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朱き帝國  作者: reden
38/79

第30話 戦竜


1941年 8月30日

モラヴィア王国南部 旧グラゴール王国領

ネウストリア飛空艇艦隊前衛 第5艦隊旗艦




 総司令部との通信を終え、第5艦隊司令長官ジスレーヌ・カナート一等将旗空軍提督・女子爵は、厳しい目つきで艦隊前方で行われている直援竜騎士隊の戦闘を見遣った。

 侵攻艦隊の一翼を担う彼女は帝国飛空挺艦隊に3人存在する女性提督の中では30歳と最も若い。

 ネウストリア本国中央の出身者らしい、彫りの深い白皙の顔貌に肩口の辺りまで丁寧に編み上げられたプラチナブロンドの髪を持つその姿は、戦場よりも社交界のほうが似つかわしく感じる艶やかさを匂わせている。

 そんな貴婦人然とした姿から、軍人としての任官以来、しばしば同輩の将校から揶揄を受けたり、不躾な視線に晒されることもあった。

 これは任官以来、常に艦隊勤務で空の上にあった実戦派の軍人であるカナート当人からすると不本意極まりない事であり、この女性提督は任務中は常に不機嫌そうに顰め面をしていると専らの評判だった。

 

「間もなく城塞からの魔術攻撃射程に入ります」


「コルベット隊は結界構築しつつ前方に展開せよ。母艦群は空挺部隊の降下態勢に入れ」


 戦意に高揚し、やや赤みを帯びつつある相貌を城塞へと向けて彼女は言った。

 飛空艇艦隊には、それ自体が持つ火砲であるとか魔術攻撃手段というものを持たない。

 これは鑑の推力と浮力維持に大半の魔力が注ぎ込まれているのと、艦の動力に利用されている魔術式と攻撃魔術の属性面での相性が悪いためだ。

 故に、艦隊の戦闘手段は直援として随伴する飛竜騎士団が負うことになる。

 艦隊に近づく敵飛竜騎士をこちらの竜騎士隊が排除し、地上からの攻撃をコルベット艦の展開する結界が防ぐ。

 その間に母艦群―――空挺部隊を搭載した大型輸送艦が敵陣との距離を詰め、これを上空より降下させることによって敵陣を一息に攻略せしめる。

 これが飛空艇艦隊の基本戦術であり、竜騎士隊の制空権が維持されている場合において必勝を約束された戦法だった。

 モラヴィアのキメラに敏捷性においては劣るものの、強大な膂力とブレス攻撃能力を持ち、生半な剣刃などでは表皮を貫くことさえできない頑強さを誇る戦竜。

 これが軍の指揮中枢目掛けて数百体と降下してくるのだ。

  

(ましてや、今回投入されているのは本国艦隊の過半。正に必勝の布陣と言えよう)


 カナートは艦橋の壁面に掲げられた戦域図に視線を移した。

 北側にはモラヴィア軍の城塞と、その守備隊を示す印がつけられており、その僅か南に我が前衛艦隊。

 中央に配された第5艦隊が僅かに突出しており、その右翼を第4、左翼を第6艦隊が固めている。

 今回動員された4個艦隊62隻のうち、前衛艦隊として展開するのは第2艦隊を除く46隻。

 内訳は母艦30隻、コルベット艦16隻であり、直援の飛竜騎士団は全て第2艦隊の母艦に所属していることから前衛艦隊の母艦は全て空挺部隊を搭載している。


「竜騎士隊第2波、敵陣に到達。これより戦闘に入ります」


「艦隊前衛。間もなく降下予定空域に到達」


 続けて入る報告に、カナートは視線を戦域図から外して頷いた。

 第2艦隊の放った竜騎士隊の第2波が戦闘に参入したことで、モラヴィア側の竜騎士団はたちまち劣勢に追い込まれていく。

 対ソ戦線への戦力引き抜きが続いたこともあり、南部梯団所属の第3、第5飛竜騎士団は最盛時の7割程度まで戦力が落ち込んでおり、この戦場に限って言うならば6対4程度の割合でネウストリア側が優勢だった。

