4話 常宮みことは許せない
4話 常宮みことは許せない
「いたっ」
河原内蓮は、左の頬を抑えてそう言った。火傷は、これ以上ひどくはならない状態ではあるが、しかし小さな皮膚の刺激で強い痛みが生じることはある。ケロイド自体が炎症を起こすこともあり、痛みに悩まされていた。
「河原内さん。痛いなら保健室に行きなさい」
中年の物理教師は少し、というかかなり厳しい人だった。
「いえ、大丈夫です」
実のところ、河原内は痛みのせいで最近あまり勉強に集中できていなかった。それゆえに、クラスの授業に遅れるまいと、健気に努力しているのであった。
「君は大丈夫でもねぇ、クラスのみんなはそうじゃないんだよ。急に『痛い』とか言い出されたら、みんな心配で授業どころじゃなくなるんだよ」
愛締が、ここぞとばかりに口を出す。
「しかもですよ先生。委員長の顔、グロすぎる。席が向こう側だったらいいけど、こっち側のみんな、気になって授業に集中できませんよ」
何人かの生徒がくすくすと笑う。物理の先生も「ははは」と声を出して笑った。
「まぁそういうわけだ。河原内さん。私の授業の時は、静かにしているか、保健室に行ってくれたまえ」
蓮は震える声で「わかりました」と言って立ち、力のない足取りで教室を出ていった。
常宮は、窓の外を眺めながら「こんな世界滅びればいいのに」と思った。
「先生ひどすぎませーん?」
内心河原内のことが嫌いだった女生徒のひとりがそう言った。
「いやいや、お前らのためだぞ。ほら、授業続けるぞー」
そうして、何事もなく授業が進んでいく。くそほどどうでもいい不完全な世界の物理法則について。
「委員長。今日の授業の課題プリント。分からないところあったら、だいたい教えられるけど」
常宮は、自主的に保健室に足を運んでいた。河原内はベッドで寝ていて「あ。ありがとう」ととても明るい声で返事をしたが、カーテンを開いて覗いてみると、目が少し腫れていた。
完璧な人間に思えたこの子も、意外と普通なところがあるんだなと思って、常宮は少しいい気分になった。
「あの先生最低だよね」
そう。蔭口まで言ってくれればそれが一番いい。そうすれば、河原内だって普通の女の子の仲間入り。実際、彼女には陰口を言う権利がある。常宮はそう思った。
「ううん。そうじゃないよ。確かに私のここ、あまり……よくないから。それでみんなが授業に集中できないのは、確かによくないと思う。先生は、みんなのためを思って……」
常宮は、つまりながら話す河原内の言葉をさえぎって唾を飛ばした。
「そうじゃないってわかってるでしょ! あいつら、絶対委員長をいじめて気持ちよくなりたいだけ!」
「そんなことないよ。だって私をいじめたって、みんなに得はないし……それに、自分が人をいじめたら、自分もいつか人からいじめられるかもって、怖くなると思うんだ。だから、人は人が思っているより人をいじめたりしないし、そう見えるときも、その多くは誤解なんだよ」
常宮はだんだんイライラしてきた。
「あぁそう。委員長にとって世界って、最低じゃないんだ。羨ましいな。私はそうは思えない。この世はくそったれで、馬鹿ばっか。真面目にいい人でいる意味なんてこれっぽっちもない。そうだ。磯倉が前言ってたよ。『こんな世界で生きるなら、天使になって嘆くよりも、悪魔になって笑う方がずぅーっといい』って!」
「あはは……磯倉君らしいね」
がらがら、と保健室の扉が開く。
「あぁ、常宮。お前も来てたのか。じゃあこれいらないな」
低く、落ち着いた声。声色自体に説得力があって、聞いた人を思わず振り返らせる、そんな声。どんな人が話しているんだろう。そう思って振り向いてみたが最後、最悪な気分にさせられる。それが磯倉テスラ。この世で最悪の顔面。
「あ、噂をすれば。来てくれてありがとう。磯倉君。嬉しいよ」
磯倉は、ひどく不快そうに、持ってきたプリントをびりびりと破り始めた。
「あのあと少し考えたんだが、あの理屈が通るなら俺だって教室から出ていかなければならなかったはずだ」
常宮は、つい吹き出してしまった。そして言った。
「確かに。あんたがいるだけで教室の幸福レベル下がってるもんね」
「そんなことないよ」
蓮が即座に常宮の言葉を否定した。
「人の顔はその人の個性。同じ顔を見ても、それが好きな人もいれば嫌いな人もいる。私は別に、磯倉君の顔を見て、不幸になったって思ったこと一度もない」
そうかな、と思って常宮は磯倉の顔を直視した。吐き気が湧き上がってくる。マジか、と思って蓮の方を向く。蓮は確かに磯倉の方をちゃんとまっすぐ見つめている。
それにしても、と蓮の顔をまじまじと見ながら常宮は思った。確かに火傷跡は醜いが、もともとの顔が綺麗だからか、そこだけ見ないようにすればそんなに悪いものでもない。それに……誰にも言ってはいないが、誰よりも早く人を助けようとしたがゆえに負った傷だ。それを醜いだなんて、ひどい話だ。
