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ウィスパー・ハッピー ~病室響くオルゴール~

作者: 日原武仁

「君は漫画の主人公か何かなのかね?」

 リンゴの皮を果物ナイフで剥きながら、吉永は溜息混じりにそう言った。

「夕方遅く、暗くて視界が悪かったからといって飛び出してきた猫を慌てて避け、河川敷の土手を自転車ごと滑り落ちて入院するとはな。看護師の方とフラグでも立てようと思ってしまうよ」

 詰問するように、吉永は睨むような視線を寄越してくる。凛々しい若武者のような容貌のせいか、返答次第では斬り捨てるという、そこはかとない殺気が滲み出て見えるのは俺の気のせいだろうか?

 ここは市内の総合病院の一室だ。四人用の部屋にいるのは患者である俺と、彼女である吉永だけ。中年のおじさんが同室なのだけれど、吉永が見舞いに来たのを見ると、気を利かせたのかすぐに病室から出て行ってしまった。

 心遣いは嬉しいけれど、一緒にいてくれたほうが良かったな、と微妙に思ってしまうのはどうしてだろうね?

「入院といっても検査入院だから明後日には退院できるし。吉永が思っているような展開になるには少しばかり日数が足りないな」

「そうとも限らない」

 やんわりと笑顔で、男の包容力を思いっきり発動させて答えた俺を、八つに切り分けたリンゴのように一言の元に吉永は切り捨てた。

「君にその気が無くとも、向こうにその気があった場合は分からない。君はまあ、適度に着飾って街を歩けば十人中四人くらいの婦女子が振り向く程度の容姿だ。万が一、億にひとつがあるかもしれない」

 ……多分、誉められているとは思うのだけれど……そんな気がしないのはなぜだろう? というか、暗に服のセンスが悪いと言われてる気がして仕方ないんだけれど……気のせいだよな?

「だからだな」

 内心軽く凹んでいる俺を知ってか知らずか、吉永は己の言葉を続けていく。

「君がもし、誘惑に負ける事があった場合」

 サクッ、と、吉永の果物ナイフがリンゴの一切れに突き立てられた。その所作は自然で、声音も淡々としている。だからだろうか、相当に怖いものを感じてしまうのは。

「この吉永のことは忘れたまえ」

 ナイフに突き刺されたリンゴと共に、俺の前に出てきたのはそんな言葉だった。

 思わずぽかんとしてしまう。てっきり「君を殺すからな」くらいの脅迫にも近いようなセリフが出てくると思っていただけに、妙な肩透かしをくらった気分だ。

 そんな俺に吉永は不思議そうな顔をし、

「食べないのかね? それとも君は『アーン』とでも言って欲しいのかな? ならば仕方ない。ではあらためて……」

「ああ、いやいやいや、そうじゃないそうじゃない。やって欲しいっちゃやって欲しいが、ナイフでやるのはどうかと思うんだ――じゃなくて!」

 思考が空白のあまり、不意に本音が出てしまうのを何とか押し止め、頭の中を整理しながら言葉を紡いでいく。

「でもなんか意外だな。吉永から身を引くような発言が出るなんて」

「そうかね」

 出したリンゴを手元の皿に戻しながら、吉永は平然と言った。

「君の心がこの吉永から離れてしまうということは、それだけ君の心をこの吉永が掌握出来ていなかったということになる。それはこの吉永に落ち度があったと言わざるを得ないからな」

 ……そういうもの、だろうか……?

 吉永の言う事は分かる。分かるし、その通りなのだろうけれど……何か違う気がする。上手く言えないけれど、何か……違うと思う。

 曖昧な違和感に首を傾げる俺に、吉永は続けてこう言った。

「それは君とて同じ事だ。今の吉永は心も身体も君で一杯になってはいるが、それがいつ何時他者に取って変わってしまう可能性はゼロでないことを自覚したまえよ?」

 ニヤリとした笑顔で茶化すような口調であるけれど、俺を見つめる瞳は真剣だ。

 ふと、全然関係無いことを思った。

 吉永は……もしかしたら素直にお願いが出来ないのではないのだろうか? 何かして欲しい事があっても直接言わず、まったく関係無いことを遠回しに言う事しか知らないんじゃないのだろうか?

