トラウマ女子が転職してきた件について
「皆上くん、今回も気持ちよく商談ができたよ。ありがとう」
「とんでもないことでございます。社長が素晴らしい選択眼をお持ちだからこそご契約に至ったわけですから」
今日、契約が一件取れた。契約まで二月ほど掛かってしまったがそれなりに大きい商談だったのでうまく纏まりホッとしている。
俺の名は皆上涼真。地方にある中堅商社の営業マンをしている26歳独身男だ。
「おいおい、皆上。また契約取ってきたって? おまえすげーな」
「そんなことないですよ」
「そんなことあるだろうが。今週だけで2件も契約取ってきて両方足せば4桁万円超えの大型物件じゃないかよ」
「先輩だって先月今月と絶好調じゃないですか!」
仕事も順調だし、職場での人間関係も良好で文句無しにホワイトな会社で気持ちよく仕事ができている。
「おまえには売上じゃ負けるけど、ふたりとも調子がいいんだから今日は飲みにくぞー」
「いいですね! じゃあ、隣駅のロータリーのところに新しい居酒屋ができたみたいですからそこ行きましょうよ」
特に仲良くしてくれているのは入社時に教育係もしてくれた坂崎先輩だ。俺のことをもち上げてくれるけど、先輩は一件の契約額こそ小さいかもだけどたくさんの契約を取ってくるナンバーワン営業マンである。
それだと言うのに傲りもせず、いつも謙虚で俺みたいな後輩ともざっくばらんに話をしてくれる頼りがいのある先輩なんだ。かっこよくてめちゃリスペクトしている。
「あーずるい! また坂崎と皆上くんでどっか遊びに行くつもりでしょ? わたしのこともちゃんと誘って連れていきなさいよ」
「うるさいなぁ。なんで尾関のこと誘わないといけないんだよ? いいだろ、男同士楽しくやってるだけなんだから」
「うるさいのは坂崎でしょ? ねー、皆上くん。かわいい女の子が一緒のほうがいいよね?」
「何がかわいいだ。アラサーなくせして。皆上もこんな女は嫌だよな?」
「あ゛っこら、なんか言ったか!? 顔だけイ◯ポ野郎がっ」
「あはははは……。えっと、俺はお二人とも一緒に飲みに行きたいですね。いいですよね、先輩方?」
尾関先輩は俺の2つ上で坂崎先輩の同期だ。同期ゆえの遠慮のなさは仲のいい証拠かもしれないけど、俺の前でガチ喧嘩寸前になるのはホントやめていただきたい。
坂崎先輩はマジでイケメンだし、尾関先輩の方は本人の言う通り美人で可愛らしい面もある大人な女性なので二人が並ぶと華があってベストカップルっぽいのだけど二人の間に色恋の感情は皆無なんだよね。
「「「かんぱーい」」」
「けっこういい店だな」
「ですね。当たりです」
「皆上くんのチョイスだから間違いないわよね。この前行った坂崎の選んだ店はいまいちだったから」
「悪かったな。嫌なら来なくたっていいんだぞ。そもそもおまえなんか誘ってさえいないし」
「まーまーまー。お酒の席は楽しくしましょうよ。ね?」
ふたりとも仲が悪いわけではないのに俺が間に入ると何故か喧嘩腰になるんだよな。マジ意味不明で困ってしまう。
「そういえば、坂崎先輩。彼女さんとはその後どうです? 部屋探しとかうまくいっていますか」
「お、言ってなかったか。あの後いい部屋が見つかって来月から一緒に暮らせそうだぞ。相談に乗ってもらって助かったよ。サンキューな」
「え? 何の話、わたし聞いてないんだけど」
「いや、なんでおまえに言わなきゃならないんだ?」
「坂崎には興味ないけど、皆上くんが絡んでいるなら話は別だからだよ。どういうことか話しなさいよ」
「けっ、めんどくせーなぁ。あのなぁ————」
坂崎先輩はイケメンゆえ会社でも女性社員からの人気が高い。それでも社内で彼女を作っていなかったのは、大学生の頃から付き合っていた彼女さんがいたからだった。
坂崎先輩曰く、その彼女さんを一言で表すと地味子だそうで、彼曰く「そこがとても安心できていいんだよ」ということらしくだいぶ彼女さんにベタ惚れっぽい。
それなので会社ではけっこうモテている印象の坂崎先輩だけど尾関先輩をはじめとした社内の華やかな女性たちは彼の好みとは程遠かったので気移りすることなんて微塵もなかったのだとか。
