第四話
俺がこのスキルフォースファンタジーの世界にやってきてからおよそ一年半が過ぎようとしている。
この摩訶不思議な世界は、それまで俺のいた現実世界での正常な感覚をすっかり奪っていった。
VRMMO――ライトノベルやネット小説によく登場するこの単語。
もしそんなものが実在したなら、俺のおかれた現状を説明するのがどんなに楽だろうか。
俺は今まさにそのVRMMOの世界に溶け込んでいる、と言ってしまえばそれでたいていは事足りるのだから。
だが厳密には違う。VRMMOの細かい定義なんてのは知った事ではないし、ここで議論する気もない。
しかしどうだろう、このバーチャルとは思えないほど色彩豊かな、生命力に満ち溢れた美しい世界は。
俺には、これがもう一つの現実としか思えない。広い宇宙の片隅には、こんな世界があるのかもしれないとまで錯覚する。
そうとも、ここで暮らす限りなく人間に近いNPCにとってはこれが現実なのだ。
彼らもまた、NPCとは思えないほど多種多様な行動をとる。
いや、多種多様どころか無限に近い。俺なんかよりずっと感情豊かで、人間味がある。
そもそもNPCという呼称に語弊があるのだ。彼らはここで生を受け子をなし死んでいく。
プレイヤーよりもいろいろと制約は多いものの、誕生したのがたまたまゲーム的なこの世界であったに過ぎない。
そんな彼らにとって、フィールドを徘徊するモンスターや、ダンジョンを探索する冒険者、一瞬で町を行き来したりできるアイテムや、そしてなによりも行動を支配するスキルの存在、そんなものは当たり前の日常なのだ。
俺自身も視界の隅に現れるHPバーやSPバー、アイテムや装備品を一瞬で具現化したり収納できるアイテムボックス、それを呼び出す透過モニターにすっかり違和感なくなじんでいた。
それはきっと、俺よりも早くこの世界に来ていたプレイヤーたちも同じだろう。すでにもう一つの現実として認識し始めている。
今ここにはもとからこの世界に住んでいたNPCと、そして俺と同じくここにやってきたプレイヤーの二種類の人間がいる。
プレイヤー達には、とあるネットゲームにログインした瞬間ここに飛ばされたという共通理解がある。
この不思議な現象に巻き込まれたのは俺一人ではなかったのだ。
俺が初めてこの地に降り立った時。その時のことは今も鮮明に覚えている。
「は~い、九千とんで五十一人目のプレイヤーの方とうちゃ~く!」
網膜が光を感じる前に、底抜けに明るい声が耳に飛び込んできた。
気づけば俺は自室のモニター前から、一転して視界の開けた場所に立っていた。
「はい、お名前は~?」
辺りを見回すと中世風の建物が軒を並べている。
今俺が立っている周辺はちょうど広場のようになっているようだ。
上空は抜けるような青空。吸い込む空気にどこか異質な匂いを感じる。
日本から一度も出たことのない俺は、異国の空というのはこんな感じなんだろうかと思いを馳せる。
そう、まるでファンタジーRPGの世界にでもやってきたかのような――。
「ちょっとぉ、無視しないでよお!」
すぐ近くでキンキンと金切り声がする。
ぐるぐると周囲を見渡していた俺は、その声に少し不快感を覚えつつまっすぐ前に視線を戻した。
活発そうな瞳をした、同い年ぐらいの女の子と目が合った。
「あ、やっとこっち向いた。じゃ、気を取り直してレクチュアー始めよっか。はい、まずは落ち着いて、深呼吸。はい吸って~」
少女はそう言ってすぅ~っとやりだした。俺はとりあえず無視し、少女の観察を始めた。
栗毛のショートヘアに、健康的な肌。やや幼さの残る顔はコロコロと表情を変え、活気に満ちている。
彼女はゲームでしか見たことないような冒険者風の服に身を包み、腰元に短剣らしきものをぶら下げていた。
やはりどうしてもそこに目がいってしまう。
まずそのいでたちからして、普通じゃない。コスプレだとしても完成度が高すぎる。
しかしよく見れば背後を行きかう人々も似たような格好をしていた。
それどころかギラギラ光るごつい鎧兜を身に着けているものもいる。
そういえば俺は…………。と視線を自分の体に落とした。
「げっ、なんだこりゃ」
驚いて声が出てしまう。
俺も彼女と同じような姿をしていたのだ。ついさっきまでTシャツにジーパンという格好だったはずなのに。
「げっ、てなにさ、開口一番がそれかい!」
すぐに突っ込まれた。驚いている俺を見てどこか楽しそうだ。
馴れ馴れしいのは苦手なのだが、彼女からは不思議と嫌な感じはしなかった。
「これはいったい……」
「はいっ! それはわたくしフィーネちゃんがいまから説明します! あなたは今からこのハイゼルラントの住人です。冒険者となってギルドの仕事をこなすもよし、商人として財を生すもよし、はたまた一般市民として家族を作り平和に暮らすというのも……」
「ちょっと待った」
「はい?」
「……今、ハイゼルラントって言ったか?」
「え? ええそりゃあここはハイゼルラントですぜ?」
ハイゼルラント。それは俺が考えたスキルフォースファンタジーの世界の呼称。
偶然にもここはそれと同じ名前の世界らしい。
まあ、よくある名前…………か?
