7話 常宮みことは燃やせない①
7話 常宮みことは燃やせない①
かわいそう。河原内蓮は、朝起きて、電子人皮を取り付ける前の自分の顔を鏡で見て、そう思った。
蓮はものごとを公平に見ることを習慣づけていた。外から見たら自分はどのように見えるか。自分が関係していることに関しては、もし自分が関係していなかったらと考え、自分が関係していないことに関しては、もし自分がそのことと、とても深く関係していたら、と考える。彼女はそれゆえに、普通の人よりもはるかに公平で、正しくものを見ていた。
だからこそ、彼女は自動的に自分の容姿を見てそう思ったのだ。あんなにきれいな顔だったのに。かわいらしく、誰からも愛され、多分その気になればテレビで人気者にもなれたかもしれない、そういうレベルの美貌が、今やこれ。片方は火に焼かれ、残った部分も傷だらけ。それは磯倉の醜さとは異なる、見た人を気の毒に思わせるもので、目をそむけたくなる感情と同時に、その壊れてしまった顔をより詳細に確認したいという好奇心を呼び起こさせるようなものでもあった。
破損した工芸品。欠損した彫刻。修正に失敗した絵画。そういったものにもよく似ていた。違うのは、その顔に確かに感情と心が宿っているということ。そう思われるだけで、その内側の尊いものが傷つき、損なわれてしまうということ。
蓮は、胸がぎゅっと締め付けられるような思いをした。しかしそれは「自分がそういう目に遭っているから」ではなかった。目の前の自分を「そういう目に遭っている他の人」として蓮は見つめて、そうではない「真っ白で公平な精神としての自分」が、その人を見て、同情して胸を痛めているのであった。
「さ、今日も頑張ろう」
蓮は気を取り直して一連の支度をスムーズに行った。電子人皮を取り付け、食事をとり、朝のストレッチをして、家を出た。
「じゃあ文化祭の出し物決めるよー」
文化祭実行委員は脱力系女子、遣木名伊歩利。髪はぼさぼさ。目は細くて、制服をだらしなく着崩している。もうひとりは磯倉だが、先生が「お前は座ってていい」と言ったので、座っている。いい判断だ。彼が前に立っていたら、黒板の方を見ることは誰にもできなかっただろうから。
「はいはーい! メイド喫茶がやりたいでーす!」
パリピ女子のひとりがそう言った。
「おいおい、それだと男子が暇になるだろ」
「男子はバックヤードやってればいいでしょ。楽だし」
「あ? 俺たちだってメイドになりたいんだよ!」
「じゃあ女装もありにする?」
「いいねぇ!」
このクラスでは、出し物をするとき、普段騒がしくしている者たちは静かになり、普段大人しくしているちょっと変わった趣味の連中がここぞとばかりにしゃしゃり出てくる。
「じゃあメイド喫茶で決定ね! やっぱり売りは、今年のミスコン・ミスタコンの優勝者である常宮さんと、安智君だろうね」
委員でもない女子が勝手にそう言った。遣木名は何も言わずに黒板に「メイド喫茶、決定」と書いた。
安智はまっすぐ手を挙げた。
「俺は執事服が着たい。仕立ても自分でやる」
「あ、うん」
先生が口を出す。
「ちゃんと予算には気をつけろよー。公平性を期すために、ちゃんと使った素材の値段出して、限度額超えないようにしろよー」
「限度額いくらですか先生―」
「四百万」
「はぁ?」
常宮は思わず、いつものあの態度の悪い癖を出してしまった。
「四百万? 四万の間違いじゃなくて? 高校の文化祭に? 一クラス四百万? どうなってんの」
「クラス四十人もいるんだからひとり十万出せば行けるだろう。修学旅行代みたいなもんと考えれば大した額じゃねぇ。先生の年収よりも少ないし」
「金銭感覚どうなってんだよ」
クラスがざわついた。
「じゃあ委員長に出してもらおうよ。お金持ちでしょ?」
