第44話 抗戦
1941年 9月16日
モラヴィア王国 王都キュリロス 宮城
夕陽が地平線の彼方へと半ば没し、王都の至るところでは魔力灯の光が街道を照らし始める。
平時であれば工房や官庁街で仕事を終えた職人、役人たちで繁華街中心に大きな賑わいを見せる王国屈指の大都市も今日ばかりは死んだように静まり返っている。
住民たちは己の住居で息を殺し、この血生臭い狂騒が一刻も早く過ぎ去ってくれることを祈っていた。
もっとも、彼らは当事者でないだけ、そして王国に迫りつつある危機について十分な知識を有さないだけまだ幸せだったとも言える。
この日。生を謳歌する者たちの中で最も大きな不幸を背負っていた人物、それは宮城内に設けられた警固隊司令官の執務室にいた。
「将軍。此処の者達は大丈夫なのだろうな?」
どこかやつれたような顔で、アルベルト・ハーロウ宰相は眼前に直立不動の姿勢で立つ初老の軍人に問うた。
「ご安心くだされ。城内の将兵には全員魔力精査を行い、従属魔術の影響下にあるものは全て解呪ないし拘束しております」
厳しい面持ちで答えたのは、宮城警固隊司令官を務めるリープレヒト・ミヒェルゼン中将だった。
現在、宮城に展開する実戦部隊の司令官であり、軍人としての階級では侍従武官長のマイヘルベック大将に次ぐ第二位の地位にある。
歴戦の武人らしい風格を漂わせた巖のような将軍の顔には、隠しきれぬ苦々しさが滲み出ていた。
「叛徒に内通していた者どもですが……傀儡化されていない士官クラスの者達にも軽度の精神操作を施された形跡があります。このような術式を我らに気取られることなく、それもここまで大規模に施術してのけるなど……主戦派の一部跳ね上がりだけでは到底不可能なこと」
おそらくは魔道院の高位導師……その大部分が今回の騒乱に加担しているのだろう。
主戦派の暴走はハーロウを含めた講和派の高官達もそれなりに警戒はしていた。
3日前には内相の指示によって講和派の貴族やその家族には身辺警護の衛視を配するなどの対策を取っていたし、過激な言動の多い魔道院議長やその取り巻きたちにも監視の目はあったはずなのだ。
(だが、よもや……!)
ハーロウは内から込み上げてくる深甚なる怒りの感情に歯軋りした。
よもや、国家の枢要を担う魔道院が組織ぐるみで……それも、王都駐留の魔道軍部隊や省部の要所を担う将校達を傀儡化し、あろうことかこの国難の折りに反乱を引き起こすなど……
今回の騒乱において、講和派の対応は完全に後手に回っている。
まず、最初の一撃が致命的だった。
国防庁舎で王都防空体制について飛兵軍との合同会議を実施している最中に、従属魔術によって傀儡化された魔道軍将校の一団が会議室に乱入し、ロイター国防相、アレント飛兵総監ら軍首脳部を斬殺したのだ。
同時に庁舎内、さらには王都内の軍部隊駐屯地においても従属魔術の影響を受けた将校、兵がそれぞれの部隊の指揮官や講和派将校に次々と襲い掛かり、司令部機能を滅茶苦茶にされた駐屯部隊の多くが短時間のうちに無力化されるか、迅速な対応能力を奪われることとなる。
魔道院主戦派が狡猾だったのは、講和派要人に対する刺客は完全に傀儡化する一方で、決起部隊の指揮官級の軍人に対してはかなりの部分で自我を残した軽度の精神操作・思考誘導にとどめた点だ。
叛乱に参加した魔道軍将校たちの多くは自身が魔道院の導師によって思考誘導されたという自覚を持たず、あくまで祖国を敵に売り渡そうとする奸賊を討ち果たして上層部を刷新するという義憤に燃えていたのだ。
その手は宮城警固隊にも及んでおり、司令官のミヒェルゼン自身、精神操作を受けて己に襲い掛かってきた従卒を手ずから斬り捨てている。
「それで…叛乱部隊の全容は掴めたのかね。我らに味方する部隊はおらぬのか!?」
憤懣を吐き出すように口早に問い質す宰相に、将軍は現在までに判明している状況を告げた。
