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いろんなものが混じっていますが楽しんでいただけたら幸いです。
なるべく一日置き0時更新を目指します。
飴色の扉に取り付けられたベルがからんからんと音を立てた。「こんにちは」と依頼書の整理をしていたアンジュが扉の方を向けば、いかにも傭兵といった風貌の男が三人入ってくるのが見えた。男たちはまっすぐアンジュのもとへ来ると、一睨みで子供や気の弱いものなら心臓の音を止めてしまいそうな顔を破顔させ、「やあアンジュちゃん」とあいさつをした。
傭兵ギルドの受付。いかにも傭兵の男たちは本当に傭兵で、そんな彼らに仕事を斡旋するのがアンジュの仕事だった。
「お疲れ様です。本日はどのようなご用件でしょうか?」
マニュアル通りの言葉をリーダー格の男に告げれば、「俺たち向けの仕事が届いていたら紹介して欲しいんだけど」という答えが返ってきた。そうですね、と悩みつつクエストリストを見れば、ギルドのあるこの街、レディレイクから少し離れたところに位置する小さな町が盗賊被害にあっているのでどうにかしてほしい、という依頼があった。このギルドに来る人は、彼らのような良い人もいれば、盗賊に加担してしまいそうな人も多くはないがだが全くいないというわけではないので――もっともそのようなことをしたら出入り禁止だ――、人選は重要である。前者のような人であればこのような仕事を任さられるし、後者のような人ならば人間相手よりも魔物相手の仕事が向いている。それを考えるのも受付嬢であるアンジュの仕事だった。
彼らに盗賊討伐クエストについて紹介すれば「それはすぐに言った方がよさそうだ、任せてくれ」と三人とも頼もしい笑みを見せてくれた。それに対し「宜しくお願いします」と頭を下げた。
昼時、受付へ来る人が途切れたタイミングでもう一人の受付嬢が休憩に入るよう告げる。アンジュが受付嬢となり四年、新人の域を出たアンジュにも後輩と呼べるような存在ができていた。テキパキと仕事をこなす後輩は素直な性格をしているので、普段はあまり見せないような笑みを浮かべ「お先に失礼します」と受付を閉めた。それを見届けるとアンジュはクエスト報告の整理を始めた。
暫く作業を続けていると、カランカランと扉のベルが鳴った。お昼時といえどクエストを欲する者がいないわけではない。「こんにちは」と扉の方を見れば、そこにいたのは「こんにちはー!」と元気よく返す美少女と「よう」と手を上げるこれまた顔の整った青年の二人。これほど傭兵ギルドに似合わぬ二人はいないだろう。だが彼らは列記としたギルド登録者である。腕も確かなようで、少し無茶かもしれないと思われるようなクエストであってもきちんと遂行する。完璧すぎるだろうと頭を抱えたくなったのは一度や二度ではない。だがアンジュだってプロとして仕事をしている。そんなことを考えていることは微塵も表に出さず「本日はどのようなご用件でしょうか?」とにっこり尋ねた。
「ねえねえアンジュちゃん、お昼ってもう食べた?」
「いえ、まだですが……」
「だったら一緒に食べようよ!」
キラキラとした瞳をこちらに向けてくる美少女ことユラ。彼女はことあるごとにアンジュを食事や買い物に誘っているのだった。これほどまでの美少女ならば他の男が黙っていないだろう。アンジュを誘うユラを見て、受付カウンターの奥で仕事をしていた事務官の視線が背中にちくちくと刺さるのが分かった。要約すれば『自分たちも連れて行け』ということだろう。ユラの誘いには大抵というか必ずと言っていいほど、顔の整った青年ことリヒターがついてくる。そうなればユラを狙う男性だけでなくリヒターを狙う女性の視線もちくちくと刺さる。背中が傷だらけになりそう、と見つからぬようそっと溜息を吐いた。
