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朱き帝國  作者: reden
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第9話 撃退

新星暦 351年 青竜月20日 第11刻

モラヴィア王国 王都キュリロス 




 宮城の奥まった一角。

 城内において天守の真下に位置するそこには、『金鵄の間』と通称される広間がある。


 ここは元々、外国使節などを王が謁見する際に利用される場所であり、他国人にモラヴィアの国威を見せ付けるべく煌びやかな装飾がいたるところに施されている。


 先王の時代には、外国大使との着任・離任の挨拶くらいにしか使われていなかったこの広間。

 しかし、華美を好む現王が即位して以降は、日々の政務や諸々の儀礼などにも利用されている。

 

 今、その金鵄の間では異界進駐軍によって齎された様々な物品が開陳されていた。


「おぉ……これは凄いな」


 モラヴィア国王マティアス・クレイハウザーは、目の前に広げられた異界の煌びやかな宝飾品の数々に、心奪われていた。

 王の眼前に並んでいるのは、異界進駐軍がエルミタージュ美術館、夏宮殿などから持ち去った物品だった。

 当初、本国の許しもなく勝手に撤退を行ったザカリアス将軍に対して怒りを露にしていた王だったが、今では進駐軍が齎した戦利品の数々に目と心を奪われてしまっていた。


 王だけではない。

 宝飾品については相応に目の肥えた貴族たちも感嘆の声を漏らしている。


「いや、なんとも素晴らしき品々。まさに偉大なる陛下に相応しき玉宝と言うべきでしょう。ザカリアスめもなかなか目端の利くことですなぁ!」


 広間に列席している貴族の一人が大きな声で言った。

 機鎧兵団総司令官のレオポルト・サンドロ公爵・機鎧兵大将だ。


「う、うむ。都市を制圧できなかったのは失態だが……よくこれだけの品々を持ち帰ってくれた」


 機嫌良さそうに頷く国王。

 その反応に、列席者の中でサンドロと対立している派閥の貴族が失望の表情を浮かべる。

 サンドロ子飼いの将軍を失脚させるタイミングを逸したからだ。

 これとは逆に、サンドロ派の貴族は安堵の表情を浮かべている。


「しかし、よもや異界人どもがこれほどの秀逸な文化を持っているとは」


 王はホゥッと、どこか恍惚とした溜息を漏らしつつ呟いた。

 宝飾品のひとつを手に取り、ためつすがめつ眺める。

 その、手に取った宝飾品は卵の形をしていた。

 進駐軍が捕らえた宝物庫の管理者に聞いてみたところ、ファベルジェの卵とかいうらしい。

 卵の形をした宝石箱の中には、煌びやかな宝石、金銀細工で創り上げられた精巧・精細な世界が広がっている。

 今見ているものなどは、卵の中に宝石を散りばめ、金銀細工を惜しみなく使って造られた帆船のオブジェが覗いていた。


(これが何の魔術も用いずに作られたとは……信じられん)


 王の内心を支配していたのは、純粋な驚きと興味だった。

 魔術が使われていないことに嫌悪は湧かない。

 むしろ、妙な呪いがかかっている心配がないぶん安心できるし、この芸術品の一切合切が職人の腕ひとつで造られたというのなら、それこそ芸術品の在るべき形というものではないか。


 一目見たときから、王はファベルジェの卵の虜になっていた。


「ザカリアス将軍の話では、これと同じような『卵』が2個、入手できているようです。彼の到着が待ち遠しいですな」


「なんと!このような品がまだ2個もあるのか!?」


 サンドロ公爵がさりげなく言った一言に、王は大いに驚いた。


「はい。形状については、今あるものと微妙に異なっていますが…捕虜の話だと、元々そういう造りのようですな。これを作った職人は一個一個、卵の中に異なった仕掛けを施しているようです」


