伯爵令嬢たるもの
◇◇
目が覚めたら、わたしは美しい少女になっていた。
艶やかにうねる金髪。
鮮やかな緋色のドレス。
つり目がちの涼やかな瞳。
わたし……わたくし?
わたくしは、伯爵令嬢なのだ。
なんだか悪役令嬢みたい。って、鏡を見ながらちょっと思った。
◇◇
「おはようございます、お嬢様。朝の御仕度に参りました」
侍女のニコレッタが手水鉢を持って来た。
「ええ。ありがとう、ニコレ」
ニコレッタに驚いた様子はない。
もとのお嬢様は「あのお嬢様が、お礼を……!」みたいなキャラではなかったみたい。
ちょっと安心した。
◇◇
わたくしってやっぱり、悪役令嬢なのかしら。
なんとなく、周囲がわたくしを遠巻きにしているような気がする。
わたくし付きのニコレッタは親切だけど、ほかの使用人たちはそうでもない。
そうでもないだけで、冷遇されているわけでもないけど。
距離があるというか、杓子定規というか。余計なことは一切喋らないというか。
お貴族様と使用人って、そんなもんなのかな。
よくわかんないですわ。
◆◆
なかなか新しい身体に慣れることができない。
背の高さが違うせいか、見えるものの角度まで違っているような気がして、あちこちに手足をぶつけてしまう。
こころなしか身体が重く感じて、背を丸めそうになる。
いけない。
わたくしは伯爵令嬢なんだもの。
伯爵令嬢たるもの、常に凛としていなくては。
わたくしは誰もいない部屋でひとり、裾をつまんでカーテシーの形を作った。
少しぐらついてしまったけど、わたくしは観衆に向かって優雅に微笑んだ。
◇◇
制服っぽいドレスを着せられた。
馬車に揺られて学園に行くらしい。
貴族なのに学園。
ってことは、やっぱり乙女ゲーム的な世界なのかな。
◇◇
学園でも、わたくしはボッチらしかった。
遠巻きにされているというか、空気感というか。
いじめられてないなら、まあ、いいか。
いいことにしよう。
◇◇
学園でまず目に入ったのは、眩いばかりの高貴な美青年。
王太子殿下だ。
ピンク色の髪の美少女を隣に侍らせている。
ますます乙女ゲームっぽい。
王太子のことは知っているのに、この体には美少女についての記憶はないらしい。
ゲーム開始直後ということだろうか。
◇◇
伯爵令嬢は自由に寄り道などできない。
馬車に乗って登校し、馬車に乗って帰る。
つまらない。
最近不審者が出るとかで、侍女を連れての買い物まで止められた。
つまらない。
◇◇
この世界の料理はおいしくない。
食べられないほどではないが、いまいち。
一味足りないというか。
味がしないというか。
ずいぶんと素材の風味を生かしたお味ですのね、というか。
この世界なら飯テロ、いけるかしら。
でも、なんとなく冷めた目でわたくしを見る使用人たちは、伯爵令嬢を厨房に入れてくれるだろうか。
まあ、いいか。
食べられないほどではない。
◇◇
「あの方達が気になりますの、ミーティア様」
殿下と美少女をぼんやりと眺めていると、ご学友の令嬢に声をかけられた。
窓の外から華やかな笑い声が響いていたので、別に何ということもなく眺めていただけだ。
「あの方、どなただったかしら」
ちょうどいいので尋ねてみると、ご令嬢は面白そうに笑った。
「……そうですわね。伯爵令嬢ともあろう方が名を覚えるほどの者ではございませんわね」
教えてもらえなかった。
「殿下も酔狂なこと……端女にでもなさるおつもりかしらね」
はしためってなんだっけ。わたくしは曖昧に微笑んだ。
◆◆
味がしない。
メイドが運んできた皿に手を付けたわたくしは、思わずしかめそうになった眉を押し留めた。
伯爵令嬢たるもの、食事が意に沿わぬからと顔に出してはいけない。
ことさらに優雅にナイフをふるう。
よくよく噛みしめて、素材の滋味を探すように。
いつも食事を運んでくる老メイドは、ゆっくりと咀嚼するわたくしに何も口を出さなかった。
伯爵令嬢らしく毅然とした態度で、わたくしは味のしない食事を飲み下した。
◇◇
ニコレッタといっしょに迎えの馬車を待っていると、殿下と美少女たちが校門に向かってくるのが見えた。
わたくしは邪魔にならないよう、伯爵令嬢らしく優雅なカーテシーで脇に控えた。
慣れない動きにちょっとだけぐらついたのはご愛嬌。
◇◇
殿下と美少女たちはよくお忍びで学校を抜け出す。
いいのかな。
不審者が出るとかで、伯爵令嬢ですら外出させてもらえないのに。
よっぽど優秀な護衛とかが潜んでいるのだろうか。
いいなあ。
◆◆
あのひとが走る馬車に乗っているのを見た。
彼女は若い。
彼女は美しい。
彼女は、自由だ。
わたくしも外に出たい。
着飾って町を歩きたい。
でも、あの年老いたメイドはそれを許さない。
窮屈だ。
新しい身体にはなかなか慣れない。
形の合わない靴に押し込められているようだ。
窮屈だ。
◇◇
お出かけだ!
