第三話
「善は急げだ。早速だが、明日午前中にそちらの家に使いを送ろう。数日中には時間を見つけて婚約のお許しをいただきに伺うことにしよう」
「お仕事はよろしいのですか?」
「好機は逃したくはないからな。今は何より最優先すべきは貴女だ」
「あっ、ありがとうございます」
事務的な物言いの中に見え隠れする甘さに、ベリーナはふと胸を押さえた。
(何かしら……このお菓子を食べた時のような胸のざわめきは)
「ん、どうかしたか?」
「いえ、大丈夫です」
「なら、いいが……まずは先に二人で色々と決めておかなければならないな」
「お食事以外のことについて、ですね」
カミロが深く頷く。
「まず、公爵夫人としての義務についてだが、特に何かを強いることはしない。ただ、どうしても外せない社交などは同伴してもらいたいが構わないだろうか?」
「もちろんです」
「あと、屋敷内のことは執事長ジョセフに任せているが、そちらも貴女の裁量に任せよう」
「寛大なご配慮、ありがとうございます。あの一つだけお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「あぁ」
「あの……お世継ぎは、どうなさるおつもりでしょうか」
囁くようにそう言ってからベリーナは恥ずかしげに俯いた。
「確かに大事なことではあるが、安心してくれ。無理強いはしない」
「でも……」
「もちろん公爵家として後継ぎは重要だ。現にそのことがあったせいで、縁談をはっきりと断りきれていなかったのも事実だ」
「でしたら……」
不安げに瞳を揺らすベリーナを見つめ、カミロは穏やかに微笑む。
「いや、君との約束を守る方が先だろう。まずは一年、お互いに相手を見定める期間としてその義務を負わない婚約期間としよう。その後、改めて今後どうすべきかを二人で話し合わないか?」
「カミロ様はそれでよろしいのですか?」
「問題ない、急ぐことでもないだろう。そもそも義務ではない、どういう形であっても子供は愛情あるところに生まれるべきだ」
「……わかりました。ではそのようにお願いいたします」
ベリーナは深々と頭を下げ、カミロの思慮深さに感謝を示した。
(この方のどこが冷徹だというの。こんなに愛情深い方なのに)
知れば知るほど彼女の中でカミロの印象が変化していることに、ベリーナはまだ気付いていないようだ。
「とにかく、まずは君の御両親に結婚のお許しをいただがないことには何も始まらないからな」
「そうですね。私が突然カミロ様と結婚すると言ったところで、絶対に信じてもらえないでしょうし」
「これまで接点もなかったからな。ここは素直にお互いの利害が一致したと正直に話すのはどうだろうか」
「それは、私達が好き合って結婚したわけではないということを伝えるということですか?」
納得できず首を傾げたベリーナとは違い、カミロは自信たっぷりに口の端を上げる。
「そこはうまく濁すんだ。今日こうして話す機会に恵まれ、お互い結婚相手として申し分ないと感じた……くらいに」
「確かにそれなら嘘ではございませんね」
「あぁ、お互い納得の上なら御両親にもお考えいただけるのではないか」
筋の通ったカミロの意見にベリーナも大きく頷いた。
「では、そういうことで。愛しの婚約者殿、またお会いしよう」
「もう! まだ婚約者ではございませんわ」
恥ずかしさに頬を染めるベリーナの可愛らしさに、カミロの唇からは自然と笑みが溢れていた。
彼の言葉通り、次の朝にはファラン家の者がモリス伯爵家を訪れてカミロからの書状を手渡した。
突然のことに驚いたモリス伯爵夫妻は、すぐにベリーナを呼んだ。
「ベリーナ、これは一体どういうことだ!」
「そうよ、良縁を探してきなさいと言ったけど、まさかそのお相手がファラン公爵様だなんて」
普段は穏やかで落ち着きのある父が慌てふためき、いつもは小言の多い母が満面の笑みでいることなど、娘であるベリーナでもあまり見たことがない。
説明せずにいたことを申し訳ないと思いながらも、あまりに対照的な二人の姿にベリーナはつい笑い声を上げた。
「笑い事ではないだろう……」
やけに肝が据わった自分の娘を見つめながら、父であるモリス伯爵は深くため息をついた。
「昨日、一体何があったんだ? 公爵様がいらっしゃる前にきちんと話をしてくれ」
父に促され二人の前に腰掛けたベリーナは、穏やかに微笑みゆっくりと口を開いた。
「実は、ちょっとしたきっかけで公爵様とお話することになったの。そこで少し意見の交換なんかをしてたらね、公爵様の方から婚約のお申し出をいただいてしまったの」
