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「それは、本当ですか?」
震えていないことが不思議なほど、彼女らしからぬ弱々しい声。
ルドルフは力強く頷くと、カミーユにちらりと視線を送る。その理由をすぐに察したようで、目をつむり呪文を唱える。どうやら遮音障壁を張っているらしい。ただ、リヒターが発動したものとはことなり、カミーユが発動するのは『完全遮音障壁』といって、範囲内全ての音が外に漏れることを防ぐ術。ルドルフとカミーユがアンジュとリヒターの会話を聞くことができたのは、会話の内容を悟られぬよう、周囲の感覚をずらす術をリヒターがかけたため。アンジュが見た限りリヒターの術に穴は見付からなかったが、年若いくもバーンズ大佐の副官を勤めるレイガスト准尉には関係なかったようだ。
リヒターはアンジュが見てきたなかでもっとも優秀な魔術師だが、カミーユはどれだけ優秀であってもその術に入り込む力をもつ。その上、彼女一人であれば何でもかんでも全てをということは不可能だが、いまここには彼女の補助が可能な男もいる。リヒターのかけた術が認識をずらすだけである以上、術に入り込まれてしまっては中の会話など全て筒抜けとなってしまう。リヒターに見付からぬよう自分達の会話を盗み聞きするのは大変容易であったことだろう。とはいえこれはリヒターが認識をずらしたために出来たことであって、パーティ会場でなければ彼も完全遮音障壁を使用したことだろう。
なぜならば、完全遮音障壁は、周囲音の発信源に作用し、発信源が声を聞かせたい対象にのみ音を聴かせる術であるからだ。
もし仮にカミーユ同様術に入り込むことが可能であっても、発信源に気付かれぬよう意識に入り込むことなど、この三人にたいしては不可能といっても過言ではない。
「内密に、とは言われているが、陛下は第一王女・アシュラ姫を玉座へ、とお考えだ」
「けれど、…………誘拐事件、のせいで、姫は子を成せぬお体のはず。そのせいで陛下の第一子であるにもかかわらず継承権が低いのでは?」
「養子という手もある。姫を王とし、次代は王家の血を引くもののなかから選ぶだろう」
だがそれは同時に王位継承の幅が広がるというもの。だからこそ子を成せぬアシュラ姫は継承権が低い。それに加えこの国は女性が権力を持つことを認められていない。そのために狸爺は最年少騎士であり尚且つ女性騎士ながら着々と昇級していったアンジュに婚約者を宛がい退団させ、実力があるにもかかわらずカミーユの階級を准尉以上に昇級させようとしない。カミーユが入団してから八年。それだけの年月が経っていれば、中尉や、むしろ大尉にだってなっていてもおかしくない。
そんな理不尽が身の回りで起きている以上、アシュラ姫の継承は難しいだろうと、アンジュは考える。
例え教会が姫を推奨していたとしても。
だがルドルフはそうは考えないらしい。
「子を成せぬことはたしかに問題だが、それが気にならぬほどの実力を姫はもつ。それにあそこは女性騎士も多い。暗に女性だからと王位継承を認めようとしない上層部を許せないんだろう。表向き王位継承を認めない理由は子を成せぬからといっても、本当の理由は姫が女性であられるから、ということは周知の事実だしな」
「教会は、アシュラ姫を王とするためならば、王国と争うことになろうとも構わぬ姿勢のようです」
そこまで状況が悪化していたとは、とアンジュは息を呑んだ。
教会は、この国に属しているわけではない。正確にはどこの国にも属さない一つの組織であるからこそ、本来であれば他国の政治に介入できるはずがない。それにも拘わらず介入するということは、そうしなければならない事情があるということ。そのためならば手段を択ばない。
本当に聖職者か、と言いたくなるが、そんな組織があるからこそ、この世界は成り立っている。
アンジュは目を瞑ると、ルドルフとカミーユの声をシャットアウトし考え込む。
なぜ、教会はアシュラ姫を推すのか。
確かに実力も王らしさも彼女は兼ね備えている。一度、遠目に見ただけのアンジュでさえもそう思うのだから、何度も対面しているであろう教会関係者ならばすぐに見抜いているだろう。
しかしそれならば今になって突然ここまで姫を推す理由がわからない。今までずっと王家はアシュラ姫を見なかったことにし、継承権を低く与えていたが教会は何も言ってこなかった――――――低くとも姫に継承権があったのは、教会の介入があったから、なのだろうか? そうなると昔から、教会は姫に王位をと考えていた。
