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満腹令嬢はそれでも食べるのをやめません!  作者: 真岡鮫


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第六話

 ついにその日はやってきた。

 程よく温められ湯気の立ったポタージュを手に、ジョルジュは書斎のドアの前にいる。


「いよいよですね、奥様」

「えぇ……」


 隣で少し緊張気味のベリーナが、静かに息を吐いた。


「でも、ここを乗り越えないと次に進めないから頑張らなくちゃ」

「次、ですか?」

「少し考えていることがあるの。でも大丈夫、心配しないで。全てはカミロ様の幸せのためよ」


 まっすぐに自分を見つめるベリーナに、ジョルジュは小さく頷くと三回ドアをノックした。

 返事がないのはいつものこと。

 それを知る彼は、躊躇いなくドアを開け中に入る。

 物音に視線を送ることもなくなく仕事に没頭しているカミロ。


「旦那様、夜のドリンクをお持ちしました」

「ありがとう。いただく……ってベリーナ嬢、どうしてここに?」


 いるはずのない自分の妻がいきなり目の前に現れ、さすがの彼もこれにはかなり驚いた様子だ。


「カミロ様、突然ごめんなさい。でも、今日はどうしてもお話ししたいことがあって、ジョルジュに連れてきてもらったの」

「話か……少しでよければ今聞くが」

「ありがとうございます。実は、お話っていうのはこのドリンクのことなんです」

「ドリンク……?」


 目の前に置かれた白いカップにカミロが視線を向ける。


「これがどうした? おや、いつもと違うな」


 明らかな見た目の違いに気付いた彼は、思わず眉を寄せた。


「実は今日お持ちしたのは、私がガレッティ様にお願いして作っていただいたものなんです」

「君がか……わざわざ用意してもらって申し訳ないが、前にも話したように私は食事に全く興味がない。正直に言えば食事をする時間すらもったいないと思っていてね……」

「もったいない?」


 案の定、ベリーナの眉間がピクリと歪む。


「だから、あのドリンクも栄養を摂るためだけに仕方なく飲んでいるんだ。つまり……」

「つまり、栄養のためだけにあんな不味いものを飲んでいらっしゃると?」

「まぁ、美味しいかどうかは二の次だからな。むしろ関係ない」

「そうですか。でも、関係ないと仰るくらいであれば、今日のところはそちらで我慢していただけませんか? せっかく貴方の妻が用意したのですから」


 完璧な笑みでそう言い切り、ベリーナは目を細めた。


「だが、あれは私が頼んだ特別の……」

「特別だということも存じております、私はこの公爵家の食事を任された人間ですので。もちろんその点こちらもあのドリンク同様全く抜かりがございませんわ。ですから、物は試しと思って飲んでいただけませんでしょうか?」

「……わかった」


 全く折れる気配のない彼女に根負けしたカミロは、一度大きく息を吐いてから運ばれてきたカップを手に取った。

 冷たいグラスとは違い、カップから染み出してくるような温かさが彼の手にも伝わる。

 そして、湯気と共に立ちのぼる甘い香り。

 いつもの刺激的なものとは異なり、人を誘う華やかな香りに、カミロは無意識にカップに顔を近付け、小さく喉を鳴らした。


「……美味しい」


 思わず発したその一言に、ジョルジュはベリーナの方を振り向き微笑むと、彼女は嬉しそうに彼に目配せした。


「カミロ様、どうです? お気に召しましたでしょうか」

「あぁ、悪くなかった」

「悪くない? 私には『美味しい』と聞こえたのですが」

「確かにこれは美味しい。だが、先ほどから言っているだろう。私が必要としてるのは栄養だと、味は関係ないんだ」

「あら、むしろ関係ないと言うのなら美味しくてもいいではありませんか」


 穏やかに微笑みながらも決して引かないベリーナに、ついにカミロが痺れを切らした。


「だが、材料が違うだろう? それでは困るんだ」

「いえ、同じですわ」

「えっ……」


 目を見開き固まるカミロと表情を一切変えることなく微笑むベリーナ。


「このスープは、あのドリンクと全く同じ材料で作ったものです」

「そんなわけない。だって味が違いすぎる」

「そうです、あまりにも違いますわ。ですが、これが料理というものです」


 唖然とするカミロを見つめたまま、ベリーナは満面の笑みでそう言い切った。







「不思議に思われるのも仕方ありません。ですが、どちらも公爵家に食材を納めてくれている方が、毎日届けてくれる新鮮なものでお作りしたんです」

「その者は、旦那様に食べていただけるならと今日も嬉しそうに運んでくれておりましたね」


 ジョルジュがそう後押しすると、ベリーナは嬉しそうに顔を綻ばせた。


「キースと言ったかしら、彼は本当に働き者よね」

「会ったことがあるのか?」

「ええ、もちろんです。庭にいる時などはよく見かけるので、おすすめの食べ方などよく聞いておりますの」

「そっ、そうか……」


 自分の知らない公爵領の姿に、カミロは少し戸惑いながらカップの中を見つめた。


「そして、その素晴らしい食材をこうして完璧なポタージュへと変身させてくれたのが、ガレッティ様です。その食材に適した調理をしたことで、同じものでもこれだけ味が変わるんです。まるで魔法みたいでしょう?」

「魔法か……面白いことを言うんだな」


 カミロは意外にも素直な反応を見せ、ゆっくりと顔を上げベリーナを見つめた。


「その魔法が、貴女が言う『料理という芸術』を完成させる秘策なのだな」

「いえ、違います」

「……どういうことだ?」


 納得がいかないのか、カミロの眉間に皺が刻まれる。

 