「おお…」


 傍目にも判るほどに頬を緩める王。

 そのあからさまな反応に、サンドロも少しばかり辟易する。

 とはいえ、この精巧な品々に驚いているのは広間に列席している貴族たちも同様だった。


 異世界の大地を召喚し、そのマナを奪う目的で策定された救世計画だが、その計画の中には異界人などという要素は含まれていなかった。

 仮に紛れ込んでいたとしても、それはまともな文明を持たない未開人か、従属魔術で捻じ伏せることができる程度の弱国だろうと考えていたのだ。


「わが国の職人にも、このような物が作れるだろうか?」


「……直ちに調べます」


 侍従長が恭しく一礼し、背後に立つ侍従の一人に目配せする。

 目配せされた男は心得たように礼をすると、広間から出て行った。

 おそらく王家御用達の工房や、宝飾品を扱う商人ギルドに問い合わせるのだろう。


 侍従が広間を出て行くのを見送った王は、いま一度熱のこもった溜息をひとつ吐くと、気持ちを切り替えて列席者を眺め渡した。


「さて、良いものも見れたことだし……戦局について報告をきこうか」


 穏やかな調子の声だったが、その一言によって場の空気が引き締まった。


「まずはロイター卿。現状を報告してくれ」


 王に呼ばれ、壮年の元帥は自信に満ちた表情で話し始めた。


 現在、異界進駐軍は3つの軍団に分かれて作戦行動を行っている。

 そのうち一個は、先日レニングラードから叩き出されたベンソン中将・ザカリアス少将の部隊であり、残り2個はレニングラードの南に出現した都市に侵攻していた。


 この2つの軍団は、現地に有力な赤軍が存在しなかったこともあり、それほど苦戦することなく街の制圧に成功している。

 現在では街中に潜んでいる残敵の掃討を、歩兵隊とキメラの一部が行っており、主力は街道を西進して更に奥地の都市を目指して進軍中らしい。

 これは制圧した都市の留守部隊から昨日届いた報告だった。


「ほぉ…順調なようだな。ザカリアスの隊が撤退したと聞いたときは、一体どうなる事かと思ったものだが」


 王は満足げに頷いた。


「ところで陛下。その異界人の戦力についてですが」


「ん?……まぁ、報告を聞くかぎりでは侮れる相手ではなさそうだな」


 言うほどには心配していない様子で王は答えた。

 実際、王は心配などしていなかった。


 異界人の使う武器は確かに驚くべきものだが、実際の戦闘では、終始こちらが圧倒していたのだ。

 空戦にしたところで、味方の竜騎士に空戦の経験が不足していたのと、対地攻撃中に奇襲を受けたというのが大きかった。

 落ち着いて戦っていれば、こうも無様な結果には終わらなかっただろう。


「それで。捕虜から異界軍の戦力について情報は得られたのか?」


 既に軍では、ザカリアス軍が連行してきた捕虜への尋問が行われているはずだった。


「……得られたには得られたのですが」


「どうした?」


「余りにも荒唐無稽なものが多いのです。総兵力は500万をゆうに超えるだの、キメラなど一撃で抹殺できる戦車を数千と保有しているだのと……」


「話にならんな」


 流石に呆れたように、王は言った。

 戦車―――チャリオットは確かに強力な兵器だ。

 特に、大型の騎竜に甲冑を装備させた重戦車などの衝撃力は凄まじいものがある。

 が、そんなものが通用するのは文明程度の低い小国くらいだ。

 

 戦の帰趨を決するのは【魔道軍】


 これは文明社会の常識と言って良い。

 強固な鎧で身を固めた騎竜も戦場の遙か後方より一方的に打ち込まれる魔力弾・火炎弾の弾幕には耐えられない。

 創命魔術師によって創り出されるストーンゴーレム・アイアンゴーレムの突進は強固な城壁も容易く打ち崩す。

 異界の国家がどれほどの国力を誇ろうとも、魔道に拠ったまともな【文明】を有していない以上、モラヴィアの敵ではないのだ。

 総兵力500万云々に至っては……誇張も程々にしておけと言うしかない。そんな大軍を維持・運用しようとすればどんな大国であろうと財政が破綻するのは目に見えているし、それ以前の問題として、それだけの労働力を軍に引き抜かれた時点で国の生産・経済活動がまともに立ち行かなくなるのは目に見えているではないか。