「単なる慣れだろ、河原内。お前も最初は見るたびに目をそらしていた」
「それは……そうだね。その時のことは、本当にごめん。でも今は、普通に見られる」
「いやそういうことじゃないんだが……まぁいい」
「でも、ふたりが来てくれて、すごく嬉しかった。本当にありがとうね」
そんな時、嫌なやつも保健室にやってきた。愛締統太。クソ野郎一号。安智英二。クソ野郎……かどうかはわからないが、とりあえず顔以外は全部キモい奴。
「お、ブサイクどもがいるじゃねぇか」
「なんと醜いんだこの空間は。磯倉君、出て行ってくれたまえ」
磯倉は何も言わず保健室を出ていった。
「……じゃあ、私も出ていこうかな」
「いや、待て、委員長。あなたは確かに火傷を負った。火傷を負う前の貴女は、私が美において認める数少ない生身の人類のひとりだった。それが失われてしまったことは確かに痛ましいことだ。しかし! 壊れた美。壊された美も逆説的に、ひとつの美である。いつかは、私にもそのときがくる。この世に二つとない完全な美がいつかは失われてしまうのだ! 時は残酷だ。私がどれほど美しくあったとしても、永遠ではない。そう。エイジング。この世でもっとも残酷なもの。逃れられぬ運命。その運命もまた……美であると、貴女に伝えねばならなかったのだ」
安智英二は、大げさな身振り手振りを加えながらそう言った。うんざりした常宮は「こいつ死ねばいいのに」と言った。
「それは俺もそう思うよチビ宮」
珍しく愛締と意見があってしまったので、常宮は気分が悪くなった。英二は言いたいことを言って満足したのか、保健室を出ていった。
「それにしても、あんたマジで最悪だったからね」
「あ、何の話だよ」
「え、あんた謝りに来たんじゃないの」
「何が? 謝るも何も、俺は感謝されるべきだろ。そこの『いるだけで人を不快にさせる元完璧美少女』を教室から追い出してやったんだからよぉ!」
「……それはもとからでしょ」
「え?」
「欠点がないのは不快でしょうが! やっとこの子にも欠点ができたんだから、それくらい許せよカスが! 我慢して見ろ! 別にそんなに醜くない! 磯倉と比べてみろ、どっちの方がマシ? 聞くまでもないでしょ! あんた頭だけじゃなくて目も悪いの? っていうか死ねよ! あんたのせいで委員長泣いちゃったんだから!」
「……委員長泣いたの?」
「え、えと……うん。ちょっとだけ」
「だ、だっせぇ~~。高校生にもなって? 保健室で、ひとりしくしく、しくしくってか? ひえぇぇ。お母さん呼ぶ? 先生に言ってきてあげよっか?」
「ううん。大丈夫。心配しなくていいよ。常宮さんも、磯倉君も見舞いに来てくれたし、それに安智君も愛締君も心配して見に来てくれたんだよね? ありがとう。元気出てきた。よし、それじゃあ帰りの支度をしようかな。あ、それと……常宮さん、私のこと、そういう風に思ってたんだね。その……欠点がないって。そんなことないよ。必死になって隠してるだけ。部屋の掃除は一週間に一回しかしなくてだいたい散らかってるし、料理もそんなに得意じゃなくて、土日しか自分で作ってないんだ。他の日は家政婦さんに頼んでる。家族には甘えてばかりだし、時々心が苦しいことがあって、自分の部屋で三十分くらい泣いちゃうときもある。ニ,三か月に一回くらいかな。そういうときは、自分でも、ちょっと幼稚だなって……」
「もういい委員長。別にいい。聞きたくない」
欠点にもならないような平凡な習慣を欠点だと言い張るのを聞くのはひどく気分が悪い。まるで……それよりひどい習慣を持っていて、しかもそれを欠点とも思わない自分は、どうしようもないダメ人間だって言われているみたいで。
「うわあああああああ!!」
誰もいない無駄に広い家に帰ってきてすぐ、常宮は奇声をあげながら鞄を放り投げ、自室に飛び込んだ。
「シャチイイイイイイイイ!」
ベッドの上に鎮座する大好きなぬいぐるみにダイブする。
「しゃちぃ……私、学校つらい」
シャチを持ち上げて、声色を変える。
「どうしたんだい、みことちゃん」
「えっとね、えっとね……河原内蓮って子がいるんだけど、その子が、いい子すぎるの。クラスで孤立してる私にも、優しくしてくれてるんだけど……正直ムカつく。時々死ねばいいのにって思う」
「それはひどいね、みことちゃん」
「だよね」
「うん! すっごいひどい! 理不尽だし、最低! 悪魔!」
「うるせぇ黙れ!」
そう言って、みことはシャチにパンチした。
「あぁ、ごめんねシャチ。ごめん。ぎゅーしてあげるから許して。ぎゅー」
「みことちゃん、ちょっと怖いよ」
「うるせぇ」
そんな一人遊びをしたあと、冷静になって、かばんから課題のプリントを取り出して、学習机に座って取り組み始めた。
それにしても、と思う。
あの物理教師はマジでカスだ。