最近坂崎先輩はその彼女さんにプロポーズしたらしく、近々同棲したいと俺に相談してきた。言っても彼女なしイコール年齢の俺にそんなことを相談されても困るのだけど、今の会社に転職してくる前に俺は一時期不動産会社に籍をおいていたこともありほんの少しだけ知識があったので先輩に相談を持ちかけられたのだった。
「なるほどね。あんたに婚約者までいるなんて知らなかったわ」
「教えてないからな。教えなきゃいけないとも思ってないし」
「じゃ、あんたはその婚約者さんと仲良くやって、皆上くんをわたしに寄越しなさいよ。皆上くんはわたしだけのものなんだから」
「それとこれとは別もんだ。皆上は俺と楽しくやるのが好きなんだよ」
「そんなわけ無いでしょ。わたしとならもっと楽しいところにだっていけちゃうんだから」
「えっと……。こういうのも変ですけど、ふたりとも俺のことを取り合わないでください。お二人にはちゃんと付き合うので喧嘩しないでくださいよー」
理由はよくわからないけど、この二人の先輩方にはとても気に入られているようで俺も後輩冥利に尽きるっていつも思っている。有り難いとしかいいようがない。
「皆上はさぁ、彼女とか作んないのか?」
「俺ですか? ん……なんていうか、恋愛とかおっかなくて、そういう気持ちにならないんですよね」
「おっかないってどういうこと? なにかトラウマ的な何かがあったりしたの?」
「えっと、実は俺って高校生の頃までいわゆる陰キャってやつでして————」
たぶん中学の頃に思春期拗らせて、クラスでの立ち回りがうまくできなかったのがきっかけだったと思うけど、その頃から陰キャボッチだった記憶がある。
気づいたら独りきりだった、なんて経験は誰でもがするものじゃないだろう。丸一日誰とも会話しないなんて日がザラにあるのに慣れるって怖いよね。
さて、そんな俺にも恋に落ちるなんてイベントがやってきたりする。言っておくけど二次元的ではないよ。本物の女の子。ある日ずっとその子のことを目で追っていることを認識して自分自身驚く。
その子の見た目はお淑やかで長い黒髪の似合うお嬢様系の清楚美少女って感じ。俺とは違って友だちも多いみたいだし、性格も良いに違いないって確信が持てる非常に可愛い子だった。
当然告白などできるわけもなく一人悶々と影から彼女を見守るだけの人になっていた。告白なんてできたらその前に友だちだっているだろって話だよ。
転機が訪れたのは中2の秋口。彼女が他の男子に告白されているところを偶然見かけてしまい俺はショックを受けていたのだけど、どうも彼女は告白を断ったようで男子のほうが急に怒り始めたんだ。
俺は彼女が危ないと咄嗟に飛び出してその男子の前に立ち塞がったんだけど、逆に彼の怒りの火に油を注いでしまったようでかなり酷く殴る蹴るをされてしまう。飛び出していってボコられるんじゃ世話無いよね。
それでも彼女さえ無事ならばと、彼女の方を振り返ってみたけどそこにはもう彼女の姿はなかった。無言で逃げたらしい。それでもうまく逃げられたのならいいかと自分を納得させた記憶がある。
それからしばらくしてその彼女から校舎裏に呼び出された。俺としてはあの時のお礼でもしてくれるのかくらいに思っていたんだ。礼なんか欲しくもなかったけど。
「あの時は逃げてごめんね。助けてもらって、わたし……皆上のこと好きになっちゃった。わたしと付き合ってくれないかな?」
まさかの告白に俺は面食らう。そんなことを言われるなんて想定すらしていなかったので、ついつい舞い上がってしまい顔を真っ赤にして噛み噛みで返事をした。
「お、おお、お、俺でよかったら付き合いたいです。俺もあなたのことすすす、す、好きでした」
なんとか言い終え彼女の顔を見ていると、苦しそうに悶え、頬を赤く染めていく。体調が優れないのか、それとも告白が恥ずかしかったのかと俺は心配するのだが……。
「ぷ、ぷぷぷぷっ! あーはっはっっはっはは! あなたのこと好きでしたって何よー!! ウケるー」
いきなりゲラゲラと笑い始めた。俺は何が起こったのかまったく分からず右往左往するばかり。なにかミスった? 今、笑う要素あったっけ……。すると物陰から何人もの同級生たちが現れる。
「ばーっか! おまえみたいな陰キャ風情が告白されるとかありえないだろうが。それくらい理解れよ」
