沈黙する人々
約2億8800万。
そこから半分に削られ、約1億4400万。
独り身は、1日6575.34。
家族がいる者も同様だ。
政府指定ジョブの場合は、就業開始からそこに追加、日毎3500。
寿命の平均60年から算出した数字だった。
「申請は却下」
「ッ──!!」
〈発声を検知。-0.57v〉
内耳の奥に埋め込まれた骨伝導パルスから、骨に直接信号が送られる。微かな声帯振動すら感知する冷徹なマシン。
冷静になれ。
心を落ち着ける為、イオは目を閉じて深呼吸をしてから、声を押し殺すように気道に力を込めて片手で口を塞いだ。
受付係は至って冷静に左手で持ち上げた再申請用紙を指差してから、何も言わずその指をイオの後方にある記入スペースへと移した。
六回目のボイスカウント追加申請だった。次に再申請しても同じことの繰り返しになるだけだろう。イオは握った拳を振るわせながら、ボイス管理局を後にした。
『くそっこのままじゃ……』
喉に埋め込まれた湾曲ディスプレイは六桁を切っていた。
赤ちゃんの鳴き声にも、就寝中のイビキにも適用される。
イオは興奮したら感情を抑えられず、人一倍喋る。もちろん若くしてここまでカウントが減算されているのはそれだけが原因ではない。
多弁症候群に分類される病に罹患してた。つまり、喋り出したら自分の意思とは無関係に、内容に関わらず、止めることは困難だった。
カウントが零になれば、ディスプレイに内蔵された反転式レーザーによる声帯焼灼が実行される。
声を出せなくなった者たちはその後、シティの外へ追い出されて、行く宛のない放浪の旅へ出ることになる。
事実上の死亡通告だった。
途方に暮れたイオは、普段通らない道に進みふと目に入った公園のベンチに腰掛けた。
もう、これ以上どうすることも出来ないのか。虚無だけが支配する荒野へ放り出されるのならば、いっそのこと……。
追い詰められた彼の思考はネガティブに傾き、やがて死への渇望を感じるほどになっていた。
「ファ、ソ・ラ・ド──。ファ──、ソ・ソ♯・ラ♪」
ゆったりとしたテンポで、どこか儚げなメロディ。
女性の美しい歌声がイオの鼓膜を振動させた。
誘われるようにベンチから立ち上がると、声の主を探して歩き出した。
「ファ、ソ・ラ・ド──。ファ──、ソ・ソ♯・ラ♪」
心地よい風が吹き、サラサラとした葉っぱの擦れる音がする、大きな木の根元に彼女は片膝を抱えて座り込んでいた。
彼女は流れるウェーブがかかった、プラチナブロンドのしなやかなショートヘアを耳に掛ける。
「なんて歌なんだい?」
AIは容赦無く減算をイオに告げ、彼女の歌が止まる。
イオがボイス減算も気にせずに背後から声をかけると、彼女は驚きも振り向きもせず答えた。
「リミット。よ」
「いい、歌だね」
「機械のあなたにも、歌の良さがわかるのね」
ボイス減算を恐れるばかりに、会話の語彙が全くなく、単調な言葉の羅列を多用する人々のことを機械と揶揄する。そのことをイオは理解していたが、彼女の言葉に嫌悪の念を感じることは一切なかった。
「……減算が、怖くないのかい?」
「好きなことが出来なくなる前に、好きなことをするだけよ。当たり前のことでしょ?」
強い意思の言葉。立ち上がってこちらに向き直った彼女にイオは激しく動揺した。
〈5658.97〉
彼女のボイス残量は、四桁だった。
「何?珍しいことでもないでしょ。声が出せなくなったら、何れにせよ、私は死ぬわ」
〈5618.51〉
何の感情も持たないカウントが刻一刻と、死へ近づいている。平均寿命よりも四十年ほど減った数字。
「もう喋るのを止めるんだ!」
イオは叫んだ後に口を押さえた。本当はもっと聞きたいことがあった。だけど自分のカウントは元より、彼女を死へ誘うことにもなる質問をどうしても避けたかった。
「私の名前はクリスティ。あなたは?」
あっけらかんと喋る彼女は、イオが普段会う人々と違って自由奔放に、本当に思ったことを喋っていると感じられた。
喋り出せば発作のように言葉が溢れ出し、一気にカウントを食いつぶしてしまう。その恐怖と闘っていた心が、軽くなった。
右手の力が抜けた。
「僕はイオ。君の歌声は素晴らしかったよ」「ふふふっ。なんだ機械じゃなかったのね」 クリスティが笑顔になるとイオもつられたように笑った。
二人は木陰で色々な事を喋った。
子供の頃にイタズラをした話。
住んでいる場所の景色。
そして、将来の夢。
「私は歌手になるのが夢なんだ。いや、夢だったって言った方がいいかな?こんな世界じゃ自由に歌う事も出来ない」
「なら、いい場所があるんだ」
イオが微笑んで、クリスティは不思議そうに彼を見つめた。
シティの中心地にあるタワーの最上階にある吹き曝しの展望台。
カラフルな広告を垂れ流す立体アートや人々の行き交うメトロの入り口。
クリスティは事故のないように付けられたタワーと同色の格子に張り付き、遠くの荒野を見つめる。
「いい、景色だろ」
クリスティが無言で頷く。
「ファ、ソ・ラ・ド──。ファ──、ソ・ソ♯・ラ♪」
公園で聴いた歌にイオは目を閉じて、耳を傾ける。
まるで時間の流れが停滞して、美しい景色のコントラストが網膜の中で静止したような感覚を覚えた。
味気ない日常。シンプルで無駄のない、言葉を並べただけの会話。
それは色の無い、モノクロの人生。
ただ、流れるだけの時間に身を任せ、老いさらばえるだけの機械。
この世界では当たり前の生き方に、疑問が芽生えた。
「ファ、ソ・ラ・ド──。ファ──、ソ・ソ♯・ラ♪」
歌が終わると同時に、自然と拍手が巻き起こった。
周りにいた人々は涙を流し、クリスティを無言で讃える。
「夢が、叶ったね」
「ありがとう、イオ」
クリスティの頬にも一筋の涙が流れた。
イオは次の日も、彼女と会った公園に出かけた。
しかし、タワーの下で別れたイオとクリスティが再び逢うことは二度と無かった。それでも彼は、最期まで、どこかで歌っているクリスティの姿を確信していた。
イオは病に侵された自身の悲運など忘れ、本当に喋りたいことだけを頭の中で考えて喋るようになった。
追放の日は遠からず訪れた。レーザーが容赦無く声帯を焼灼し、イオの声は失われた。
『クリスティ…ありがとう。おかげで自分を取り戻せたよ』
イオは、シティのゲートに連行される前に、最後の景色を目に焼き付けた。
あの日、クリスティと出会った公園の木々は、今もたおやかに記憶の中で揺れている。
振り返っても、かつて暮らしていたシティが見えることは無かった。荒涼とした無限の荒野が、砂を巻き込んだ風を吹きつけてくるばかりだった。
だが、その頭の中では、クリスティの澄んだ美しく自由な歌声が、今も尚、反芻され、彼の心を優しく包み込んでいた。




