第47話 錯綜
1941年9月16日
モラヴィア王国 王都キュリロス
王国宰相アルベルト・ハーロウ伯爵が金鵄の広間へと足を踏み入れた時。
国王は広間最奥の玉座に掛け、ひとり瞑目していた。
周囲には誰もいない。身辺に侍り、玉体を守護する近衛の姿も、謁見者の名を告げる儀典官の姿もそこにはない。
宰相は微かに眉を顰めながらも、儀礼に則り御前へと歩みを進める。
「陛下。お呼びと聞き、参上いたしました」
跪き、恭しく告げる宰相。
モラヴィア国王マティアス・クレイハウザーは、ゆっくりと瞼を開けると、物憂げな面持ちで己が臣下を見遣った。
中央梯団閲兵時に倒れた時より少しばかり痩せたようではあったが、その瞳には確りと知性の色が宿っている。
「余がおらぬ間、そなたには随分と苦労をかけたようだな。……侍従長より、報告は受けた。ヴェンツェルが…魔道院がかような暴挙に出ようとはな」
「臣の不徳の致すところ。弁明の余地も御座いませぬ」
この不始末。処断はいかようにも―――、と続けたところで、王は宰相の言葉を遮った。
その口の端には苦笑めいたものが浮かんでいる。
「そのようなことを求めてはおらぬ。ロイターも、ベレンキもコーレンベルクも倒れた今、そなたを誅しては、クレイハウザーの系譜を託せるものが誰一人いなくなるではないか」
主戦派の蜂起の折りに命を落とした貴族、軍人の名を挙げる王の声には、隠しようもない深い悲しみの色があった。
恐縮したように更に頭を下げる宰相だったが、王が口にした最後のひとことが意味するところに気づき、ハッとしたように瞳を大きく見開く。
「陛下。今なんと……」
「先日の総本営会議……余は臨席しておらなんだが、内容については聞いておる。精強無比なる我が魔道軍は潰滅の瀬戸際にあり、国土の半ばが既に敵手に渡った。……ふふ、余のような愚王にすら理解できるわ。もはや、我らに勝利の目は残されておらぬ」
その昏い自虐の感情をにじませた言葉に、ハーロウ伯爵は今度こそ言葉をなくして王の顔を見上げた。
マティアス王は未だ42歳。王者としてはいよいよ脂が乗り切り、国務・外交とも精力的に辣腕を奮える年頃である。
だが、僅か二ヶ月前まで領土拡大の野心に燃えていた瞳は、今や祖国に迫る滅亡の危機という不快極まりない現実を認識し、苦衷の色に満ちている。
「ヴェンツェルは……決して頭の悪い男ではない。だが、召喚魔道の最高導師たるあの者の矜持には耐えられぬのだ。自らの被召喚物相手に膝まづくことがな」
王は慨嘆するようにつぶやくと、大きくかぶりを振った。
「仮にヴェンツェルの言うように屍兵を本領に解き放ったとしても、滅亡は避けられぬよ。異界人や精霊神教徒どもは……なるほど、確かに引くやも知れぬ。不死者が徘徊する土地を欲しがる者などおらぬからな。だが、奴らが去った後、モラヴィアは自らが創り出した屍たちによって喰らいつくされるだろう」
つまるところ、魔道院は自らの滅びに異界人を道連れにしようとしているにすぎないのだ。
もちろん、主戦派のすべての人間がそのような狂気に駆られているわけではない。
そういった者達は後になって気付くのだ。己の考えの甘さに。
そして、いち早くそれに気づいたものは死人によって喰らいつくされるモラヴィアを捨て、他国へと去るだろう。あるいは、自ら進んで異界人の軍門に降るかもしれない……相手が受け入れてくれればの話だが。
そして、民からも見放された王国の先に待つのは完全なる滅亡。
王朝の交代などではなく、モラヴィア人という民族そのものの消滅だ。
「ハーロウ伯。我が宰相よ。最早、滅びは避けられぬ。我が無能によって大モラヴィアが一代にして滅び、余の名が愚王として後世に伝えられる屈辱は甘んじて受けよう。だが、その歴史を伝えるべき民族までもが余の無為無策によって滅びるなど耐えられぬ!」
徐々に感情を高ぶらせ、最後には激したように言い放つと、マティアス王は玉座から立ち上がった。
そのまま、青褪めた表情で硬直している宰相の傍に歩み寄り、自ら身を屈めて、跪く宰相と視線を合わせる。
「へ、陛下……」
ほとんど掠れた声で、宰相は呻く。
わからない。王は何を言おうとしているのか?