「あははっ、面白すぎ! こんなの嘘告に決まっているでしょ。あの時だってアンタみたいなやつに助けてもらわなくてもヘーキだし、そもそもあんなやつにボコられるような陰キャは願い下げなんだよねー」
「クソ陰キャが馬鹿丸出しでウケるー」
「動画撮ったし上映会しようぜっ」
クラスの連中は口々に俺を罵り馬鹿にしていく。好きだった彼女からも見下すような発言があったのはさすがにショックを隠しきれなかった。
「そんなこんなで恋愛どころか女の子自体も怖くなって、大学に入るまでボッチ陰キャに女性恐怖症がプラスされた生活していました」
「今は大丈夫なのか?」
「大学の頃以降に知り合った女性がいい人ばかりだったので女性不信だけはなくなりました。結局のところ良いやつも悪いやつも男女関係無いんだなって思いましたし」
「そうそう、わたしみたいにいい女もいるから安心しなよ。でも、「女性不信だけ」って恋愛のほうはまだだめってことなの?」
「だめっていうか、そういう機会もなかったですからよくわからないです」
また騙されたりしたら、なんてことは頭をよぎるけどあれから10年も過ぎてもう子供ではないので狼狽えるとかは流石にないと思いたい。自信は無いけど。
「それにしてもその女、ひでーやつだったな。助けてもらったのに逆に笑いものにするなんて」
「普段が可愛らしくて清楚でおとなしいタイプだったのでそのギャップにかなり落ち込みましたよ。想像していたより性格に難のある子だったみたいです。今はもう笑い話にできますけどね」
「わたしだったら一生忘れないで許せないけどな」
「ありがとうございます。尾関先輩にそう言っていただけるだけで心穏やかでいられます」
「そう? ならばわたしの胸に飛び込んできてもいいのよ」
「皆上、こんなアホには引っかかるなよ?」
「何をー!」
俺のトラウマも先輩たちに掛かったら酒の肴になってしまうらしい。俺自身も話すことで案外とスッキリしたし気分よく最後まで酒を楽しめた。
「えー本日入社してきた葛西みゆきくんだ。所属は営業補佐なので、尾関くん、サポート頼むよ」
「はじめまして、葛西みゆきです。早く皆様の力になれるようがんばりますのでよろしくお願いします」
新入社員の子は華やかで可愛らしい若い女性なので男性社員たちが色めき立っているのが傍から見てもよく分かる。まったくうちの男どもは単純だな。
それにしても課長から月初めに中途採用の人が入ってくるとは聞いていたけど、まさかあの彼女が入社してくるとは思ってもみなかった。
彼女の職種が営業補佐では俺と無関係のままってわけにはいかないだろうから面倒事にならないといいけど。
とある日。あれからしばらく研修があるという葛西さんとは接点を持つことがなく俺のココロの平穏が保たれて続けている。
ところが、外出先から昼に帰社してみると葛西さんと尾関先輩が話をしているところにばったり遭遇してしまう。
そういえばあのとき課長が尾関先輩に彼女のサポートをするように、って言っていたような気がする。だから一緒にいたんだな……。
「皆上くん、おかえりー。ねぇ、今から一緒にご飯行こうよ。葛西さんも一緒で良いよね?」
「え、ええ。良いですよ」
「お、皆上も帰ってきてたのか。飯行こうぜ」
「あ、坂崎先輩」
「だめだよ。もう皆上くんはわたしと一緒なんだから」
「うるさい。なら、俺も行く」
坂崎先輩も帰ってきていたらしく、俺達に合流して一緒に昼ご飯を食べに行くことになった。
「葛西さんと皆上くんは同い年だよね。もしかして知り合いだったりして?」
「え、ああ、まぁ。中学の時の同級生です」
「えっ、本当に?」
「そうなんですよ~このヒト、中学の頃はすごい陰キャだったんですよ。ご存知でしたぁ? それなのにこのわたしに告白とかして。もう面白かったんです。そのエピソード聞きますか?」
「「……告白?」」
「あ、ああ。先輩! 注文は日替わりランチで良いですよね! 注文お願いしまーす」
一瞬で不穏な空気になったので慌てて店員さんを呼んで空気の入れ替えを試みる。
「皆上くん、葛西さんって?」
「そうですね。あの話のヒトです。でも、もう気にしていないので先輩方もそこのところよろしくお願いします」
「おまえがそう言うなら俺もなにか言う筋合いじゃないけど……」
