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時は遡る。
まるで物のような言い方でリヒターについて話す従兄妹に少しばかり眩暈を覚えながらも、アシェルの有無を言わさぬ視線にリヒターは顔の表情を引き締める。
アシェル・フェルミ・ボーア
彼は女誑しと言われ次から次へと別の女性と並んでいることで有名である。だが、彼がそれだけの青年でないということをリヒターは知っていた。
―――次期《ボーアの王》
それが、彼の持つ称号であり、彼自身をよく表す代名詞である。
アンジュはアシェルのそのような面を知らないでいると、以前彼と話したとき聞いたが、確かに知らぬ方がいいだろう。食えない男だというのがリヒターのアシェルに対する感想である。
流石はオルフィーユの親戚筋なだけある。既に部屋はとってある、と人払い済みの一室にアシェルはリヒターを連れ込むと扉の鍵を閉め尚且つ「遮音術をお願いします」と丁寧に、だが絶対だというように告げる。その程度の術ならば深く意識を向けずとも容易に出来るとリヒターは人差し指をくるりと回し、室内に完全遮音障壁をかける。パーティ会場ならまだしもここは完全に個室。その上アシェルがカギをかけたということはここに誰も訪れることはない。
アシェルは少しの間目を瞑り何かを感じ取るような仕草をした後、ゆっくりと目を開き「流石ですね」と食えない笑みを浮かべた。この年にしてこれだけの態度をとれるとは、本当に侮れない。なんて男に手を出そうとしたんだ、と今頃アンジュと歓談しているであろうユラに恨みがましいことを考える。
そんなことを考えているなど悟られぬようリヒターは薄ら笑みを浮かべると「それは何よりだ」と言葉を返す。なんでこんなところにまで来て己は腹の探り合いなどしているのだろうか。アンジュの従兄であり彼女との仲も良好なようなので極力自分も良好な関係を築きたいとは考えているが、その決心が揺らぎそうである。
しかしアシェルは、リヒターがどんなことを考えていてもどうでもいいと言わんばかりにソファへ腰かけるよう促しながら口を開く。
「貴方は、リンクスがアンジェリカだったということを本当に知らなかったんですか?」
疑っているような声色。当り前と言えば当り前だ。アンジェリーナとアンジェリカ。どちらの存在も知っていながら、リヒターともあろう男が二人が同一であると知らないなどとは、到底信じられないだろう。
苦笑するような声でリヒターは「あぁ」と返答する。
「アンジェリーナ嬢も騎士アンジェリカも遠目に見ただけでどちらも顔をきちんと見たことがなかったんだ」
その言葉にアシェルは食えない笑みを消し、はぁと呆れたように溜息を吐いた。額まで押さえて『自分は呆れている』ということをアピールするこの男に「だったらなんだ」と眉をひそめる。
「なら、この話も知らないんじゃないですか?」
「…………なんのことだ?」
勿体ぶるように告げ、アシェルは、爆弾を投下する。
「あれが……、アンジェリーナが、聖騎士団に勧誘されたことですよ」
驚きのあまりリヒターは「っな」と目を見開く。口を押え「嘘だろう……あそこが、どうして……」とつぶやく姿に、芝居くささは感じられない。本当に知らなかったのか、と再度溜息を吐くとアシェルは彼の意識をこちらに向けようと手をパンと一度叩く。はっとしたようにリヒターはアシェルの方へ向きなおり「すまない……」と謝ったが、仕方のないことだろう。
「あそこは少し特殊な場ですからね。どうやらアンジェリーナとアンジェリカを等式で結ぶことが可能であると知っていたようです。だから女騎士でなく、婚約破棄された娘を、《聖騎士団》へと勧誘した。……あぁ、もしかしたら、アンジュとも結べることも知っているかもしれませんね」
「……あり得なくはない、な」
「正直なところ、私は全てつかんでいると確信していますよ。どこへでも入り込みますからね。聖職者とは思えないほどだ」
皮肉気に呟くアシェルにリヒターは再び同意の言葉を紡ぐ。
