第八話
薄暗い森がさらに黒く染まり、視界が暗転する。
俺のHPバーは、物凄いスピードで減少し一気にゼロになった。
体から剣が引き抜かれ、俺はどっ、とその場に倒れ伏した。
痛みはない。だが張りつめていた糸が切れたように全身からふっと力が抜けた。
「ふん、ゴミがいきがりやがって」
そう吐き捨てる声が頭上から降り注ぐ。
だがもはや俺に言葉を発する力はなかった。
「……さぁて、ジャミル。どうする? お前のレベルなら動けるだろうけど、もちろん逃げないよなぁ?」
俺のことなど眼中になくなった人喰いは、次なる獲物へ牙を向けた。ザッザッとゆっくり足音が遠ざかっていく。
動けないヒーラーを置いてジャミルが逃げる、という事は考えにくい。それに人喰いはどの道全員殺す気だ。
万一ジャミルが逃げたとしても、ヒーラーを即座に殺しすぐに後を追うつもりだろう。
だがヤツは気づいていない。俺の体がまだ消滅していない事を。
左手の指にはめている指輪。
俺が倒れ少しの間があった後、その指輪の、やや黒味を帯びた紫色の宝玉がわずかに光を放った。
そして指輪に備わっているオートスキルが発動する。
『死神の気まぐれ(デスマーシー)』 即死攻撃によってHPがゼロになった時、HP1の状態で復活する。効果は一戦闘中に一度きり。
俺は音もなく静かに立ち上がった。
HPバーは赤く点滅を繰り返し、下手すると何かの弾みでゼロになってしまいそうだ。
ゲームの話ならいざ知らず、HPバーの枯渇がそのまま生命の喪失を意味するこの世界において、この状態のまま戦闘を続けることはかなりの精神力を要する。
常にHPの管理には気を使い、戦闘中でも大きく安全マージンを取るのはほぼ常識。
HPが三割減った程度で回復を優先するプレイヤーもいるくらいだ。
俺はともすると回復アイテムを使いたくなる衝動をこらえつつ、武器を持つ右手に力を込める。
「ほらジャミル、お前の番だ。親切なオレがいいこと教えてやるよ。マンイーターの攻撃スキルは対人即死攻撃。オレはこいつを外した事がないから多分回避不能の必中技。さて、お前にレベル58のパラディン様を一撃、いや槍だからミドルレンジで二発か? で殺れるかどうか。もしかしてお前、なにかもんのすごいスキル隠し持ってる? ……ねえよなぁ、お前のことだからあったらすでにぺらぺらしゃべってるはずだしなぁ」
人喰いはジャミルを貶めるのに夢中で背後から忍び寄る俺に気づいていない。
俺の手にしたロングソードは、刀身に大きく渦巻く黒いオーラを纏っている。
すっかり悦に入る人喰いの背後から、ターゲットロックすると同時に俺は無言で攻撃スキルを放った。
〈アヴェンジバイト ショート 特殊 片手剣〉
ザシュッ!