 更に、全部隊が制空隊で統一されているネウストリアに対して、モラヴィア側は対艦攻撃隊と制空隊の混成部隊である。

 数の優勢に任せ、ネウストリア飛竜騎士団はモラヴィア側の制空隊を楽々とすり抜けていき、対艦攻撃用の魔道槍を背負った動きの鈍い竜騎士たちに次々とブレスを浴びせて落していった。

 味方の優勢が決定的なものとなり、艦隊の安全が確保されたと判断したカナートは、形の良い唇を他者には分からない程度の笑みの形に歪めると、指揮杖を振るって命じた。


「戦竜騎士団の降下を開始する。全艦、投下口を開口せよ」


 この命令を受け、雲間を遊泳する鯨の群れのように一塊となって進んでいた母艦群の動きに変化が起きた。

 それまでの外敵から身を守るかのような密集隊形から、徐々に僚艦と距離をあけていき、同時に船体の前部下方がハッチを開くようにゆっくりと開口していく。

 やがてハッチが開ききるのと同時に、艦隊は隊列変更を完了した。

 モラヴィア側の砦を母艦群が半包囲する隊形。

 艦橋よりそれを確認したカナートは全身に戦意を漲らせ、白皙の麗貌を紅潮させつつ声高らかに命じた。


「戦竜騎士団出撃!」


 







 ■ ■ ■






同刻

モラヴィア王国南部

対ネウストリア国境砦




「敵艦、接近します!」


「舐めおって!非武装の母艦をここまで近づけるとは」


 飛空艇艦隊接近の報告を受け、砦内部の指揮所で防戦を統括していた魔道軍第2要塞兵団長コンラート・キルヒナー魔道兵少将は苛立たしげに吐き捨てた。

 国境守備軍の貼り付け部隊の中では唯一魔道軍に所属する精鋭を率いる将軍だが、各所から次々に舞い込んでくる劣勢の報告と救援要請によって一切の余裕を奪われていた。


「城内に入り込んだ敵兵は未だに片付かんのか!?」


「防御塔、及び西棟に関してはどうにか。南棟についても水晶室に籠城している者を除き、ほぼ排除は完了しております」


 参謀の報告に、キルヒナーは思わず罵声を吐きたくなった。

 水晶室は結界を構築するための触媒が安置されている区画だ。

 他が奪還できても水晶室が敵手に落ちていたのでは防御結界が展開できないではないか。

 前線の要塞においては何らかの不具合で触媒が喪われた場合を想定し、砦深部の結界触媒とは別に複数の予備触媒が用意されている。

 今回はその予備触媒が災いの原因となった。

 外部から侵入した敵兵が予備触媒室の一つを占拠してしまい、そこから深部の結界触媒に魔力干渉して防御結界の構築を妨害してきたのだ。

 本来、そんな重要区画に侵入を許すほど温い警備はしていないのだが、対ソ戦に伴う戦力の供出で、本来4個連隊編成の第2兵団は所属4個連隊のうち2個を後備連隊と交替で北に送ってしまっている。

 兵数においてはさして以前より低下したわけではないものの、練度という点においては目を覆わんばかりの状態であり、精鋭部隊の大半を防御兵器や結界部隊に当ててしまったことで、城内の警備体制にはかなりの綻びがあったのだ。