だがやはり、争ってでも、戦を起こしてでも姫に王位をというのは突然すぎる。それならばもっと早くから、教会が後見についた姫としていればよかったのに。今までアシュラ姫を教会が推しているだなんて話一度聞いたことがない。騎士団では下っ端だが、これでも貴族令嬢。そちらの筋でも話を聞いたことがないとなると、教会がずっと隠していたか、もしくは、
「突如、教会は姫を王位に、と言い出した……か」
小さな呟きだったが二人の耳に届いたらしい。カミーユは目を徐々に開いていき、ルドルフは何やら楽しそうに笑っている。
だがアンジュはそんな二人の反応をお構いなしに考えを纏めようとぶつぶつ呟く。
「突如とはいっても準備は必要……教会が推すだけの実績が必要だが……いや、まだ正式な発表はまだだから準備段階か。けれどその準備だって一年やそこらじゃできない。それ以前に教会が姫を推す理由…………」
再び無言になって長考を始めるアンジュに、ルドルフは
「やはり彼女は騎士団に欲しいな」
と笑みを深くしたまま一人ごちる。カミーユは彼の発言で心配そうにアンジュを見るが、何かを閃いた様子のアンジュに、彼女もまた騎士団にはアンジュが必要だと思うのだった。
「飛躍しすぎなのかもしれないけど、教会は、レジーナ・ハートにうつつを抜かした第一王子を認めなかった。そのため、実力もあり尚且つ女性の地位向上のためなんていうそれらしい理由をつけることのできる、アシュラ姫を推し始めた……?」
「理由は?」
「レジーナ・ハートに婚約者を奪われた私を聖騎士団に誘ってきたこと。そうでなければさすがに私が聖騎士団に、だなんてとっても考えられない」
―――前者は当たっている、だが後者は……
アンジュに、それからカミーユにも気付かれぬようルドルフは肩を竦めながらも、そのことを口にしようとはしない。否、できない。
どちらとも言わず彼は深く頷くと、真っ直ぐアンジュを見た。
「教会側の正式な言葉ではないが、非公式に、そういうことだと聖騎士団から特殊部隊に通達が来た」
「レジーナ・ハートが原因であると、そういっていたのですか?」
「名はでていないが、『あの女は、在ってはならぬ存在である』と言われた」
さっぱり見当がつかない。
正直、アンジュが先程レジーナの名を、レジーナが原因であると予測したのは単なる私怨も混じっている。もちろん自分が聖騎士団に誘われたから、ということもあるがそれはとってつけたような理由でしかない。
それに、『在ってはならぬ存在』とは、いったいどういう意味なのだろうか。
「…………まさかね」
「何かあるのか?」
「いえ。……ただ、大佐はレジーナ・ハートが『在ってはならぬ存在』という言葉の意味を、どうお考えですか?」
「単純に考えれば、貴族に近付きその者達を堕落させる女を放ってはおけない、ということだろうが……何か気付いたことでもあるのか?」
「いえ、私も同じ考えです。しかしそれだけで第一王子を王位につけることを認めない、というのが分からず、そのためその考えがまさか、と」
これは真っ赤なウソ。
ほんとうに考えていたことはまったく異なることであるが、その話をすればアンジュについても話さなければならない。
そういうわけにはいかないので誤魔化したが、今のアンジュの発言を二人は不審に思ったのだろう。アンジュの一挙一動を見逃さぬよう真剣なまなざしをこちらに向けてきた。
―――そろそろ潮時かしら、ね
これ以上この場にとどまれば言わなくてもよいことを言う羽目になりそうだし、それ以上に騎士団に戻ってこないかと言い出しかねない。
お前の嫌っている女とは関係のないアシュラ姫が王位に就くぞ、という話だったはずが、気付けば教会がレジーナを、という話になってきている。気になる話ではあるしきっとルドルフのことだからまだまだ知っていることはあるのだろうが、これ以上聞いていては気付いたら騎士団に戻っていました、なんてことになり兼ねなかった。
アンジュは失礼にならぬ程度にちらりと会場を見ると、
「そろそろパートナーが待っておりますので……」
と貴族令嬢の仮面をかぶりこの場から立ち去ろうとする。
カミーユは小さくため息を漏らしたようだったが、ルドルフが何も言わないのでこれ幸いとアンジュは一礼し、彼らに背を向けた。
だが、ルドルフはそんなアンジュの背中に、「そういえば」と付け加えるような言葉を発した。ついに来たか、と身構えつつも彼に背を向けたままでいるも、ルドルフは気にせず話を続ける。
話を聞き終えたとき、アンジュは口元を覆い、振り向く。ルドルフの隣で、彼の話は本当だというように頷くカミーユを見て、アンジュは隠れた自分の唇が振るえるのが分かった。
いろいろ皆さま突っ込みたいところが多くあるかとは思いますが、一番突っ込みたいのは私です。突然の教会にそろそろ私が話についていけなくなりそう。なんでこんなわけのわからない話にした。