「魔法薬も投与して尋問したのですが…嘘をついているようではありませんでした。単に軍の全容を知るほどの者ではないということでしょう」


「フム、出来れば将軍格の異界人を捕らえられれば良いのだがな」


 やれやれと王は玉座に背を凭せ掛けた。


「ザカリアスの軍が戻り次第、残りの捕虜からも情報を集めます」


「尋問なら現地でも出来るだろうに」


「いえ、王都の施設ならば、より現地でやるよりも効果的な方法が試せますし」


「……まぁ、その辺りは任せる」


 ごほん、と軽く咳払いすると王はファベルジェの卵に視線を落した。


「ザカリアス軍の帰還が待ち遠しいな。『情報』も『卵』も…」


「左様で御座いますな」


 ロイターは頷き、それから少し冗談めかした口調で言った。


「捕らえた異界人は全て専従奴隷とする予定でしたが……このような物を作れる職人ならば王宮で召抱えるのも良いかもしれませんな」


「はははは。確かそうだな!」


 王は小気味の良い笑い声を上げ、同時にこれは名案だと思った。











 この日より3日後。

 ソ連領内陸部へと進軍していった進駐軍の軍団2個は、集結を終えた沿バルト軍管区第8軍の主力にぶつかり、壊滅の憂き目を見ることになる。


 その情報が王都に齎されるのは、それから更に4日後。

 バルト沿岸の都市群が奪還され、郊外からの重砲撃に見舞われた留守部隊の魔術師が、断末魔の悲鳴とともに送信した救援要請という形で届けられた。













 ■ ■ ■





 1941年6月22日~23日にかけてのレニングラードにおける攻防戦は、際どい所で赤軍が防衛に成功した。

 しかし、モラヴィアの侵攻を受けた地域全てが守りきれたわけではない。


 特に混乱が大きかったのは、エストニア・ラトヴィア・リトアニアの旧バルト三国の防衛に直接責任を持つ、沿バルト特別軍管区においてだった。

 レニングラードが侵攻を受けたのと時を同じくして、ラトヴィアの海港都市リバウ、ヴェントスピルス。エストニアのバルジスキが侵攻を受けた。


 そして、この侵攻に対して、沿バルト特別軍管区の対応は遅れた。

 原因はいくつも考えられる。

 一つは、予てよりモスクワから発せられていた『ドイツの挑発に乗るな』という訓令がそうだ。

 この時期、ソ連はドイツとの対話外交を積極的に推し進めており、赤軍に対してはドイツ側に挑発と受け取られかねないあらゆる軍事行動を禁じていた。このため、ドイツと国境を接するという立地条件にありながらもバルト軍管区の多くの部隊は平時体制で各地に分散しており、国境付近を守っているのは軍ではなく国境警察が大部分を占めるという有様だった。

 また、モラヴィア軍の攻め込んだ位置が、バルト軍管区から見て後背にあたる場所だったこと。

 23日未明から頻発している反共的な地下ナショナリストグループによる橋梁や通信網の破壊活動によって少なからぬ混乱が生じ、部隊の移動や命令の通達を遅らせたこと。

 また、それ以前の問題として、前線から受けたドラゴン・キメラの襲来という報告に対して、軍管区司令官であるフョードル.I.クズネツォフ大将が露骨な猜疑の目を向けたことなどが挙げられる。

 ドイツ軍が攻めてきたとか言うならともかく、ドラゴンライダーと魔法使いと怪物に街が蹂躙されているなどという報告は、俄かには信じられなかったのだ。


 クズネツォフがまず命じたのは、現有戦力での都市の防衛と、モスクワへの報告、この不可解な事態の調査だった。

 そして、沿バルト管区司令部が事態の深刻さを把握する頃にはヴェントスピルス、バルジスキは既に蹂躙され、ヴェントスピルスにいたキメラ部隊に至っては、一部が幹線道路を伝って西進を始めているという体たらくだった。

 この両都市には、NKVDの分遣隊を除いて、まともな陸戦兵力など駐留していなかったのだ。

 唯一持ち堪えていたのは、第67狙撃師団が守っているリバウだけだった。

 そのリバウにしても、海側からの予期せぬ攻撃で大混乱に陥っており、師団長のN.A.デダーエフ少将は悲鳴のような救援要請を司令部に送ってきていた。


 リバウを攻撃したモラヴィア軍は、200程度のキメラと3000の歩兵、40騎の竜騎士隊からなる軍で、これはレニングラードを襲った本隊に比べるとやや弱体だったが、それは67師団にとっては何の慰めにもならなかった。

 この師団はレニングラードを守っていた第54師団よりも弱体だった。

 デダーエフ少将の手元にあったのは、第56、第281狙撃連隊と、分散した水兵、沿岸砲だけだった。

 レニングラードと同様に港側からの予期せぬ奇襲を受けた同師団は瞬く間に沿岸砲を制圧され、俊敏なキメラ相手に不利な条件で市街での迎撃戦を強要される事となった。

 そして、軍管区司令部の混乱と、周囲に救援可能な部隊がいなかったことから、その後4日間に渡る消耗戦を続けた末に壊滅している。

 この際、地図を含めたいくつかの重要書類がモラヴィア側の手に渡っており、後の戦いに少なからず影響を与えることになる。


 では、リバウが攻撃されているときに、司令部は何をやっていたのかというと、ヴェントスピルスを陥落させたモラヴィア軍が幹線道路を伝って西進を始めたために、その対応に忙殺されていたのだ。

