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あれはアンジェリーナが十五を迎える少し前のこと。アンジェリカとして剣を握り、日々訓練に明け暮れていた時のことだった。
突然、上からの圧力で婚約が決まった。
相手は上流ではあるもののオルフィーユよりは劣る貴族の家の長男。精々上の下程度だろう。
当時はその婚約の意味が分からずにいたが、現在はそれとなくその一番の理由が『女であるアンジェリカを《王の剣》とすることを阻止するため』であると気付いていた。しかし、父が縁談を断らなかった理由はいまだに不明である。
以前にも述べたが、オルフィーユ家当主は令嬢が剣を握ることにはあまり良い顔をしていなくとも、父の娘が自分の思うままに、好きなことをして生きることに関しては賛成していた。だからこそ、父の考えがアンジュはわからない。
話を少し戻そう。
婚約が決まり、一人の騎士アンジェリカは騎士団を退団。貴族令嬢のアンジェリーナへと戻り、婚約者が通う学園の、通常十五歳から十八歳の貴族の子息子女が通う高等部に入学した。ちなみに婚約者の年齢はアンジェリーナと同じで、婚約を結んだばかりということもあり同じクラスに振り分けられた。
ずっと剣を振るってはいたが、アンジェリーナは勉学が不得意というわけでなく、オルフィーユの令嬢らしく入学試験ではトップクラスの成績で入学した。トップでないところが重要である。アンジェリーナはずっと学園に通ってこなかったために変に目立っていた。オルフィーユ家の令嬢ということもその手助けをしている。それなのにトップ入学などしたら、注目の的となってしまう。それだけは避けたいと思い、適度に手を抜いた。褒められたことでないというのはわかっているが、それでも当時はそうすることが最適だと疑わなかった。
「あまりいい思い出でないことは確かね。自分を偽り令嬢らしく振舞う。窮屈でたまらなかった」
貴族であることに不満はなかったし、アンジェリカ・ディラックという平民を名乗ったのだって貴族でありたくなかったからではなくオルフィーユ家に迷惑をかけたくなかったから。令嬢が剣を握っているだなんて良い目で見られないことは確か。だから学園に通うこと自体に不満はなかったが、剣を握ることのできない生活は、想像以上に苦しかった。退屈で窮屈で、自分らしくいられない、まるでマリオネットにでもなかったかのようで。
「今まで好き勝手したつけが回ってきたんだと思って我慢しようとしたんだけどね。そんなとき、『あの女』が現れた」
「あの女……?」
思い出すのも嫌なようで、苦虫を噛み潰したような顔を見せる。
しかし、『あの女』の話をせずして全てを説明したとは言えない。そのままの表情でアンジュは再び口を開いた。
婚約者とは不仲ではないにしても良好とも言えなかった。
だがそれでもアンジェリーナにだってオルフィーユの令嬢としてのプライドがある。努力し良き妻となるべく淑女修行に励んでいた。
そんなところに現れた一人の女。
アンジュが先程から『あの女』と呼ぶ、平民の女。―――所謂、アンジュの記憶にある『物語』の《ヒロイン》である。
物語をなぞるように次々と男を誑かしていき、最終的にはアンジェリーナの婚約者を落とした。アンジュの記憶ではライバル令嬢であるアンジェリーナと、主人公のヒロインは友情で結ばれるはずだったのだが、何故か犬猿の仲に終わり、アンジェリーナはアンジュとしてレディレイクへ。不思議ではあるものの、どうしてもあの女と良好な関係を築けるとは思えなかったのでむしろそれでよかったと思える。
アンジェリーナたちとは違いら円満なカップルもあの女によって壊されたのだから。
それを―――絶対に、許すことはできない。
「当時のことを思い出すと今でも怒りの感情が湧いてくる。それほど仲が良好でなかった私たちに関してはこの際いい。だが、あの女が誑かした男の中には本当に想いあっていた二人だっていたんだ。それをあの女は壊した。……私は、婚約者だった男よりも、あの女のほうが許せない」
