第二話
「ファラン公爵様、失礼ながら私の考えを申し上げてもよろしいでしょうか?」
眉間に皺を寄せ全く動じないカミロに、ベリーナは綺麗な作り笑いを向ける。
「あぁ、もちろんだ」
それでも全く怯まない彼に一瞬戸惑ったベリーナだが、むしろやる気が出たのか嬉々として彼を見つめた。
「まず大前提として、公爵様と私では料理や食事に対しての認識が、あまりにもかけ離れているように思います」
「認識?」
「ええ、そうです。公爵様にとって料理とは人間が生きていく上で必要な栄養を摂るための道具。そして食事はその料理を摂取するために必要な手段ということでよろしいでしょうか?」
「あぁ、それ以外に何がある?」
「失礼ながら、私の話を最後までお聞きくださいませ」
キッパリとしたその態度にカミロは思わず笑い声を上げた。
「すまない。こんなふうにはっきりと意見されたのは久しぶりなんだ。悪い、続けてくれ」
「かしこまりました……」
怒るかと思っていたベリーナにとってはいささか拍子抜けする反応だったが、気を取り直し彼女は言葉を続ける。
「もちろん食事することには公爵様がおっしゃるような目的がございます。ですが、私にとってそれはとても些細なこと」
「では、貴女にとって料理とはなんだ? 食事とはどんな価値がある?」
「その言葉、待っておりましたわ!」
ベリーナは目を輝かせ、ここぞとばかりに誇らしげに微笑んだ。
「私にとって料理とは最高の芸術、食事とは五感全てで芸術を味わい尽くす神聖な時間」
呆気に取られるカミロをよそに、ベリーナの勢いは止まらない。
「今日のキッシュ、ご覧になりましたか? 完璧な見た目だけでなく刺激的な異国のスパイスで人々の興味を奪い、ひとたび口に入れると……」
まるでそこにキッシュがあるみたいに口を開けたベリーナ。
「野菜から染み出る旨みと玉子のまろやかさに舌は喜び、心までもがその魅惑的な幸せに包み込まれる」
うっとりとした表情のまま目を閉じた彼女はさらに続ける。
「そして、外側のパイ生地は可愛らしいサクッという音で私の耳を楽しませたかと思えば、旨みをたっぷりと含んでからの柔らかな感触は、料理が持つ無限の可能性を私達に教えてくれているかのよう」
聖女のような微笑みを讃え、ベリーナはカミロを見据える。
「公爵様、果たしてこれだけの素晴らしさが単なる栄養補給として片付けられるものなのでしょうか? 恐れながら私には生きる喜びとなる尊きものに思えてなりません」
「いや、しかし生きることに必要なのは栄養であって、喜びとは無関係……」
「まさかファラン公爵様ともあろう方がそのようなお考えを?」
微笑みを崩さず凛とした瞳で彼を見据えるベリーナにカミロは思わず息を飲んだ。
「人は喜びというものを知っているからこそ、また次の喜びを求める。それは公爵様のおっしゃる生きるための栄養素と何が違うのでしょう」
ベリーナの言葉にカミロは目を見開いた。
「私にとって満腹が最高潮の喜びと考るなら、さらなるものを求めるのは明日を生きようとする力と同等。なのに、貴方様はこれを無駄なことだと切り捨てるのですか」
「……完敗だ」
大きく手を広げカミロは息を吐いた。
「そこまで言われて認めないなど傲慢そのもの。貴女の思いに配慮もせず、一方的な物言いをして悪かった」
「こっ、公爵様、おやめください」
公爵であるカミロが侯爵家のベリーナに頭を下げては、彼女が激しく焦るのも無理はない。
一部では冷酷、傲慢と噂されている彼の真摯な一面に、ベリーナへ驚きを隠せなかった。
「私の方こそ勢いとはいえ、公爵様に意見するようなことをするなど淑女としてあるまじき態度でした。申し訳ございません」
深く頭を下げるベリーナにカミロは軽く頭を振った。
「確かに、淑女というには随分と勇ましい姿だったか。でも実に楽しい時間だった。時にベリーナ嬢はこの後会場に戻るのか?」
「いえ、できればこのまま帰れたらいいのですが……」
「どうした? 何か帰れない理由でも」
「実は、今日参加したのは母に良縁を掴んできなさいと懇願されたからでして。何か一つくらい成果がないと怒られてしまうのではないかと」
「なるほど、そういうことか」
肩を落とすベリーナとは対照的にカミロの顔には笑みが浮かぶ。
「でも、母の願い通りきちんと参加はいたしましたし、こちらのお料理を十分堪能したら帰るつもりです」
「ならば、料理を食べ終わるまででいいから、少し私の話に付き合ってくれないか」
「私がですか!」
突然の申し出にベリーナは目を丸くしてカミロを見つめた。
「あぁ、貴女のその料理に対する情熱とそれを的確に表現できる聡明さに興味があるんだ。どうだろうか?」
「公爵様がよろしいのでしたら」
「もちろんだ。では、ベリーナ嬢そこに座って……」
「お待ちください、公爵様。その前に大切なお料理を取りに行ってきてもよろしいでしょうか」
微笑みながらも睨みを効かせるベリーナのブレることのない態度にカミロは堪えきれず声を上げ笑い出した。
「そうだな、重ねて申し訳ない。思うまま好きなだけ持ってきてくれ」
「ありがとうございます!」
ウキウキと弾むような足取りで料理の元へと向かうベリーナの背中を見つめるカミロからも自然と笑みが溢れていた。
「それにしても本当に美味しそうに食べるんだな」
