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朱き帝國  作者: reden
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第33話 海魔

1941年 9月3日

モラヴィア王国 クラナ大河西岸




 第3空挺軍団による一万人規模の大規模空挺降下が開始され、地上に降下した部隊が水際の陣地群を食い荒らしはじめると、モラヴィア軍守備部隊は急速に追い詰められていった。

 先だっての猛砲撃によって空中からの攻撃に対処すべき防空部隊が大きな損害を受けていたのもあるが、元々モラヴィア軍の野戦陣地は第一線で敵を押しとどめることのみを想定したものであり、縦深が浅いために一つの陣地を落とされると、それが防衛線そのものの破綻に直結してしまう脆さを抱えていたのだ。

 加えて、赤軍砲兵による損害を厭うて戦略予備の機鎧兵団を後方に下げてしまったことも、破綻した防衛線の手当てを遅らせる結果を招いた。

 ……もっとも、あのまま前線に留まって砲撃の損害を甘受し続けていた場合、空挺部隊の攻撃が開始されるまでに陣地にこもっていたキメラ部隊の大半が戦闘力を喪失していた可能性も否定はできないのだが。

 いずれにせよ、結果だけをみればモラヴィア軍の水際防衛線は至る所で赤軍によって寸断されつつある。

 赤軍空挺部隊により、水際陣地の過半が攻略されつつあると報告を受けたイセルシュテット将軍は、遠見魔術によって映し出される赤軍の進撃を歯軋りしつつ睨みつけながらも、いよいよ最後のときが来たのだと悟らざるえなかった。

 河岸に取り付いた敵を掃討すべき機鎧兵団は前線まで距離が離れすぎており、しかも殆どが先の空爆によって半壊状態である。加えて前線の堅牢な陣地群もすでに半ばが敵の手に落ちているのだ。

 

「飛竜騎士団は?」


 一縷の望みをかけて幕僚のひとりに問う。

 問われた男―――飛兵将校の軍衣を身につけた武官は力無く首を横に振った。


「既に損耗率7割を越えております。竜巣も半数近くが破壊されており、組織だった戦闘は最早……」


 屈辱と敗北感に肩を打ち震わせながらも、司令官の望みを否定する。

 異界軍との決戦に備え、機動戦力(=余剰戦力)の大半をこの戦いに注ぎ込んだ飛兵軍だったが、王国飛兵軍の総力を挙げた布陣をもってしても赤軍に対して数的優位を確保することはできなかった。

 会戦に先立つ航空撃滅戦により、この戦いに投入されていた4個飛竜騎士団600余騎は凡そ5倍の物量をもって攻めかかる赤軍航空隊によって瞬く間に磨り潰されてしまったのだ。

 特にモラヴィア竜騎士隊の被害を拡大させたのは、このとき赤軍戦闘機隊が用いた鞦韆カチェーリと呼ばれる集団戦術機動だった。

 これは隷下の編隊を一纏めにして、振り子状にジグザグに飛びつつ射撃密度を高めるという火力戦法であり、攻撃隊の進路前方を完全に掃討するための戦術である。

 この戦法を用いながら、複数の戦闘機連隊を緊密に集中運用する赤軍航空隊と真っ向から衝突したモラヴィア竜騎士団は、短時間のうちに所属騎の大半を喪失することになったのだ。

