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朱き帝國  作者: reden
12/79

第12話 水都

1941年7月5日 

ネウストリア帝國領 港湾都市キルグリット



 水都キルグリット。

 列強の一角。ネウストリア帝國の東部に位置する海港都市である。

 大陸南東部を流れるローヌ川の支流……ちょうど川と海の合流点に造営されたこの都市は、同時に帝國の海洋貿易の中心地でもあった。

 その人口は70万を数え、帝國領内でも有数の大都市として知られている。

 事実、その広大な港内の埠頭にはさまざまな船……小は漁船から、大は外洋を渡って遥か東の文明圏より渡り来た大型帆船まで……が停泊している。


 では市街に目を向ければどうか?

 そこには白を基調とした、優美な石造りの街並みが整然と広がっている。

 街中には区画ごとに水路が設けられ、そこでは川から流れ込む澄んだ水が踊っていて、白い街並みとの絶妙なコントラストを描いている。 

 港区画にわりと近い大通りには即席の露店がいくつも立ち並び、様々な肌の色をした人間…あるいは他種族の商人たちが、めずらかな交易品を並べては威勢の良い売り文句を謳い上げる。そして、それら品々を興味津々に見つめる人々の姿……。

 そこには国際都市ならではの活気があった。


 そんな街の中心を貫く大通りを、一台の馬車が走り抜けていく。

 客車の扉に彫り込まれているのは、交差する長槍とグリフォン……ネウストリアの国章である。

 それを見た人々が慌てたように道を空ける。


 そのまま大通りを走り抜けた馬車は、街道を伝って郊外の丘を駆け上がり、丘の上にそびえ立つ城館を前にして止まった。


 御者台から身なりの良い痩身の男が降り立ち、うやうやしい挙措で客車の扉を開く。


「到着致しました」


 その声を受け、客車から一人の人物が降り立った。

 純白の法衣にヴェールという、修道女のようないでたち。

 その胸元には"短剣に絡みつく蛇"をあしらった青銅の紋章がペンダントとして下がっていた。

 



 ■ ■ ■




「一体、どういうご用向きで来られたのかな。巡察使殿」


 城館の主。

 キルグリッド総督は困惑していた。

 その原因は、いま彼の目の前で泰然とした様子で茶を啜っている女性だった。

 ひさびさの休暇を満喫しているところに、突然の来客である。

 事前になんの連絡も寄越すことなく、おまけに総督府ではなく私邸に直接押しかけてくるとは……

 普通、そんな礼儀知らずには門前払いを食らわせてやるところなのだが。


(こういう手合いから恨まれたりすると、酷く始末が悪いからな)


 表面上愛想笑いを浮かべつつ、総督は女性が胸元に下げているペンダントを盗み見た。

 報土観察院の紋章である。

 帝國内務尚書府に属し、国内外の対諜活動を統括する機関。

 ちょうどロシアで言うところのチェーカー(秘密警察)に相当する機関であり、

 総督のような地位にあるものにとっては、緊張感ある付き合いを強いられる手合いである。


「出来ることなら、まずは総督府に話をもってきて欲しかったよ。ここは政庁ではなく私邸なのだから」


「それについては申しわけなく思います。……それにしても立派なお屋敷ですね……庭の噴水など、ドワーフの名工『ニグレド』の作品ではないですか?彼の刻印が彫られていましたし」


