第三話
「あんたなに? なんなのさっきから? たかが付き人の分際で。ケンカ売ってるなら買うわよ?」
今度は殺気まじりにそう凄んだ。以前こんな調子で大の男を金縛りにしたこともある。これをやってしまうから美人だなんて言われることはあっても男性に言い寄られることはとんとなくなった。
「……また変異型のNPCか? こんな腑抜けた勇者もどきをボコったところで何の自慢にもならないのにな」
しかし男は恐怖に顔をゆがめることもなく引きつった笑みを浮かべるでもなく、あくまで無表情のままだった。意味のわからない事をつぶやき、ただ品定めするように、セリアの体全体に視線をさっと走らせただけ。
セリアは機械のように無機質な彼の反応に、内心やや不審を抱いていた。不気味とさえ思った。
「あ、あんた王子に向かってなんて口を……」
セリアは言いかけて口をつぐんだ。自分の事を棚に上げていることに気付いたからだ。だが何も知らない男に貶されると、なぜか腹が立つ。
「……まあいいわ。何者か知らないけど、口ぶりからするにさぞ腕に自信がおありのようね。要するにあれでしょ? あたしみたいな輩から王子をガードするみたいな役目なんでしょ? いいわ、確かに無視するのもかわいそうだから、先にあんたから相手してあげるわよ」
「はあ? なに勝手な妄想してんだ? かわいそうなのはお前の頭だろ?」
「なっ、……なによこのっ!」
憎たらしい言い草にセリアは一気に逆上し詰め寄ろうとする。しかしすんでのところで踏みとどまった。
少し挑発的な態度を取られたからといって、このおそらく自分より二つ三つ年下であろう男にムキになるのも大人気ない。と必死に言い聞かせた。
険悪な雰囲気を感じ取ったのか、男を押しのけて後ろから仲間の女が間に入ってきた。
「ちょっとコウトくん! はいはいお姉さんゴメンなさいね~、この子もいまちょうど難しい年頃なんですよ~」
「この短気な女のほうがよっぽど難しいだろ」
「はい、もう行きましょ。どうも、失礼しました~」
女は少し困った笑顔で何度か頭を下げた後、コウトという生意気な男の手を引くようにしてその場を去ろうとした。
しかしセリアはもちろん、そのまま彼を逃がす気はない。
「ちょっと待ちなさいよ! あんた、このクエスト挑戦するんでしょ? なら経験者のあたしが、いまからテストしてあげるわ。クリアできそうな実力もないのにクエストに参加しても、それこそ時間の無駄でしょ?」
「どっちにしろ時間の無駄だ。さすがにやっぱり帰るとは言わないだろ? アラン」
そう言ってコウトはアランの方に首を振った。
「やるだけはやってみるが……、聖剣を使えない今の自分には荷が重いだろう」
アランは重々しい口調でそう答えた。どうにも覇気がない。
セリアの知るアランは昔から明朗快活というより冷静沈着というタイプではあったが、それにしても輪をひどい沈みよう。しかしそれよりも聞き逃せなかったのは、聖剣が使えない、と確かに彼の口がそう言ったことだった。
「……どういうことなの? 聖剣は、王子が持っているんじゃ……?」
「罪人スキルを浄化したら、なぜか知らないが『王家の血』まで消滅したらしい。笑えるぜこいつは。もう王子でもなんでもないな」
「ざ、罪人スキル!? どういうことよそれ!?」
国を捨てどこぞの安全な場所でぬくぬくと過ごしていたかと思いきや、王子が罪人として悪事を働いていたなどというのは、いくらセリアでも認めたくない事実だった。
コウトが嘘を言っている様子はない。アランも反論しない。
セリアはさらに問い詰めたが、コウトは口が滑ったとばかりに再び口を閉ざし、アランはただうつむくだけ。
さきほどの決心が、彼女の中であっという間に崩れ落ちていった。もはやここまで堕ちた勇者を、打ち倒す価値などあるのか。もはや視界にすら入れたくなかった。
自分で手を下すまでもなく、勇者などというものはやはり幻想だった。人心を掌握するだけの、ただのまやかし。
ずっと前からわかっていたはずなのに、それでも、なぜだろう。この胸を締め付けられるような感覚は。あまりにも激しい怒りに体が異常をきたしているのだろうか。
――ダメだ。このままじゃおかしくなる。どうにかしてこのよくわからないもやもやを、発散させないと。
