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朱き帝國  作者: reden
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第1話 発端

 

 

 早朝特有の涼やかな風が、石造りの街並みを吹き抜けていく。 

 都の中心部に位置する宮城。その一角に設えられた白亜の空中回廊にポツリと人影があった。

 丁寧に撫でつけられた白髪に漆黒のローブを纏った初老の男。その両手指には大粒のルビー・サファイア・アゲート等の宝石が埋め込まれた指輪を嵌めている。

 初老の男―――宮廷魔術師筆頭にして王立魔道院議長をつとめる魔導師、ヴェンツェル・エッカート子爵は空中回廊から、彼の配下の魔術師達が忙しなく動き回る宮城前広場を見下ろしていた。


「いよいよ、か……」


 口に出して呟くと、胸の奥からある種の感慨がこみ上げてくる。

 宮廷魔術師として、大モラヴィア王国に仕えて30年余り。

 長年の研究成果が漸く実を結ぼうとしているのだ。


「お師様!こちらにおいででしたか」


 ふと、後ろから声がかかる。

 聞きなれた声に、ヴェンツェルはゆっくりと振り返った。

 紫のローブを纏った大柄な青年が、服の裾を風にはためかせつつ此方に歩いてくる。

 急いで来たのか、その息は幾らか荒い。


「ゼップ君か。どうしたね?」


「……儀式の準備が整いました。国王陛下も、まもなくいらっしゃるかと」


「そうか」


 弟子の言葉に、静かな頷きをもって応える。

 いよいよだ。もう一度、今度は心の中で呟いて、ヴェンツェルは広場のほうに歩き出そうとする。


「お師様」


「なにかね」


 大柄な青年魔術師…ゼップは、なにやら言いづらそうに口篭り、ややあって意を決したように口を開いた。


「本当に、危険は無いのでしょうか」


「………また、その話かね」


 ヴェンツェルはフゥ、と軽く息を吐いてゼップに向き直った。


「既に閣議でも決定した事だよ。リスクに関しても陛下はちゃんと認識しておられる」


「しかし……異界の大地を丸ごと転移させるなど前代未聞です」




 つまりはこういうことだ。


 ヴェンツェルやゼップの母国たるモラヴィア王国は、俗に遺跡王国とか魔法王国などと呼ばれている。

 その名が示す通り、国民の中にしめる魔術師の割合が他国より多く、その国土には太古の魔道文明の遺跡が多数眠っているわけなのだが……問題は彼らモラヴィアの魔術師が使う魔術にあった。


『秘蹟魔術』


 太古に滅び去った魔法文明において利用されていたという、世界の根源たるマナを直接汲み出すことで奇跡を成すという強力な魔術である。

 351年前、建国王アルブレヒトによって遺跡より発見されたこの古代魔術は、他国で一般に使われている精霊魔術に比べて汎用性、威力ともに非常に優れており、この強大な力を独占したアルブレヒトは(それまでは地方の一豪族に過ぎなかったにも拘らず)大陸北部を覆う大国を一代でうち立てたのだ。

 

 しかし、この魔術の乱用によって大地よりマナを延々と汲み出し続けた報いか、モラヴィアの大地はここ数十年のうちに急速に衰えつつあった。


 それは、大人口の集中する首都や魔術研究都市の近辺より始まった農地の砂漠化と、森林の枯死という形で現れ、時の王国首脳に大きなショックを与えた。

 彼らの覇権の原動力たる古代魔術を今更放棄することなどできない。

 かといって、このまま事態を座視していれば、そう遠くない将来。自分達の国は草木も生えぬ不毛の大地と化すだろう。


 その後いくつもの対応策が講じられたものの、目立った成果はあがらず。最終的に考え出されたのが異界からマナの豊富な大地を召喚し、そこから国土維持に必要なマナを吸い出してしまうというものだった。