「王都市内に存在する、反乱部隊を除く戦力は悉く無力化されたと考えるべきでしょう。配下の魔導師を総動員して実施いたしました遠見による王都全域の走査によれば、現在市内に展開しているのは王都守備兵団に属する第1魔道兵連隊、さらに第3魔道兵連隊の一部と衛視隊所属の4個警備中隊です」
「守備軍第2連隊はどうしたのだ?」
「騒乱発生直後に兵営をキメラで急襲され、壊滅しております。わずかな残兵が市内で散発的な抵抗を続けておるようですが……司令部を潰されている以上、長くは持たぬかと」
力なく肩を落とす宰相に、今すぐに駆けつけることのできる部隊はおらんでしょう…と将軍は言った。
遠見により王都内を走査したところでは、現在までに国防省の他、王都守備軍司令部、衛視隊本部、飛兵総監部が敵の手に落ちており、講和派の司令官たちは軒並み拘束ないし殺害されている。
王都外部との通信を遮断されている今の状況では、西で異界軍と対峙している前線部隊も動くに動けまい。
いずれは王都と連絡がつかない異常事態を察知して一部なりとも部隊を派遣してくるだろうが、それまで宮城が持ち堪えられる保証はない。
現在宮城とその敷地内には魔道兵2個大隊相当の宮城警固隊が詰めており、城そのものの防御施設と併せて考えれば、たとえ魔道軍の増強連隊相手であっても渡り合う自信が将軍にはある。
だが、魔道院は新開発のキメラなど未知の兵器をこの騒乱に投入しており、王都守備軍司令部を制圧した際の威力等も考えあわせると、かなり分の悪い勝負となるだろう。
「王都郊外の機鎧兵団総司令部は通信不能のため、現状どうなっているかは判然としません。しかし、これほどの騒乱を引き起こす者たちが、講和派最大の白兵戦力を擁するサンドロ公の機鎧兵団を放置しているとは考えられません」
重苦しい沈黙が部屋に暗い帳を下す。
机上に視線を落とし、目まぐるしく打開策を巡らせる二人の高官だったが、情勢は余りにも厳しかった。
敵は魔道院が繰り出してきたキメラなどの実験兵器を除けば精々が増強連隊クラス。
王都郊外に駐留する機鎧兵団や、西の前線に展開する野戦軍の一部なりともが来援すれば容易く叩き潰せる程度の戦力でしかない。
だが、その程度の計算は反乱部隊側もやっているはずであり、外からの救援が到着する前に宮城を落としにかかるはずだ。 宮城が陥落し、国王の身柄を反乱側に抑えられてしまえば、政府側の敗北は確定する。
国王を誑かし、勅令という形で自らの大義を確立してしまえば、賊徒の地位に落とされるのは宰相たち講和派の側になる。
国王不予の折に宰相主導で終戦工作を推し進めたという経緯も講和派の不利に働くだろう。
「ここまで…なのか?」
宰相は絶望のあまり一瞬目を眩ませた。
両掌で顔を抑えて俯く老人に、近衛を率いる将軍は表情を苛立ったように歪めた。
「宰相閣下。厳しい状況ではありますが、貴方がそのような事を申されては―――」
心折れかかっている宰相に、たまらず苦言を呈しようとする将軍。
その時、部屋の外から扉がノックされた。
小さく舌打ちを漏らすと、将軍は苛立ち交じりに声を上げた。
「今は宰相閣下と会談中である。後にせよ!」
ほとんど振り返りもせず、吐き捨てるようなぞんざいな口調で言い捨てる将軍だったが、扉の外から聞こえてきた声に、一瞬で顔色を変える。
「……私だ。その宰相閣下に用向きがあるのだが」
弾かれたように扉に駆け寄り、来訪者を迎え入れる。
入室してきたのは近衛の軍礼服を纏った老軍人だった。
丁寧に撫でつけられた白髪に皺の多いふっくらとした顔は、その穏やかな眼差しと相俟って、見る者に柔和な草食獣といった印象を与える。
「閣下とは知らず、無礼を申しました」
畏まった様子で深く頭を下げるミヒェルゼン中将に、老人―――侍従武官長を務めるクレフ・マイヘルベック飛兵大将は気にした風もなく軽く頷きを返した。
御年64歳。現在のモラヴィア軍将官における最長老であり、50年前のグラゴール戦役末期において飛竜騎士補として初陣を飾ったという魔道軍最古の戦歴を有する武人である。