「いったいどうなってんだ……? 俺はついさっきゲームにログインしようと……」
「あー、はいはい。それね。外から来た人みんな言うんだけど、ぱくすふぉーすふぁんたじー? っていうのを始めようとするとここにワープするみたい。もうニ年近く前かな、何百人かわーっとやってきて、それ以来ちょびちょび君みたいのがやってくるようになったの。おわかり?」
「ゲームの中に飛び込んだってか? んな馬鹿な」
「みんなゲームゲーム言うけど、失礼しちゃうよ。君達がどんな世界から来たのか知らないけど、わたし達はここで真面目に生きてるんだよ? モンスターに襲われてHPがゼロになったら死んじゃうし、生き返ったとしてもレベルが下がったりするし」
「思いっきりゲームじゃねえか!」
思わず突っ込んでしまった。
初対面の人間に、俺らしからぬ態度だ。それもこの少女の持つ親しみやすい雰囲気のせいだろうか。
「なぁに? そんな怒鳴って。じゃ早速システムウインドウを開いてステータスと、スキルを確認してみよっか」
何だよそれどうやって開くんだよ……、システムウインドウ?
心の中でそう文句を言うと、いきなり眼前に半透明のモニターが出現した。
「おわっ!」
突然現れた青色のインターフェイスに驚いた俺は尻餅をつきそうになる。その上いつの間にか視界の端に青と緑のゲージらしきものも表示されていた。
そんな俺を見てフィーネという少女はうれしそうにニヤニヤしている。
「ねえねえ、その右下の、オープンっての触ってみて。そう、軽くタッチするの」
フィーネは俺と顔を突き合わせるようにして、同じように自分の前にウインドウを開いていた。
俺はわけもわからず言われたとおりに画面を指でタッチする。
「……おっ、きたきた。どれどれー、ふーん、コウト君っていうんだ。え~、HPSPが……まあ普通だね。じゃ肝心のスキルはっと……」
「おい待て、お前何を勝手に……」
「これを見るのが楽しみなんだよね~、オリジンスキル。え~っと、…………『神託』? なにこれ?」
オリジンスキル。その単語を聞いて俺の疑念がさらに強くなった。
それはスキルフォースファンタジーで設定した、誰もが初期状態ですでに持つユニークスキル。
入力したパーソナルデータの内容かもしくは完全ランダムに一つだけ選出される。体よく言い換えるなら才能のようなものだ。
運しだいではいきなりSランク武器の攻撃スキルを習得する事もありうる。その上、なかにはゲーム中いかなる手段を持ってしても会得できないオリジンスキル限定のものも含まれる。
オリジンスキルは最低でも一人一つ、戦闘中に突然開花したりレベルが上がることでさらに増える場合もある。
しかしなぜそんな単語が……。まあよくある名称…………かもしれない。
「長い事この仕事やってるけど、見たことも聞いたこともないスキルだねぇ……。ねえ、ちょっと使ってみて」
「使うって……どうやって」
「スキル発動の仕方はいろいろあるけど、今回はとりあえずそのウインドウの文字に触ってみて」
すでになんとなく嫌な予感がしていた。
それでもこうしないと、先に進めない気がして彼女の言う事に従うことにした。
俺はゆっくりとウインドウをタッチする。
そして、俺のこれまでの疑念は一発で確信に変わった。