宰相たるハーロウが贔屓目なしに見るところでは、マティアスは為政者として水準以上の能力を持ってはいたものの、傑物というほどの人物ではなかった。
国内問題では病院の整備や、魔道院を介した地方教育機関――魔術学院分校の設立などの事績を残していたものの、、軍備への過剰な投資によって国土の不毛化は大きく助長された。
顕著でこそなかったものの、家臣への好き嫌いを公務に持ち込むところもあり、特に魔道院・魔道軍への贔屓、予算面での優遇は政権を担うハーロウ達閣僚陣にとっては頭痛の種でもあった。
(だが、今自分の前に立っている王は何だ?)
ハーロウは、己の眼前に立つ王の姿に、畏怖するように身を縮こめさせた。
あるいは、突然の豹変を遂げた人物に対する恐怖といえるかもしれない。
「そなたには、重い役割を負って貰わねばならぬ。余人はそなたを売国の輩と詰るやも知れん」
「陛下―――」
宰相は大きく息を吐き出すと、意を決したように口を開いた。
「異界人との和睦を取り決めた時点で、その覚悟はできております。しかし、王都の情勢は予断を許しません。このまま状況が推移すれば、最悪の場合……」
「そうではない。…そうではないのだ。余が言う売国の意味は」
王は頭を振ると、宰相を真っ直ぐに見返した。
「異界軍への屈服は……恐らくそなたが考えているようなものにはなるまい。一両日中には、ここ王都にも異界人が踏み入ってくることだろう。ルンゲ侯が手筈を整えている」
宰相の顔色が変わる。
王が言う【売国】の意味。それを正確に悟って。
「陛下!?それはまさか……」
愕然とする宰相に、王は告げた。
「講和は万難を排して行わねばならん。ヴェンツェル以下、叛徒を一掃した後に、我が首を手土産に終戦を行うが良い。……だが、唯々諾々と全てを異界人にくれてやる心算もない。そなたには、その為の剣を授けよう」
―――この数分後。
幽鬼のような足取りで金鵄の間を後にした宰相は、直ぐさま近衛指揮官と会見を持ち、王都に残る全ての王国軍部隊に対して、勅命としてヴェンツェル以下叛乱部隊の鎮圧と対ソ講和の断行が命じられたことを通達。
これをもって、王都内にあって講和派指揮官を暗殺され混乱状態に陥っていた近衛諸隊は叛乱部隊との睨み合いに入った。
キメラ以下、強大な魔道兵器群を擁する叛乱部隊の優位は変わらなかったものの、王都情勢は更なる混沌とした様相を見せつつあった。
■ ■ ■
1941年9月17日
モラヴィア本国領 東カザス野戦飛行場
モラヴィア王国中部。
クラナ大河を越えた先に広がる平野部は、肥沃とまではいかないものの、砂漠地帯を多く含む東部属州に比べれば緑の多い土地といえた。
ソヴィエト赤軍の対モラヴィア戦線後方に広がる平野には工兵によって急ピッチで整備された野戦飛行場群がいくつも造営されており、そのうち特に大規模な6箇所の飛行場には、来たる作戦に向けて空挺部隊を搭載する大型輸送機多数が集結していた。
使用されるのは低速の重爆撃機であるツポレフTB3であり、航続力・ペイロードに優れた中期・後期生産型中心に各飛行場30機、計180機が集結し、その銀翼を連ねていた。
大型爆撃機がひしめく駐機エプロン脇には、第5空挺軍団所属の空挺大隊も集結している。
降下作戦発起を前にして、各作戦参加部隊では党の集会が開かれ、所属部隊長による訓示が行われていた。
「同志、赤軍兵士たち!指揮官並びに政治委員!我が北西戦線の諸隊は、開戦以来3ヶ月に渡り対モラヴィア戦の陣頭に立ち続けてきた。そのモラヴィアは今や崩壊の瀬戸際にあると言って良い」
大隊長コンスタンチン・シェレーピン少佐が空挺軍将兵たちを前に熱弁をふるう。
「この状況において、我々には更なる積極的な、かつ決然たる行動を求められている。我が第5空挺軍には、予てより通達されていたモラヴィア王都への空挺降下作戦【天王星】の正式な発動がSTAVKAにより下令された」
演説に聞き入る将兵達の表情に緊張が走る。
もともと、彼らが所属する上位部隊である第6空挺軍団は所属各連隊ごとに、配属地であるバルト沿岸の各駐屯地に配備されていた。
