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6話 常宮みことは描けない

6話 常宮みことは描けない


 美術の授業は好きだ。選択科目で、嫌な奴がいないからだ。愛締統太(書道)はもちろん、河原内蓮(音楽)もいない。

 それに、何かに集中して取り組むのは好きだ。力や知能も絡まない。この領域では、私は「普通の人間」でいられる。

 常宮みことはそんなことを思いながら美術室への道を上機嫌に一人で歩いていた。その機嫌は、数分後に破壊されることになる。

「ということで、ペアになって相手の肖像画を書いてくださいねぇ。来週までに仕上げてきてください」

「はぁ?」

「まぁ、同情するよ」

 常宮は、頭を抱えた。ペアになった相手の方を一瞬だけ見て、また頭を抱えた。美術、というからには、美しいものを書かなければならないはずだ。なぜ、この世でもっとも醜いものを模写しなくてはならないんだ?

「……ねぇ、どうにかできないの?」

「できないな」

 磯倉テスラはすでに常宮みことの形をとりはじめていた。意外とすっきりした目鼻立ち。意外と長いまつげ。意外と広い額。何もかもが意外。実際、磯倉テスラはあまり常宮みことの顔に注目したことがなかったが、今年のミスコンに勝利しただけあって、なかなかの美形であることに気づいた。

「……うわぁ、うまいですねぇ磯倉君。その調子その調子」

 見に来た美術の女教師はぺちぺちとどこか幼児じみた拍手をした。

「それに引き換え……どうしたんですか? 常宮さん」

「いや、先生。手本を見せてくださいよ。私には磯倉を書くの、難しすぎます」

「いやいや、それでは授業になりませんから。見たまんま書けばいいんですよ」

「いや教える気ないじゃないですか先生」

「学ぶ気がある生徒にしか教えませんよー」

 そう言って先生は他の生徒たちの様子を見に行った。常宮はため息をついて、もう一度磯倉の方を見た。真剣な眼差し。綺麗な目……肉に埋もれていなければ。その肉にいっぱい毛が生えていなければ。

「毛の処理くらいはできるでしょ、磯倉。それどうにからないの」

「ならない」

「なんで」

 磯倉は答えなかった。常宮は、内心でこう思った。まぁ、その気持ちは理解できなくはない。一言で言えば、焼け石に水。何の意味もないことのために、生活の負担を増やしたくない。どんなにブサイクでも、自分の限りあるリソースをどこに割くか、それを決める権利くらいあるはずだ。

「……常宮。これは誰かが引かなければならない貧乏くじだ。この授業ではそれがお前だったというだけ。それが一生続くわけじゃない。今くらいは我慢しろ」

 常宮は、何か言い返そうかと口を開いたが、また磯倉の顔が目に入って口をつぐんだ。確かに、こいつは容姿という観点においては、最悪の貧乏くじを引かされたわけだ。一生分。

「成形とか考えないの」

「考えない」

「なんで」

「意味がないからだ」

「意味はあるでしょ……」

 会話が止まる。常宮は、仕方ないので鉛筆を持って下書きから始めることにした。形だけ。まずは形だけ。見るのではなく、思い出すだけで吐き気を催す磯倉の顔を思い浮かべて……ダメだ。脳が、あの顔を記憶したり、思い出したりすることを拒否している。

「ねぇ磯倉。別の人の顔、私にはこう見えてるって主張したら、通るかな?」

「好きにすればいい。俺は何も言わん」

「じゃあそうする」

 しかし、常宮は、自分があまり絵が得意ではないのを思い出した。いや、見たまま描くのは得意だ。模写は好きだし、別に授業でなくても暇なときに教室の風景をノートに書いたりすることはあった。見たものを、少しだけ美化して書く。自分の見え方を誇張して書く。そういうのは得意だったし、それで何度か先生に褒められたこともある。でも、見えていないものを書くのは苦手だ。漫画家に憧れてそういうものを書こうとしたことはあったが、人体のポーズを自然に書くことができなくて諦めた過去もある。