「これ以上は待てん。結界室に火炎魔術を撃ち込んで兵を突入させろ!」


「そ、それでは触媒も無事ではすみません!下手をすれば、敵兵が現在干渉している結界触媒本体にも影響が―――」


 色めきたつ幕僚たちをキルヒナーはとうとう怒鳴りつけた。


「戯けが!このまま竜騎兵に降下されては一方的に蹂躙されるだけだというのがわからんのか!?」


 実質戦力が半減した要塞兵団でネウストリア最精鋭の空挺竜騎兵団の攻勢を支えきれるとは思えない。

 砦は一撃で落とされるだろう。

 国防の要とも言える要衝を、僅か一日で落とされるのだ。

 司令官であるキルヒナーは王国史上最悪の愚将として、歴史にその名を刻まれることになるだろう。

 そんな不名誉を被るくらいなら死んだほうがましというものだ。

 最終的に砦の失陥が免れないにせよ、あと数日は持ちこたえ、後方の魔道軍主力が反撃態勢を整えるだけの時間を稼がなくてはならないのだ。


「今すぐに、侵入者を排除して結界を起動させるのだ。多少触媒が傷つくのはやむを得ん。とにかくやれ!」


 司令官の怒号に近い命令を受け、幕僚たちは弾かれたように動き出す。

 キルヒナーは焦燥に苛立つ精神を何とか鎮め、遠見魔術によって壁面に映し出される戦況を見遣った。

 防御結界を起動し、それにタイミングを合わせて劣勢の飛竜騎士団も引かせる。

 結界という殻に閉じこもり、援軍の到着まで守りに守るのだ。

 消極的ではあるが、この状況で他に取り得る選択肢はない。

 このやり方では敵の攻城部隊に反撃することはできないし、敵も外部から結界の中和を試みてくるだろうから結局はジリ貧なのだが。

 それでもこのまま城内に攻め入られるよりは長く持ちこたえられるだろう。

 そこまで考えが至ったとき、キルヒナーはふと、戦況図に映し出される敵飛空挺団の動きに変化が始まったのを見てとった。

 それまでの密集した艦列から徐々に艦同士の間隔が開いていき、同時に船体の下方部が徐々に開口していく。

 それが意味するところを悟り、キルヒナーは顔面蒼白となって命じた。


「いかん!防御塔に命令!敵艦に向けて弾幕を張れ!奴らを近づけるなっ!!」


 ほとんど悲鳴に近い命令は、しかし遅きに失した。 

 司令部の高級将校たちが愕然と見つめる中、飛空挺の開口部から地上めがけて次々に降下していくネウストリア戦竜騎兵の姿が映像に映し出されていた。


 







 ■ ■ ■








 翼戦竜。それはネウストリア西方の山岳地帯に生息する火竜の亜種だ。

 大威力のブレスと強靭な体躯・鱗を有したそれは、退化した小さな翼故に自力での飛行能力こそ持たないものの、ある一定範囲の滑空能力を有している。

 これに周囲の気流を操作する術を身につけた魔法騎士が騎乗し、大挙、飛空挺から降下する光景は圧巻の一言につきる。

 上空。砦を緩やかに包囲する隊形を取った飛空挺の開口部からは、次々と戦竜騎兵が飛び出していく。

 艦外へ躍り出ると同時にその翼を限界まで広げ、上空を緩やかに滑空しながら砦めがけて降下していく。

 

 地上の砦―――わけても防御塔からは雷撃や火焔弾が立て続けに放たれ、降下中の何騎かは運悪く直撃を受けて墜落する。

 しかし、大多数は下からの攻撃など意に介することもなく、砦へと次々に降り立ち、守備兵たちを轢殺し、ブレスによって焼き払い、その長大な尾で薙ぎ払っていく。 

 なにしろ数が多すぎるのだ。

 地上めがけて降りてくる竜騎兵は500騎を超えており、加えて、それとは別に制空隊の飛竜までが飛び交っている。

 対する防御塔の数は僅か8基であり、明らかに許容限度を超えていた。

 激しく対空砲火を打ち上げる防御塔だったが、地上で暴れまわる戦竜騎兵の攻撃が塔にまで及びはじめると、ひとつ、またひとつと沈黙を余儀なくされていく。

 戦竜に騎乗した魔法騎士たちが塔に個別に張られた結界を中和して弱め、それを戦竜が力任せに押し破って内部にブレスを叩きこんでいく。





1941年 8月30日

モラヴィア王国南部 旧グラゴール王国領

ネウストリア飛空艇艦隊前衛 第4艦隊旗艦



 第4艦隊司令長官ダリウス・アンリ・オーリック一等将旗空軍提督は、侵攻艦隊の司令長官を務める提督たちの中では二番目に年長の38歳だったが、これでも本国艦隊の提督たちの中では若い方と言える。