 そう言いながら、ふと女性は天井を見上げる。

 季節は夏。

 海側から涼しい風が吹き込んではくるものの、外はかなりの暑さだ。

 このような石造りの家屋では、中が蒸し風呂のようになっていてもおかしくないのだが。

 しかし、ここは涼しい。


「天井に巡らせた張に、地下から汲み上げた水を流しているんだよ」


 総督が説明すると、巡察使の女性は目を見張った。


「それはまた…」


「贅沢に見えるかね?しかしこの街では大概の者はこういう造りの家に住んでいるよ。

 街中に水路が巡っているだろう?あそこから水を引くんだ。

 昔この辺りにあった王国の建築様式らしいが、快適なので皆使っている。

 まぁ…うちの庭の噴水に関しては、金を掛けているのは認めるがね」


「そうなのですか。この地方に来るのは初めてなもので」


「暇があれば見ていかれると良い。この街は、世界各地の文化が集まる坩堝のような所だからね」


「ええ。機会があれば是非」


 しばらく……といっても最初の数分だけだが……雑談に興じ、空気が少し和んできたところで本題に入った。


「まぁ世間話はひとまずおいて、まずは君の公用を片付けてしまおうか。

 ここに直接押しかけて来るくらいだから、かなり重要な案件なのだろう?」


 最初会ったばかりのときに比べると、かなり友好的な調子で総督はたずねた。

 今までの巡察使の友好的な態度から、彼女が自分に即刻不利益を齎しにきたわけでは無いらしいと理解したのだ。

 むろん、これから話す用件次第でどう転ぶかわからないので、まだ油断は出来ないが。


「実は先日、長官より直々に命令を受けまして。東大洋北部の調査を行うことになったのです」


「それはまた…ずいぶん剣呑なところに行くのだね」


 総督は少しばかり顔をしかめた。

 東大洋というのは、キルグリッドの港が面じている外洋のことだ。

 帝國の東にあるから東大洋……実に単純な命名基準だが、この大陸ではごく一般的な呼び方である。


 その大洋の北方海域といえば、船乗りの間では難所として知られているところだ。

 まず波が荒い。敵国であるモラヴィア領海にも近く、そのうえ水棲魔獣が少なからず生息していることでも知られている。海域内の島嶼から、はぐれ飛竜が飛んでくることもあるらしい。

 経験豊富な船乗りも近づきたがらないところだ。


「理由については…詳しくは申せません。ただ、任務のために調査団用の船を用立てていただきたいのです。

 乗組員込みで、遠洋航海にも堪えられるもの。できれば商船団ではなく総督府所属の船をお願いしたい」


「……海軍のものでは駄目か?」


 総督府が保有している大型艦艇ともなると、外交使節などの重要人物を運ぶための連絡艦くらいしかない。

 武装も申しわけ程度だ。


「余り目立ちたくありませんので、軍船は止めていただく思います」


「むぅ…それは難しいな」


 総督は小さく唸った。

 

「武装商船では駄目かね?腕が良く、口も堅い連中を知ってるんだが」


「武装商船…ですか」


 巡察使は露骨に不審そうな顔をした。

 確かに軍船ほどに目立ちはしないだろうが、はたして役に立つのだろうか?

 武装商船という名前は、軍事に疎いものが聞けば強そうに響くかもしれない。

 しかし実情は素人が武器を持っただけ…或いはそれより少しマシな程度のものが殆どだ。

 

「不安そうだね。だが、連中実力は折り紙付だよ。船長は元冒険者とかで、船員の中には魔術師も居るようだしね」


「……わかりました。確かに、我々も急ぎですし…総督府のほうに船が無いのであれば……」


 渋々という感じではあったが、いちおう納得したらしい。

 総督は内心で胸を撫で下ろした。


「そうかね。なら、その連中には私から連絡しておこう」


「信用できるのですか?」


「大丈夫だ。まぁ観察院と聞いて顔をしかめるかもしれんが、多少の無礼は大目に見てくれるとありがたい」


「ええ、わかっています」


 総督は安心したように頷くと席を立った。

 そのまま部屋から出て行こうとして、ふと、何か思い立ったように振り返る。


「ところで」


「なんでしょう?」


「雇い賃は、もちろん観察院がもってくれるんだろうね?」





1941年7月8日 深夜

ソヴィエト連邦 セヴァストポリ 



 闇の帳が落ちた市内に、警報が鳴り響く。


(またか!)


 黒海艦隊司令長官、フィリップ.S.オクチャーブリスキー大将は忌々しげに舌打ちした。

 やや乱暴にデスクから立ち上がって、窓の近くに寄り、外を見る。

 海岸の砲台からは電光信号が出て、街中にはサイレンが鳴り響いていた。


『ヴニマーニエ!ヴニマーニエ!(傾聴せよ、傾聴せよ)』

 

