第八話
早速、領地内に感謝祭の開催が伝えられると、人々は大きな喜びに湧いた。
準備は当時の様子をよく知るジョルジュの協力を得てカミロが中心となって行われたが、彼はベリーナにも積極的な参加を願い出た。
特に広場に出す屋台の選定やバザーに並べる特産物の決定は、彼女に一任した。
「いいのですか? カミロ様」
「もちろん。料理や特産物のことなら私より貴女の方が遥かに詳しい。それに口を出したくてウズウズしていたのだろう?」
「あら……うまく隠してたつもりなんですが」
「そんなに目を輝かせていたら流石にわかる。頼めるかな」
「喜んで」
今まで決して人任せにすることがなかった彼の采配はジョルジュを大いに驚かせたが、ベリーナと結婚してから少しずつ良い方向に向かっている主人の変化を彼は温かい目で見守っていた。
「カミロ様、失礼いたします」
着々と準備を進めていたある日の夜、ベリーナがカミロの書斎にやってきた。
「どうした? ベリーナ嬢」
「広場の屋台ですが、公爵家からも出店したいのですがよろしいでしょうか?」
「それはどういうことだ?」
「もし可能であれば、カミロ様が飲んでいる特製の……」
「あの劇的にマズいものを出すというのか」
目を見開き、カミロは椅子から飛び上がった。
「違います、ポタージュの方です」
「そっ、そうだ。あれはもうないんだったな……すまない、続けてくれ」
「あれはもうお互い忘れましょう。では、気を取り直して……」
ベリーナはわざと一度咳払いをしてから、改めて話を切り出した。
「この前、準備を手伝ってくださった方々にポタージュの話をしていたんです。そうしたら、皆さん飲んでみたいと言ってくださって」
「なるほど、それで公爵家から屋台を……いいんじゃないか、あれは君の自信作だから、皆にも味わってもらうことにしよう。そちらもお願いしていいだろうか?」
「もちろんです、ありがとうございます。早速ガレッティ様とご相談して参りますわ」
一瞬で輝くような笑顔になったベリーナは軽くお辞儀をしてから、跳ねるように書斎を後にした。
「今日も元気だな……たくさん食べているようで何より」
ふと飛び出したその言葉に、カミロは思わず笑みを溢した。
こう思うのは、もう何度目だろう。
食事なんてどうでもいいと思っていた自分が、契約上とはいえ妻の機嫌を食事の量で伺うなど、想像すらしていなかったことだ。
「彼女のせいだな。あまりに食べることにこだわるせいで、いつの間にかこちらまで巻き込まれる……本当困ったものだ」
そう大げさにため息をついたカミロの手には、少し冷めたポタージュがあった。
ついに、感謝祭当日がやってきた。
公爵邸はどこも朝から大忙しで、感謝祭の準備に追われる者はもちろん、家事を任された者もいつもよりハイペースで淡々と仕事をこなしていた。
「奥様、何をなさっていらっしゃるんですか! それは私達がやりますので」
「いいのよ。仕事はみんなでやった方が早く終わるもの」
「いや、でも!」
「これは私からの命令よ。早く仕事を終わらせて全員で感謝祭を楽しむこと。そのために奥様でもなんでも使いなさい」
洗濯物を干しながらベリーナは満面の笑みでそう言い切った。
「ナタリー、貴女も掃除は本当に軽くでいいわよ。今日くらいさぼっても変わらないもの」
「でも、奥様……」
「だから、これは命令なの。今日は家のことなんてどうでもいいの。みんなで感謝祭を楽しむことが一番なんだから」
「そうではなくて……うっ、後ろに旦那様が」
「後ろ? カミロ様、いらしたんですか!」
まさに仁王立ちでベリーナの後ろにいたカミロ。
その場の使用人達が慌てて頭を下げると、彼は静かにそれを制した。
「私には気にせず続けてくれ。なんせ感謝祭を楽しむことが、私の妻からの命令だからな。だがベリーナ、君は大切なことを忘れていないか?」
「大切なこと?」
「キッチンの方でガレッティが貴女を探していたようだが」
「いけない! お味見を頼まれていたんだったわ。ごめんなさい、みなさん後はお願いしてもいい?」
「もちろんです。奥様、ありがとうございました」
「気にしないで。それより早く終わらせてみんなで楽しみましょう」
手を振りながら颯爽とキッチンに向かうベリーナをカミロは使用人達と共に見送る。
「今日も元気いっぱいだな」
「はい、いつもよりさらにお元気かと。感謝祭をとても楽しみにされていらっしゃいましたから」
「そうか……皆も今日は妻に倣って一日楽しんでくれ」
「ありがとうございます」
軽く手を上げカミロがその場を去ると、使用人達は驚きのあまり顔を見合わせた。
「もしかして旦那様、今笑っていらした?」
「やっぱりそうよね。唇がこうニッと上がって」
「眉間にシワも寄ってなかった!」
もう一度彼女達は顔を見合わせ、イタズラっぽく顔を綻ばせた。
「私達もあんな結婚してみたいよね!」
「それならまず相手からでしょ?」
「それは言わないでー!」
「わぁ、もうこんなに人がたくさん。もう少し早く来るべきだったわ。あちらのお店は人がいっぱい、売り切れたりしないかしら……」
不安げに眉を寄せるベリーナの横で、カミロは笑いを堪えながら彼女の肩をそっと手を置いた。
「落ち着いてくれ、ベリーナ嬢。そんなにすぐになくなったりしない。もしもの時は公爵家と伝えて……」
「カミロ様、それはダメですよ。今日は誰もが楽しめるお祭りなのですから、私達もみなさんと一緒に楽しまないと」