「公爵様、お言葉ですが『美味しそう』ではなくて、本当に『美味しい』のですから、これは自然な反応なのです」
「なるほど……そうだ、その公爵様というのをそろそろやめてくれないか。君とはもう少しくだけた感じで話をしたい。どうか名前で呼んでくれないか」
「承知しました。では、カミロ様でよろしいでしょうか」
「あぁ、ありがとう。それで、今日君は料理を目当てに来たようだが、満足はしたのか?」
「ええ、もちろんですわ。国王陛下付きのシェフ、ローレン様のお料理が食べられたのです、私の人生で貴重な一日となったと言っても過言ではございません」
「それはよかった。だが、モリス侯爵夫人はやはり納得されないだろうな」
「それは……」
母の怒りを思い出し、ベリーナの顔が一気に曇る。
「それに君自身はどうだ、良縁を全く望んでないわけではないだろう?」
「良縁、ですか……」
ベリーナは手に持っていたフォークとナイフを静かに皿に置くと、これみよがしに大きく息を吐いた。
「実は先程あるある男性に声をかけていただいたんです。今度一緒にどこかへ行かないか、と」
「ほぅ……」
「なので、私はとっさに『どんな美味しい料理が食べられるのですか』と聞いてしまったんです」
「ハハハッ、それはまたベリーナ嬢らしい返事だな」
「そんなに笑わないでください」
「失礼、続けてくれ」
不機嫌に息を吐きながらもベリーナはゆっくりと口を開く。
「その男性は少し驚いたような顔をしてから、大して考える素振りもなく今話題のお店を勧めてきたのです」
「まぁ、デートとしては無難な答えか」
「でも、正直がっかりでした。その答えの中に私への想いは何一つ感じられなかった。もし本当に相手のことを考えられる方ならば、もっと違う答えが出てくるような気がして」
「なるほど……ベリーナ嬢、少しいいだろうか?」
「あっ、はい」
カミロは身を乗り出しテーブルに肘を付くと、まっすぐに彼女を見据えた。
「今一度問いたい。貴女にとって食事とは『明日への希望となる最高の幸せ』で間違いないだろうか」
「ええ、もちろんです」
「であるのなら、貴女にとっての良縁とは『その幸せを理解し、尊重してくれる相手』と言うことになる」
「おっしゃる通りですが、先ほどもお話したようにそんな男性いるわけ……」
「いや、ここにいる」
口角を上げ自信満々に微笑むカミロをベリーナは驚きと共に見つめた。
「カミロ様、ですか?」
「なんだ、納得していないようだな」
「失礼ながら、カミロ様は私の良縁とは対極にいらっしゃるかと」
「おや、ベリーナ嬢ともあろう人がそれは随分と了見の狭い考えだな」
カミロの物言いに内心ムッとしたベリーナだが、思いの外嬉しそうに笑う彼に戸惑っていた。
「理解とは相手の気持ちに共感すること、かと言って必ずしも同調する必要はない。その点、私はすでに貴女の幸せの在り方を理解している」
「……」
「そして、私は貴女のその幸せを十分に尊重できる答えを持っている」
「答えをですか?」
「そうだ……ベリーナ嬢、私と結婚しないか?」
「けっ、結婚!?」
予想もしていなかったその答えにベリーナの声を上擦らせた。
「そんなに驚くことはないだろう。少し考えれば辿り着くのは容易だ」
「いえ!待ってください。なぜ私の幸せがいきなりカミロ様との結婚になるのですか?」
理解が追いつかないベリーナの眉間には自然とシワが寄る。
「あぁ、そうか。貴女のことばかりで私の幸せについて、伝えるのを忘れていたな」
「カミロ様の幸せ……」
「貴女の幸せが『食事』とするなら、私の幸せは『仕事』だ。領地経営の他にいくつか事業を進めているんだが、今はそれが楽しくて仕方がない。それこそ食事をする時間も惜しいくらいに」
「まぁ……」
「その上、最近はあらゆる方面からの縁談話に時間を取られ、頭を痛めている」
「カミロ様、もしかしてそれは私にご令嬢方からの盾になれということでしょうか?」
「さすがはベリーナ嬢、話が早い」
嬉しそうに目を細めるカミロをベリーナは無表情のまま見つめる。
「それのどこが私の幸せに繋がるのですか?」
「我が公爵家のシェフは元隣国の王家専属だ」
「えっ」
「領内は農業も盛んで、声をかければ採れたての野菜がすぐに届く」
「まぁ!」
「さらに街にはこの国一番と名高い菓子店『ミエル』もあるんだが、それでも物足りないか?」
「でっ、でもその全部をいただけるわけでは……」
「ならばこうしよう。公爵家の料理全般、予算も含め全ての権限を貴女に一任しよう。もちろん予算に上限はない。悪い話ではないだろう?」
「そんなの……」
小さく呟きながら俯くベリーナ。
「お受けするに決まっていますわ!」
次の瞬間勢いよく立ち上がると、彼女は満面の笑みでそう宣言した。
「貴女ならそう言ってくれると確信していたよ。ならば、改めて……」
カミロは立ち上がりベリーナの元へ。
そっと彼女の手を取ると、恭しく膝をつき彼女を見上げた。
「ベリーナ・モリス伯爵令嬢、私は貴女の幸せを尊重するとここに誓おう。結婚、してくれるか?」
「カミロ・ファラン公爵様、私も貴方様の幸せを最大限に尊重することをお約束いたします。この結婚、謹んでお受けいたします」
ベリーナが綺麗にお辞儀で応えると同時にカミロは彼女の手に唇を落とした。
月明かりの下、誓い合った二人の顔には、まるで愛し合う恋人同士のような穏やかな笑みに溢れていた。
続