 無線の拡声器が、がなりたてているのが此処まで聞こえてくる。

 水兵に部署に戻るよう呼びかけを行っているのだ。

 しばらくそれを眺めていると、部屋に来客がやってきた。


 コン、コン。


 ノックの音。

 入るよう促すと、艦隊参謀長のI.D.エリセーエフ中将が入室してきた。


「また例のドラゴンか?」


「はい。現在、高射部隊が応戦中です。そのうち落ちるか、或いは逃げていくかと思われます」


「そうかね。結構なことだ」


 オクチャーブリスキーは疲れたように呟いた。

 これで何度目だろうか、と彼は思った。

 レニングラードが内陸都市と化してから、ちょうど今日が15日目になる。

 黒海艦隊司令部が置かれているセヴァストポリ軍港は、今や赤色海軍が有する最大の艦隊泊地となっていた。

 その司令長官たるオクチャーブリスキーが今もっとも悩まされている事。

 それは、海から時折やってくるドラゴンの存在だ。


「で、今日は何匹来たんだね」


「1匹です。今しがたの警報分を数に入れなければ、ですが」


「畜生め。何とか出所を探って、纏めて始末できるといいんだがな」


 6月23日。

 あの日を境に全てが変わってしまった。

 一番の変化はレニングラードをはじめとした西部で起きたことだが、ここ南部でも『転移』による被害は起きていた。

 まずは水資源。

 これまで獲れていた既存種の漁獲量が日を追う毎に減り、それに代わって今まで見たことも無いような種類の魚が獲れるようになったことだ。

 それに加えて、漁船の遭難も相次ぐようになった。


 当局が哨戒艇を繰り出して調べてみると、そこには信じがたい事実が存在した。

 異世界の『怪物』の存在である。

 全長20メートル近い大きさの肉食の魚類・軟体動物、そしてドラゴン。

 

 これらの存在に、黒海艦隊司令部は半ば恐慌状態に陥った。

 既存の海図は役に立たない。

 国内最大の造艦廠は潰れ、艦艇補充の目処は立たず、おまけにこんな怪物が海にひしめいているとしたら、哨戒艇を出すことさえも危険(特にドラゴンが相手だと駆逐艦でも危ない)だ。


「そんな閣下に朗報です。近海での怪物の出没は……徐々にではありますが……減り始めています。

 駆逐隊を定期的に遣って爆雷を落し続けた成果が現れているようです」


 エリセーエフは手元の報告を読み上げた。


「ただ、ドラゴンに関してはお手上げですね。

 哨戒機を飛ばしてはいますが、航続距離の関係で巣を突き止めるには至っておりません。

 これ以上は船を繰り出して捜さないことには……」


「こんな、右も左もわからない海にかね?自殺行為だよ」


「確かに…そうです」


 測量船を繰り出して調べようにも、空を行くドラゴンの存在を考えると軽はずみな行動は憚られた。

 護衛艦艇も不足している現在。貴重な測量船に護衛艦艇までつけて、独断で動かすほどの度胸はオクチャーブリスキーには無い。

現時点で、黒海艦隊は以下の艦艇によって構成されている。

 

 戦艦1(旗艦パリシュスカ・コムーナ)

 重巡2(クラスヌィ・カフカス、ヴォロシーロフ)

 軽巡2(クラスヌィ・クルィーム、チェルヴォーナ・ウクライナ、)

 駆逐艦14(嚮導駆逐艦タシュケント、レニングラード級3隻、ストロジェヴォイ級3隻、グネフヌィ級7隻)

 水雷艇5

 潜水艦44


 ……1個の水上打撃部隊として見た場合、なかなか強力な編成である。

 しかし、ソ連海軍の1枚看板としてはどうにも心許ない。

 最大の難点は軽巡以下の補助艦艇の少なさだろう。

 潜水艦隊は大規模だが、ソナーの性能の劣悪さや魚雷の不備から水棲キメラとの戦闘には殆ど使えないという有様である。

 そして、現在海軍がおかれている状況を考えると、万が一にも艦を失った場合、次の艦艇補充がいつになるかは想像もつかない。

 オクチャーブリスキーは暗鬱たる気分で嘆息した。


「兵の士気はどうなっている?」


「今のところ大丈夫かと。春期演習を昨月行ったばかりですし、現在も沿岸部警戒のために駆逐隊はフル稼働していますから」


「…そうか」


 黒海艦隊は『転移』が起こる僅か4日前……6月18日にクズネツォフ海軍委員の肝煎り、大規模機動演習を行ったばかりだった。演習を終え、艦隊がセバストポリに寄航したのが同月20日であり、そこで23日には機動演習ゼミナールが実施されるはずだったのだ。