遣木名伊歩利がそう言った。教室が静まり返り、みなが河原内の方を見る。河原内は、電子人皮で困惑したような表情と、流れることはない汗もひとつ表示させている。
「……私が出すのは構わないけれど、でもみんなでお金を出し合ってやるのに意味があると思う。だから、みんなの負担にならない分で出し合って、それでも足りなかったら……私や、他のお金に余裕のある人が負担すればいいと思う」
「俺百円しか出せねぇや。貧乏だし」
ニヤニヤ顔を浮かべている愛締がそう言った。
「あぁ俺も」
「私も」
同調するクラスメイトたち。なんか嫌な空気。ちょうど鐘がなって、休み時間になった。
「あいじゃあとりあえずメイド喫茶で決定ね。あとのことは次の時間で決める。それじゃお疲れー」
遣木名がそう言った。常宮はため息をついた。
「めんどくさいな」
常宮は家に帰ってすぐに、メイド服についてネットで調べ始めた。予算四百万のうち、いくらを衣装代にかけられるか。自分たちで作るのがいいのか、それともよそに発注するのがいいのか。どうせやるならちゃんとしたのがやりたいし、どうせ自分が着るものなら、自分が納得できるデザインのものを着たい。そう思って色々調べているうちに、常宮はだんだん楽しくなってきた。
「いろいろあんだなぁ」
コスプレ用の衣装は需要が結構あるみたいで、思っていたよりも安価なものが多く、いくつか出来のよさそうなものを常宮は衝動で注文したが、届いてからサイズが微妙に合わない、細部の作りが甘いなど不満が多かったので全部捨てた。
「しかし、意外だったな」
美術の時間、常宮をちらとらと見ながら磯倉はそう言った。
「何が?」
「みながメイド喫茶なんていう馬鹿げた出し物に反対しなかったのが」
「そう?」
「お前は嫌じゃないのか? お前が一番嫌がりそうだと思ったが」
「別に」
「媚びるのも、人に使われるのは嫌だろう」
「演技じゃん。本当に嫌なら拒否できるし、何なら殺せるし」
「ふん。安智のやつもだ。あいつも意外と乗り気だったのが意外だ。自分の容姿を安売りするのは嫌がるだろうと思っていたんだが」
「そんな深く考えてないと思うけどね。どうせ『私の美を皆に見せられる素晴らしい機会だッ!(低音)』みたいに思ってるだけでしょ」
「まぁそうかもな」
「よし、まぁだいたいできたかな。ちょっと見てよ磯倉」
磯倉は手を止めて、自分の肖像画を見に行った。
「俺の顔はこんなに緑じゃないと思うが」
「でも私にはこう見えてる」
「……まぁ、これくらいに見てもらえているなら、俺としては嬉しいよ」
その絵は、明らかに人間というよりクリーチャーを書いたものではあったが、雑であったり下手であったりしたがゆえのものではなく、塗りのはみだしはほとんどなかったし、絵もちゃんと立体を感じさせるものだった。影の描写もできていたし、それほど絵を描く習慣がないわりには、よく描けたものであった。
常宮は自分なりに満足していた。確かにこれは磯倉ではなかったが、「もし性格が最高によくて、すごく面白い人物で、自分のことを理解してくれていて、自分のめんどくさいことを全部やってくれたうえで、自分のことが大好きで、一途で、それでいてちゃんと気遣いもできるし、引くべきときはちゃんと引ける大人の男性として、自分が付き合うことのできるぎりぎりのラインの容姿」を想定した描いたものとしては、かなりの完成度だと常宮は自負していた。また、これを描く過程で、自分が許せることと許せないことの境界を見直すきっかけになったので、人間的に成長できたな、などと考えてもいた。
「うわぁ緑ー」
先生が見に来て、そう言った。
「先生、もしこの顔の人物が、理想的な性格をしていたとして、この人と付き合えます?」
常宮はそう言った。
「え? 普通に嫌だけど」