 癖のある赤髪に浅黒い肌の彼はネウストリア西方の山岳地帯に所領を有する領邦貴族であり、軍人としての経歴の半ばを戦竜騎兵として戦地で過ごした経歴を持つ。

 軍上層部の評価するところでは、彼は猛将―――戦意旺盛であり、精密さに若干欠けるきらいはあるものの、その分果断な艦隊機動を得意とする攻勢向きの提督と目されていた。

 が、どういうわけか今回の侵攻作戦にあたっては先鋒の役割を第5艦隊のカナート提督に譲っており、周りを少なからず困惑させた。


「脇を固めるのも、それはそれで重要な役回りだ」


 オーリック提督は真面目くさった表情でそう言ってから、ややあって表情を緩め、先ほどより幾分軽い口調で付け足した。


「それに、まだ戦いはこれからだしな。武勲を上げる機会ならこの先いくらでも巡ってくる。今はジスレーヌ嬢に譲っておくさ」


『貴殿にしては随分と殊勝なもの言い。これから北進にあたって先々に雪でも降らねば良いが』


 冗談のようなセリフを冗談とは思えないほど深刻そうに呟いたのは、魔力波通信を開いているオリヴィア・アズナヴール第6艦隊長官だった。

 第4艦隊旗艦艦橋。前衛艦隊の両翼を形成する第4、第6艦隊は今回の作戦においては第5艦隊に続く第2陣、第3陣として戦竜騎兵を投下する役割を担っており、順番的に第3陣となる第4艦隊は、実質的には戦の帰趨が決した後の追撃戦や、万一こちらが破れた際の殿としての役割を担う予備隊という扱いだ。

 狭隘な山間部での艦隊機動ということもあり、各隊の動きに齟齬が発生することを防ぐために、左右両翼の艦隊司令部は双方向の魔力波通信を維持していた。

 四半刻ほど前まではここにカナートも加わっていたのだが。現在、第5艦隊は既に戦竜騎兵投下の最中であり、指揮に専念するために通信の魔力波は途切れている。

 オーリックは同輩の女提督の物言いに、不機嫌そうに唸った。


「貴官の中で俺の評価がどうなっているのか是非とも知りたいもんだな。……まぁいい。確かに、戦果を譲るなんてのは柄じゃないからな」


 そう言って暫し考えるような素振りを見せてから、ややあって赤髪の提督は口を開いた。


「勝ち戦とはいえ、一度空挺作戦を行った艦隊に連戦は厳しい。追撃や戦果拡張は後詰の隊が負うことになる。つまりは俺だ」


『……さて、それは一番槍の栄誉に比べればいささか見劣りするのではないかな』 


 幻像として其処にある第6艦隊提督は微かに首を傾げて問うた。

 神殿騎士団出身という来歴を持つこの女提督の仕草は、その一つ一つがどこか作り物めいてみえる。

 同じ女性提督でもカナートとは異なり、そのきめ細かい白い肌からは何処か病的なイメージを連想させ、顔立ちは整っているのだが、それが逆に人形染みた雰囲気を醸しださせている。