 なにしろ、道路を伝って行き着く先にあるのは軍管区司令部の置かれているリガなのだから。



1941年6月25日 16:30

ソヴィエト連邦 旧ラトヴィア共和国首都リガ 沿バルト特別軍管区司令部


 軍管区司令部の作戦室で、クズネツォフ大将は渋い表情で地図を睨んでいた。

 既に、事態がのっぴきならない所まできている事はクズネツォフにも判っている。

 ヴェントスピルス、バルジスキのNKVD部隊を蹴散らし、市を蹂躙した怪物群の一部は、整備された国道を伝って内陸部に移動を始めている。


「……これだけしかないのか?」


 クズネツォフ大将は、報告書にザッと目を通し、現在自分の手元にある戦力の少なさに顔を引き攣らせた。

 幕僚たちは誰も彼もが不安げな面持ちで司令官を見ている。


「リガ周辺の部隊に対しては、既に命令を発しました。遅くとも2日以内には4個狙撃連隊相当が集まる見込みです」


「少なすぎる!レニングラードでは、旅団規模の敵に対して機械化師団3個に狙撃師団1個を投じて漸く追い払ったそうじゃないか」


「付近にいる部隊の多くは平時体制でして、すぐには動かせません。現状ではこれが全てです」


 参謀長のP.S.クレノフ中将が淡々と報告し、それにP.A.ジブロフ政治委員が懐疑的な目を向ける。

 この時点で既に、軍管区司令部は指揮下の全部隊に対して迎撃命令を発していた。

 沿バルト軍管区軍は、大きく分けて第8軍、第11軍、第27軍の3個軍によって形成されており、位置的に救援に最も迅速に駆けつけることが出来たのは、東プロシャから海岸部扇状地帯にかけての防衛を担当していたP.P.ソベンニコフ少将指揮の第8軍だった。


 だが、この出し抜けの攻撃に対して第8軍が即座に対応するのは難しかった。

 ソベンニコフ司令官にとって、また第8軍司令部の幕僚達にとって、この突然の、それも予期せぬ方向からの攻撃は、全くもってミステリーじみたものだった。

 ソベンニコフは一部の部隊に対して海岸部に向けて展開するように命令を発してはいたものの、敵が何なのか、何処を目指しているのか、その戦力は?……何もわかっていなかった。


 そしてこれは沿バルト軍管区の大半の部隊にもいえたことなのだが、第8軍指揮下の多くの部隊は平時体制で、人員の多くも露営地や兵舎におり、師団規模で迅速な移動が行えた部隊は殆ど無かった。


 そして、この混乱に拍車をかけたのが軍管区司令部の腰の据わらない作戦指導だった。


 軍管区司令官のF.I.クズネツォフ大将は理論家の大古参将官であったが、司令官としての実務経験はほとんど無かった。

 彼はフルンゼ陸軍大学で数年間、教鞭をとっていた時期がある。

 その後、中央方面軍の司令官を短期間勤め、次いで、クリミア方面の防衛を管轄する、第51特別軍の司令官を勤めた。

 こうした彼の経歴は、別にどうという程のものではなかった。

 同僚の将軍たちの評価からすれば、彼は不決断の人、組織力に欠ける。

 つまり、いざというときに人の意見を聞き入れたり、すぐさま反応したりするのに不向きな、まあ沈着の才能を持った人物か、というようなものだった。

 6月22日に始まった流動的かつ混沌とした情勢に対処するのに、まずこれくらい不向きな人間は発見するのも困難なほどだった。


 そして、バルト軍管区の情勢はクズネツォフの弱点をもろに反映した。

 幾人かの将軍、たとえば第16狙撃軍団司令官のM.M.イワノフ少将は独自の判断で沿岸方面に進出し、防衛線を形成するよう命令を発し、隷下の部隊を弾薬補給を行わせた。

 しかし、これに対してクズネツォフは弾薬を補給所に戻すよう命令している。

 この命令は、以前よりモスクワから厳命されていた、『挑発行動は避けよ・戦闘行動を禁ずる』という指示を、クズネツォフが未だに気にしていたことから出たものだった。

 彼はモスクワの反応を気にする余り、隷下の部隊に積極的な反撃を命じるのをかなり躊躇っていたのだ。


 結局、イワノフ少将はこの無茶な命令を無視し、結果として、バルジスキから南下してきたキメラ部隊は第16軍団によって撃退されることになるのだが、これと似たような混乱は軍管区内の多くの部隊でも見られた。