「公爵様がベリーナにか?」
「まぁ、お父様ったらそこでそんなに驚くなんて失礼ではなくて?」
「いや、でも公爵家とうちでは身分が違いすぎるだろう」
「あら、あなた。ベリーナの言ったこと聞いていらっしゃらなかったの? このお話は公爵様の方からお申し出いただいたのよ。そんなこと気にすることではないわ。それよりどうやってあの方を射止めたのよ、お母様に教えなさいな」
「おい、二人とも!」
やや暴走気味の母を嗜めるように、父はわざとらしく大きく息を吐いた。
「まずは公爵殿の話をお聞きしなければ。話はそれからだ」
翌日、カミロは書状に書かれていた時間ぴったりにモリス家にやってきた。
応接間に通された彼の前に、まずひどく緊張した様子の父と嬉しさを隠しきれず口角をこれでもかと上げる母がやってきて深く頭を下げた。
その後ろから好奇心に目を輝かせるベリーナがしおらしく現れ、見事なカーテシーを披露すると二人に並び彼の前に座った。
「モリス伯爵、突然のことにも関わらずお時間をいただき申し訳ない」
「公爵殿、とんでもございません。こちらこそ身に余るお申し出をいただき恐縮です……早速ですが、ここからはベリーナの父としてお話をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「もちろん。父として娘の夫となる私をしっかりと見定めていただきたい」
「ありがとうございます」
モリス伯爵は深々と頭を下げた後、まっすぐにカミロを見据えた。
「では、率直に申します。公爵様ほどのお方が、なぜ私の娘に求婚などなさったのですか?」
その言葉には謙遜と同時に疑念や不安が含まれていることを、カミロは当然見逃さなかった。
「モリス伯爵の仰りたいことはよくわかる。冷酷、傲慢などと揶揄される私が相手では、お二人もさぞや心配でしょう」
カミロは目を細め、娘を心配する父親を見つめる。
「ベリーナ嬢からお聞きになったかもしれないが、偶然ながら二人で話す機会に恵まれ、その中で彼女はお互いの幸せを尊重できる素敵な女性だと確信しました」
「もちろんベリーナには礼儀作法はきちんと教えてきたつもりですが、なんと言いますか、我が娘ながらその言動が個性的で……」
バツが悪そうに口籠る伯爵の姿に、カミロは思わず笑い声を漏らした。
「失礼、確かに独特の感性を持っていて私も最初は驚かされたが、むしろそれが私にとっては非常に魅力的だった」
「魅力的、ですか?」
「ええ淑女としての品格を保ちながらも、自分の意見をしっかりと主張し私を言い負かすなど、他のご令嬢では絶対にできないかと」
「ベリーナ、お前は一体……!」
「ごっ、誤解です、お父様。カミロ様もお人が悪い」
穏やかに微笑みながらも強い眼差しでカミロを睨むベリーナ。
「申し訳ない。これは私とベリーナ嬢だけの秘密だったな。とにかく私にとって彼女は私の幸せを尊重してくれる女性であり、ベリーナ嬢にとっても私はそういう存在でありたい」
「お父様、カミロ様のおっしゃる通りよ。今までどんな男性に声をかけられても心が揺さぶられることはなかったわ。でも、カミロ様は違ったの。だって……」
恥ずかしげに頬を染めたベリーナ。
「公爵家のお食事は全部私の好きにしていいなんて、そんな夢みたいな提案してくださるんですもの」
目を丸くし呆然とする父となぜか歓喜の涙を流す母を気にもせず嬉しそうに笑うベリーナの姿に、カミロもつい声を上げ笑った。
「モリス伯爵、私は彼女の幸せを最大限に尊重し、彼女にも私の幸せを最大限に尊重してもらう。ベリーナ嬢とはそんな対等な関係でいたいと思っています。彼女ならそれができると私は確信しています」
「……話はわかりました」
そう言って大きく息を吐いてから、ゆっくりと娘を見つめると、モリス伯爵はカミロを見据えた。
「そこまで娘の個性を尊重してくださるのであればもう何も言うことはございません。ありがたくお受けさせていただきます」
伯爵夫妻はゆっくりと立ち上がると、カミロに深々と頭を下げ、それを受けたカミロもゆっくりと立ち上がり優雅に頭を下げた。
「お許しいただきありがとうございます。ベリーナ嬢の幸せ、必ずやお守りいたします」
こうして二人は無事婚約にこぎつけ、互いの幸せを叶えるための契約結婚の第一歩を踏み出した。
翌日、カミロとベリーナの婚約の知らせ、瞬く間に国中へと広がっていった。
突然降って湧いたような話に噂にすぎないと鼻で笑うご令嬢もいたが、ベリーナが結婚に向けて公爵家へ移り住むことが分かると、嫌でも認めざるをえなかった。