「だってさ、磯倉」
「俺は関係ないだろう」
「というか、磯倉君の絵すごいね。売れるレベルじゃない?」
常宮も、磯倉の方の絵を見に行った。相変わらず本当にうまい。プロレベル、とまでは言わないが、常宮の特徴を捉えつつ、適度に美化……というよりも、誇張されて描かれている。
「ここのニキビ跡いる? そんな目立ってる?」
常宮は、自分がちょっと気にしていたかすかなニキビ跡を指さしてそう言った。
「……うわぁ丁寧ですね。そんなところまで書いているんですか」
先生はそう言った。常宮は腕を組んで「うーん」とうなっている。自分のような、自分じゃないような。複雑な気持ちになっていた。
「磯倉君って、常宮さんのこと好きなの?」
「ありえません」
「うぉ。即答。ちょっとさすがにそれは常宮さんがかわいそ……ではないか。まぁふたりとも引き続き頑張ってねぇ」
先生が別の人を見にいってから、常宮はふと思って言った。
「でも、私ミスコン優勝で、あんたブサコン優勝でしょ? 最も醜い男が書いた最も美しい女性って言ってメディアで紹介してもらったら、この絵本当に結構な値段で売れそうじゃない?」
「……下卑たアイデアだな。それで自分の絵が売れて嬉しいとでも?」
「でも売れたら、文化祭の費用の足しになるかもよ?」
磯倉は自分の顎を撫でながら、絵をじっと見つめている。
「まぁ、俺はやらんな。誰かが勝手にやる分には咎めないが」
「委員長は喜ぶと思うけどね。磯倉が、委員長のために自分の描いた絵を売ってくれてたら」
磯倉は顎を撫でていた手を膝において、ため息をついた。
「あれは不公平だ。というか、お前だって金ならあるだろう。なぜ河原内だけに負担を押し付けるんだ」
「そりゃ不公平だからでしょ。あんなに性格よくて、頭もよくて、人当たりもよくて、顔も……まぁ、そうだね。よくなっ、たし」
「それは本人の努力の結果だろう」
「環境のおかげとも言えない? 家は金持ち。豊かな暮らし。性格のいい友達……は、高校に限ってはそうとは言えないけど、小中といい環境で育ったのは間違いないでしょ」
「俺は中学時代三年間一緒だったから知ってるが、少なくとも中学はひどかったぞ。あいついじめられていたし」
「え? そうなの? 三年間?」
「まぁほぼずっとだ。本人は自分が望んでその立場に甘んじていると言っていたけどな。馬鹿なことだ」
「どういう意味?」
「誰かが、みなのストレス発散のはけ口にならないといけない。それで、一番その被害を受けても平気でいられるのが、自分だと思うからって。俺は偽善だって言ってやったが」
「……へぇ」
常宮も中学時代はいじめられていて、その復讐のために悪魔の力を手に入れ、そのうちひとりを殺めていたので、思うところはあった。
環境のおかげ、と自分で言ってみたはいいものの、常宮は心のどこかで河原内と自分の環境が少し似ていることも知っていた。親は金を持っているが放任主義……というか、もうはっきりといえばネグレクトで、家事は家政婦がやっていて、定期的に家庭教師が来る。いろんな。
別に名家というわけではなくて、単に親か祖父の世代で成り上がっただけの金持ちだから、何か特別な意識があるわけでもない。自由で、将来については、なろうと思えばなんにでもなれる、なんていうことを考えながら、同時に自分は現在何者でもなく、何者かになれるような気もしていない。
蓮も、そうなのだろうか? そうかもしれない。そう思うと、少し常宮の蓮に対する劣等感が和らいだ気がするのだった。
「でもあんた、なんで委員長助けなかったの? 三年一緒ならその機会くらいあったんじゃない?」
磯倉の顔は醜くいので見ていなかったから、常宮はその表情を確認はしていなかった。磯倉は「ふん」とだけ言って鼻で笑い、返事をしなかった。