「そうだな……」
少し困惑した表情を浮かべていたベリーナだが、一瞬で笑顔に戻りカミロを見上げた。
「ということで、私はお目当ての物を買いに行ってきてよろしいでしょうか?」
「あぁ、もちろん。存分に楽しんできてくれ」
「ありがとうございます。では、カミロ様またのちほど」
冗談ぽく最上級のカーテシーを披露し、ベリーナはそそくさと人々の中へと消えていった。
「ご一緒しなくてよかったんですか、旦那様」
「あぁ、私と一緒では彼女も思う存分食べられないだろう」
「でも、旦那様は最近少しずつですが、ポタージュ以外も口にされているではありませんか。もしかしてまだ奥様にはお話になってないのですか?」
無言のままカミロが頷く。
「食べられるといっても小さな菓子くらいだからな……ずっと飲み物だけだったせいで、まさかここまで体が弱っているとはな。彼女に伝えるのはもう少し先でもいいだろう」
「そうですか。お伝えすればとてもお喜びになると思いますが」
「いいんだ。そのうち私から話すよ、私達は夫婦になったんだ、まだまだ時間はある」
「そうですね……」
「では、私も少し様子を見に行ってくる。ジョルジュも今日は私の世話を忘れて楽しんでくれ」
「ありがとうございます、ではお言葉に甘えて。またお帰りの頃お迎えにあがります」
「あぁ」
カミロは小さく頷き、ゆっくりとジョルジュの元を離れていった。
「奥様がいらしてからもうすぐ一年。旦那様はどうなさるおつもりなのでしょうか……」
「ベリーナ様、うちの煮込みをぜひ召し上がってください。自信作なんです」
「まぁ、いい香り。あら、隠し味にワインを使っているのね?」
「さすがベリーナ様! 味も最高なのでぜひ」
「いただくわ」
笑顔で煮込みを受け取りご満悦のベリーナ。
「ベリーナ様、うちの串焼きもいかがですか?」
「串焼きなんて、こういう時しか食べられないもの。絶対いただくわ!」
「ありがとうございます」
「うちのエールも飲んでいってください、ベリーナ様」
「もちろん! でも困ったわ、どうやって持っていこうかしら……」
「ならば、私が持とう」
いつの間にか彼女の後ろにいたカミロは、ベリーナの手からさりげなく皿を受け取り、彼女にエールを受け取るよう促す。
「カミロ様、いつからいらしたんですか」
「今来たところだ。一通り確認を終えたから、公爵家の屋台にも寄ろうかと思ってる」
「ならご一緒しませんか? 私も今戻るところだったんです」
「もう買うものはないのか?」
「大丈夫です。もし足りない時はおかわりいたしますわ」
「そうだな」
相変わらずブレのないベリーナに、カミロは頬を緩めながら隣を歩く。
「随分と顔見知りが多いんだな」
「ええ。皆さん本当にお優しくて、私がこちらに嫁いできてからよくしていただいています。おすすめのお料理とかいつも教えていただいて」
「うちの領は自慢できるものが多いからな」
「ええ、本当に。食べてみたいものがまだまだありますもの……あの、カミロ様?」
「なんだ?」
照れくさそうに顔を背けながら、手に持った煮込みを差し出す。
「公爵家の屋台に戻る前に、こちらを食べてもよろしいでしょうか? ちょっと我慢できなくて」
途端に大声で笑い出したカミロに、ベリーナは少し怒ったように頬を膨らませた。
「そんなに笑わなくていいじゃありませんか。だって、これは温かいうちが絶対美味しいですもの」
「いや、すまない。別に呆れているわけじゃないんだ。確かにそうだな。どこか座れるところを見つけて食べていこう」
二人は賑わう広場から少し離れたところにベンチを見つけ、そこに並んで座った。
「……本当にいい香りだわ。カミロ様、隠し味にワインが使われているのお分かりになります?」
「本当か?」
差し出された煮込みに顔を近づけカミロは目を閉じる。
「……いや、この香りが食欲をそそるものだというのは理解できるが、そこまでは分からないな。ベリーナ嬢はわかったのか?」
「もちろん! このふわりと漂う甘酸っぱい風味がワインそのものですもの」
「すごいな……ほら、せっかくだから冷める前に食べてくれ」
「ありがとうございます。では、遠慮なく……いただきます」
ベリーナはスプーンですくった煮込みを口の中へ入れゆっくりと味わった後、小さく喉を鳴らした。
その仕草に見惚れていたカミロの視線に気付いた彼女は、少し照れたように彼を見上げた。
「カミロ様も一口、食べますか?」
「いや、私はいい」
「でも、すごく柔らかく煮込んであって美味しいのでぜひ」
「……いや、本当に」
「まぁ、そんな遠慮なさらずに。ほら、お口を開けてくださいませ。はい、あーん」
まるで子供に食べさせるようにベリーナはカミロの口元にスプーンを持っていく。
すると、カミロはまるで条件反射のように素直をそのスプーンを口に入れた。
「……美味しい」
「でしょう? 美味しいものを食べたら幸せになれるんですもの。食べなきゃ損ですわ」
「幸せになれる、か。確かにベリーナ嬢を見てると、本当にそう思えてくるな」
カミロのその言葉に、ベリーナは思わず手を止め彼を見つめた。
その顔は喜びの中にほんの少し寂しさを含んだような、いつもとは違う笑顔だった。
「……やっぱり覚えていらっしゃらないんですね」
「どういうことだ?」
「私にこの言葉を教えてくれたのは、カミロ様ですよ」




