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絢爛豪華とは言い難い天井が目に飛び込んできて、アンジュは横になったままの体勢で重苦しくため息を吐いた。もぞもぞと布団の中へ戻りながら「あー」だの「うー」だの唸る彼女に貴族令嬢らしさは微塵も感じられない。もっとも、そんなことを指摘するものなどアンジュの部屋にいるはずもなく――当り前だ、年ごろの彼女の家なのだから――、それが却ってアンジュがそのままの体勢でいる要因にもなっている。
暫く唸り続けた彼女だったが、時計を見て起きなければ仕事に遅刻すると考えバッと布団をはぐった。
そうして恨めしそうにサイドテーブルの上、正しくはその上にある、アンジュの実家・オルフィーユ家の家紋が刻まれた封筒に視線を向けた。
「あんな夢、絶対姉さまのせいだ」
と呟く声のなんと恨みがましいものか。それほどまでに、アンジュはあの時の出来事を忌み嫌っていた。それこそ魔術師に頼んで記憶を封じてもらおうかと一時悩んだほどに。だがそれではなんだか癪に障るというもので、結局忘れず記憶に刻み込まれていた。
やれやれと言いたげに首を振ると、ベッドに座ったままアンジュは封筒を手に取り慣れた手つきで中身を取り出した。
そこには、姉の結婚を知らせる文が書かれていた。
ギルドへ裏口から入り、女性用更衣室に行けばそこにはすでに着替えを終えたルイーシャの姿があった。彼女はアンジュの顔を確認すると、顔をほころばせて「おはようございます」と猫のような目を細めた。それに「おはよう」と返事を返し、彼女もまた制服に着替えようと服に手をかけながら、「あぁ、そうだ」と声を上げる。
「ルイーシャごめんなさい、私また暫くギルドを開けることになりそうなの」
「この間『氷の町』に行ったばかりなのに、また……ですか?」
その声に「また休むのか」などといった棘は含まれておらず、むしろ心配するような色が浮かんでいた。また、危険なところにいくのか? どちらかといえばそんな思いだろう。自分を心配してくれる後輩をかわいく思いながら、口を開いた。
「ちょっと王都まで行く用事ができちゃったの。負担をかけるようなことになって申し訳ないのだけど、大丈夫かしら?」
「アンジュさんのお役に立てるなら光栄です。こちらのことは気にせず、行ってきてください」
「……ありがとう」
以前なら「ごめんなさいね」と謝っていた場面。口からこぼれたのはそんな謝罪の言葉ではなく、「ありがとう」という感謝の言葉。すっとでてしまったものを気にはしていられないか、とアンジュはそのことを気にせず、ルイーシャに笑いかけた。
首領のところへ行ってみると、どうやら既にアンジュの姉が結婚することを知っていたようで、「どのくらい行ってくるんだ?」と尋ねてきた。
「恐らく十日ほど街をあけることになりそうです。王都までレディレイクから片道で半日はかかりますし、それを抜きにしても暫く向こうに滞在しようと思っていまして」
「親御さんに何か言われたかァ?」
「……ご名答。さすがですわね」
「無駄に年くってねェんでなあ」
がっはっはと豪快に笑う首領を尻目に、アンジュは手紙に書かれた言葉を思い出す。
何年も戻っていないのだから、いい加減顔を見せて頂戴
王都で一緒に暮らさないか? という言葉でないあたり、さすがは自分の両親わかっている。
そのような言葉をかけられたところで、アンジュには王都で暮らすという選択肢はない。今現在の暮らしが楽しいというのもあるし、他の理由も存在する。少し里帰りするくらいならまだしも、本格的に向こうへ戻ろうという気にはならなかった。
「あぁ、街をあけること、あの二人には行っておけよ」
「あの二人?」
少し悩んだ素振りを見せたが、すぐさまアンジュは気付いたようで「リヒターさんとユラちゃんですか?」と尋ねた。その通りだったようで首領が一つ頷くのを見て、確かに伝えたほうがよさそうだなと彼女もまた頷く。二人、特にユラのことだ。きっとまたクエスト終わりに「ご飯行こうよ!」と言ったり、「買い物に行かない?」と誘ってくることだろう。それなのに何も言わず姿を消すというのは大変申し訳ないし、心配をかけることにもなりそうだ。「わかりました」と笑顔を浮かべ頷けば、どういうわけか「大丈夫なのか?」と真剣そのものといった表情で首領がアンジュを見つめてきた。いったい何がなのか分からないアンジュは首をかしげるばかりだったが、「わからねェならそれでいい」と短く告げ、しっしと追い払うように手を振った。つまりは仕事に行けということだろう。
もしかして、心配してくれていたのかしら?