「しかしまぁ…悪いことばかりでもない。STAVKAは黒海艦隊を中心に海軍の立て直しを図る方針のようだ。今後、セヴァストポリ周辺の航空隊は大幅に増強される。極東方面からの艦隊の回航は……望み薄だが、少なくともドラゴンの迎撃は楽になるだろう」


「それは吉報ですな」


 エリセーエフは微かに表情を明るくして頷いた。

 異世界国家……モラヴィア王国との交戦開始から11日が経過した7月4日。

 モスクワではスターリンを主席とする大本営(STAVKA)が設置され、謎に満ちた魔法王国の攻撃から国土を防衛すべく、赤軍の配置転換が大々的に実施されていた。それは、コラ半島からレニングラード、旧バルト三国を経て東プロシャに至るモラヴィア王国との勢力境界に戦力を集中するというものだった。 

 これは捕虜の尋問から、モラヴィア側の『救世計画』をソ連首脳部が(断片的にではあるが)掴んでいたことに起因する。

 魔術装置をソ連国土の複数箇所に設置し、それを通じて『マナ』を奪い去り、土地を枯死させる……その計画を知ったとき、スターリンをはじめとしたソ連首脳陣は激怒すると同時にモラヴィアの技術力に恐怖を抱いた。

 そもそもソ連の広大な国土を異世界に丸ごと転移させるというだけでも、ソ連からすればオーバーテクノロジーである。

 それだけの技術力を有する国家ならば、ソ連本土を文字通り枯死させることもやってのけるのではないか?

 この情報を受け、政治局会議はモラヴィア王国軍の侵攻阻止と秘蹟魔術に関する情報収集を軍、NKVDに下令した。この命令をもって赤軍は(少なくとも書類の上では)完全な戦時体制に移行し、モラヴィアと国境を接する各軍管区は正面軍に改編された。


 北部正面軍(レニングラード軍管区)

 司令官:マルキアン・ポポフ大将

 参謀長:マドヴェイ・ザハロフ中将

 第7軍、第14軍、第23軍

 第1機械化軍団、第10機械化軍団


 北西正面軍(沿バルト特別軍管区)

 司令官:ワシーリー・モロゾフ中将

 参謀長:イヴァン・シュレーミン少将

 第8軍、第11軍、第27軍、

 第3機械化軍団、第12機械化軍団

 

 西部正面軍(西部特別軍管区)

 司令官:ドミトリー・G・パブロフ上級大将

 参謀長:V.Ye.クリモフスキー中将

 第3軍、第4軍、第10軍、13軍

 第6機械化軍団、第11機械化軍団、第13機械化軍団、第14機械化軍団、第17機械化軍団、第20機械化軍団


 沿バルト軍管区に関しては、緒戦で沿岸部の都市を蹂躙された責任を問われ、軍管区司令官のクズネツォフ大将が革職され、代わって第11軍司令官のV.I.モロゾフ中将が暫定的に司令官を引き継いでいる。

 この他、極東・中央アジア方面からは4個軍が欧州方面に移動中であり、これらは北部・北西正面軍に編入される予定となっていた。



 一方で海軍部隊はどうかといえば、こちらはバルト艦隊消滅に伴う大幅な人事異動が行われていた。

 『異世界転移』が起きたとき、バルト艦隊の主力は大きく2つの艦隊に分かれていた。

 ひとつは戦艦マラートを中心とするクロンシュタット基地駐留部隊であり、こちらは基地もろとも所属人員の大半が消滅に巻き込まれるという大損害を蒙っている。

 そしてもう一つはエストニアのタリンに駐留する艦隊であり、こちらは戦艦オクチャブルスカヤ・レボルチア、重巡キーロフ、駆逐艦4隻によって構成されていた。

 同艦隊については、基地が消滅に巻き込まれなかったおかげもあって人員に関しては大部分が助かっている。そして現在の赤色海軍は、これら艦隊消滅によって宙に浮いてしまった人員を各方面艦隊に再配置(同時に、生き残った艦艇の再配置と各方面艦隊の再編も)している最中であり、この混乱に収拾がつくまでは他事にかかずらわっている暇は無いというのが、海軍委員をはじめとする提督連の本音だった。


 









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