 そして、これがバルト沿岸都市への救援を少なからず遅らせることになる。


「第8軍ですが、海岸付近の部隊を逐次投入していった結果、各部隊が合流する前に怪物群に各個撃破されつつあります。ソベンニコフ将軍は指揮下の部隊を結集するため、戦術的退却を求めていますが」


「……駄目だ。モスクワは現地を死守し、奪われた都市をすぐに奪還せよと言っている」


「しかし、現状ではとても…」


 クレノフ中将は困り果てた様子で言った。

 第8軍はバルト軍管区で最も規模の大きな軍だったが、その所属部隊はエストニアからラトヴィアの北中部にかけての百マイル以上に渡る広大な地域に分散しており、位置的にすぐさま都市救援に向かうことの出来る師団は少なかった。

 更に、その数少ない師団も大半は平時体制にあり、実包の支給さえ済んでいない部隊もかなりあった。

 これらの師団が弾薬を補給し、人員を全て召集するのには、まだ時間が必要だった。

 

「そこは空軍部隊に援護させる。その…ドラゴンライダーとやらの制空能力は無きに等しいのだろう?」


 クズネツォフは、話を空軍司令官に振った。


「はい。既に、第69戦闘機連隊がリバウ方面の、第41連隊がバルジスキの制空権を確保しています。また、敵地上部隊に対しては襲撃機連隊が牽制をかけておりますが…しかし飛行場護衛の陸兵が不足しており、このまま敵の浸透が続きますと、最悪の場合野、戦飛行場の放棄も考えねばなりませんが」


 空軍司令官のP.V.ルィチャゴフ中将は答えた。

 奇襲を受けてから最も迅速に動いたのが赤軍航空隊だった。

 陸軍とは異なり、空軍は昨夜から警戒態勢が続いていたお陰もあって、司令部からの命令を受けて直ぐに、侵攻を受けた地域に向けて出撃を始めていた。

 既に管区航空隊が抱える幾つかの戦闘機連隊は、防空軍の戦闘機隊とともにドラゴンライダー相手に一方的な掃討戦を行っている。

 現状、軍管区でまともに組織立った戦闘が行えているのは、これらの空軍部隊だけだった。

  

「……そういうことだ。航空隊が制空権を確保し続けるためにも、また、これ以上沿岸部の都市を明け渡さないためにも、陸兵をこれ以上下げることは出来ん」


 クズネツォフはそう言って参謀長に向き直り、ソベンニコフの要請を却下した。

 その顔には苦渋の色が浮かんでいる。

 クズネツォフにしてみれば、今の時点で軍を引くことはリガを敵に明け渡すことを意味している。

 ここを奪われた場合、沿バルト軍管区軍は怪物群によって南北に分断され、特にリトアニア方面に展開するV.I.モロゾフ中将の第11軍が孤立することになる。第11軍は8個狙撃師団、2個機械化師団を擁する有力な軍であり、これを万に一つも失うような失態を冒せば、クズネツォフに軍人としての未来は無い。

 

「何としても現地を守り抜くようソベンニコフに伝えろ。これ以上、寸土たりとも国土は明け渡せん」


「……了解しました」








1941年 6月26日 13:30

ソヴィエト連邦 旧ラトヴィア共和国 リガ・リバウ国道


 ラトヴィア第2の海港たるリバウ。

 そこから東に120km進み、北のヴェントスピルスから延びる国道と合流する地点に、第8軍の主力は布陣していた。

 主力といえば聞こえは良いが、これはあくまで各地に分散した部隊の中で最も数的に纏まっているというだけで、その実態は第41狙撃師団に近隣の駐屯地から掻き集めた2個狙撃連隊相当の陸兵を加えた程度の戦力でしかなかった。

 そして、これらの戦力からなる軍はヴェントスピルス方面から続く国道を正面から塞ぐ形で展開し、後方では師団砲兵連隊が陣地を構築していた。

 その陣容は、122mm野砲8門。76mm野砲26門、45mm対戦車砲32門(各狙撃連隊、対戦車大隊装備を含む)である。


「一応、形だけは間に合いそうだな」


 着々と野戦陣地が作られていく中で、ピョートル・ペトローヴィチ・ソベンニコフ将軍は浮かない表情でいた。


「同志参謀長、弾薬の集積はどの程度だ?」


「ぎりぎり一会戦分あるかどうか、というところですね。運ぼうにもこの短時間では……車両の手当ても不充分ですし」


「……ちっ、贅沢は言ってられんか。まぁ敵の規模は歩兵連隊に……騎兵、と言っていいかどうか迷うが、例の化け物に騎乗したのが凡そ2個大隊分。どうにかなるだろう」


 ソベンニコフは皮肉気な笑みを浮かべると、やれやれと大げさに肩を竦めて見せた。

 一見すると余裕があるように見えるが、内心では管区司令部の対応の遅さに、腸が煮えくり返っている。

 弾薬の運搬に関して、軍管区司令部が待ったをかけたりしなければ、もっと多くの弾薬が揃えられた筈だった。

 

