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『姉の結婚式』編開始です。
絢爛豪華という言葉が大変似合う自室は、何年もここで暮らしているというのにもかかわらずどうにも落ち着かない。普段はもっと過ごしやすい部屋なのに、とばれぬよう小さくため息をつき、原因ともいえる目の前の男に目を向ける。
この男は、一体、何がしたいんだ。
本当であれば盛大に顔を顰め「ふざけるんじゃないわよ」と言ってやりたかったところだが、貴族令嬢である私にそんな真似はできなかった。
「どういうこと?」
出来る限り冷静に告げようと心がけたが少しばかり声が強ばってしまった。まだまだ私も修行が足らぬらしい。これでは師匠に叱られてしまいそうだわ。だが目の前の男はそれに気付いていないのかはたまた冷静を装う私に嫌気がさしたのか、苛立ったようにテーブルを指で弾いた。
―――はしたない
出会った当初はそんな仕草が気になったこともなかったのだが、百年の恋も覚める言葉を聞いてしまったあとではそんな風に思えない。
大きく溜め息をついてしまいたかったが、男の知る私は『貴族令嬢』の私。そんなことをするのなんて『私』には似合わない。
窮屈で仕方がないったらありゃしないわね
「どうもこうもない。俺と別れろ」
何度言わせるつもりだ、いい加減分かれ。そういいたげな声色に今度こそ顔を顰めた。
どうもこうもないだなんて、そんな一言で全てを終わらせようとするだなんて信じられない。
「理由をお聞かせくださいまし。何もなしに別れろだなんてまるで私が悪いようではありませぬか」
そう言いつつも、理由に心当たりがないわけではない。むしろその理由を確信持って言えるほど分かっている。
だが、この三年。これでもこの男の婚約者として頑張ってきたつもりだ。恋情とまではいかずとも、家族のような想いは抱いていた。将来結婚するということについても『この人ならば』と思っていた。だからこそ男から直接理由を聞かせてもらいたかった。
なのにこの男は。
「お前は俺のことを何一つとしてわかっていない。そのような女を隣においておきたくない、見ているのも不快だ。婚約を解消する」
みっともなく、苛立った様子を隠さず告げた男に、心がすうっと心から冷めた気がした。きっと本当に冷めたのだろう。
そうか、私はこの男のことを何一つとしてわかっていなかったのか。
―――ならば、お前は私のことをわかっていたというのか? なぜ、この年になって婚約が決まったのか、本当の私の姿を、性格を、お前はわかっていたというのか?
男の言葉はあまりにも惨く、この三年間……いや、《銀槍》としての自分を無駄にされたのだからそうであった年月も含め六年間。全てを無駄にされた気分だ。―――気分でなく、実際そうなのだろう。
最年少で、しかも女性初の《王の剣》
候補に挙がることすらも光栄とされるその地位。それを破棄させられ、婚約した男がこのような人間。
このような、他の女に、生産性も何もないような女にうつつを抜かした男に、無駄にされただなんて
腸が煮えくり返りそうだ。
悔しさで、涙が出そうだ。
だがここで泣いたところで男は何とも思わないだろうから。絶対に私は涙を流さない。流してたまるものか。
必死に心を落ち着かせ、目を細めついと男を見つめれば、顔を反らし眉を潜められる始末。
「わかりました。では婚約は解消しましょう」
告げたあとで深く息を吸い、怒りを隠すべくにっこりと満面の笑みを浮かべてやれば男は「最初からそういえば良い」と偉そうにこちらを見て―――息を飲んだ。自分が見たことのなかった表情を私が浮かべていたからだろう。両親や姉、弟より「黙っていれば美しいのに」と言われるこの顔を最大限に生かした笑みを。
―――逃がした魚は大きくってよ
「父には伝えておきましょう。婚約者でない貴方は早々に退室してくださいまし。私のことなど見ていたくないのでしょう」