《聖騎士団》の存在意義はリヒターもアシェルも知らない。だが、彼らが異質な存在であることは二人はよく知っていた。だからこそ、《聖騎士団》も、それを従える教会も信用ならない。
「リンクスを勧誘した理由、わかりますよね」
「事実がどうであれ、婚約破棄された娘に次の相手がそう簡単に見つかるわけがない。ならば実力のある人間を勧誘しようと思うのが組織だ。《銀槍》は伸び白が見えない娘だと言われていたからな」
「それだけだと?」
またも呆れたような表情、声色。
ほんの少しばかりその態度に対し怒りがわいたが、どれも自分が理解しないことに原因があるので何も言わない。それに、その前に気付いた。
「…………まさか、ボーアの血のことも掴んでいると言うのか?」
「私はそちらがメインと思っていますよ。血を濃く受け継ぎながら、ボーアでなくオルフィーユの囲いに入っているあれを放っておくほど教会は馬鹿じゃない。それに、リンクスは血のことをなにも知らない。彼女の意思で教会に入っていたらこちらは何もできませんからね」
「だから、その前に手を打った、か」
「ノーコメントとしておきましょう。ですがこれだけは一言」
すっとアシェルの表情が引き締まる。食えない笑みでもなければ、先程浮かべていた呆れを含むものでもない。
アンジュの戦っているときの表情に似ている、と思ってしまった。血の繋がりはあるが従兄妹でしかないのに。
「早々にリンクスを娶るか、手を出しなさい。それができぬのならばあれからは手を引け」
背筋に冷たいものが流れる。真剣そのものといった声色は、まさに《ボーアの王》のそれである。
だがリヒターだって負けてはいない。のまれそうになってしまったことを恥じ、自身に活を入れるとアシェルをまっすぐ見据えた。
「……俺が手を引いたら、どうするつもりだ?」
「どうするもなにも、私があれを娶るだけですよ。血は近いが、数代は私たちほど血の近いもの同士の婚姻はありませんから」
話は以上です、とにこやかに告げるアシェルに先程までの迫力は見られない。
まったく、食えない男だ。重苦しく息を吐きながらもリヒターは会場へ戻るというアシェルのため遮音障壁を解こうとした。だがその前に、アシェルが思い出したように一言短く、
「血のことは話していませんので」
と暗に彼女にそれを言うなと告げた。それは、《氷の町》へ行く前にも告げられた言葉。
いい加減話してしまったほうが良いのではないかと思うが、部外者でしかない自分にボーアと、それからオルフィーユのことに口を出すわけには行かない。
難儀なものだ、とリヒターは肩を竦め今度こそ障壁を解いた。
そして時は戻り人気のないテラスにて。
アシェルと話した時のようにどこかの部屋を借りようかとも思ったが、気が立っている自分が何をしでかすかわかったものでないので、ここはおとなしくテラスに出ることにした。アシェルならばきっと「そうすべきです」だのなんだの言うだろうが、きっとユラが黙っていない。あいつ変に固いからなぁ……と遠い目をした後、疲れた気に目を瞑るアンジュを見つめる。
―――どんなパーティでも、凛としていながら鋭いばかりではない令嬢。そんな彼女に、気付けば好意を抱いていた。
婚約をしたと聞いたときは、彼女ほどの身分の令嬢ならば仕方のないことと思った。よもや自分にその役が回ってくるわけがないと思っていたから。
だが、その相手といるときの彼女は、どうにも彼女らしくない、似合わぬことをしていたためとても残念に思っていた。
俺ならば、彼女を、彼女のままでいさせてやるのに、と。
《銀槍》が彼女だと知った時、なんの偶然かと驚いたものだ。
彼女と《銀槍》が同一人物と知らぬころから、《銀槍》の戦い、槍捌きに魅せられていたから。退団してしまった後も、ずっと彼の騎士を忘れられずにいたから。それは恋情などという甘いものではなかったが、今思えば無意識に彼女と《銀槍》が同一であると気付いていたのかもしれない。
だから、彼女から彼女らしさと武器を奪った男を、許すことができない。許すつもりがないんだ。
悪いがそれは譲れないよ。―――アンジュ




