第三話
俺はかつて、重度のネトゲ愛好者だった。
当時ハマっていたのがパクス・フォース・ファンタジーとよばれるファンタジー風のRPGMMO。
最初は暇つぶしに始めたネットゲーム。ネトゲ廃人なんてのが一体どうして存在するのかとか興味半分、単なるひやかしのつもりだった。
俺はそれまでオンオフ問わずゲーム自体あまりやらない人間だったがすぐにのめり込んだ。
その理由は、ゲームを始めたての俺を親切にかまってくれたヤツがいたからだと思う。
リアルでは気の合う友人ができなかった俺も、不思議とそいつとはウマがあった。
正直ゲームの内容よりも、そいつとチャットしているほうが楽しかったぐらいだ。
面白いことの一つも言えない俺に飽きもせず付き合ってくれた。初心者の俺と付き合うメリットなんて無いに等しいはずなのに。
ジンというHNのそいつが、すでに名のあるギルドのリーダー的存在だったのを知ったのはしばらくしてから。
俺はジンの紹介でパーティを組みギルドに入り、どんどんゲーム漬けになっていった。この頃がまさに俺の絶頂期だったと思う。
だがずっと一緒にやってきたジンも、リアルが忙しくなり引退した。引退したジンに代わってリーダーとなったのは、いけ好かない重課金プレイヤー。
残された俺は当時そこそこのポジションにいた事もあり、ことあるごとに反発し合うようになった。
もとからコミュニケーションが得意なほうではないし、なによりリアルマネーに物を言わせてでかい態度を取るそいつに従うのがどうしても嫌だったのだ。
性行の不一致といってもいい。ゲーム攻略の方針から笑いのツボまでことごとくズレていた。
何かあると自慢話しかせず、効率、ギルドの強化が口癖で、おおらかにやっていたジンとは毛並みがまるで違う。
実際ジンが抜けて少なからずメンバーの入れ替わりがあり、なじみのメンバーが抜け奴の息がかかったメンツが流入してきた。
以降、目を付けられた俺はいちいち槍玉に上げられ執拗な嫌がらせを受け、やがてギルドからもパーティからも総スカンされた。
根回しだけはうまいやつで、俺が気づいた頃には周囲に味方がほとんどいなかったのだ。
俺にも全く非がなかったわけではない。協調性に欠けるというのは前から言われていた事だし、自分でも自覚していた。
それでも自分を大きく曲げてまで媚びるような態度を取るのは何か違うと思った。
そもそもそれが嫌でリアルの付き合いをほとんど放棄しネットに没入するようになったぐらいだ。
ガキだと言われても仕方ない。開き直りじゃなく俺は実際ガキだし、変に大人ぶる気もない。
俺は冷静沈着で感情の起伏も少なく、何を考えているかわからない人間だと評される事が多い。
だが実のところ短絡的な思考回路の持ち主で、行動理念はいたってシンプル。その上極度の負けず嫌い。
胸のうちに渦巻く激情を無意識のポーカーフェイスでごまかすこともしばしば。
パーティと袂を分かつ際も「じゃあ俺はもういい」と一言言い残すだけだったが、内心はらわたが煮えくり返る思いだった。
その怒りは毎日欠かさずログインしていたゲームの世界からしばらくの間距離を置くようになるほどだった。
もちろん相手が憎いという感情もあるが、それよりも過去にあったリアルでの似たような出来事を思い出してしまい、自分自身に苛つくとともに自己嫌悪に陥っていた。
ある程度踏ん切りがつくまで一ヶ月程費やした後、俺はソロプレイヤーとなって活動を再開した。
最初のうちはゲームを始めてすぐの頃を思い出すような感覚でそれなりに新鮮だったが、当然ソロプレイには限界がある。
特に俺のやっていたパクス・フォース・ファンタジーはソロプレイヤーをナメているとしか思えない仕様で、一人だと参加すらできないクエストが目白押し、当然それに付随するアイテムは入手不可。強力なパーティ補正にパーティボーナス。
すでに結構な高レベルに達していたので、パーティ前提のレベル帯のモンスターにソロでかなうはずもなく限界はすぐにやってきた。
それに一人でやるゲームはどこか味気なかった。これならおとなしくオフゲーをやっていたほうがマシかもしれない、そんな事を思った。
そしてその頃になって気づいた、俺がネットゲームに求めていたもの。それは……。