視線を向けられたのは一度や二度ではない。というか毎回のことである。受付で誘われる度毎回毎回視線を向けられ、そして帰ってくれば「今日はどんな会話を?」「何を食べたの?」から始まり「ユラちゃんのタイプは!!」「リヒターさん今日も素敵だったわぁ……」まで様々な声があがる。全くもっと面倒である。だがアンジュに彼らの誘いを断る、という選択肢があるわけもなく――別にリヒターを狙っているからというわけではない。純粋にユラの寂しそうな悲しそうな表情に負けてしまうのだ――大人しく二人と出かけ、そして帰ってきたら事務官の言葉を聞くのであった。
「今、ルイーシャがでているから、もう少し待ってもらってもいかな?」ルイーシャとはもう一人の受付嬢のことである。
「大丈夫だよー!」
まあ元気なお返事。心がほっこりしたところで時計を見る。ルイーシャが出てからそろそろ二十分。もうそろそろ戻ってくる頃だろう。ギルド受付の近くにあるソファを手で示し「あちらでお待ちください」と笑顔を浮かべる。ユラは満面の笑みで「あとでねー」と言い、リヒターはいつも悪いなと言いたげな笑みを浮かべソファの方へ足を進めた。
もう四年も経つのか、と考えに耽りながらも仕事の手は止めない。時の流れの速さに戦きながらも、ここでの仕事を不満に思ったことはなかったし、それなりに楽しい日々を過ごせていると思う。
―――ありきたりなゲームの悪役令嬢みたいに極刑とか一家離散とかにならなくてよかった。
何を隠そう、アンジュは所謂『転生者』だった。だが記憶を持っていてよかったと思うことは少なく、むしろなかった方が楽しく過ごせたのかもしれないと思うことさえある。
どうせ記憶もち転生するならばゲームのヒロインがよかったなあ、と思うのは前世でプレイした乙女ゲームの世界に転生したため。そう、アンジュは祝福される主人公でもなければ断罪されるべき悪役でもなかった。とてもとても中途半端な『ライバル令嬢』。それがアンジュの昔の立ち位置。ストーリーによっては主人公と友人関係を結ぶことだってあっただろうが、どういうわけかアンジュと主人公の間に友情は生まれていない。むしろ険悪といっても良いだろう。
ゲーム本編のアンジュは、エンディングのあとどうなっていたのだろうか。全く思い出せないが主人公と友情関係を結んでいたのだから舞台である王都に留まっているだろう。対してここに存在するアンジュは、婚約を解消されたという蔑みの視線や、主人公が何か言ったようでそれによる攻略対象による嫌がらせに嫌気がさし、母の実家が治めるレディレイクに逃げてきたのだった。
記憶を思い出したタイミングも悪かった。ゲームも終わりに近づいたころ、主人公が攻略を完了し、攻略対象が元お相手に別れを告げるタイミングで、全てを知った。掌で額を押え、もっと早くに思い出していればと嘆いたことはいまだ鮮明に覚えている。だが、それでよかったのだと思う。正直、早々に記憶を思い出したところで、何かをしていたとも思えない。元婚約者殿のことを好いていたかと問われれば首を傾げてしまうし、主人公のこともどうにも好きになれそうにない。婚約者を奪われたからというわけでなく、純粋に性格が合いそうにないのだ。前世を思い出す前、大団円ルート、別名逆ハーレムルートを選んだ主人公に「そんなに男を侍らせて楽しいの?」と尋ねそうになったのは一度や二度ではないし、子をなすのかわからぬのに貴族の長男をハーレムに向かい入れるという考えを気に食わない。思い出しても思い出さなくても大差はなかっただろうがそれならば思い出さない方が気が楽だったと思う。―――好いてはいないとは言っても、共に過ごすことで彼に情は湧いていた。彼の婚約者であるためにした努力も少なくない。それら全てを踏みにじられたのだ。自分がライバル令嬢で、彼が攻略対象だったために。ゲーム世界だと知らなければどう思っていたかはわからない。それでもアンジュは、思い出さなければ良かったのにと思っていた。