俺の振るった剣は、背を捉える直前でこちらを振り向いた人喰いを真っ向から斬リ下げた。
「ぐわあっ!」と続けて上がる悲鳴。
相手に敵性を認知されていない状態での不意打ちや、姿を認識されていない背後からの攻撃などは、命中率、攻撃力が増加する奇襲となる。
『奇襲感知』などのスキルを所持していない場合、ターンに関係なく反撃することすらできず一方的にダメージを受ける。
セイルのラウルに対する一撃も奇襲。だが不運にも俺の攻撃は奇襲にはなりえず、通常攻撃扱いになった。
人喰いの『奇襲感知レベル8』が発動し成功したためだ。意外なハイレベルに俺は驚きを隠せない。
この様子だと奇襲の確率を上げる『奇襲攻撃』のスキルにも熟練しているはずだ。
おそらくマンイーターの戦闘スタイルに合わせて習得したのだと思われる。
「ぐ、うう……、なんだ今のは……?」
前かがみになった人喰いが顔を上げて唸る。
俺の持つ片手剣は復讐の刃、ヴェンジェンスエッジ。特殊な性能を持ったユニーク武器だ。
威力は自分が攻撃する相手から受けたダメージのパーセンテージで変動する。
ただしスキルを発動した時のHP残量が反映されるため、HPを回復した場合はその分威力が弱まってしまう。
いま人喰いによって99パーセントのダメージを受けた俺は、この剣が持つ最高の強化倍率を引き出している事になる。
だがその威力も一度きり。『アヴェンジバイト』を発動した時点で被ダメージによる強化はリセットされる。
またダメージを負えば再び強化することはできるが、HP1の俺にはすでに役に立つ見込みはない。
HPが全快の時、デフォルトでの攻撃力はゼロ。というか攻撃スキルを発動できないといった方が正しい。
一見強力な武器ではあるが、普段はリスクが高すぎてとても使えたものではない。
「ど、どうしてお前……!」
人喰いは仰天し言葉を詰まらせる。不思議でしょうがないといった顔だ。
俺は無表情のまま、その顔に向かって口を開いた。
「……俺に即死攻撃は効かないぜ? マンイートをいくらかましてもムダだ」
「な、なに……?」
もちろんはったりだ。もう一度マンイートをくらえば俺は間違いなく消滅する。
だが俺はそんな事情をおくびにも出さない。少しでも言葉に詰まったり、ためらいを見せればたちまち見破られてしまうはずだ。
視界の隅で絶え間なく点滅するHPバーが与えてくるプレッシャーを跳ねのけ、俺はポーカーフェイスを貫いた。
「お、おかしい、この威力……!? 何かの間違いだろ……?」
「次の一撃で決まりだ」
これもはったり。すでにヴェンジェンスエッジの刀身から先ほどのオーラが消えている。今はただのおもちゃ以下。
注意深く観察していればスキル名や剣の変化から何らかの仕組みに気づくことができたかもしれないが、人喰いは明らかに動揺していた。
それに俺が本当に即死耐性を持っているのかもはかりかねている様子だ。
低レベル帯にいる俺がそんなレアスキルを持っているはずがない、と疑う反面その可能性が全くゼロでない事はこいつほどのプレイヤーならうすうす感づいているはず。
「大体お前、なぜ動ける!? そのレベルなら『捕食領域』によって強制バインド状態になるはずだ!」
「さあ?」
俺はしらばっくれるが、今度は本物だ。
左手に装備しているのは、表面に幾何学的な文様を持つ丸型の盾。
特攻戦士の盾という名のこのシールド、防御能力はないに等しい。
ただしHPが10パーセント以下になった時、全てのステータス異常が無効になり一度だけ先制攻撃ができるというオートスキル『ラストフォワード』を備えている。
つまり復活した瞬間からこのスキルが発動し、俺はヤツの『捕食領域』によるバインドを防いでいる。
そういった理由であったが、もちろん敵にわずかばかりでも自分の情報を与えるつもりはない。
俺のレベルをはっきり確認していた人喰いには脅威となるだろう。
だが動揺しているのは人喰いだけではない。
俺は内心、はったりが見破られないかと気が気でなかった。こちらにとっても今の状況はイレギュラーな事態だ。
一度戦闘を行った相手のHPバーは、しばらくの間残量を視認できるようになる。
人喰いのHPバーは残り二割程度。二割も残っている。
本来アヴェンジバイトの一撃で勝負は決まっているはずだった。
奇襲ならば命中率は98パーセント、敵のHPに対し109パーセントのダメージという数値がはじき出される予想だったが、突然割り込まれた『奇襲感知スキル』によってあえなく失敗に終わった。
対する俺のHPバーはわずか数ミリ。
人喰いの前ではHPバーの多寡は意味のないものだが、即死耐性があると言い張っているのにHPが1まで減っているのはどう考えてもおかしい。俺がヤツならばそう思っただろう。
向こうもすでに俺のHP残量は確認しているはず。
そこに気づかない人喰いは、やはり冷静さを欠いていた。