負けず嫌いの俺もさすがに三ヶ月もたたず引退した。
最後は驚くほどあっけなかったが、それでもかなり持った方だと思う。時間を浪費したとも言えるが。
その後も俺のわけのわからないプライドが邪魔したのか、他のゲームに手を出そうという考えには至らなかった。
一気にリアルに引き戻されると、現実の友人関係も希薄だった俺は鬱屈とした日々を過ごす。
自分の生きがいをむしりとられた気分だった。心に穴が開いたという表現がまさにしっくりくる。
しかし気づけば俺は、ヒマさえあれば妄想全開のMMORPGの設定を考えるようになっていた。
そしてそれをネットのホームページにアップするという行為――今となれば暴挙としか思えないが――を行った。
ゲームの名前はスキル・フォース・ファンタジー。
中身こそ全くの別物だが、ネーミングはパクス・フォース・ファンタジーからパクっていた。
当初パクス・フォース・ファンタジーなどというクソゲーをはるかに超えるようなゲームを考えてやる、と半ば逆恨みのような感情で始めたのだが、ゲームに費やしていた時間がぽっかり開いた分それまでの情熱が乗り移ったかのように熱中した。
それどころか学校にいる時も授業そっちのけでノートに思いつきを書き殴り、帰宅後PCにそれを打ち込みすぐさまページを更新、という事を繰り返した。
それは読む人の事を考えないほとんど病的なまでの文字の羅列。
多少の誤字脱字は気にすることなくひたすら妄想を綴った完全な自己満足。
肝心の内容も核となる部分以外はパクス・フォース・ファンタジーから流用したり無意識にパクったりしたものが多かった。
だがそうなるのも無理はない。一介のクソガキが世界設定からなにやら一から考えられるはずもないのだ。それに俺の中でゲームと言ったらそれしかなかったのだから。
数年後完全なる黒歴史と化すことは間違いなかった。
それならノートの隅っこで十分だろと言われそうだが、それでもネット上にアップし続けたのは誰かが俺の設定を読んでくれていて更新を待っているかも、という淡い期待が心のどこかにあったせいかもしれない。
アクセスは全くといっていいほどなかったが、ゼロではなかったのだ。
まあ何かの攻略サイトと間違えて迷い込んでいる可能性は否定できない――、いや実のところそれがほとんどだろうが。
狂ったように続けた作業も、一段落つくときが来た。
俺はありもしないゲームの設定からさらに攻略法を考えたりして妄想を続けた。そのための裏設定なんかも随時作った。
今思うと相当病んでいたのだと思う。結局のところ、そんな事をしても俺の心に開いた穴が満たされる事はなかった。
またしばらくたったある日の自室。
スキルフォースファンタジーの妄想にもすっかり醒めた俺は、すさんだ意識の中ネトゲを始めた頃の懐かしい記憶を思い出していた。
右も左もわからない俺を、冗談を交えながらレクチャーしてくれたジンのことが頭に浮かぶ。
どうしても忘れられなかった。リアルで仲間はずれにされへこんでいた俺を、受け入れてくれたあいつ。
ろくに会話もできずおたおたする俺に「俺がいろいろ教えてやっからよ、パーティ組もうぜ!」そう言ってくれたあいつ。
ジンにとって俺は大勢いる仲間のうちの一人に過ぎなかったのだろうけど、それでも俺はうれしかった。
救われた気持ちになったんだ。
――そうだ、もう一度最初からやり直そう。新しいアカウントを作って、名前も容姿も全部変えてレベル1から。
そう考えた俺は、禁断のパクス・フォース・ファンタジーに再びログインすることを決意した。
そんなことをしたって、すでに研究し尽くしたゲームの記憶はまだ頭の中にあるというのに。
もうジンはゲームの中にはいないというのに。もしかすると俺を追い出した重課金プレイヤーだって。
だが決断した後の俺の行動は早かった。すぐさま登録を済ませ、あっという間にログイン前へ。
「……そうだ、最初からこうすればよかったんだ。くだらねえゲームの妄想なんかしてないでさ……」
我ながら無駄な時間を費やしたもんだ、と自嘲気味につぶやく。
だがログインボタンをクリックした次の瞬間。
――俺の妄想は現実になった。