葛西さん一人俺たちの会話の意味がわかっていないようだけど、気にしないでほしいし、下手にこっちの会話へ首を突っ込んでこないでいただきたい。
しかしやはりここはアホの子。話さなくて良い俺たちのあの嘘告イベントの詳細を自分のことは棚に上げて俺を思いっきり蔑んだ口調でペラペラと面白おかしく話すものだから楽しいはずのランチが精進落としみたいになってしまった。
しかもランチの店からオフィスに帰ってからもはしゃいで他の人達にもあのエピソードを話しまくっている。本人は面白そうだけど、聞いている人たちの表情がわからないかな。
かなり困惑しているよ。
俺さ、この会社じゃけっこう周囲からの評判いいんだよね。陰キャもとっくに卒業したし、もちろんコミュニケーション能力も中学の頃に比べれば格段に上がっている。
恋愛面じゃあの頃と大差変わらないかもだけど、他の部分はキミよりもだいぶ大人だし成長しているんだ。キミもそろそろ気づいたほうが良いと思うよ。
「坂崎さんの書類、わたしがやってもいいですか? ぜひやらせてください。パートナーにも指定お願いしまーす」
「え? なんで俺のパートナーを葛西さんにしないといけないの?」
「だって、わたし坂崎さんのことお慕いしているので」
「俺、彼女がいるって言いましたよね……気持ち悪いんでやめてもらえます? 俺の書類は他の人にいつもやってもらっているので結構です」
入社から暫く経って仕事にも慣れたのか葛西さんはイケメンの坂崎先輩に変なアプローチを仕掛けるようになっていた。先輩は同棲している彼女さんがいることもやんわりと葛西さんに告げているにもかかわらずだよ。
「じゃ、皆上でもいいや。あなた結構営業成績いいんだね。書類はわたしが整理してあげるよ」
「いや、やらないでいいよ。俺はいつも尾関先輩にやってもらっているから手出しは無用」
「えー、あんな年増よりわたしのほうがいいよ? ねぇ、実際皆上の年収ってどのくらいなの」
「葛西さん! 遊んでいないで仕事して。あと誰が年増だって? あなたと2つしか変わらないわよ」
「兎に角、俺は尾関先輩にお願いしているので葛西さんは他の課員の皆さんのお手伝いをしてください」
坂崎先輩が靡かないと思ったら、よりにもよって俺に言い寄ってきた。さすがの俺もこれには開いた口が塞がらない。
「なによ、陰キャのくせに調子に乗って……」
「いい加減にしないと報告書を上げるわよ。あなたのやっていることはハラスメントに近いわ。反省して大人しく仕事してちょうだい」
普段は温厚な尾関先輩も語気を強めて葛西さんを戒める。
周りの課員もあからさまに視線を向けてくることはないが、聞き耳は立てているに違いない。俺の悪口や坂崎先輩への露骨なアプローチなどから、入社当時には男性社員からけっこう人気があったのに葛西さんの評判が最近ではだだ下がりしている。
葛西さんってここまでダメダメな人だったんだな。一時期の気の迷いとはいえ初恋の人がこんなひどい人間だったなんて考えたくもないや。
「ねえっ、なんなのあの子!」
「マジで何なんだろうな。こっち来るなっつーの」
「まぁまぁお二人共落ち着いて……」
「もうっ、皆上くんが一番怒らないといけないんだよ? あんなに小馬鹿にされて平気なの!」
「多少は思うところはありますが、あの人に何かを思ってこっちが振り回される方が嫌かなぁーって思うんですよね。だから、基本無視というか気を向けないというか」
「うわぁ。皆上って俺より断然オトナじゃないかよ。まじリスペクト」
ふたりともどうにもこうにも葛西さんには腹に据えかねるものがドカンとあるようで、居酒屋に入るなりジョッキを一気に煽っていたので早速酔いが回ってきているようだ。
「わたしはねーわたしの皆上くんがあんな女に馬鹿にされるのがどうしても許せないのよっ。年増呼ばわりは事実だからしょーがないけどそれは許し難いのっ」
「ありがとうございます。尾関先輩は若いし可愛いですよ」
「なんだよ? 俺だって皆上のことはかわいがっているんだぞ?」
「わかっていますよ。いつもお世話になっています」
気づいたらふたりとも2杯目のジョッキも一気に空けてしまっている。空きっ腹にジョッキ2杯は早すぎますって!