対モラヴィア開戦後、少なからず実戦経験を重ねてはきたものの、それはあくまでも開戦劈頭におけるモラヴィア側の奇襲を受けての防衛戦が中心であり、本領たる空挺降下作戦を実施するのは、今回が最初の機会といえた。
連隊長は、将校たちに向けて厳しい表情で告げた。
敵国の中枢に降下する本作戦にあっては、何をおいても常に敏速なテンポで攻勢を続け、敵軍指揮系統の中枢へと深く切り込むことが求められる。
この任務を成し遂げるためには、連隊を構成する将兵一人一人が人員と武器、さらには物資・技術面それぞれに、大きな責任を負わねばならない。
「強調しておきたいのは、本作戦の目的が、モラヴィア王国内における対ソ講和派の支援にあるという点だ」
連隊長は続ける。
諸君には、講和会議開催に先立つ9月14日付の国家防衛委員会決議において、モラヴィア領内における赤軍の行動が規定された点を思い起こしてもらいたい。
我々は侵略者ではなく、悪辣な魔術師派閥―――王国において此度の対ソ戦を主導した反動勢力を打倒するために征くのだ。
すなわち人民の解放者として!よって、各員には王都の【解放】にあたっては、これにふさわしい振る舞いを心掛けてもらわねばならん。
……むろん、君たちの気持ちは理解している。開戦劈頭の、バルト諸国におけるモラヴィアの侵略者どもによる数々の蛮行は記憶に新しい。
だが、良きソヴィエト人民たる諸君には、決して一時の感情に流されることなく、理性と尊厳を持って任務にあたってもらう必要がある。
モラヴィアの無辜の人民に憎しみを持って接してはならんし、まして復讐や暴行などは論外だ。将校、下士官ともにこの点は徹底して事に当たるように。
(……難しかろうがな)
内心で嘆息しながらも、連隊長は厳しい視線で将兵たちを見渡した。
王国側からの派兵要請を受け入れるやいなや……正確にはモラヴィア側からの講和打診が行われたときから。最高指導部はそれまでの反モラヴィア色からは打って変わって、【モラヴィア人民の解放】だの【友好的社会主義国家の樹立】だのといった美辞麗句を前面に押し出すようになった。
これが、モラヴィア外交団のモスクワ到着に先立つ9月14日に決議された国家防衛委員会決議と、それに基づく国防人民委員令第221号であり、これらに共通していえるのは、占領地における宣撫の強化と規律の徹底を謳っている点だ。
モラヴィア側に対しては強硬姿勢を維持していたものの、実際のところソ連側にとって、現時点での講和は正に渡りに船の好機であり、講和条約締結はソ連政府としての既定路線として見倣されていたためだ。
終戦の目処が立った以上、モラヴィアの現地住民に過剰な反ソ感情を植えつけるような占領軍の乱行などは慎むべきだった。
戦後、モラヴィアに樹立されるであろう親ソ政権が安定し次第、最低限の駐留軍を残して軍事力の大半はソ連本国に撤収させたいと考えているならば尚更だった。
「【保護】対象となる重要人物。さらに講和派の拠点と見られる建築物の資料を各隊に回覧させる。最大漏らさず覚え、各員任務に精励せよ!」
作戦前段階においては、モラヴィア側講和派……つまりはモスクワにおける講和交渉団を通じて行動のすり合わせが実施されている。
空挺部隊を搭載した梯団がモラヴィア東部国境を突破し、空路王都を目指す。同時に地上からは第3機械化軍団を主力とする装甲集団が国境を通過―――講和派が請け負った通りならば、この際にモラヴィア側からの迎撃を受けることはない。
地上部隊はそのまま王都を目指し、作戦が順調に進捗すれば【解放】された王都で先行した空挺、及び後続の地上部隊両指揮官が握手することになろう。
(あるいは……)
連隊長は、ふと、不吉な想像をする。
仮に先行した自分たち空挺が壊滅しようとも…そのときは後続の地上部隊が王都に到達し、疲弊した主戦派残存部隊を殲滅。残された行政機構を掌握していくことになる。
麾下の将兵にはとても言えたものではないが、後続の機械化軍団は実質、空挺の援護ではなく、作戦失敗時の保険として送り出されるのだ。
最善は、空挺部隊単独で講和派首脳部の【保護】と主戦派掃討を達成することだが……