 続々と舞い込んでくる陸と空での敗報。

 更にモラヴィア軍司令部を追い詰めたのは、王都より舞い込んできた南部国境梯団の敗北の知らせだった。


「…………誤報では、ないのか」


 能面のような表情で通信担当将校に直接問いただすイセルシュテットだったが、意気阻喪した面持ちの将校から返ってきた返答は将軍たちの希望を奪い去るものだった。


「国境守備兵団は壊滅状態とのことです。総本営は魔道軍即応集団の北上を中止し、ベルンブルク-バイロイト間にて防衛線を展開する模様です」


 将軍たちの口から呻きが漏れる。

 通信将校が口にした地域。それは既にグラゴール属州と本国南部州の境界近くになる。

 ソ連赤軍によって現在までに攻略された地域も含めれば、王国版図の3割近くが既に敵手に委ねられていることになるのだ。


「莫迦な!それでは我々はどうなるのだ!?」


「既に戦略予備隊も半壊している。このままでは異界軍の渡河を阻止できんぞ!」


 憤る幕僚たちを抑え、イセルシュテットは努めて平静を装いつつ言った。


「増援が望めなくなった以上、我々が取り得る選択肢はふたつだ。河川防衛網を放棄して王都前面まで撤退するか、中央梯団の過半を擦り潰してでも敵を追い落とすか、だ」


 幕僚たちは虚をつかれたように顔を見合わせ、ややあって参謀長が口を開いた。


「……撤退に関しては、成功するでしょう。水棲キメラを足止めに回せば、異界軍の渡河を遅らせる程度はできます。ただ、その場合ですと―――」


 途中、参謀長は言いづらそうに口篭もった。

 クラナ大河の防衛線を抜かれた場合、以後、王都までまともな地形障害は存在しない。

 途中存在する本国中央領の都市群は悉く赤軍の手に落ちることになる。

 加えて恐らく、いや、間違いなく。この方法を取った場合、次に赤軍と交戦するのは王都を舞台とした籠城戦になるだろう。

 しかもそれは、ほとんど援軍の期待できない……赤軍の物量を前に、文字通り嬲り殺しにされることを意味する。

 

 では、現地に留まって河川防御網を死守せんとした場合はどうなるか。

 こちらも先の展望という点では絶望的だ。

 未だ健在な水棲キメラが敵主力の渡河を妨害している間に、総力を挙げて奪われた水際陣地を奪還し、敵の橋頭保を潰す。

 遠見魔術の偵察情報によれば、水際陣地を占拠している敵は歩兵を中心とした部隊であり、機鎧兵団主体の戦略予備隊を纏めて叩きつければ可能なように思える。

 当然、攻勢中には敵飛空艇と対岸から砲撃をまともに食らう形になり、作戦の過程でこちら側の戦力は大半が磨り潰されることになるだろう。

 敵の渡河を一時的に阻止できたとしても、中央梯団は作戦能力を喪失してしまうことになる。

 

 どちらの選択肢を選んでも、最終的に待っているのは詰み。

 つまるところ、ここまで彼我の兵力に差があっては小手先の戦術では挽回などできるものではないのだ。


「本国は、何と?」


「現有兵力にて異界軍を撃退せよ、とのことです。王都の防衛体制を整えるまで時間を稼ぐように、と」


 簡単に言ってくれる……

 憮然とした面持ちで居並ぶ幕僚たちは互いの顔を見合わせた。

 イセルシュテットは感情の窺えない瞳で下僚一同を見渡し、動揺する彼らに告げる。


「……機鎧兵団司令部に通信を。残存戦力を再編し、異界人どもを大河に叩き落とすのだ」


 決して激しい口調ではなかったが、言われた幕僚たちは雷に打たれたように一瞬立ち竦み、ややあって弾かれたように動き出した。

 

(これで良い)


 イセルシュテットは部下たちが動き出すのを見送り、小さく息を吐いた。

 将たる者、いかなる苦境にあろうとも常に祖国の勝利を信じ、戦場にあっては勇気と献身を示す。

 それが大モラヴィアの武人の在り様ではないか。

 それに、イセルシュテットとて魔道軍将官であるからには、歴とした魔術師である。

 被召喚物相手に膝を屈するなど、その誇りが許さない。

 もはや王国の何処を見渡しても中央梯団を救援できる戦力など残されてはいない。

 それを知りつつも、ならば己の職務を全力で果たすだけのことだとイセルシュテットは半ば割り切っていた。

 しかし、その後モラヴィア軍を見舞った悲劇はイセルシュテット自身に、己の決定を後悔させることとなる。








 この時すでに、モラヴィア軍前線は総崩れの様相を呈していた。

 河川水際陣地に展開していた3個戦列兵団は、所属する11個歩兵連隊のうち3つが既に司令部ごと壊滅しており、残る部隊のうち4つほどが判定全滅といえるだけの損害を被っていた。

 空挺部隊の強襲によって虫食いだらけにされた防衛線は最早まともに機能しておらず、各陣地は何より自分たちの身を守るために抗戦を続けていたのだ。

 そこに工兵の架橋部隊により浮橋が次々と掛けられ、対岸で待機していた第3機械化軍団が渡河を開始していく。

 合わせて砲兵による火力支援は更に激しさを増し、空挺部隊による橋頭保拡大に合わせて弾着を前進させてモラヴィア側の反撃を牽制した。

 