 『救世』と名付けられたそのプロジェクトを率いることになったのがヴェンツェルだった。


「召喚陣には我が国で最も強力な従属魔術が付与されておる。仮にその大地に異界人が紛れ込んでいたとしても、問題にはならんよ」


 ヴェンツェルはそう言って笑った。

 ここでいう従属魔術とは、人の体内で生成される魔力に干渉して、その精神を乗っ取るというものだ。

 逆に言えば、マナから魔力を生成できない者には効果が無いということなのだが、その点に関してヴェンツェルはなんら心配していない。

 人間なら誰しもごく少量の魔力は生成できるはずだし、万一、異界人が魔力を生成する術を持たぬというなら、それこそ我が国の魔術兵団なりを送って制圧してしまえば良い。

 現代において、魔法を運用しない軍など物の数ではないのだから。


「案ずるには及ばんよ」


 そう言ってヴェンツェルは笑った。






1941年6月21日。

ソヴィエト連邦 首都モスクワ。



「困ったものだ」


 赤軍参謀総長ゲオルギー・ジューコフ上級大将は疲れきった風体で椅子に腰を下ろした。

 クレムリン宮殿の一区画。帝政期にはロシア元老院が置かれていた閣僚会議館内に設けられているラウンジの一つだ。

 帝政時代の職人が丹精込めて造り上げたアンティーク調の椅子は、彼の背中をやんわりと受け止めた。

 その柔らかな感触に軽く息を吐く。と、後ろから声がかかった。


「おう。何だね、ゲオルギー・コンスタンティノヴィッチ。ここに来てから30分で10年は老け込んだように見えるぞ」


「……どうかお手柔らかに願いますよ。同志元帥」


 そう言いつつ僅かに椅子から腰を浮かせて振り返る。ジューコフの背後には軍服姿の禿頭の大男が口元に人の悪い笑みを張りつかせて立っていた。

 現在、ソヴィエト赤軍に4人存在するソ連邦元帥のひとり、セミョーン・ティモシェンコ国防人民委員である。

 

「その様子だと、色好い返事はもらえなかったようだな」


「ええ、同志書記長はドイツの攻撃まで、まだ間があると御考えです」


 ジューコフはため息まじりに応えた。

 この時期、ドイツとの開戦に備えて赤軍はかなりの兵力をポーランドに集結させつつあった。

 祖国に戦雲が近づいている。それは、赤軍の多くの軍人・政治家たちの共通認識であり、赤軍は目下、対独開戦に向けた組織改編・装備更新の真っ直中にあった。 

 しかし、順次動員されて数を増しつつある兵力の大半は、現状では国境の遙か後方にあり、スターリンの厳命によって即応体制には無かった。

 ポーランド分割に代表されるようなドイツとの協調外交が今後も永く続くなどという幻想をスターリンは抱いてなどいなかったが、同時に、現在の労農赤軍にとってドイツ軍が些か以上に手に余る相手であるという認識もあった。自国の戦争準備が整っていない現状で、すでに総力戦体制にあるドイツと戦端を開くなど論外である。

 ゆえに、戦争への呼び水となりかねない対独国境の戦力強化をスターリンはギリギリまで許可しなかった。第一次世界大戦において、当時のセルビアを支援してロシアが動員を強化したことがドイツ、オーストリアといった中央同盟諸国を刺激し、なし崩し的に各国の宣戦布告を誘発したという歴史的事実を引き合いに出し、スターリンは軍の動員強化を求める将軍たちを抑えていたのだ。

 だが、NKVD、軍事情報部、ドイツ国内の各駐在官事務所といった様々な方面から寄せられる情報の多くは、このときドイツの対ソ開戦を予測させる報告を挙げてきており、独軍と対峙する赤軍の将軍たちの焦りは強まるばかりだった。

 

 

「第一撃でナチの奇襲を許した場合、このままではウクライナ辺りまで一気に踏み込まれかねません。唯でさえ4年前の…」


「同志。その先は言いっこなしだぞ」


「……申し訳ない」


 4年前。

 スターリンの意を受けた内務人民委員ニコライ・エジョフによる赤軍大粛清は、ソヴィエトの軍事システムを主に人材面で半ば麻痺状態にしてしまった。

 なにしろこの粛清劇で元帥5人のうち3人。軍司令官15人のうち13人。軍団長85人のうち62人。師団長・旅団長も半数以上が粛清され、被逮捕者の数はなんと将校だけで2万人にも及んだ。

 はっきり言って軍そのものが瓦解しないのが不思議なほどの数である。

 

(あれから4年……)


 そうだ。僅か4年だ。

 この程度の期間で将校を、ましてや将軍を育成するなどまず不可能だ。

 現在の赤軍は装備だけが立派な張りぼてに近い、ジューコフはそう思っている。

 ……実際には『張りぼて』というのは言いすぎだったが。この感想は実に的を得たものだった。


「ともかく、だ。俺もその件に関しては憂慮している。後で同志書記長に進言しておこう。せめて前線への警告だけでも、とな」


「……ありがとうございます」


 ジューコフは安心したように頷き、ティモシェンコはニッと男臭い笑みを浮かべた。



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