第十二話
「今日は奥様のご希望により別の場所でのお食事となりますので、ご案内いたします」
緊張の面持ちで幸せ会議に向かうカミロの前に、ジョルジュがやってきた。
言われるがままカミロは彼の後ろについて行くも、ジョルジュからは何の説明もない。
「一体どこに向かっているんだ?」
「もうすぐ着きますので……」
痺れを切らしたその言葉も彼は全く気にならなかったのか、その後は二人の足音だけが廊下に響いていた。
「旦那様、着きました」
辿り着いたのは、公爵家の庭が見渡せる部屋のテラス。
いつもはない丸いテーブルと椅子が二つ置かれていた。
「奥様もまもなくいらっしゃいますので、こちらでお待ちください」
「あぁ……」
ジョルジュは軽く頭を下げ、そのまま部屋を出て行った。
ため息一つ、カミロは近くにあった椅子に座り、静かにベリーナの到着を待った。
「三日月か……」
日はすでに落ち、淡い月明かりが庭の花々を照らす。そこには見慣れない花がちらほらとあり、記憶の中にあった庭の雰囲気とは大分変わっていることに、カミロは少し驚いているようだった。
「すみません、遅くなりました」
「うわぁぁ!」
突然暗がりから聞こえた声に、カミロは情けない声を上げた。
「申し訳ございません。そんなに驚かれるとは思わなくて」
可愛らしい笑い声を纏ったアクアグレーのドレスが、ゆっくりと彼に近付いてくる。
カミロのいるテラスからはその女性の顔はまだ見えないものの、その声は愛おしい彼女のものだった。
「ベリーナ、驚かせないでくれ」
「あら、あの時のお返しをしただけですわ。これで私もカミロ様から幽霊に間違われた、と文句を言うことができますね」
弾けるように笑いながらベリーナは、そっとカミロの前に座った。
「カミロ様、この前はすぐにお返事できず申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げるベリーナの姿に、いたたまれずカミロは立ち上がる。
「やめてくれ、ベリーナ。私の方こそ、貴女への配慮に欠ける一方的な態度だった。すまない」
慌ててカミロが頭を下げると、今度はベリーナが忙しなく席を立った。
「頭を上げてください、カミロ様。もうすぐお料理も届きますし、せっかくですからゆっくりいたしましょう」
「あぁ……」
微笑むベリーナに促され、カミロは少し照れながら腰を下ろした。
「カミロ様、ここって何か思い出しませんか」
悪戯っぽく口の端を上げ、ベリーナは彼にそう問いかける。
「この場所が?」
「いえ、正確にはこの場所の雰囲気です」
カミロはゆっくりと自分の周りを見渡した。
空には上限の月。穏やかな月明かりに照らされる庭の花々、そしてテラスのテーブルには笑顔のベリーナ。
「……もしかして、あの舞踏会か?」
「そうです。よくお分かりになりましたね」
「契約とはいえ、女性にプロポーズした場所を忘れるほど、私は薄情者ではないからな」
「まぁ……」
ベリーナが思わず肩をすくめると、カミロは少しバツが悪そうに黙って俯いた。
「あれからもう一年も経つのですね。こちらでの生活が本当に楽しくて……正直お約束のことなんてすっかり忘れていました」
「私もだ。ジョルジュに言われるまで思い出すことすらなかったからな」
「でも、やはり契約は契約。二人でしっかりと話し合うべきなのだと思います」
「あぁ……」
真剣な眼差しでカミロを見つめるベリーナ。
だが次の瞬間、彼女は頬を緩ませ満面の笑みをカミロに向けた。
「でも、お腹が空いていては何も始まりませんわ。これは幸せになるための話し合いですもの、まずは一緒に美味しいものをいただきましょう。難しいお話はそれからですわ!」
「カミロ様、こちらのお肉お食べになりました? もう柔らかくてあっという間になくなってしまいましたわ」
「あぁ、噛む必要すらなかったな。それなのにコクも深くしっかりとした味わいも感じられる」
「それを言うなら先ほどのスープも素晴らしかったですね。口に入れた途端、いくつものお野菜の旨みが感じられて」