首領の部屋を出てからそのことに気付いたが、どうせ今戻ったところで答えてはくれないだろうと見当付けアンジュは仕事をすべく受付に向かった。
タイミングが良いというかなんというか。受付カウンターに座れば、すぐさま扉が開き「こんにちはー!」という明るい声がギルド内に響いた。そちらに目を向ければいつものごとく今日もまたかわいらしい美少女ユラと、そんな彼女の横で「よう」と片手を上げる整った顔立ちをしたリヒターの姿が。「こんにちは」と挨拶を返せば、リヒターが報告書を取り出して「クエスト完了認定を頼む」と告げた。
『氷の町』から戻ってきて早くも数週間。レディレイクに戻ってきてすぐはさすがに休んでいた彼らだったが、ここ最近は以前通りクエストに行き、戻ってきてはアンジュを食事やら買い物やらに誘う日々だった。
リヒターから報告を受け、「報酬はこちらになります」とマニュアル通りの受け答えをしたところで、「二人に言っておくことがあって」と言葉を崩した。
「何かあったのか?」
「あったといえば、あったような……?」
「事件? 安心して! 私たちも手伝うからさっさと解決しちゃおう!」
「そうじゃないから大丈夫、ありがとうユラちゃん」
なんとも血気盛んな言葉を返してくれたユラにやんわり断りを入れれば、「だったらどうした?」と尋ねるリヒター。もしかしたら彼もユラと同じようなことを考えていたのかもしれない。
別に私、そんな好戦的じゃあないんだけどな……
ため息をつきそうになりながらも必死に笑顔を保ち、「そうじゃなくてね」と言葉を紡いだ。
「ちょっと王都まで行かなくちゃいけない用事が出来たの。だから暫くレディレイクをあけるって言いたかっただけよ」
「なぁんだそんな……えっアンジュちゃん王都に行っちゃうの?」
「突然どうしたんだ?」
「姉が結婚するからその式に呼ばれているのよ。実家は向こうだから当り前なんだけど結婚式も向こうでね」
姉の結婚式はまだ良い。だが、いくつかの不安要素がアンジュの頭を横切った。
できることならば戻りたくない。だが姉の結婚式には出席したい。そんな葛藤がアンジュの中でぐるぐると渦巻く。
顔を曇らせたアンジュを見て、リヒターとユラは互いに顔を見合わせ、そして「大丈夫?」と代表してユラが尋ねた。
彼らの言葉にアンジュは、みんな「大丈夫?」て聞くのよね、と思いつつ、心配をかけてしまったことを申し訳なく思った。
「大丈夫よ、ありがとうね。……まあそんなわけだから、暫くはご飯とか買い物一緒にいけないなーって。ごめんね」
「気にしなくっていいんだよ! 帰ってきたらまた行こうね!」
「……で、いつ出発するんだ?」
ニコニコ笑うユラとは対照的に、何かを悩んでいるような表情を見せたリヒターはそう尋ねる。どうかしたのかしら、と思いながらもアンジュは
「明日」
と短く一言答えた。驚いたような、というか本気で驚いた様子を見せる二人に、だって明日出ないと間に合わないんだもの、と言葉には出さず弁解した。
その後、普段とは違いそそくさと食事にも買い物にも誘わず帰って行った二人を見送り、アンジュは仕事を続けたのだが、翌日、二人が帰って行った理由を知る。
「王都でクエストがあったな」
「折角だから相乗りをお願いしてもいいかな?」
ボーア家に頼んで出してもらった馬車の前で待っていたリヒターとユラ。そんな彼らの言葉に、負けましたとでもいうようにアンジュは両手を上げるのだった。
だが、憂鬱だと思っていた王都への想いが和らいだ気がして、現金な奴だなあとアンジュは内心一人ごちた。