そして、枯れ葉を揺らす冷たい風に冬の訪れを感じ始めたその日、ベリーナは必要最低限の荷物と一人の侍女を連れファラン公爵家の玄関にいた。
「ベリーナ嬢、待っていたよ」
「カミロ様、本日よりよろしくお願いいたします。カレンの同行をお許しいただきありがとうございます」
カレンはベリーナが子供の頃から彼女の世話をしている侍女。
伯爵夫人より少し若く、生まれた時からそばにいる彼女のことをベリーナは心から信頼していた。
だからこそ、今回の婚約で唯一ベリーナが公爵家に願い出たことは、彼女を一緒に公爵家に連れて行くことだった。
ファラン家にとってもベリーナをよく知る女性がそばにいてくれることは、非常に頼りになることだったろう。
「こちらからも紹介しよう、まずは執事長のジョセフだ。何か困ったことがあれば彼に言ってくれ。ベリーナ嬢の意に沿い力になるよう伝えてある」
「執事長のジョセフと申します。奥様のご要望は旦那様より十分に伺っております。どうぞ遠慮なく如何ようにでもお申し付けくださいませ」
隙のない動作で深々と頭を下げたのは、初老の男性。
穏やかに微笑みながらもベリーナを見つめる瞳には僅かながら鋭さが感じられ、それだけで有能な人物だということは明白だ。
「モリス伯爵家のベリーナです。あなたにそう言ってもらえると心強いわ。私も一日も早く公爵家の一員として恥じぬ人間になれるよう努力しますので、よろしくお願いします」
だが、ベリーナも負けてはいない。
ジョセフの視線をまっすぐに受け止め、優雅に微笑み怯むことはなかった。
「それと、君には彼も紹介しておいた方がいいだろう」
ジョセフよりも少し若く体格の良い男性が、カミロの言葉で一歩前に歩み出た。
「シェフのガレッティだ。前にも話したように彼は隣国カタラーナの……」
「まぁ、貴方がガレッティ様ですか」
さっきまでの完璧な淑女の微笑みを崩し、ベリーナは子供のような笑顔を見せる。
「少し前に我が国に移り住まれたとのお噂は耳にしておりましたが、こうしてお会いできるなんて本当光栄でございます。私、実は貴方様のお料理を……」
「んんっ! ベリーナ様、私とのお約束お忘れですか?」
「ごめんなさい。あまりに嬉しくてつい……」
咳払い一つでベリーナを淑女へと戻すカレン。
さすが長年彼女をそばで見続けてきただけあって、どう声をかけるのが効果的か熟知している。
「まぁ、こんなに喜んでもらえるならガレッティも本望だろう」
「もちろんです。このガレッティ、全力で奥様の幸せのために尽くさせていただきます」
深々とお辞儀してから、彼は改めてベリーナに向き直った。
「早速ですが、今日のディナーから奥様のご意向を存分にお伺いしたいと思います。いかがいたしましょうか?」
彼の粋な提案にベリーナはパンっと一度手を鳴らす。
「まぁ、ありがとう! それなら公爵領で採れる食材を使ったお料理を作ってくれないかしら?」
「領内のものですか?」
「えぇ。ここがどんな所なのか知るには、やっぱり食べることが一番だもの。期待しているわ」
「承知いたしました」
少し大袈裟に頭を下げたガレッティに、ベリーナは微笑みかける。
「それと、一つお願いがあるのだけど」
「なんでしょうか?」
「貴方が調理をしているところが見たいって言ったら驚くかしら?」
突然の申し出にガレッティは慌ててカミロに視線を送ると、彼は笑いを堪えながら視線で同意の意を伝えた。
「まっ、まさかそんなことを言っていただけるとは恐縮です。奥様さえよろしければ、どうぞ厨房にお越しください」
「嬉しいわ、早く行きましょう。カミロ様、そういうことですので、私は厨房にご挨拶して参りますわ」
「あぁ、楽しんでおいで」
まるでスキップのような軽い足取りで、ベリーナはガレッティと共に厨房へと向かった。
「……これは公爵家が賑やかになりそうですね」
ベリーナの背中を見送りながら、執事長ジョセフが思わず口元を緩めた。
「そうだろう。でも、あれはまだまだ序の口だぞ? 楽しみにしていてくれ」
勇ましく自分に向かってきたベリーナを思い出し、笑いを漏らすカミロ。
「承知いたしました。それにただ賑やかなお嬢様というわけでもございませんね……とても良い方をお選びになられたかと」
「そうか? まぁ、型にはまって作り笑いばかりのご令嬢にはない魅力はあるか。まぁ、いい。私はそろそろ仕事に戻る、後は頼んだぞ」
「はい、あまりご無理なさらないでくださいませ」
返事のないカミロの背中をジョセフは静かに見送る。
「女性を見る目がおありなのは、きっとお父様譲りなのですね……」




