8話 常宮みことは燃やせない②
8話 常宮みことは燃やせない②
文化祭の三日前、この課題における最後の美術の授業の日。常宮の絵はほとんど完成していたから、適当に磯倉と喋ってひまつぶしてればいいか、と常宮はぼんやりと思っていた。その思考を自覚したとき、自分が案外磯倉との会話を楽しんでいることに気づいて、何とも言えぬもやもやとした感情を抱いた。こんな醜いやつと、私が? いや……それとも、私みたいなひどい人間と……
「ん? 絵どうしたの?」
「ないらしい」
「え?」
「先生がなくしたらしい」
「ど、どういうこと? ちょっと先生? 磯倉の絵なくしたってどういうこと?」
美術教師はにこにこと笑いながら向かい合って座るふたりのもとにやってきた。
「いやー。いい絵だったのに、残念だったねぇ。まぁでも、ふたりとも通信簿に高い評価つけとくから。先生、ふたりが真面目に絵描いていたの知ってるからね。大丈夫! 心配しなくていいよ!」
うさんくさいセリフだった。生徒を心底舐めている人間の、心底舐めた言動。常宮は眉をひそめて言った。
「管理どうなってんですか? 普通に責任問題じゃない?」
「まぁまぁまぁまぁ」
「磯倉はいいの? あんな真剣に書いてたのに」
「まぁ別に。ほとんど完成してたし」
「まぁあんたがいいならいいけどさ」
常宮は再び自分の目の前にある緑色のモンスターの絵に向き合った。ついつい、ぷぷっと笑ってしまう。磯倉と見比べようと思って並べたが、笑うことはできなかった。面白さよりも不快感が勝ってしまう。
「でもさ、磯倉。いやなら見なきゃいいよね」
「俺の顔の話か?」
「うん」
「でも人の顔を見て話しなさいって教わらなかったか?」
「教わったね」
「天然のダブルバインドだ」
「ふふっ」
常宮は、ふとあることを思いついて、国語の授業中スマホを取り出して「磯倉テスラ」と調べた。国語教師は生徒のひとりが授業中にスマホを見だすなどという秩序を乱す行為を行ったのですぐに指摘して叱責しようとしたが、常宮みことであることに気づいて慌てて授業を継続した。
教師たちにとってもっとも重要なことは、第一に給料をもらうこと、第二に生徒を支配して気持ちよくなること、第三に出た杭を打つことで問題を予防することだったが、実はそれよりさらに重要なことがひとつあった。それは「自分の命の安全を守ること」である。それゆえ教師たちは「触れてはならない生徒ランキング」を作り、周知させていた。常宮はそのはえある第一位であり、完全なるアンタッチャブルだった。
「マジかよ」
常宮は、ヤフーのオークションに出ていた一枚の絵を見つけてついそう言った。
そして、その絵の説明文に、こう書かれていた。
「売り上げの一部は○○高校の文化祭費用にあてられます」
常宮は思った。ほんまか?
文化祭当日、常宮は一枚の絵を学校に持ってきた。
「え、それって」
なぜか少し落ち込んでいる様子だった河原内蓮が、その絵を見て、とても驚いていた。
「委員長、これ、飾っていいよね。私ナンバーワンメイドだし」
「え? ま、まぁ、うん。みんながいいならだけど」
「すごーい! これ常宮さん? 本物より美人!」
「誰に書かせたの? プロ?」
「いくら払ったの!?」
失礼なクラスメイト達が次々に聞いてきたが、常宮は自らの怒れる本性を抑えながら、その絵を教室の一番目立つところに飾った。
「見つかったんだな」
磯倉はそう言った。
「やっぱりあんたが出したんじゃないんだね」
「何の話だ? どこかで売られてたのか?」
「まぁ」
オークションで、1800万。常宮自身も、自分が想像していたよりもはるかに値段がつり上がって驚いていた。誰だかわからないが、ひとり、1500万までついてきた馬鹿がいたのだ。
「自分で言うのもなんだが、いい絵だな」
「実物よりもね」
常宮は、柄にもなく自虐して見せた。実際、ここに描かれている自分は、鏡で見る自分の顔よりずっと美しく見えたし、左右対称じゃないからそう思うのかと思って何枚か写真を撮ったりもしたが、それでもやはり、この絵と実際の自分は全然違うと思った。
「あんたの目には、私はこう見えてるの?」
「いや」
「だろうね」
「いらっしゃいませご主人様」
「うるせぇ黙れ」
「はぁ? お前が黙れよ」
ちょくちょく客と喧嘩しながらも、文化祭は何事もなく終了し、常宮はその日の度重なるセクハラと不愉快な客への対応をこなしたうえで、一度も怒りを爆発させずに抑えきった自分に最大の賛辞を贈りたい気分になっていた。
「お疲れ様、常宮さん。すごくよかったよ」
「委員長もね」
終わった後、珍しく常宮はとげとげしい気持ちなく河原内と向き合うことができていた。
「あの絵なんだけどさ、あれって磯倉君が書いたやつだよね」
「うん」
「よかった。あれを持ってるのが、常宮さんで」
「どういう意味?」
「あの絵を、知らない人が持っているのはなんか嫌だったんだ」
「うん? 意味がちょっとよくわかんないんだけど」
「ううん。いいの。でも本当によかったなって思って」
「あっそう」
常宮は、家に帰ってきて、改めてその絵を眺めた。不愉快な絵だ。
実のところ、常宮が怒りを抑えられたのは、家に帰ったらこの不愉快な絵を燃やしてやろうと思っていたからだった。我慢した分だけ、それが燃えていく様を見るのは気持ちがいいだろうなと想像して、怒りと不快感に耐えていたのだった。
「ほんとに、最悪」
これが誰かの手に渡って、この先ずっと自分の知らない場所に飾られ続けるのだけは許せなかった。だからいくら払ってでもこれを手に入れる必要があったのだ。
自宅の何もない倉庫の中、常宮はその絵を見つめた。
その絵の自分は、どこか儚げで、寂しそうで、今にも消えていきそうだった。それゆえに美しく、魅力的だった。
この絵を人が見ているとき、常宮は自分という存在が無視されているような気分になった。まるでこの絵が自分の代わりに必要とされ、この絵に期待されていることがそのまま自分に覆いかぶさってくるような、そんな気分になったのだ。
だから、燃やしてしまわないといけない。燃やして、存在ごと消してしまわないといけない。
そう思って、魔法で指に火をつけた。改めて絵を眺める。
「ふぅ」
ほっと息をついて、薄暗い倉庫の中、蝋燭のような火に照らされた絵をじっと見つめる。確かにいい絵だ。燃やす前に、目に焼き付けて置く価値はあるだろう。
「うーん……」
ともった火がかすかに揺らいだ。
「よし」
常宮ははっきりとそう言った。決意が固まったのだ。
確かにこの絵は燃やさなくてはいけない。でも。
「そんなのいつでもできることだしね」