ごねにごねた甲斐があるものだ。
いつも茫として我儘を言わないわたくしのおねだりに、お父様がついに折れた。
殿下たちも行かれたと噂の、お洒落なカフェーに行くことを許してもらった。
行き帰りも馬車だし、お散歩まではできないけれど。
たのしみ。
◆◆
久しぶりのお出かけ。
何を着ようか。
そうだ、あの赤いリボンをつけよう。
伯爵令嬢らしく、とっておきのお洒落をしよう。
◇◇
カフェーの車止めに馬車が止まった。
嬉しすぎて馬車から駆け下りたいほどだったが、伯爵令嬢たるもの節度を保たなければ。
「お嬢様、足元お気をつけて」
先に降りたニコレッタが声をかけてくる。
わたくしは馬丁が置いた足場にしずしずと足を乗せた。
◇◇
「お嬢様、戻ってください!」
ニコレッタの鋭い制止にはっとした。
理由は訊くまでもなかった。
わたくしは足場の上で立ち尽くした。
ひと目でわかった。
噂の不審者が、ギラギラと燃える目でわたくしを睨みつけていた。
◆◆
「あなた、何者ですの?」
わたくしはあの不審な女に問いただした。
「……わたくしはミーティア。伯爵令嬢ですわ」
言うに事欠いて、あの女はそう言った。
許せない。
「ふざけないで! ミーティアはわたくしですわ!」
◇◇
「あなた、何者ですの?」
その男はわたくしにそう言った。
五十絡みの、薄汚れた男だ。
身体に合わないドレスに小太りの身体を押し込み、頭には緋色のリボンを巻いている。
「……わたくしはミーティア。伯爵令嬢ですわ」
わたくしが恐る恐るそう答えると、不審者の逆鱗に触れてしまったようだ。
「ふざけないで! ミーティアはわたくしですわ!」
その男は吠えた。
「誰だか知らないけど、わたくしの身体を、返してよ!!」
◇◇
あっという間だった。
知らないうちに父につけられていた護衛がわらわらと現れて、不審な男を連れ去ってしまった。
わたくしは何事もなかったかのようにカフェーに通され、お茶と菓子を供された。
それっきり、何も教えてもらえなかった。
◆◆
目が覚めたら、わたしは知らない誰かになっていた。
艶やかにうねる金髪も。
鮮やかな緋色のドレスも。
つり目がちの涼やかな瞳も。
みんなみんな失ってしまった。
年老いたメイドがわたくしを部屋に閉じ込めた。
「親の顔も忘れてしまうなんて」
老メイドが吐き捨てるように扉を閉めた。
あんな下賤な女が母親のはずはない。
わたくしは、伯爵令嬢なのだから。
鈍重な体を叱咤して、わたくしは令嬢らしく背筋を伸ばした。
いつかまた目覚めたら、わたしがミーティアに戻っている日が来る。
その日まで、矜持を失うわけにはいかない。
わたくしは、伯爵令嬢なのだから。