共通の敵(?)のせいで二人が喧嘩しないだけいいのかもだけど、葛西さんには正直参るよね。あそこまで性格が悪いとはまったく見抜けなかった。
「ほら、皆上くんも飲みなよ。今日は週末だしパーッと呑んじゃおう」
「おー!!」
「あ、はい。そうですね。そうしましょう」
けっきょく酔い潰れるまで飲みまくってしまった。坂崎先輩なんて白目むいてほぼ気を失っているような状態だ。尾関先輩も似たようなものだけど女性らしさを失っていないのは流石だと思う。
「先輩方、帰りますよ?」
「待て。さっき彼女に連絡して迎えに来てもらうことにしたから……」
「待って。わたしのことは皆上くんが家まで送っていってほしい」
3人でどれだけ呑んだのかは途中までしか数えてないのでわからないけど、かなりの量を呑んだのは確か。ビールからウィスキー、テキーラまで何でもござれだった。
俺も相当飲んだけど、酒にはけっこう強いので先輩たちみたいにはなっていないで済んでいる。
暫く待つと坂崎先輩の彼女さんが車で迎えに来てくれた。坂崎先輩の家はそんなに近くないと思うのに本当に甲斐甲斐しい。
「いつも、和将さんがお世話になっています」
「あ、先輩の彼女さんですか。こちらこそいつもお世話になっています。今日は遠いところすみません」
「いえいえ、こちらこそご迷惑おかけしてしまっているようで……。あれ? もしかしてですけど、皆上さん?」
「え? 俺のこと知っているのですか」
先輩がご自宅で俺の話でもしていたのだろうか。後輩に変なやつがいるんだよー、とかかな。
「ううん。親しい後輩がいるって話は聞いていたけど名前までは。えっと、覚えていないかな? 高2のとき同じクラスだった近松史恵です」
「近松……? あ、ああっ、近松さん! 覚えているよ。修学旅行のとき同じ班だったよね」
世間というのは広いようで思いの外狭いものだとここ最近感じるようになった。葛西さんといい今目の前にいる近松さんも元からの知り合いだ。
「和将さんのよく話す後輩くんっていうのが皆上さんだったとはね。びっくりしちゃった」
「だよね。へー、今は先輩とお付き合いしているんだ」
「そうなんだ。私みたいな地味な女のことを好きになるなんて変な人だよね」
「いやいや。近松さんはしっかりものだから先輩も心を許したんだと思うよ」
近松さんは高校の時も地味子だった。彼女は確か勉強も運動も1位を取るとかの派手さはないけど3~4位くらいには入る地味にいい成績だったよな。質実剛健で誠実、地道で堅実そんな印象の人だった気がする。
確かに華やかさは無いけど案外と気さくだし陰キャだった俺とでも仲良く会話できていたと記憶している。
「そういえば皆上さん」
「はい、何でしょう」
「最近中途で入った女性社員がいろいろ面倒事を起こしているとか」
「あー、そういう話も聞いていますか」
「で、その女性のことなのですが私に心当たりがあって彼女の前職について調べているのからもう少しで何らかの情報を渡せると思います」
つまりは近松さんと葛西さんとの間にも何らかの接点があるってことなのかな。イッツ・ア・スモールワールド!