好々爺然とした老将軍は宰相の前に進み出ると、己の要件を告げた。
「宰相閣下。国王陛下がお呼びです。急ではありますが、直ぐにお越しいただきたい」
「陛下が?」
宰相は俯いていた顔を上げた。
疲労と心痛に淀んだ瞳が、侍従武官長に向けられる。
「此度の騒乱に関して、閣下より直接報告を受けたいとの仰せになり、金鵄の間へ赴かれました」
がたっ、と音を立てて宰相は椅子から立ち上がった。
淀み、濁りきっていた瞳に急速に知性の輝きが戻り始める。
「内城ではなく……金鵄の間に?陛下ご自身が向かわれたのか?」
「そうです」
宰相の表情が引き締まる。
ネウストリア参戦の報告以来、内城―――国王を含めた王族の住居がある宮城の最奥区画に臥せり続けていた王が、政務の場である謁見室へ自ら向かったのだ。
「承知した。今すぐに参上する」
そういうと宰相は部屋の主であるミヒェルゼン中将に視線を向けた。
「陛下の御意思は判らぬが……いつ命令が下っても良いように、兵を整えておけ」
「承知いたしました」
宮城を守護する近衛司令官は口の端に小さく笑みを浮かべて敬礼した。
■ ■ ■
同刻 王都郊外。
機鎧兵団総司令部
王都郊外に造営された広大な城塞―――その至る所からは煙が立ち昇り、吹き抜ける風には血の匂いが混じる。
モラヴィア王国最大の野戦集団として大陸全土にその勇名を轟かせた魔道軍機鎧兵団。
その総司令部が置かれた城塞は、今や外観上は打ち捨てられた廃城の如き様相となっていた。
王都全域を突如覆い尽くした結界。それに驚愕を抱く暇もあらばこそ、敷地外から突然打ち込まれた魔力弾、魔道槍による奇襲によって、この場での戦いは幕を開けた。
城内における一部将兵の造反。この種の兵器の専門家である創命魔術師たちですら見たことのない新種のキメラを従えた魔術師たちの急襲。
内と外からの猛攻によって、魔道軍最強を呼号した王国機鎧兵団は甚大な損害を被った。
「甚大な損害、か。いや、損害で【済んだ】というのが正解だな」
乾いた土を踏みしめる足音が二つ。
機鎧兵団の将官服を纏った初老の軍人が、黒衣の魔術師を伴って戦闘の傷跡が色濃い城塞の敷地内を歩いていた。
初老の軍人―――機鎧兵団総司令官レオポルト・サンドロ公爵は敷地内に設営された救護施設で魔術師から治療を受ける将兵達を眺めつつ呟いた。
そして、同行者の魔術師に視線を向ける。
「貴公らの助力無くば、我ら全員がこの場に骸を晒していたやも知れぬ。……感謝する」
そういって公爵が頭を下げた相手。
それは魔道院の高位魔導師であることを示す漆黒の長衣を纏った壮年の男だった。
「身内の暴挙を何ら掣肘できなかった無能者に、そのような言葉は無用です」
漆黒の魔導師―――王国有数の名門を率いる当主であり、魔道院における全死霊魔術師を束ねる最高位導師、トラバルト・バーテルスは沈痛な面持ちで首を振った。
王都における叛乱部隊の決起。
王都全域を嘗め尽くした狂乱の最中にあって、魔道院の講和派を率いるトラバルトは、同輩たちからの攻撃を掻い潜りながら、部下や高弟の魔術師たちとともに都市外への強行突破を図った。
それは外部に救援を求めるためであり、同時に叛乱部隊との交戦によって必然的に発生する自分たちの魔術行使を最低限に留めるためでもあった。
高位の死霊魔術師がひしめくバーテルス閥は直接的な戦闘において強大極まりない戦力を有していたが、同時にその力の行使は王都への屍兵拡散という大惨事を引き起こす危険性をも内包していたからだ。
国防庁舎や近衛軍兵営が襲撃を受け、忠勇な将兵達が倒れて逝くのを横目に、死霊魔術師たちは郊外をただひたすら目指した。
その事実は、トラバルトを含めた魔術師たちの精神に友軍を見捨てた負い目という傷を残した。
「気持ちは理解できる。が、そのような事は言うものではない。貴公の下で戦った魔導師達の名誉まで貶める気かね?」