レディレイクに来たばかりの頃、祖父母は家で大人しくしていて良いと言ってくれていたのだが、アンジュはどうにもそれが落ち着かなかった。婚約者を奪われ逃げてきたと言えアンジュが貴族令嬢であることに変わりはないのだから、それで良かったはずなのだが、何かをしていないと落ち着かなかった。この世界がゲーム世界で、自分は脇役といってもいいようなライバル令嬢。世界に居場所がないのではと思っていたからだった――それもあってアンジュは『思い出さなければよかったのに』と思っていた――。
それに、祖父母の家にはアンジュと年の近い跡取りがいた。従兄妹同志と言えど、そんな二人が一つ屋根の下で暮らすというのは、世間から見たら「振られ令嬢が次の獲物のところにいった」と思われても仕方のないこと。そのこともあり、仕事を見つけどうにか家をでたかった。レディレイクをでる勇気は持ち合わせていなかったし、そんなことをすれば両親が慌てて王都に連れ戻すだろう。両親は王都に残ってよいと言ってくれていたのにもかかわらずレディレイクに行きたいと言ったのはアンジュのただの我が儘だった。
王都に戻ればまたあのいやな視線にさらされることになる。それを恐れ、アンジュはどうにかレディレイクに留まり、尚且つこの家を出ることを望んでいた。
傭兵ギルドの長から声がかかったのは、そんなときだった。レディレイクは、治めている祖父母と傭兵ギルドの力関係が対等ともいえたので、アンジュがレディレイクに来る前から彼女のことで内密に相談を持ちかけていた。
「お嬢さんさえよければ、うちで働きませんか?」
そう言ってきた首領の言葉に、アンジュは二つ返事で引き受けた。アンジュが仕事をする、家を出るといっていたことに難色を示した祖父母も、首領のもとであれば、と送り出してくれた。
そんな出来事から四年も経てば、アンジュだって強くなる。ユラとリヒターの誘いに対するちくちくとした視線を無視できる程度には。
そうこうしているうちにルイーシャも戻ったので、ユラとリヒターへ「お待たせしました」と笑いかけた。
「アンジュちゃんもっと食べなよ! おなかすいちゃうよ! ……もしかしてダイエット? だめだよー若いうちからそんなことしちゃあ。ほらほら食べて食べて」
「ダイエットはしていないしちゃんと食べてるから……わあユラちゃん多い多い!」
大皿できた料理をちまちま食べていたアンジュだったが、それを見つけたユラにどんと盛られてしまった。ダイエットはしていないけど、していないけどぉ……と嘆くアンジュを横目に見て「残ったら食べてやる」と冷静に告げるリヒター。だが食べ物を残す、というのは元貴族令嬢――身分的には今も変わらず貴族令嬢だが気持ち的には元がつく――のアンジュのプライドに反する。何が何でも食べてやる、と意気込みフォークをすすめた。
「何か良さそうなクエストは届いているか?」
食事も終わりギルドへ戻ろうと店を出たところでリヒターがそうアンジュに尋ねた――ちなみにそのときユラは「お、おなかいっぱい……」と呻きながら一人先にとてとてと歩いていた――。
「そうですね……」
先程まで見ていたクエスト依頼の記憶を頭の中から引っ張り出す。二人向けの依頼で急ぎのものはなかったと思う。だが二人向けでなくとも依頼はたくさん来ている。
「特別お二人向けというのはなかったと思うので、魔物討伐など如何でしょうか?」
街道に最近獣型の魔物が現れるようになったのでそれをどうにかしてほしい、と祖父からギルド宛てに依頼が来ていたのを思い出した。二人の実力ならば問題ないだろうと思いその話をすれば「街でも話題になっているな」と返ってきた。
「他の方にお願いしようかとも思っていたのですが、お二人さえよければ……」
「あぁ、ギルドに戻ったら手続きを頼む」
「こちらこそよろしくお願いします」
一度立ち止まり頭を下げれば、まかせておけと言うようにぽんと一つ頭を叩かれた。それを見たユラが「え! なにどうしたの何やってんのー!」と慌ててこちらへ戻ってきた。