こういう時はもう、バトルをするに限る。
セリアの標的は、彼女の中ですでに勇者ではなくなったアランから完全にコウトに向けられた。
「……もういいわ。それで、あんたはなに? 結局理由つけて逃げるの? わかった、どうせ口ばっかりで本当はなっさけない腕なんでしょ? そういうのってマジで最悪。クズね」
「デュエルはドロップも経験値も何一つ得られるものがない。だから時間と労力の無駄だと言ってるんだが」
なんなのよこいつ……、なんでヘンに冷静なの? とセリアは歯噛みする。
これだけ挑発すれば、過去の経験上普通相手の方からつかみかかる勢いで勝負になだれ込むはずだった。
その上ただ時間の無駄と、まるで自分が勝つのが当然だと言わんばかりの口調がさらにセリアを興奮させた。もうなにがなんでもこいつを叩きのめす、と。
「そう、わかったわ。要するに見返りが欲しいわけね? じゃあもし、万が一、あんたがあたしに勝てたら……、そうね、一つだけなんでも言う事聞いてあげてもいいわよ?」
「……なんでも?」
その言葉にコウトは反応した。セリアはここで初めてはっきりと男の表情の変化を見た。
まるで機械のような印象しかなかった彼が見せたいたずらっぽい笑みは、意外にもあどけなさの残る少年のようだった。
予期せぬ不意打ちにセリアは少したじろぐ。
「な、なによその食いつき。あんた、もしかしてなんかいやらしいこと考えてるんじゃないでしょうね?」
「ならいいだろ、受けてやるよ」
セリアは豹変したコウトの態度にいまいち釈然としなかったが、心のうちでは必死にこぼれそうな笑みをこらえていた。うれしくて仕方ない。
彼女は俗に言うバトルマニアである。まだ見ぬ強敵を求め旅をした時期もあるぐらい。
行く先々でただ女であるという理由だけで文句をつけられることも少なくなく、相手には事欠かなかった。
そしていつしか彼女はこういう、自信過剰な勘違い男を完膚なきまでに叩きのめすことに快感を覚えるようになっていた。
しかしここ最近はそれもすっかりご無沙汰である。無差別に盗賊を闇討ちするのとは違う。並外れた実力を持つ彼女に真っ向から立ち向かい、一対一の勝負をする人間など皆無なのである。
(くくっ、……コイツ、一体どうやって料理してやろうかしら。まずはアレで遊んで……)
にやつきながら妄想を始めたセリアを、コウトがせかす。
「おい、やるなら早くしろ。言っておくが俺はデュエルシードなんて持ってないからな」
「あたしが持ってるわ。……そうね、あの辺なら大丈夫でしょ」
セリアは祭り会場のはずれ、障害物も人影もない場所に向かって歩き出す。コウトもそれに続いた。
「ちょっともうー、知らないよハジかいても……」
その後姿に向かって、肩をすくめたフィーネが呆れた声をかける。横で黙って一部始終を見ていたリィナがにこにこと笑いかけた。
「大丈夫ですよ。コウトさんが負けるはずありませんし」
「なんでそんなこと言えんの? わかってないなぁ、こう見えてもあたしには『透視』スキルがあるんだよ。さっきこっそり『透視』したんだけど、測定不可。あたしのスキルレベルが低いせいだと思うんだけど、レベル50以上は確実じゃないかな。とてもとてもコウトくんがかなう相手じゃないよね」
「いえいえ、問題ないですよ。ですよね、アランさん」
いきなりリィナに話を振られたアランは少しうろたえた風だった。ただでさえ、彼のリィナに対する態度はどこかぎこちない。
「……以前見せた彼の力なら敵ではないと思うが……、セリアも相当な使い手ではある」
誰にともなく中空を見てそういうと、アランはコウトたちとは別の方向に向かって歩き出した。フィーネが呼び止める。
「あれ、見に行かないんですか? 二人の戦い」
「すまないが、そろそろ自分は入り口周辺で待機しようと思う。もしも順番が飛ばされ失格になるようなことがあっては困る」
アランはクエストの順番待ちの列へ目線をやる。ウィンドウに表示される待ち人数は二十二人。
まだ余裕はあるが、順番の進むペースが一定でないため万が一もありうる。
「じゃあアランさん、一人じゃなんですから、わたしもお供します」
ちょこっと横に寄ってきたリィナに、アランは少し決まりが悪そうにぼそりと口を開いた。
「……好きにしてくれ」