ヒロインだからというだけで学園の善良なる女子生徒を傷つけたこと。
この世界がただのゲームの物語でないことは生きていればすぐに気付く筈なのに、それをわからないふりをする、自分と同じで異なる転生者。確認はとれていないが、あの女が所謂『逆ハーレムルート』というやつを辿ったことかは、アンジュはそう考えていた。
そんな我が儘な女のせいで、剣をすて令嬢として生きる覚悟を踏みにじられた。
ゲームの物語については誤魔化し、そこまで説明を終えると、アンジュはギリと音がするほど強く歯を噛み締めた。
「私はあの女を物理的に傷つけない自信がないんだ。だから、レディレイクへと『逃げた』」
―――凶暴な自分から、逃げた
『物語』のライバル令嬢について詳しく掘り下げられることはなかったが、アンジュのように《銀槍》であったとは考えにくい。
「それを止めろという意味で一緒に?」
「それもあるけど、純粋にあの男にぎゃふんと言わせたいの。言ったでしょう、あの者たちに、私はこれだけいい人を見つけたのよって見返してやりたいって」
本人は気付いていないようだったが、《銀槍》の口調からアンジュの口調へと戻る。気が昂るとそちらの口調となってしまうようだ。
そこでふと、リヒターはどうしてアンジュは騎士団へ戻ることを選ばず、レディレイクに来ることを選んだのかを知らないことに気づいた。
それを口に出せば、アンジュは「あぁ、そのことね」と困ったように溜め息をついた。
「あの女が落とした中に、将来私が、アンジェリカが忠誠を誓わなければならないかもしれない男がいたからよ」
「…………まさか」
「王位継承権第二位である王子があの女に傅いているのを見たわ」
口許をおさえ、リヒターは目を見開く。
ここまで驚くとは思っていなかったためアンジュは困惑するも、
「生産性も何もない女を選ぶ次期王に、私は自分の剣を預けたくなかった。だから、騎士団に戻らず、レディレイクへうつったの」
王位継承権第一位である王女が王となってくれれば良いんだけど、とアンジュは思うが、この国は残念ながら未だかつて女王が元首となったことは一度もない。
形ばかりの第一位でしかない、王女。
自分で言うのもなんだがアンジュは男とならんでも優秀な騎士であったと自負している。そんな自分が騎士を無理矢理にやめさせられた以上、王女が国を統べることは困難だろうと思う。
そんなことを考えていれば、リヒターは落ち着きを取り戻したようで「悪いな、取り乱した」と眉を下げた。
次期王ともあろう男がそんなことをしていれば驚くのも無理ない。
だが、リヒターのその次の言葉にアンジュはリヒター以上に驚くこととなる。
「氷の町ではお前を守ることは叶わなかったが、今度は絶対に守ってみせるよ」
―――お前の心を守ってみせる。
身を乗り出し、アンジュの手をぐいと自分の方に引き寄せると、まるで騎士が忠誠を誓うかのように彼女の手の甲に唇を寄せた。
「だからそんな奴らのことは気にせず俺のことだけを考えていろ」
唇を離すと、真剣そのものといった表情で告げるリヒター。あまりにも自分を真っ直ぐと見るため、アンジュは頬に熱が集まるのが分かった。
だめ、だめよ。だめ。落ち着くのよ。落ち着かなきゃ、だって。
考えがまとまらない。顔だけでなく、だんだんと体中が熱くなってきた。
それでもどうにかアンジュは口を開くと、
「は、はい」
と言葉を返す。声が裏返らなくてよかった。
アンジュが照れていることは一目瞭然で、見ればすぐにわかるのだがそれを指摘しないリヒターはなんだか余裕があるようですごく悔しい。
私はアンジュ。アンジェリカ・ディラック。アンジェリーナ・リンクス・オルフィーユ
自分の名を心の中で唱え、「だから私は落ち着かなきゃいけない」と必死に冷静さを取り戻そうとする。
そんな自分はとても滑稽に思えて、だが、足りないものを取り戻せた、そんな気持ちにもなる。
いったい、どうしてしまったのかしら。
書きたいことはかけたのですがもしかしたらあとから加筆修正するかも、です。