 その表情は何処か眠たげで、戦闘中にもかかわらず気だるげな様子だ。

 というより、この提督はいつもこんな調子であり、オーリックのようにはっきりと好悪の感情を表に出すのを見たことがない。

 小さく鼻を鳴らすと、オーリックはぶっきらぼうに応えた。


「骨抜きになった国境軍なんぞ抜いたところで面白くもない。俺の獲物は後ろに控えてる魔道軍主力だよ」


 そういって獰猛な笑みをオーリックは浮かべて見せた。

 そう。我々が打ち倒すのはこんな歯応えのない留守番部隊ではない。

 帝国を差し置いて小癪にも大陸最強などと嘯くモラヴィア魔道軍主力。これを打ち破ってこそ武人としての名も上がろうというものだ。

 そして、オーリックは己が手塩にかけて鍛えあげてきた麾下の空挺軍団の実力に、絶対の自信を抱いていた。


『成る程。貴殿らしいといえば、らしいな。しかしモラヴィア軍は北にも難敵を抱えておる。果たして貴殿の思うように事が運ぶものかな』


 興味があるのかないのか今一つ判別し辛い面持ちでアズナヴールは相槌を打った。

 遠く本国にまで聞こえてくるソ連赤軍の破竹の進撃。

 開戦より僅か一月足らずの間に、広大なモラヴィア東部属州は席巻され、今や赤軍はモラヴィア中央へと手を伸ばそうとしている。

 これを食い止めるために、モラヴィアは形振り構わず王国全土から戦力を掻き集めており、その影響は自分達が相対している精鋭、南部国境梯団にも及んでいる。

 諜者からの報告やソ連から送られてくる情報によって、国境地帯の軍事力が低下しつつあるのはある程度掴んでいたものの、ここまで作戦が滞りなく運ぶというのは艦隊総司令部としても少しばかり予想外だった。

 この調子では、王国軍の戦力の引き抜きは後方の魔道軍機動集団にも及んでいる可能性さえある。

 仮にそうなら、オーリックからすると不本意極まりないことだ。もっとも、ネウストリア帝国軍として見れば自軍への脅威が減るわけなので僥倖というほかない。

 いずれにせよ、全ては目の前の城塞を攻略してから思いを致せば良いことだ。


 オーリックたちが艦橋より睥睨する眼下では、今、第2派の戦竜騎士団―――第6艦隊所属の空挺部隊が降下を開始していた。










 ――――この翌日明け方。

 砦の鐘楼に掲げられていたモラヴィア王国旗。

 そして、モラヴィア魔道軍に残された9個兵団のうち一つの旗が降ろされ、代わって交差する長槍とグリフォンを象ったネウストリア帝室の旗が翩翻へんぽんと翻った。

 モラヴィア・グラゴール戦役以来、50年に渡り帝国の前に立ち塞がり続けた要衝の陥落。

 それは精霊神教国によるモラヴィア勢力圏蚕食の号砲でもあった。










 ■ ■ ■








 1941年9月3日

 モラヴィア王国東部属州 州都ブルーノ



 小雨の降りしきる中。

 装甲車輌に前後を挟まれた幕僚専用車が、所々に破孔を穿たれた城門をくぐり抜け、市街へとすべり込んで行く。

 フロントガラスを濡らす雨粒をワイパーで掻き落としながら進む車の後部座席にゆったりと掛け、ユーリー・ルーキン大佐は一人黙々とクリップボードに挟み込んだ書類を一枚一枚確認していた。

 ルーキンの傍らでは部下のクラリッサ・クローデン大尉が背凭れに身を預けて小さな寝息を立てている。

 体調に問題はないと強弁するクラリッサに、その憔悴ぶりを見かねたルーキンが『とにかく休め』と強引に命じたのだ。

 前月の29日にレニングラードを発ち、その後北部方面軍司令部が置かれている都市トレンカに2日ほど滞在し、結界構築と魔術師の徴募を実施。その後、郊外の特設飛行場から輸送機に便乗してブルーノ近郊の爆撃機基地まで空路移動し、そこからは車で丸半日の移動というスケジュールである。ルーキンはともかく、機械の乗り物に慣れないクラリッサなどはかなり堪えたらしい。

