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 はぁ、とアンジュの口から重苦しい溜め息がこぼれた。庭園から戻る途中、人気のない道だったため聞かれることはなかったがそれでもあまり誉められたことでないのは確か。気を引きしめるためにも頬を両手で挟み「……よし」と小さく呟く。


 頭を冷やすはずが、こんなことになるだなんて


 気を引き締めた筈にも関わらず、先程ルドルフが話してくれた言葉が頭に残って離れない。どの話もそうなのだが、なかでも最後に話してくれたあの言葉。


「…………どうしてくれるのよ」


 恨みがましいことを言うもそこにルドルフはいないので意味をなさない。再び溜め息が溢れかけたところで会場へ足を踏み入れると。



 アンジュの目に、驚くべき光景が飛び込んできた。


「懲りもせず、また…………っ」


 目に飛び込んできたのは、レジーナがリヒターに言い寄る姿。周りは遠巻きにそれを見るだけで何も言おうとしない。レジーナの取り巻きが怖いのか、はたまたアンジュに自分を売り込もうとするがゆえなのか。どちらにせよ不愉快きわまりない。

 カッと頭に血が上るのがわかったが、どうにかそれを落ち着かせようと浅く息を吸い、リヒターの元へ向かおうとすれば、どうやらアンジュが戻ってきたことを彼は気付いてくれたらしい。ほんの少しばかりこちらに視線を向けたかと思うと、突如蠱惑的な笑みを浮かべた。


 なぜ、そんな表情を、見せるの?


 よくわからないまま足を止めてしまえば、そこでようやく周りはアンジュに気付いたようで、はっと息を飲んだ。


 それから、あること(・・・・)にも気付いたようである。


 ―――アンジェリーナの婚約者を奪った女が、またも彼女のパートナーを奪おうとしている


 レジーナの取り巻きの身分だの、アンジェリーナに自分を売り込むだのそんなことを考える前にそちらに気づくべきだろう。そんなことをレジーナがすれば、庶民出の女が、上流貴族令嬢の相手を二度も奪えば、今度こそお仕舞いだと、周囲の人間は、特に彼女の取り巻きたちは、気づくべきだろう。

 残念ながら取り巻きたちは周囲の他の者たちとは異なりそれに気づかない。レジーナのことを想うのであれば一番に気付かなくてはならないことだろうに。唯一先程の口ぶりから止めに入ってもおかしくはない男の姿が見えないことから、うるさいことを言われないようにとレジーナがこの場から遠ざけたのではないかと思った。




 しかし、そんな考え、思惑はリヒターの放った一言ですべて意識をそちらへ向けられることとなった。




「自分よりも身分の高い者の結婚式で、その主役の妹の相手に色目を使うとはどんな教育を施されてきたのだ?」




 リヒターとはそれなりの付き合いであるはずのアンジュすらも驚いてしまうような冷たい声色。世間知らずが、という言葉が聞こえてきそうである。

 ユラは彼と付き合いも長いし驚いていないのかしら、と思いながら周囲を見渡すも、どういうわけか彼女もそれからエスコート役のアシェルも近くに見当たらない。代わりに先程まで話していたルドルフとカミーユの姿を見つけ、わけもわからず安堵感を覚えた。


 リヒター本人に対し恐怖を抱いたわけではない。だが、ずっと考えている何も知らない彼自身(・・・・・・・・・)を見せつけられたようになってしまい、どれほど自分は彼のことを知らぬのだろうかと、そのことに対し恐怖を抱いてしまった。長い付き合いだというのに、アンジュに自分のことをわからせないリヒターの手腕に、恐怖を抱いてしまった。


 だがその恐怖心はルドルフとカミーユという自分のよく知る者たちを見つけることで和らいだ。

 もし何かあったとしても二人ならば助けてくれる、と。時に命のやり取りをもする騎士団の仲間に対する信頼感は家族に対するそれよりも大きくなっていた。アンジュはそれに気づかず、わけのわからない様子であったが。


 気持ちが落ち着いたことで、自分がここに突っ立っている場合でないことに気付いたアンジュは、ゆっくりと、だが堂々とした足取りでリヒターのもとへ寄る。

 リヒターはアンジュが自分のそばに寄り添ったのを見ると、蠱惑的な笑みから普段アンジュに対して向ける笑みを浮かべ、


「知人と会話していたんだろう、もういいのか?」


 と尋ねた。元の顔立ちは整っているのだから黙っていればいいのに、と思いながらも、何故自分がルドルフたちと話していたことを知っているのかと驚き首をかしげる。追いかけてきたような気配はなかったのにどうやって、と考えを巡らせながらも彼の顔を見つめれば、本当にそうだったのか、と逆に驚かれる始末。

 てきとうに言っただけだったのね、と呆れを含みながらあえて「何かあったの?」と今の状況をわからないふりをして尋ねる。それはリヒターに対する疑問というよりは、周囲の人間に対する牽制。自分のパートナーに何をしているのだ? と暗にレジーナへ告げているようなもの。彼の腕に自分のそれを絡ませて甘えるような仕草を見せれば、お前も性格が悪いなぁと言いたげにリヒターが小さく笑った。