「うわー。下手ですねぇ、常宮さん」

 先生が再びやってきて、常宮の「イメージの中の、ちょっとブサイクな男」の絵を貶した。

「全然似てませんよ? なんかちょっと、アニメっぽいし。常宮さんって意外とオタクちゃんなんですか?」

「もう帰っていいですか?」

「それは困る。お前がいないと俺の課題が終わらん」

 磯倉がそう言った。常宮は「お前のせいでこんな最悪な思いさせられてるんだぞ」と思ったが、何も言わなかった。冷静に考えて、磯倉は真面目に授業を受けているだけだったからだ。

「っていうか磯倉君ほんとにうまいね? プロ目指してる?」

「いや、普通ですよ」

 常宮も少し気になって、立ち上がって磯倉の絵を見た。

「え、これ私?」

 鏡で見るいつもの顔とは違っていた。伏し目がちで、少し憂いを帯びた表情をしている。その薄い唇がかすかに濡れているのが、どこか目を惹く。まだ色も縫っていないのに、その微妙な色彩が伝わってくる。

 健康的な若さと、乾燥対策のリップすら塗っていないその無頓着さ。それらの入り混じった、女、というよりも、子供の唇。

 無意識に、常宮は自分の唇に手で触れていた。確かに、少し湿っていた。

「……磯倉って私のこと好きなの?」

「馬鹿な事言うな」

 即答。

「でも、よく見てるのは伝わってくる」

「今日はじめてこんなに見たよ。意外といい顔している」

「あ、ありがとう」

「続き、描きたいから元の場所座ってくれる?」

「え? こんだけ描けてたらもう見る必要なくない?」

「細かい部分がまだ調整できてない。毛先の感じとかもう少し調整したい」

「まだ下書きでしょ? プロ目指してんの?」

「いや」

 カラオケのとき君が代入れてたけど、委員長が言うには歌もうまいらしいし、勉強も得意らしい。意外とハイスペックなんだな、と思いながら元の位置に戻った。

 自分も少しは頑張るか、と常宮は思い直して再び磯倉の顔を見た。磯倉のいいところをこれだけ知ったのだから、何か補正がかかって直視できるかも、なんて甘い期待は再び打ち破られた。

「う、うあ。目、目が。目がああ」

 しかも今回は、醜いものを見る準備が十分でなかったので、いつもより重いダメージを負ってしまったのであった。



 結局下書きを書ききれなかった常宮は、居残りで「磯倉もどき」を放課後ひとりで完成させられるはめになった。

 美術部たちが絡んできたが、意外にも磯倉の顔と絵の話で盛り上がった。

「磯倉君の顔と安智君の顔が交換すればいいのになぁ」

 同じクラスの美術部の一人がそう言った。常宮は即座に否定する。

「どっちも性格クソだから結局だめでしょ」

「いやいや、あんだけなんでもできて顔がよかったら、多少陰キャでも許せるよぉ」

 多少陰キャ。そう形容されれば、確かにそうかもな、と常宮は思った。自分が今書いている「全然別人の普通のブサイク」は、ある意味では磯倉の性格の悪さの程度を表しているように、常宮は感じられた。

「どちらかといえば、安智みたいなキモいほど整った顔より、今私が書いているくらいの顔のほうが私はいいかもな」

「えー。ブサイクだよー、それ。私はイケメンの方がいいなぁ」

 顔なんてどうでもいい。それに、人を見た目で判断する奴はカスだ。私は違う。高宮は、高校に入るまではずっとそう思っていた。

 磯倉は、ただブサイクであるというだけでなくて、人のアイデンティティまで脅かす危険な存在である。彼は「自分は人を内面で判断している」と信じている人々のその思い込みを、ただ生きているというだけで容赦なく切り崩す。


「ふん。相変わらず最悪な顔だな」

 帰宅して、磯倉はカバンを下ろしてすぐ洗面所に向かい、その醜い顔を水で濡らした。タオルで拭うと、そのタオルは油でぎとぎとになり、その手にまで染み込んだ。それを洗濯機に放り投げもう一枚タオルをとって顔を拭いた。鏡に映るその姿は、醜いままだ。

「これでいい」

 一言そう言って、彼は石鹸を泡立たせて、丁寧にその顔の油を落とすのであった。


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