、返ってきた答えは
「時間ないだろうけど、ちょっと話がしたくって」
とのこと。そんな一時間も二時間も話す子ではないのだし、少しぐらいなら大丈夫だろうと検討付けると、アンジュは椅子を勧めた。
「ローズ嬢がですね」
アンジュから視線を逸らしながら、暫く何を話すか悩んでいた様子のコンラッドだったが、意を決したように――だがそれでもアンジュからは視線を逸らしながら――口を開く。
威圧感を与えているつもりはないのに、なぜここまで弟は話しにくそうにしているのだろうかとアンジュは微かに困惑しながらも、コンラッドが話しやすいよう自分は口を開かず、聞き手に回った。
「ローズ嬢がですね、……姉上に、憧れたのですよ」
「…………うん? ……うん」
どうしてそんなにも言葉を振り絞るように言うのか。
己の婚約者が、将来の義姉になるであろうアンジュに憧れるのが、そんなにいやなことなのだろうか。
私、コンラッドに嫌がられるようなことをしたっけ? と首を傾げながら、あのパーティの有様じゃあ嫌がるのも無理ないか、とすぐに弟の嫌がる理由が判明してしまい、言葉を詰まらせる。
確かに、あそこまで暴れた姉に婚約者が憧れ、のちに同じようなことをされてはたまったものじゃないだろう。
悪いことをしたか、とばつの悪そうな表情でコンラッドを見つめれば、彼は漸くアンジュをまっすぐ見て、……慌てた。
「あ、の、ローズが憧れたことを嫌がっているのではなくてあ嫌がってはいますけどでも少し違いまして」
「ええ、ええわかったわ落ち着いて」
慌てて手を振り出した弟に、ああこういうところは昔から変わらない、と幼い頃の彼の姿を現在のコンラッドに重ねながら、アンジュは苦笑する。
「えっと、何が言いたいかというと、姉上!」
「はい」
コンラッドの勢いにのまれそうになりながらもどうにか返事をすれば、彼は大きく息を吸い、悲痛染みた声で、
「あまり、あまり人を誑し込まないでください……!」
と告げ、アンジュの手を握りしめた。
何を言っているのかさっぱり分からない、と困惑しながら「コンラッド……?」と名を呼べば、彼は深くため息を吐き、「姉上はわかっていない……」と首を横に振る始末。
「分かっていないって……ねぇ、本当にどういうことなの?」
「姉上は人を誑し込みすぎているのです。主に未婚の令嬢を。中には既婚のご婦人方もいらっしゃることでしょう」
「…………。……そんなこと、ないわよ」
思い当たる節が見つかり、今度はアンジュがコンラッドから目を逸らしてしまう。
「人を誑し込むな」という言葉だけではわからなかったが、令嬢たちを、ということでアンジュにも納得がいった。
アンジェリーナは、学生時代、気高きオルフィーユ家の令嬢、ということで、多くの人に囲まれたことがあった。
だがそのほとんどは、令嬢というだけでは説明がつかない、彼女の凛々しさ、強さに惹かれて集まった者たちだったのだ。つまり、アンジュの騎士としての部分に惹かれたということ。
何が言いたいかというと、アンジュにその気はなかったのだが、アンジュのためにすべてを捧げたいという令嬢たちが、《アンジェリーナ様を応援する会》、―――前世の知識曰く、『ファンクラブ』というものを設立し、本来の婚約者――勿論殿方である――以上に、アンジュへ熱を上げてしまったのだ。
さすがにそれはまずいと考えたアンジュは、令嬢らが自分よりも婚約者を想うよう奮闘した。とはいっても結局のところ、アンジュへの想いは『憧れ』という部分が多かったので、それが理由で婚約破棄するようなことはなかった――不仲になりかけた組はいくつかあるらしいが――し、アンジュが何かをするまでもなくほとんどは解決した。
―――ライバル令嬢って、なんだろう。
アンジュは、ゲーム知識を手に入れた後に、そう悩んだ。嫌われはしないキャラクターだが、それでもヒロインの方が人気なはずだろう、と。
長くなったが、きっとコンラッドはローズマリーがその令嬢らと同じことにならないか、その心配をしているのだろう。
コンラッドと話し、また自分でも過去を思い返して、アンジュは自分が人誑しかもしれないと薄々感じ始める。
だが。
「そんな心配するようなことはないんじゃないかしら? ローズマリー様がそんな方とは思えないし……」
「それでも自分の婚約者が自分以上に姉上を想っているかもしれない、だなんて男側からしたら辛すぎます……!」
「かもしれない、でしょう。大丈夫よ。……きっと」
ローズマリーとはそれほど話したことはない。だが、彼女がアンジュに憧れたといってもそのほとんどは将来の姉への好意だろう。
―――自信をもって言えないのは、過去の令嬢を思い出したからか否か。それはアンジュにもわからない。
コンラッドは再びため息を漏らすと、「大丈夫と、信じたいものですね」と顔をひきつらせた。
そんな心配せずとも、自分は王都から去るし、ローズマリーはコンラッドのことを想っている。安心しなさい。
そうおもいながらも、それは自分が言うことではないか、と口を閉ざす。
すぐさまコンラッドが真剣な表情に切り替えたのも要因の一つだろう。
ああ、先程の話は――コンラッドにとっては重要であるが――、本題ではなく、ただの前振りか。
コンラッドにつられるよう、アンジュも居ずまいを正した。