「もちろんガレッティ様がいなければ完成はしません。ですが、それは料理の一部に過ぎません」

「一部?」

「そうです。材料を公爵家へ運んでくれたキース、そしてそのキースに食材を用意した人々がいなければ料理はできません。そしてカミロ様、貴方もそうです」

「私も?」

「ええ、だっていくら料理を作ったとしてもそれを食べる人がいなければ、本当の意味での料理とは言えませんもの」


 ベリーナは大きく息を吸い込むと、緊張した面持ちでカミロを見据えた。


「料理は人々の輪です。たくさんの領民達の努力がなければこのポタージュは完成しません。ですから、領主であるカミロ様にはこのポタージュをどうしても味わっていただきたかったんです。それに……」

「それに、なんだ?」

「マズいより美味しい方が絶対いいに決まってますわ!」


 さっきまでの毅然とした態度から一変、まるで駄々っ子のように足を踏み鳴らしたベリーナ。

 そのあまりの豹変ぶりにカミロはもちろん、ジョルジュまでが呆気に取られ言葉を失った。


「なぜ黙っていらっしゃるの? だってそうでしょう。あのドリンクを飲んだ後、しばらく口の中があの味になって……あぁ、思い出しただけで苦しいわ」

「いや、でもそれは君が勝手に飲んで……」

「それはそうですけど、まさかあんなお味だと思わないじゃありませんか。ねぇ、ジョルジュ」

「あっ、あの……奥様、少し落ち着いて」

「いいえ、ここははっきり言わせていただきますわ」


 なだめようとジョルジュが声をかけるも、時すでに遅し。


「だいたいあんなお味でよく我慢できていらっしゃいましたね」

「だから言っただろう。味は気にしていないと」

「でも、ご無理なさってたんですよね?」

「無理? 何をもってそう決めつけたんだ?」

「実は泣きそうになっていたとお聞きしておりますが?」

「なっ、泣くわけないだろう!」


「旦那様も奥様もいい加減お止めください!」


 やっと我に戻った二人を前に、ジョルジュは隠すことなく大きなため息を吐いた。


「旦那様、あのようなご無理をなさっていては誰もが心配をするのは当然のことでございます。こうして奥様が気にかけてくださったことに感謝こそすれ、言い訳ばかりとはどういうことですか?」

「いや、それは……」

「奥様も奥様です。旦那様のお体への心配をこうして形にしていただけたことは本当に嬉しく思っております。ですが、どうもお話が本来の目的から外れてしまっているのではありませんか?」

「でっ、でもね……」


 いたたまれず目を逸らす二人を前に、ジョルジュは小さく息を吐き微笑んだ。


「お二人共、少しは落ち着かれましたか?」


 その言葉に目を合わせたカミロとベリーナは、思わず笑い出した。


「カミロ様、申し訳ございませんでした。つい我慢ができなくて……」

「ベリーナ嬢、私も申し訳なかった。貴女の気遣いにもう少し寄り添うべきだった……にしても、本当に貴女は食べるのが好きなんだな」

「当然ですわ。だって……美味しいものを食べると幸せになりますもの!」


 誰よりも嬉しそうに顔を綻ばせたベリーナに、カミロは思わず目を奪われた。

 その笑顔はどこか懐かしく、ふと記憶の片隅にあった古い記憶が浮かび上がってきた。


 半分に分けられた焼き菓子を持ち、満面の笑みでそれを頬張る小さな女の子。

 その笑顔がなぜか目の前の彼女と重なり、カミロは言葉を失ったまま彼女を見つめていた。


「カミロ様?」

「あっ、いやなんでもない。とりあえず、明日からは貴女が考えてくれたこのポタージュを飲むようにしよう。だが、まだ食事の時間を取るのは……」

「ええ、もちろんカミロ様のお気持ちも優先すべきことです。ですからこうしませんか? 週に一回だけ私と一緒に食事をしていただけませんか」

「週一回……」


 これこそがベリーナが思い描いていた次なる一歩。


「私達はお互いの幸せのためにこの結婚をしたはずです。ですから、それがちゃんと守られているか確認するための時間をとるんです」

「いわば、面談のようなものか」

「そうです。もし今後何か相談したいことがあれば、そういう場があった方が話しやすいでしょう」

「なるほど……」

「名付けて、私とカミロ様の『幸せ会議』です。お仕事大好きなカミロ様にふさわしいネーミングでしょう?」


 少し揶揄うようにベリーナがウインクをすると、カミロも負けじと唇の端を上げる。


「いいだろう。では、妻が満足する素晴らしい料理を用意してその定例会議に臨むこととしょうか」

「楽しみにしております。お仕事のお邪魔をしてしまい申し訳ございませんでした」

「いや、むしろいい気分転換になった。ありがとう」

「それでは、失礼致します」


 ベリーナは綺麗なカーテシーを披露すると、ジョルジュと共に書斎を後にした。


「奥様、なんとかなりましたね」

「ありがとうジョルジュ、あなたのおかげよ。私だけだったら、あのままカミロ様との謎の言い合いが終わらなかったわ」

「お二人共こだわりがおありですからね。でも、奥様が言っていらした次というのは、もしかして先ほどの……」

「そう『幸せ会議』よ。まずはカミロ様に食卓につくという習慣をつけていただかないとね。そこから少しずつでもきちんとお食事を摂っていただくことを頑張っていきましょう」

「かしこまりました」


 穏やかな微笑みで一礼したジョルジュの耳元に、ベリーナはそっと顔を寄せた。


「それとね、ジョルジュにお願いがあるんだけど……」

「なんでしょうか?」

「さっきカミロ様に言ったこと、できればカレンには黙っててくれると助かるんだけど」

「奥様、それは致しかねます。カレンから必ず報告するよう言われておりますので」

「そこをなんとか」

「奥様、諦めてください」

「ジョルジュー!」

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