 イセルシュテットの命令によって後方に下げていた機鎧兵団を赤軍橋頭堡へ突進させたモラヴィア軍は、この猛砲撃をまともに食らう形になる。


「糞!奴らの兵器には弾数に限りが無いというのか!?」


「進め!立ち止まったら死ぬぞ!!」


 前方に立ち塞がる炎の壁に、ともすれば怖じ気づきそうになる精神を奮い起して機鎧兵団の将校たちはキメラを疾走させる。

 彼らには最早赤軍が、異界人が魔術文明を知らぬ未開の人間とはとても思えなかった。

 クラナ大河の両岸で戦端を開いてより、既に半日以上が経過している。

 だというのに。明け方より開始された赤軍の砲撃は既に陽が傾き、沈みつつある今になっても収まる気配がない。

 それどころか、更に勢いを増しつつあるのだ。

 モラヴィア魔道軍の魔術師達の目には、異界人は最早人間などではなく、悪魔的な何かのようにさえ見え始めていた。


「走れ!敵兵と混淆すればあの焔も追ってはこれんぞ!」


 敵陣にたどり着きさえすれば、この煉獄から解放される。

 指揮官たちはそういって部下達を叱咤し、自らも乗騎を全力で走らせた。


 こういった光景はモラヴィアの攻勢発起点からソ連赤軍橋頭堡へと至る各所において見られた。

 そして、制空権を完全に確保している赤軍も、モラヴィア側の動きを知って渡河を一層加速させる。

 モラヴィア軍司令部が目論んだとおり、軽装歩兵に過ぎない空挺軍団ではモラヴィアキメラ部隊と真っ向から戦っても分が悪いからだ。

 まして空挺軍は膨大な兵力を有する赤軍にあっても精鋭部隊といってよい貴重な戦力であり、これを無為に消耗するわけにはいかなった。

 

「急げ急げ(ダワイダワイ)!モラヴィアの魔術師どもを駆逐せよ!」


 ポンツーン式の浮橋を渡り、T-34中戦車が次々と対岸に展開していく。

 先陣を切ったのは第3機械化軍団だった。対キメラ・魔術師戦を想定し、火炎魔術に対してもある程度の防御力を有する新型のT-34を主力とした機甲部隊である。

 赤軍の機械化軍団は自動車化狙撃師団に戦車旅団2~3個を付属させた編成をとっている。

 現状の赤軍においては、その過半が一個戦車師団程度の戦力しか持たない未充足部隊であったり、あるいは狙撃兵の自動車化が不十分であったりと何らかの問題を抱えていたのだが、この第3軍団に関しては装備の更新が完了しており、戦力として十全の効果を発揮することができる部隊だった。

 指揮官が、政治将校ザムポリトが声を嗄らして将兵を叱咤激励し、浮橋の上を細長い縦列となって渡っていく。

 だが、先頭の集団が漸く橋を渡りきろうかというところで、大河の水面に異変が生じた。


「……?なんだあれは」


 橋の上で渡河作業を査閲していた政治将校ザムポリトのひとりがそれに気づいた。

 緩やかに流れる大河。

 その水面に波紋が生じ、続いて巨大な……ほとんど津波に近いほどの飛沫があがり、異形の姿が露わになる。


「なぁ!?」


 それを目の当たりにした政治将校は限界まで双眸を見開いて絶句した。

 海蛇。一瞬、脳裏を過ぎったのは前世界においても存在した海洋生物だった。

 だが、その大きさがあまりにも桁違いだ。

 水面からは身体の一部を出しているだけだが、その頭部は大型のサメを丸飲みしかねない位の大きさがある。

 よくよく見れば、透明感のある水面には海蛇の胴体らしい影が見て取れたが、どう控えめに見てもそれは30メートルを超えている。

 泡をくって警告の叫びを発しようとする政治将校だったが、それより先に海蛇が動いた。

 文字通り蛇が獲物を捕食するように、その巨体に似合わぬ機敏さで浮橋の土台となっている橋脚舟に胴体を巻きつかせる。

 その先に起きるであろう情景が瞬時に脳裏に浮かび、政治将校は顔面を恐怖に引き攣らせた。


「!―――止め…」


 直後。金属が拉げるような音とともに、橋脚舟が土台から文字通り『毟り取られた』。

 長大な海蛇の胴がしなり、周囲の橋脚舟に叩きつけられる。

 衝撃によって水面に投げ出された政治将校が最後に見たのは、積み木の塔を子供が崩すような容易さで崩壊していく橋と、それに合わせて水底へど滑り落ちていく戦車隊の姿だった。



 