 思惑ありきでリヒターと彼に迫るレジーナを見るばかりでいた周囲の者たちは、そんな彼らのやり取りを怯えたように見ていたが、レジーナの取り巻きの男たちは違った。


「アンジェリーナ嬢」


 怒りで声を震わせ、一人の男がアンジュに声をかけた。緩慢な動作でアンジュはその男の方を向くと、「何かしら?」と微笑みを携え尋ねた。


「貴女のパートナーの言葉を謝ってくださいませんか? さすがに失礼が過ぎる」

「ならば貴方たちこそ、四年前、私にしたことを誤ってくださらない?」

「…………何をおっしゃっているのか分かりかねます」


 眉を顰め本当にわからないと言いたげだったが、ピクリと肩を震わせたのをアンジュは見逃さなかった。

 リヒターはなんのことかわかっていないようで「アンジュ?」と小さく名を囁いてきたが、首を横に振りそれにこたえようとしない。


 彼らが敢えてリヒターでなくそのパートナーであるアンジュに謝罪を求めた理由。

 彼らはきっと、『四年前の続き(・・・・・・)』をしているのだろう。


 アンジュは重苦しく溜息を吐くと、レジーナをまっすぐ見据えた。


「貴女がどうして私に構いたがるのか分かりかねますが、これ以上貴女の取り巻きたちが私やその周囲を侮辱するのであれば、―――容赦はしない」


 それまで向けたことのないような鋭い視線に充てられたレジーナは、怯え男たちの後ろに隠れる。

 男たちはこぞってレジーナを庇おうとするが、再び漏れたアンジュのため息に動きを止める。


「成長の見られない方たちね。それで、謝罪してくださらないの? まぁ、どうしても欲しいとは思っていませんけれど、貴方たちが四年前にした『こと』について、証拠……というか証言は出ていますのよ。

 私、今少しだけ腹が立っているので、この場で謝罪してくださるか、もしくは私の前から立ち去るかしないのであれば、全て、この場で出させていただきますわ」


 一人、二人と取り巻きではなく周囲の人々が立ち去るのが見えた。この空気では仕方のないことかと思いながらも姉に申し訳ないことをしたなと後悔する。怯え悩む男たちは気付いていないようなので目立たぬよう姉たちに身振りで謝れば、どういうわけか夫婦そろって親指を立てられた。好きなだけやれ、ということだろうか? ここまで来てとめることは不可能なのでやりきるつもりではいるが。


 残った者たちは野次馬根性かはたまたこの騒ぎの結末を見届けるためか会場に残りシンと静まり返っている。その中の最前列、灰色と緑の髪をそれぞれ持つ人物を見つけ手を振り合図する。




 ―――「そういえば」

 去り際、ルドルフがかけたこの言葉の続き。それは、四年前の『事件(・・)』の証言が集まったというもの。

 思い出すことも不愉快な、アンジュが王都を出ることを決意した『事件』。証拠さえあれば男たちを、レジーナを貴族社会から追放することが可能なのに、と常々考えていた『事件』。

 ついに証拠が集まったと聞いた瞬間、驚きと喜びと、それからこんなことをして何になるのだろうかという疑問で、力が抜けてしまった。


 それを使うか否かは当事者であるアンジュが決めろ、とルドルフは言った。だがアンジュは、それを自らの手にすることなく、必要ならば言うから預かっていてくれとルドルフに頼んだ。どうやらカミーユはどうしてそんなことを言うのか分からなかったようで首をかしげていたが、ルドルフはそんなことなく理由が分かったようで了承してくれた。本当に勘の鋭い方だことで、とアンジュはこっそり肩を竦めていた。


 アンジェリーナ・リンクス・オルフィーユといえば、三大貴族であるイゼット家・ノーブル家・エウロス家には敵わぬものの、それでも他の国内貴族の上を行く存在。レジーナの取り巻きの中には王族もいたが、それだってアンジュが望めば(・・・)どうにでもなる(・・・・・・・)算段はついていた。アンジュはそのことを知らなかったが、それでも他の貴族たちはアンジェリーナの家の力でどうにでもなり、事件の粛清は可能だった。


 アンジュの性格上、そのようなことは向かなかったのだろう、と周りは考えた。両親もアンジュの望まぬことをするつもりはなかったので、粛清がアンジュのためになることであっても決してやろうとはしなかった。


 だが、違った。誰も彼もが考えていた理由は決して的外れということはなかったが、アンジュが粛清を望まなかったのは別にある。

 彼女からすべてを聞き、すべてを理解したものであったならば呆れてしまうような理由。




 ―――この世界は、乙女ゲームだから。ライバル令嬢は、下がるべきよね




 そもそも『事件』が起きたのは何ともタイミングの悪いアンジュが前世の記憶を、この世界が乙女ゲームの世界であることを思い出した直後のことであった。

 さすがのアンジュも記憶(ゲーム)とは違う現実に混乱しており、尚且つ婚約者に婚約破棄を告げられたこともあって、アンジュは王都を出た。




 四年後、少しは冷静になった今。アンジュは乙女ゲームの世界だからなどと考えることはない。

 だからこそ『事件』の話を持ち出したが、それでも証拠は自らの手でなくルドルフに預けたまま。それは、もしも自分が冷静さを欠いてそのを使おうとしたら止めてくれ、という口に出さぬ頼みであったが、きちんとルドルフには伝わっていた。

 そのおかげで、ルドルフはカミーユとともにいつでも証拠を突きつけられるようアンジュの目に留まる場所で待機してくれていたのだった。

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