連隊長は雑念を振り払うと、兵員の輸送機への搭乗を命じるのだった。
■ ■ ■
「発動機回せぇっ!」
大出力のミクリンM34液冷発動機が次々と唸りを上げ、周囲が多数の航空機が発する騒音に満ちる中。
ほとんど怒号に近い機長の号令を受けて、今また一機のツポレフTB3がエンジンを起動させた。
キュリロス攻略戦。
後にネウストリア・ソ連邦双方の戦史上、このように公称されることとなる軍事作戦において、最初に行動を起こしたのは対モラヴィア前線後方に膨大な機数を展開させていた赤軍航空隊だった。
敵国首都への一大空挺降下。
多分に政治的デモンストレーションの意味合いが強いとはいえ、ある面においては今次戦役を一挙に終結させる可能性を秘めた野心的な作戦である。
クラナ大河以西の野戦飛行場に分散配備された輸送航空連隊は、停戦期間中の配置転換によって王都の東方700km周辺に空挺軍団ともども展開を終えており、モスクワからの作戦発動命令を持って一斉に動き出した。
この赤軍のレスポンスの速さは、モラヴィア政府との和平交渉が不首尾に終わった場合の対応として、王都への奇襲攻撃が予め計画されていたからにほかならない。
急造の野戦飛行場に銀翼を連ねる四発重爆撃機の群は、輸送機としてその腹に爆弾に代わって1機当たり50名の落下傘兵を飲み込み、その巨体を天空へと向けて次々と舞い上がっていく。
払暁。
空には一筋の雲さえなく、異世界の荒野の彼方から少しづつ顔を覗かせる朝陽は、何者にもさえぎられることなく、将兵の濃緑の軍衣を、そして銀色に輝く航空機の機体を照らしだす。
その姿を駐機エプロン脇で見守る軍人の一団があった。
その中のひとり、黒々とした頭髪を短く刈り込んだ壮年の将官―――北西軍空軍司令官を務めるパーヴェル・ルィチャゴフ中将が口を開いた。
「重火器に関しては積める限り詰めこみました。後は、モラヴィア側の情報が間違っていないことを願うしかありません」
「悲観的だな。同志」
傍らでやんわりと空軍将官を窘めたのは、初老の政治将校―――北西方面軍政治部長を務めるヴィタリ―・ズーエフだった。
方面軍司令部から近いこの飛行場には、北西軍第5空挺軍団を主軸として実施される作戦参加部隊閲兵のために、方面軍司令部の将軍たちが足を運んでいた。
方面軍司令官を務めるモロゾフ大将、ズーエフ政治部長。この二人は共にスペイン内戦以来の戦歴を持つ実戦経験豊富な将帥であり、この空挺作戦が孕む危険性についても十分に認識していた。
だが、だからといってSTAVKA、ひいては党の第一人者であるスターリンが下した決定を批判することなどできるものではない。
党は無謬の存在であり―――むろん、これまでに彼らが判断を誤ったことが全くないなどと信じている者はいないが―――この国ではそういった矛盾は従容と受け入れねばならないものだ。
(つまるところ…我らには党しかない。そういうことだ)
この一大作戦がもし失敗に終わった場合、詰め腹を切らされることになるであろう有力候補者の空軍司令官を横目に見ながら、政治部長は内心で呟いた。
史上最大の空挺作戦。そういって差し支えないものだ。
クラナ大河突破戦において、空挺部隊の降下は3個輸送航空連隊によるピストン輸送によって数回に分けて行われたが、今度は違う。
投入されるのは本基地も含めて6箇所の飛行場に配備された、輸送機のみで180機もの出撃であり、これらの機体は後方で合流を果たした後、対モラヴィア前線に展開する護衛戦闘機連隊と会合し、しかる後に越境する。
航続距離の問題から、戦闘機隊の護衛は王都まで随伴することはない。
越境後は、講和派に属するモラヴィア空軍―――つまりは飛竜騎士隊による先導を受け、王都まで航行することになる。
護衛戦闘機隊は、万一越境時の迎撃に遭遇した場合に備えた保険だが……そういった場合には講和派の協定違反として、国境に展開するすべての赤軍が戦闘に参入することになるだろう。
「そう。故に何としても、勝たねばならんのだ」
政治部長の小さな呟きは、発進する航空機のエンジン音に掻き消され、誰の耳にも届くことはなかった。