「この中にベリーナが育てたものも入っているのか?」
「ええ。この前収穫したものを使ってくださっているはずです」
「新鮮だからより旨みが感じられるんだろうか……これもか」
付け合わせの野菜を口に入れ、カミロはゆっくりと噛み締めしっかりと飲み込むと、満足そうに大きく頷いた。
「……まさかカミロ様とこんなふうにお料理の話ができるようになるなんて、あの時は思いもしませんでしたわ」
息を漏らすように穏やかに笑いながら、ベリーナもまたナイフで小さく切った野菜を口に入れた。
「今思えば、我ながらひどい無礼者だと反省してる。すまなかった」
「いえ。私の方こそ腹が立ったとはいえ公爵様に向かって、あんな熱弁を奮ってしまって。思い出すだけで、顔から火が出そうですわ」
慌てて顔を押さえるベリーナを見つめながら、カミロは嬉しそうに頬を緩めた。
「だが、貴女があの時ああいう反応をしなければ、私はきっと契約結婚なんて絶対に提案しなかっただろうな」
「それはどういうことですか?」
「……ベリーナ、そろそろ私の話を聞いてもらっていいだろうか」
ナプキンで口元を拭ってから、カミロはナイフとフォークを静かに皿に置いた。
それに倣い、ベリーナもそっと口元を拭いまっすぐ彼を見つめた。
「あの日、私は一つ嘘をついていたんだ」
「嘘?」
「あぁ。私が貴女に話しかけた時、偶然部屋に入ったら貴女がいたと言っただろう。本当は会場での見事な啖呵を聞いて、貴女の後を追ったんだ」
『話題のお味ではなく、私は貴方が美味しいと思うものが知りたかったのに……。申し訳ございませんが、お誘いはなかったことにしてくださいませ』
「相手は決して悪くなかった。家格もそれなりだし、容姿も整っていて振る舞いも実にスマートだった……でも、そんな彼に見向きもせず貴女はすぐに会場を出ていった。そして、あれだけ不機嫌だったにも関わらず料理を見るなり目を輝かせた。しかも信じられない量を皿に乗せて、嬉しそうに部屋から出てくるんだから驚いたよ」
「まぁ、そうだったんですね」
自分の行動を思い出したのか、ベリーナは少し恥ずかしそうに顔を背けた。
「正直に言えばあらぬ誤解も受けそうだと思い咄嗟についた嘘だが、貴女を騙したことには変わりない。すまなかった」
「そんなことで謝らないでください。私がカミロ様のお立場でもご令嬢があんな山盛りの料理を持って歩いていたら、気になると思いますもの」
「山盛りという自覚はあったのか……?」
「あるに決まってますわ! もう私だって一応は伯爵令嬢ですのよ」
「申し訳ない」
そう言いながらも笑い声が止められず口を押さえるカミロに、ベリーナは大袈裟に顔を背けた。
「それからもう目が離せなくなってしまって……気付いたら、声までかけてしまっていたわけだ」
「でも、それなら普通に声をかけてくれたらいいではありませんか。あんなところからいきなり声をかけるなんて、少し無作法じゃありませんこと?」
まだ機嫌を損ねているのか、ベリーナはカミロと目も合わせずお肉を一口。
「いや、あれは完全な不可抗力だ。言っただろう? こちらが見えていないことに気付いていなかっただけだ」
「それにしたって、いきなり挨拶もなしに女性に『貴女は何を言っているんだ?』なんて、あんな怖い顔で言ったら、普通のご令嬢なら震え上がって泣いておりますわ」
「でも、貴女は怯まなかった……そうだろう?」
得意げにそう言いながらカミロもまた肉を一口。
負けじとベリーナも大きく切った肉を口に入れ、十分味わってから勢い静かに飲み微笑んだ。
「あら、私をそうさせたのは、他でもないカミロ様自身でございましょう?」
「私が?」
「ええ……だって、あの時カミロ様が食事を軽んじるような発言さえなさらなければ、私もあんなふうに振る舞う必要などなかったではありませんか」
「確かに、そうだが……」
「それに、カミロ様が幼い私に『食べることの幸せ』を教えてくださったあの日がなければ、私はあそこまで熱くなることはきっとなかったと思います」
「ベリーナ……」