(総司令部の阿呆アショールどもめ。うちの軍がやられたらリガまでの道を阻める部隊は無いんだぞ?)


 ソベンニコフは、またぞろクズネツォフ大将が情勢判断を読み違えたなと諦念と憤懣の入り混じった複雑な気分で佇んでいた。


「……愚痴っていてもしょうがない。敵が近づいてきたら、まずは阻止砲撃を行う。報告にあった足の速い化け物の数を減らすとしよう」


 気を取り直し、ソベンニコフは参謀長と手順を確認した。

 攻撃の手順としては、まず向かってくる敵を長距離砲の榴弾で叩く。

 これで、ある程度の数減らしと、敵の陣形を乱して衝撃力を減殺するのが狙いだ。


「後は、算を乱したところに対戦車砲の釣瓶打ちを食らわせる。……それでも阻止できなかった分は、狙撃兵に片付けさせるしかないが…」


 正直なところ、狙撃兵に関しては余り当てにならないのではと第8軍司令部は考えていた。

 これまでに入ってきた情報からすると、敵の怪物は戦闘時60~80km/hで移動し、しかも生物なだけに不整地走破能力や敏捷性は洒落にならないほど高いようだ。

 土嚢と鉄条網を申し訳程度に巡らした即席の陣地がどれ程役に立つか…


「最初の砲撃でどこまで削れるか、だな」


「敵は拓けた国道を伝って移動しているようですし、砲は十分効果があるでしょう。少なくとも、広い面に分散されるよりはやり易いかと」


「……まぁな」


 敵は国道を密集して進んでいる。

 拓けた所を固まって移動しているわけだから、砲兵にしてみれば格好の好餌だ。

 これまで、移動中の狙撃部隊を襲撃するような戦いばかりだった所為かもしれないが、余りにも無防備だ。


「空軍部隊は?」


「野戦飛行場付近に敵が進出したために、現在は後方に避退中です」


「再出撃は、間に合うかな」


 ソベンニコフは暫し黙りこくって考えた。

 航空支援が無いのは厳しい。

 より確実に敵を撃退するのなら、思い切ってリガの前面にまで引いてみるのもひとつの考えだ。

 そうすれば航空支援も必要十分なだけ得られるだろうし、リガ南東のプラヴィナスから移動中の第37機械化師団とも合流できる。

 同師団はBT-7型戦車41両が配備された部隊であり、これは機械化師団本来の定数から言えばお話にならない戦力ではあったが、定数・稼働率ともに半分以下が常態と化している感がある現状の赤軍機械化部隊の中では、質的にも悪くない陣容といえた。


「……まぁ、無いもの強請りしてもしょうがない。」


 本音を言うなら一旦下がって増援を待ちたいのだが、上級司令部の命令がそれを許さない。


(この戦力でやるしかない、か)


 自分で自分に言い聞かせて、ソベンニコフは腹をくくった。


 その時、陣地のほうから大尉カピターンの襟章をつけた士官が緊張した様子で走り寄ってきた。

 師団長と砲兵連隊長に何事か報告する。

 そして、報告を受けた師団長が、ソベンニコフに向き直った。


「来たようです」


「そうか」


 ソベンニコフは、いたって平静な面持ちで頷いた。

 それから、訓示のために司令部一同を見渡した。


「同志諸君。今より我々が迎え撃つ敵は、ファシスト・ドイツではない。……いや、人間ですらない」


 そこで一旦言葉を切り、幕僚達一人一人に目を合わせながら言葉を続けた。


「その敵はこれまでに、バルト沿岸各地の都市を襲撃し、無辜の人民を殺戮している。人民の財産を破壊し、略奪している!我々に課せられた任務は明白だ。いかなる犠牲を払おうとも、最後の一兵に至るまで踏みとどまり、敵を粉砕せよ。これは総司令部の、そしてスターリン同志の至上命令である!」


 

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