こてん、と可愛らしく首を傾げてやれば頬を染め「いや、あの……」と戸惑った様子を見せる。散々人を苔にしたというのにそのような態度を見せるのか。呆れてものもいえない――骨抜きにしたのは私だが――。
ならば私にも考えがある。扇をとりだし口元を隠す。
「この私を、オルフィーユ家の二女、アンジェリーナ・リンクス・オルフィーユを振ったのですから、早く出ていってくださいまし。貴方のことなど『何一つとしてわかっておりません』ので」
男はようやく目の前の女が自分よりも身分の高い者であることを思い出したらしい。阿呆にも程があるだろう。呆れを通り越し涙が出そうだ。ここまで頭の回りが悪かったとは思わなかった。
だがそれでも先程の侮辱は許せない。いつも穏やかに笑いお前が何をしても口出ししなかったのは何故だと思う? ――あまりの性格から家族に「性格を偽りなさい」と言われたからだ。悲しいことに!――
やれやれ、と言うように溜め息を付き首を降れば、びくりと怯えたように男は構えた。別になにもしなくってよ。ただ、
「いつまでもそこにいないでくれるかしら、私早く片付けをしてしまいたいの」
一人称も口調も変え、一息にそう告げれば「待ってくれ……」と未練がましくすがってこようとした。何をふざけた真似を。その態度に反吐が出そうだ。落ち着いていた怒りが再び浮上してきた。
私が爆発するよりも前に、早く出ていけ。
扉の方を閉じた扇でさしてやり、呆れ混じりに告げてやる。
「貴方は私の身分にしか興味がないのね。家のことを持ち出した途端に態度を変えるだなんて、みっともなくてこちらが恥ずかしくなってくるわ。……ああ、もしかして私がお父様になにか言うと思ったのかしら。貴方を潰しにかかるとでも、思ったのかしら。そう思っていたのなら勘違いを甚だしいわ。貴方にそんな価値なんてないわ。私のことを『何一つとしてわかっていない』貴方に、オルフィーユの力を使うような価値なんて、あると思っているの? 本当に貴方は私を見ていなかったのね。ああもうそんな貴方を見ていたくなんてないわ。早く、ここから出いっていくれないか」
最後は実に私らしい一言でしめる。毒ともとれるような言葉に男は驚いたようによろけた。こんな生易しい口調で驚くだなんて、やはり男は私のことをわかっていなかったようね。だがそんなことわかりきっていた。だからこそ、今まで何をされようとどんなことを言われようとも黙っていたというのに。それが原因で男の態度の悪さを助長してしまっていただなんて頭が痛い。もっと早くに気付いていればよかった。今更悔やんだところで、私の六年が戻ってくるわけではないので前を見据えることにするが。
今思い返してみればこの男の良いと思うところより悪く思うところの方が多くあるような気がする。これならば多少無理を言ってでも騎士として残るべきだったのかもしれない。はぁ、と深く息を吐けばがちゃりと扉の開く音とバタバタという走り去る音が聞こえてきた。
ようやくでていってくれたか。
落ち着いたのも束の間、ダークブラウン色の落ち着いた扉を見ると、本日何度目になるかわからないため息を再びつく。
―――前世の記憶なんて、あっていいものじゃないわね
記憶を思い出して以来、ずっと考えていた。どうしていま思い出したの? もっと早くに戻るか、もっと落ち着いてからでよかったじゃないと。だが思い出してしまった以上はどうにもならない。
せめて、記憶をたよりに、私らしく生きよう。
その私らしくというのが、『アンジェリーナ』らしくなのかはたまた『前世の私』らしくなのか。
四年経った今言えるのは、アンジェリーナもアンジェリカも前世の私も、それからアンジュも、全てをひっくるめて『私』なんだと思うということ。
ただ、それだけ。
少し加筆修正はしましたが実は連載を始めるよりも前からこの話は書きあがっていました。
むしろこの話を出したくて今まで頑張ってきたといっても過言ではない。