 とはいえ、現地の魔術師徴募となれば魔術知識のあるクラリッサを外すわけにもいかないため、現地に着いてから倒れられるくらいならば……と休息を取らせたのだ。

 これでも徒歩行軍や騎馬による移動などは赤軍の歩兵・騎兵科将校並にこなせるというのだから、単純に慣れと精神的な緊張の問題だろう。

 特に、航空機―――魔力の通っていない鉄の塊が空を飛ぶという事実には最期まで懐疑を抱いていた節がある。


 ルーキンは小さく嘆息すると、書類をめくる手を止め、車窓の外を眺めやった。

 戦火に見舞われた街。

 道行く人々の顔には先々への不安、生き延びたことへの安堵、新たな支配者への恐れ、諂い。様々な表情が浮かんで見える。

 敗残者の街。

 こういった光景を見るのは初めてではない。

 かつてロシアにおいて帝政を崩壊に追い込む契機となった大戦。それはルーキン自身が物心つくころには終戦へと至っていたが、その時にはロシア国内はボリシェビキ、メンシェビキの凄惨な内戦と、周辺諸国からの干渉戦争という脅威にさらされていた。

 ノヴゴロドの仕立て屋の息子として生まれ、一兵卒として赤軍に仕官。中隊長まで務めたところで戦線軍事政治課程を修了し政治士官となり、その後、保安管理本部の前身である合同国家政治保安部(OGPU)へリクルートされた。

 折しもソ連国内では農業集団化―――計画経済移行のための農地国営化が強引に推し進められていた時代である。

 己の土地を奪われる富農クラークはもとより、より貧しい農民たちでさえこの政府からの命令には激しく反発した。

 国内にいくつもの秘密組織がつくられ、多くの共産党員が暗殺され、失踪した。

 これに対して党は徹底的な弾圧をもって応え、1930年までにその殆どを一掃してしまったが、その際に流された血の量は生半なものではない。

 1920年代半ばの農業集団化以前、ソ連国内には450万人の富農クラークが存在したとされているが、1934年にはこの数は15万人―――30分の1にまで減少している。

 ルーキンが官吏としてこの弾圧に関与したのは30年代以降の集団化末期のことだが、その頃には党が声高に叫ぶ社会主義の理想というものを無条件に盲信する気持ちは失せてしまっていた。

 党は市井の人々に平等であり―――そして無慈悲だった。

 人命の犠牲は問題とはならない。

 党は―――ボリシェビキは決して個人について語ることはなく、一般大衆について語った。

 人々の怨嗟の声はルーキンの精神を酷く痛めつけた。

 新たな支配者。これまでの王侯とは全く異なる理念を持つ政府。

 それをある種の畏怖の念を持って眺めるブルーノ市民の姿を見ていると、ルーキンの脳裏には否応なく過去の祖国の姿が浮かび上がってくるのだった。



 やがて、車は占領軍司令部の置かれた城館に辿り着いた。

 役目を終えた装甲車の車列は元来た道を引き返していく。

 見るものが見れば厳重すぎる程の警戒ぶりだが、未だ街の外には狩り洩らした屍兵アンデッドが徘徊している可能性があるため、拠点間の移動には警戒が必要だった。

 これは赤軍の兵站に大きな負荷として伸し掛かっており、このアンデッドの掃討は占領軍司令部にとって東で睨み合うモラヴィア本国軍以上の懸案事項となっている。

 車が止まったのを確認し、ルーキンはクラリッサの肩を軽く叩いた。

 はっとしたように眼を覚ましたクラリッサが耳の先まで羞恥に紅潮させて己の不調を詫びてくるのを苦笑気味に頷き返し、ルーキンは車外に降り立った。

 商業区画を抜け、市街地と軍事区画を隔てる内壁の向こう側。

 そこはかつてモラヴィア新領土鎮定軍司令部が置かれていた建物であり、現在は西部方面軍司令部が置かれていた。 










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