 だとすれば。だとすれば、だ。吉永の本当に言いたい事、分かってもらいたいことは……

「あー、吉永。そんな風に言われた後で言うのも何だけど……」

 ひとつの心当たりに思い当たり、何となく気恥ずかしいものを感じながら、俺は意味無く頬を人指し指で掻きながら口を開いた。

「そこのチェストの引き出しな。開けてみ」

 言われた吉永は何も言わずに引き出しに手をかけ――引いた。

 中から現れたのは少し形が歪んでいるが、黄色いリボンと水色の包装紙できれいにラッピングされた手の平くらいの箱。

「………………」

 無言で見つめてくる吉永から顔を背け、青空の広がる窓の外に目を向けながら俺は言う。

「こんな場所で渡すつもりはなかったんだけどな。まあ、その、なんだ。……誕生日おめでとう」

「……………………開けてもいいのかな」

 たっぷりとした沈黙の後、吉永は静かにそう言った。俺は無言で、目を合わせないままに首を縦に振る。

 急ぐようにガサガサと、だけれど丁寧に包装紙を開けていく音が聞こえてくる。

「オルゴール……」

 吉永の呟くような声が聞こえ、続いて澄んだ音色が響く。ビートルズの“プリーズ・プリーズ・ミー”だ。

「この前デートした時、何となく欲しそうに見てたからさ。それでそいつにしようと思ったんだけど――」

 ようやく吉永に顔を向けて俺は言う。吉永の顔は冷たい程に無表情だった。

 やば! 俺……何か地雷を踏んだのか?

「……この吉永の誕生日は昨日だが?」

「あ、ああ……遅れたことについては謝る。俺だって本当は昨日の内に渡そうと思ったさ。だけどこんな風になっちゃってさ。ホント、俺ってば間が悪いよな」

 包帯に覆われた右腕を上げて示しながら苦笑する。 

 そんな俺に吉永を溜息を返し、

「……君はもう少し気遣いの仕方を覚えた方がいいな」

 と、ギクリとするようなことを言い放った。

「笑顔が硬くなったな。やはりこの吉永の想像通りということか」

 しまった! 今のはカマ掛けだったのか! ちぃっ! こいつは不覚すぎるぜ……

 昨日、バイトが終わるのが遅かった。吉永へのプレゼントを買い、彼女の家へ自転車でトバしている最中に俺は怪我をしたのだ。

 これが平日だったら大学で渡せたんだが、生憎と昨日は土曜日だった。そのせいでまさかこんな風になるとは思ってもみなかった。まったくもってカレンダーが恨めしい。

「言っとくけど吉永はこれっぽっちも悪くないぞ!? 俺がドジでノロマな亀なだけであって……!」

 慌ててフォローする俺は思わずギョッとした。吉永が――泣いていたからだ。

「ど、どうしたんだよ、吉永!? どこか痛い所でもあるのか!?」

「どこも痛くない。この吉永はいたって健康だ」

 オロオロする俺に吉永は涙を流した顔のまま、平然と気丈そうに……だけど所々震える声でそう言った。

「嬉しいのだよ。好きな人から贈り物を――誕生日のプレゼントをもらうのがこんなにも嬉しいものだとは思わなかったな……」

 吉永は目元をハンカチで拭う。だけれど透明な雫が止まる気配はまるでない。

 ど、どうすればいいんだろう……? 何と声をかければいいのか、何をすればいいのか分からない。男として、彼氏として、俺は一体何をすればいいんだ?

「腕を貸したまえ」

 困って戸惑い、何も出来ない俺に吉永は唐突にそう言うと、俺の左腕にしがみつくように身体を預けてきた。

 吉永の柔らかさに思わず身体が硬くなり、吉永の髪から香る甘い匂いに身体が熱くなる。

「あ、あの……よ、吉永、さん? い、一体、な、何の真似で、ご、ござりますでしょうか……?」

 緊張のあまり頭は真っ白になり、紡ぐ言葉は出来そこないのロボットのように片言で壊れていた。

「本当に君は気遣いを知らない男だ」

 俺の肩に頬を押し付ける格好で、吉永は呆れたように言ってくる。

「目の前で彼女が泣いていたなら肩を抱くなり、胸を貸すなりするのが男の役目だろうに。まったく君ってやつは物を知らないというか、意気地無しというか、甲斐性無しというか」

 酷い言われようだが、事実その通りなのが情けない。

 いつもなら憎まれ口のひとつも返している所だが、今は吉永の毒舌よりも二の腕に当たる柔らかさに意識が行きっぱなしな訳で……

「ささやかなお返しだ」

 突然に吉永は言った。

「ここが病院ではなく、君が怪我をしていなかったらもう少し違う派手なものになったのだろうが……まあ、今回はこれで我慢しておきたまえ」

 もう涙は止まったらしく、その声に濁りは無い。それどころか、どこか嬉しそうで満足したものさえ浮かんでいた。

 これよりも派手な事か……色々想像が膨らむな。でも今はこれでも十分過ぎるくらいだろう。

 吉永の体温と、柔らかさを心地好く感じながら、俺は吉永の方に頭を傾けようかどうかを考えていた。


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