坂崎先輩を近松さんが運転してきた車に押し込んで俺達は別れた。日付が変わる前に先輩を帰宅の途につけさせることができて良かった。
「……で、問題はこっちだよね」
俺の目の前には完全に寝に入っている尾関先輩がいる。女性一人店において帰るわけにもいかないし、送っていくにしても先輩が起きてくれない限り先輩の自宅がどこなのか俺にはわからない。
なんどか声をかけたり、体を揺すったり目を覚まさせようと努力をしたけど尾関先輩はまったく目を覚ましてくれる様子がなかった。
「仕方ない、連れて帰るか……」
意識のない人をビジネスホテルには泊まらせられないし泊めてもくれないので、最後の手段として俺の自宅へと先輩を連れ帰ることにした。セクハラで訴えられたら誠心誠意謝罪することにしよう。
先輩をタクシーに乗せ、隣に俺も乗り込む。深夜割増のタクシー料金は懐に痛いがこの際我慢するしか無い。
自宅アパートに着くと尾関先輩をおぶって2階にある自分の部屋まで運ぶ。先輩は軽いので苦ではないが、柔らかいアチラコチラが触れてしまい童貞のココロは揺れ動くんです。
先輩をベッドに寝かせて一息つく。それにしても先輩の身体に触れたことで心臓がバクバクして収まらない。これは酒を飲みすぎたせいでも階段を登ったせいでもないのは俺でもわかった。あこがれの人と密着したんだ、仕方ないだろ。
ベッドの先輩はすやすやと気持ちよさそうに眠っている。申し訳ないけど、着ていた服はそのままだ。しわくちゃになるのは必至だけど俺に尾関先輩の服を脱がすなんてできっこないのだからやむを得ない。
「変な汗かいちゃったし俺はシャワー浴びさせてもらおう……」
寝ている尾関先輩に配慮して部屋を暗くして、忍び足で風呂に向かう。俺の部屋は1LDKなので、ベッドの置いてある寝室の扉を閉めてしまえば隔絶ができるので少しだけ安心だ。
ワンルームで先輩と一夜を明かすなんてとてもじゃないが心臓が持たないと思う。
なるべく静かにシャワー浴びて、リビングに戻ると人が駄目になるクッションに身体を預け先輩がちょこんと座っているではないか!
「あっ、起こしちゃいました。えと、それよりすみません。先輩が寝てしまったので勝手に俺んちに連れてきちゃいました。い、今タクシー呼びますねっ」
先輩がジロッと睨んできた気がしたので、風呂上がりなのに冷や汗かきながら言い訳を言う俺。普通に情けない気がするがどうしようもないだよ、こんなの。
「タクシーはいいからここに座って」
「……はい」
「皆上くんはなんでこんなチャンスにわたしに手を出さないの?」
「へっ?」
「酔っ払ってベロンベロンな無防備女をお持ち帰りしたんだよ? もうヤること一つでしょ」
「いや、俺は、そんな……」
「それとも年増女には魅力無いかな? わたし、がんばって皆上くんに気に入ってもらえるように努力してきたつもりなんだけど!」
「えーっと」
つまりは、尾関先輩は俺にお持ち帰りされてあんなことやこんなことをしても良かった、むしろ、したいとさえ思っていたということだろうか。しかも俺に気に入られようと努力していたなんてそんなのほとんど告白されているのと同じではないだろうか?