同刻。

クラナ大河東岸 前線監視点



「……!!」


 西部方面軍司令官ドミトリー・パブロフ上級大将は驚愕に打ち震えながら目の前で起きた出来事を脳裏で反芻した。

 前線の状況を査閲に訪れていたパブロフは、第3機械化軍団の先遣隊が大河に飲み込まれていく光景を直にその目に焼き付けていた。


(馬鹿な……)


 渡河部隊第一陣の全滅。それも空爆や砲撃によるものではない。

 モラヴィア魔術師どもは水面下に潜ませていた怪物に渡河部隊を襲わせたのだ。

 水棲キメラとよばれる怪物をモラヴィアの海軍が保有しているという情報は赤軍も入手していた。

 しかし、それが大河の上流……それも海から1000キロ以上離れたような地点に伏せられていたなど想定外もいいところだ。

 ブルーノの失陥からモラヴィア本国へ向けての攻勢作戦発起まで、時間的な猶予はほとんどなかった。

 にもかかわらず、このような伏兵を用意していたという事は、モラヴィア側は現在のような状況をあらかじめ想定していたということではないか。

 

 ギリッと口惜しげに歯ぎしりするパブロフの目の前で、浮橋が完全に破壊されていく。

 対岸から水面に向けて次々に撃ち込まれていく銃砲火から逃れるように海蛇は姿を消したが、それに続くように、残った浮橋に水底から伸びてきた頭足類のような足が絡みつき、水底に引きずり込んでいく。

 

「―――あれは、なんなのだ」


 ともすれば罵声を吐きだしたくなるのを堪え、傍らに立つネウストリア神官に問うた。


「……水棲キメラですな。先に現れたのはシーサーペントですが、他にもいるのでしょう。残る浮橋の周辺は警戒させたほうが宜しいかと」


「っ……!」


 言われるまでもない。

 内陸部での作戦に爆雷などの対潜装備など持ってきているはずもなく。やれることといえば、効率は最悪だが砲兵と対地襲撃機による牽制が関の山だろう。

 更に不味いことに、このままでは対岸に増援を送り込むことができない。

 このまま陽が完全に落ちて空爆という攻撃手段を封じられてしまえば折角の橋頭保も失いかねないのだ。

 思わぬ事態に焦りを覚えるパブロフの下に、新たな報告が入る。


「―――橋頭堡に向けてキメラの集団が接近している?」


 表情を強張らせて報告する将校に、パブロフはしばし顎に手を当てて考え込んだ。

 水棲キメラによってこちらの増援部隊を足止めし、その間に孤立した橋頭堡を制圧する。

 この状況では当然取るべき方法といえる。

 ……だが、これは赤軍にとって最悪な展開といえるだろうか?


(見方を変えれば、敵の主力が砲の射程内にのこのこ戻ってきてくれたことになる)


 今ならば空爆と合わせて地上の無防備なキメラ集団に大きな打撃を与えることができる。

 橋頭堡に展開しているのは軽装の空挺師団。しかし重機・軽砲を含め、ある程度の装備は既に投下されており、元からあった塹壕陣地を利用すればある程度の交戦は可能だ。

 完全に陽が落ち、こちらの砲爆撃の威力を十全に発揮できなくなったところで浸透されるよりは余程マシな展開といえる。

 ここで敵の攻勢を頓挫させ、敵主力に再起困難なまでの打撃を与えておけば、夜間の安全もある程度確保され、水面下の敵を掃討して増援を渡河させるまでの時間が稼げるだろう。


「砲兵司令部に迎撃命令を。……ああ、それから同志ノヴィコフ。君たちにも動いてもらうぞ。さしあたってはまず地上のキメラを潰す。完全にだ」


 パブロフとともに前線視察に訪れていた方面軍空軍司令官アレクサンドル・ノヴィコフ中将は上官の意図を悟ったように頷いた。

 それを見返してから、パブロフは破壊された浮橋の跡を見遣る。

 そこはある意味地獄と化していた。

 水面に投げ出され、必死に泳いで対岸に逃れようとする将兵たちに水棲キメラが襲いかかり、容赦なく彼らを捕食していく。

 シーサーペントに丸飲みにされる者。クラーケンに巻きつかれ水底に引きずり込まれていく者。

 橋とともに水底へと沈んだ装備も含めれば、ここだけで完全編成の機甲大隊1個が失われた計算になる。


(モラヴィア人め。だが、夜間浸透でなく日中の強襲を選んだのは貴様らの誤断だ。決して生きて帰さんぞ)


 内心で独語しつつ、パブロフは両岸で救出作業が行われている光景をただひたすら見つめていた。




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