「……確かに、そうですな。軽率な発言でした」
サンドロの言を認め、トラバルトは口元に少しばかりぎこちない笑みを浮かべた。
それに満足げにうなずきを返すと、サンドロは今後の行動指針について導師に水を向けた。
「それにしても、受けた被害が大きすぎる。キメラはともかく、兵舎を直接叩かれた操者の損害がな。健在な者を中心に隊を再編したとしても、直ぐ動かせるのは精々大隊規模に留まるだろう。これでは王都に向かっても返り討ちにあいかねん」
そちらはどうか?と聞かれ、トラバルトは無念そうに首を左右に振った。
「我が配下の導師たちは健在です。しかしながら、我らが王都にて自らの技を振るうことは、すなわち王都を死都へ変えることを意味します」
最初の奇襲でキメラ操者である創命魔術師たちの兵舎を魔道槍に叩かれたことで、機鎧兵団はたちまち劣勢に追い込まれた。
もともと機鎧兵団というのは一人のキメラ使いが数十体のキメラを操り、これをもって一つの隊を編成する。
それゆえキメラ使いである魔術師が被害を受けると戦力が一気に激減してしまうのだ。
窮地に陥ったサンドロたちを救ったのは王都より逃れてきた死霊魔術師の一団だった。
駐屯地である城塞が襲撃を受けているのを見て取ったトラバルトたちは、王都での憤懣を叩きつけるが如くに攻撃を開始し、半刻足らずのうちに戦況を逆転させてしまった。
王都から自分たちを追捕してきた魔道兵部隊を屍兵化して手駒に変えると、それをもって後背から城塞に魔力弾を撃ち込む叛乱部隊に襲い掛かり―――その先は王都で行われた以上の地獄絵図が郊外で再現されることとなった。
「我らは浄化魔術も相応に修めておりますゆえ、人口希薄な地域であれば最小の被害で施術を終えることもできますが……王都ではそれも不可能です」
「そうか……やむをえまい」
残念そうにサンドロは肩を落とした。
「魔力波通信で救援を求めることはできぬのですか?竜騎士隊……あるいは前線の機鎧兵団を」
口の端に自嘲めいた笑みを浮かべると、サンドロはトラバルトの希望を打ち砕いた。
「不可能だ。現在、グラゴール方面に展開しているものを除く纏まった機鎧兵団は全て最前線に張り付いている。現在は停戦期間中とはいえ、今すぐ取って返しても到着まで一週間はかかるだろう。そして、竜騎士隊だけでは王都を【制圧】することはできん」
「馬鹿な……キメラは機動戦力でしょう?後方に予備部隊を置いていないのですか!?」
「ここに駐留していた兵団こそが、その予備部隊だったのだよ」
トラバルトは完全に絶句していた。
高位の導師とはいえ、彼はあくまでも文民。対ソ戦線の現状について多くの知識を持っているわけではない。
先のクラナ大河防衛戦における機鎧兵団の大消耗。
更には南部戦線における機動集団の拘束。
これらによって前線の打撃戦力は危険なまでに目減りしており、敵陣後方への浸透部隊として最前線に配置された兵団を除けば、後方に機動防御用として残された予備隊は機鎧兵団1個を残すまでとなっていたのだ。
そして、その唯一の戦力は―――こともあろうに同国人の手によって損耗してしまったのだ。
「それでは我らは……何のために……」
トラバルトは己の足元が崩れ去っていくような錯覚を覚えた。
脳裏をよぎるのは、今は前線で軍営にある己の愛娘の顔。
絶望に駆られ、そのまま奈落へと落ちかかったトラバルトの思考を、サンドロの次の言葉が引き戻した。
「こうなっては……最早やむを得ぬ。下策ではあるが―――」
「何か、策がお有りなのですか!?」
サンドロの言葉を遮るように身を乗り出すトラバルトに、公爵位を持つ将軍は憮然とした面持ちで頷いた。
「我々は何をすれば?」
「さしあたって、何かするのは我々ではない……最も、最終的な責任は取らねばならんだろうがな」
そういって、サンドロは短距離の魔力波通信を城塞内の司令部に送った。
『長距離通信の準備をせよ。相手は、アリオスト・ルンゲ侯爵閣下だ』