端的に言うと尾関先輩は俺のことが好き、ってことであっているのか。
「すみません。経験無いので気持ちはあっても身体が動きませんでした」
「つまりは、わたしがリードすればそれも可能ってことよね?」
「俺のこと揶揄っているわけじゃないですよね?」
「あの女とは違うの。わたしは本気だよ」
「安心しました。実は俺も先輩のこと以前から好きでしたし……」
勢いで俺も告白を返してしまったが、その言葉に先輩の険しかった表情がパーッと明るくなったので正解を引き当てたのだろうと思う。
俺も半分諦めていた恋がまたできるらしい。
その夜、俺はオトナの階段を一つ上がってしまった……。
週明け会社に行くと同僚のみんながニヤニヤしながら俺のことをつついてくる。
「な、なんですか? みなさん。ニヤニヤして気持ち悪いなぁ」
「いやぁ、聞いたぞ。とうとう尾関さんと付き合うことになったんだってな?」
「え? なんで知っているんですか」
「当の本人の尾関さんが会社中にふれ回っているからな。もう知らないやつなんか一人もいないんじゃないのか」
尾関先輩は俺と付き合えたのが余程嬉しかったのか、出社後にあちこちの部署を回っては俺たちが付き合い始めたことを話しまくっているらしい。
喜んでくれるのは有り難いけど、かなり恥ずかしいし、超巨大ダンプで外堀をガンガン埋められているような気もしなくもない。ふたりの将来のことはしっかりと見据えているつもりなので堀が平らに均されてもなんら問題は無いと思うけど。
「よっ、皆上。おはよう」
「坂崎先輩、おはようございます」
「聞いたぞ。なんか釈然としないしムカつく気もしないでもないが、一応おめでとうって言っておくよ」
「ありがとうございます。坂崎先輩とは今まで通りのお付き合いをお願いしますね」
坂崎先輩は俺のことを尾関先輩と取り合う中なので複雑な心境なのだろう。って、俺は一体何者なんだよ……。
「ところでよ、あっちで歯噛みしているおっかなそうな女について史恵が情報を持ってきてくれたから、このあと外回りに出たとき話そうや」
「了解です。じゃ、朝礼後にまた」
「史恵の大学時代の友だちが、葛西が前に勤めていた会社にいたみたいだ」
「世界が狭すぎる件」
「? ま、それで聞いてきたんだけど、葛西のやつ前職でけっこうやらかしていたらしいぞ」
「やらかし?」
前の職場でも彼女はその大人しそうな見た目で男性社員を騙していたらしい。それでやっていたのは、こっそりと男漁りだったというのだから呆れる。未婚既婚関係なく自分に利益がありそうな男性にモーションを掛けまくっていたようだ。
「でな、社内じゃ皆それぞれ内緒にしてたから気づくやつは出なかったらしいんだけど、あいつ営業先の会社の専務にまで手を出したらしいぜ」
「うわぁ」
「それが先方の奥さんにバレて大騒ぎ。会社の信用を失墜させたってことで解雇されたらしい。その際に自社の男どもを食っていたこともバレたみたいなんだけどよ」
「うちに入ったとき前職を解雇されたなんて話聞いてないですけど?」
要するに経歴詐称をしていたのだろう。そんな問題を起こした人を雇い入れるなんてありえないわけだし。
「実害がなければ俺もそんなの知らぬふりしてもいいんだけど、あの女しつこいくらいに俺に絡んでくるだろ? 俺ももう我慢の限界超えてんだよな」
近松さんと近々結婚ってなる先輩にとっちゃつまらないスキャンダルは死活問題だもんな。俺にしても、尾関先輩との間に邪魔しに入られたらキレる可能性は否定できない。
「人事部にリークしに行きましょう」
「やっぱそうだよな。今から行くか」
経歴詐称をしても刑事事件での前科があるわけでもなかったので、解雇ってわけにはいかなかったようだけど、葛西さんの噂はあっという間に社内中に広がってしまった。
2ヶ月後。さすがに居づらくなったのか葛西さんは静かにフェードアウトしていった。今はどこにいるのかもわからないが狭い世界の向こう側に行ってくれたなら俺からは何もいうことはない。
「ねえ涼真。見積もりのここ、間違っていたわよ?」
「あリがとうございます。尾関先輩」
「敬語は嫌。あと、尾関先輩じゃないくて、麗華って呼んでくれないと」
「いや、ここ会社だし。いま絶賛仕事中でしょ? 公私はわけないとだめだよ」
「もう、堅いなぁ。堅いのはあそこだけでいいんだよ?」
「ったく。麗華は余計なことを言わなくていいんだぞー」
言いながら麗華のおでこを軽く人差し指でツーンとつつく。麗華はえへへって言いながら笑うんだけどこれがまたかわいい。
順調に営業成績も上がっているので誰も文句は言ってこないのをいいことに俺と麗華は業務中でもたまにイチャイチャしてしまう。
だって彼女といちゃつくのってすごく幸せなんだよ。だからどうにもこうにもやめられないんだよね。一応これでもかなりセーブしている方なんだけど。
「なぁ皆上、自販機のブラックコーヒーだけいつも売り切れなのはお前らのせいだからな?」
「何のことでしょう?」
「あめーんだよ」
「? そんなことよりも契約獲りに行きましょうよ。さぁ」




