第十一話
「……ベリーナはどうしたんだ?」
「旦那様、ご自分でお分かりにならないのですか」
小さくため息を吐きながら、ジョルジュはカミロの前に置かれた冷めたポタージュを見つめた。
「いきなり後継ぎのことを言ったから怒っているのか」
「奥様は怒っていたわけではございません。言葉を選ばずに言っていいのなら、恐らく失望されたのではないかと」
「失望?」
「ええ。ご自分が仰ったことを今一度思い出してみてください」
「言ったこと……」
口に手を当て黙り込んだカミロの姿に、ジョルジュは重い口を開いた。
「このままの関係を続けていきたい、旦那様は奥様に対し笑顔でそう仰いました」
「確かにそう言ったが、それのどこがおかしい?」
「お気付きになりませんか?」
「何をだ?」
まるで謎解きのようで要領をえないジョルジュの言葉に、カミロは苛立ちを隠さず声を荒げた。
だが、ジョルジュはそんなこと気にもせず、厳しい表情のまま彼を見据えた。
「ずっとこのまま……その言葉の意味がお分かりにはなりませんか?」
「あっ……」
その問いかけに、カミロはようやく自らの過ちに気付いた。
自分の想いを自覚したばかりの彼にとって「このまま」という言葉は、ここから本当の夫婦になっていきたいとベリーナへの想いを伝えたつもりだったのかもしれない。
「恐らく奥様には『このまま契約結婚という関係を続けよう』と、そう聞こえたのでしょう」
「だったら、今すぐに誤解だと謝りにいけばベリーナだって……」
「それはおやめになった方がよろしいかと。後から何を言っても奥様にとっては、きっと言い訳にしか聞こえません」
「なら私は一体どうすればいいんだ」
頭を抱え力なく項垂れるカミロに、ジョルジュはそっと寄り添う。
「まだ勝機はございますよ、旦那様」
「何?」
「旦那様はご自分がどういう人間かお忘れですか? 誰もが絶望する中、お一人でこの公爵家を守り抜いたのは、他の誰でもない貴方様ではございませんか。それほどのお方がこれしきのことで、愛した女性を逃すわけがございません」
不敵な笑みを浮かべ、ジョルジュはカミロをまっすぐ見据える。
「たとえ奥様が旦那様にとって受け入れ難い決断されたとしても、それを受け止めた上で覆すくらいできなくてどうするのです?」
「ジョルジュ……」
「まぁ、それでも奥様はなかなかに手強いお相手でしょう。実際、これまでも旦那様に真っ正面からぶつかる場面を何度も見ておりますから」
「確かに、簡単にどうにかなる相手ではないな」
「まぁ、そんな方に惚れたのは旦那様ご自身です。振られたくないのであれば、次こそは必ずや奥様のお心を掴んでください。さもないと公爵家全員を敵に回すことになります故……」
「それはどういう意味だ?」
眉間に深く皺を寄せまるで睨むような険しい表情のカミロにも、ジョルジュは怯むことなく微笑みを返す。
「旦那様、奥様に惚れ込んでいるのは何も貴方様だけではございません。本当の家族のように愛情深く私達に接してくださる奥様のことを傷つけるようなことがあれば、使用人一同黙ってはおりませんので」
「待ってくれ。一応ここの主人は、私……」
「いいですか? 旦那様にはもう後はございません」
「ジョルジュ、少しは私の話も聞いて……」
「奥様がどんな決断をなされたとしてもまずは受け止めてください、話はそこからです。その後は……」
「わかった、もうわかった!」
カミロはジョルジュの口を慌てて手で押さえた。
「ベリーナのことは絶対に諦めたりしない。公爵家にとって、いや私にとって妻となってほしいと思える女性は、彼女しかいないんだ」
「そうやって素直に伝えたらいいんですよ、旦那様」
「ジョルジュ……そう簡単に言うな」
思わず笑い声を上げたカミロを見つめ、ジョルジュ目を細めた。
「さぁ、旦那様。まずはこのお食事を残さず食べるところから始めましょう。奥様に負けない元気をつけるにはやはり食べること、それ以外ございません」
「よし……」
ベリーナを真似て勢いよく両手を合わせたカミロは、大きく息を吸い込んだ。
「今日も全ての恵みに感謝を!」
一方、ベリーナはいつもと変わらず穏やかに過ごしていた。
食事もいつも通り。好きなものを好きなだけ、残さず綺麗に平らげ笑顔を見せる。
周りの使用人達にもいつものように優しく接し、あの日の話し合いなどまるでなかったようにも見えた。
だが、子供の頃からずっと彼女のそばにいるカレンだけは、ベリーナの僅かな変化に気付いていた。
「ベリーナ様、デザートはいかがなさいますか」
「今日のデザートは何かしら?」
「ナッツの入った焼き菓子と聞いております」
「そう……今日はやめておこうかしら。甘いものって気分ではないの、お茶だけもらえる?」
「……かしこまりました」
カレンはキッチンに向かう廊下をいつもよりゆっくりと歩きながら、ずっとベリーナのことを考えていた。
子供の頃、カミロと出会ったことがベリーナが食べることを好きになるきっかけだった。
その頃のベリーナは社交的な母とは正反対の内気な少女で、そんな彼女を心配した母であるモリス伯爵夫人は、よく社交の場にベリーナを連れ出していた。
少しでも人の中にいることに慣れさせたいという
思いがあったようだが、公爵家の感謝祭で彼女が友人との会話に夢中になっている間に、ベリーナは母のそばを離れてしまった。
結果、そのことがその後の彼女を大きく変えることになったばかりか、今もまたその時に出会ったカミロと関わることになるなど、カレンは想像すらしていなかった。
「ベリーナ様、お茶をお持ちしました」
「ありがとう、いただくわ」
「あの、もしよろしければ久しぶりに私も一緒にお茶をいただいてもよろしいでしょうか?」
「まぁ、もちろんだわ! カレンとお茶をするなんて久しぶりね。子供の頃はよく私がわがまま言って付き合わせていたけど」
「わがままなんて、とんでもない……では、お言葉に甘えて」
カレンは淹れた紅茶をベリーナの前に置くと、自分のカップにも半分くらい紅茶を注ぎベリーナのそばに座った。
「あぁ、やっぱりカレンの淹れてくれる紅茶が一番美味しいわ」
「ありがとうございます……あの、少しだけ私の話をしてもよろしいでしょうか?」
「もちろん。どんな話をしてくれるか楽しみだわ」
まるで子供のように待ちきれないとばかりに、ベリーナは目を輝かせた。
「ベリーナ様は私の夫には会ったことございませんよね?」
「そうね。確か、私が生まれる頃に別のお屋敷に移ったんだったかしら?」
「はい。執事長にならないかと打診され、今もそちらのお屋敷に勤めております」
「優秀な方なのね」
「優秀かどうかは分かりませんが、仕事に関しては一切手を抜かない真面目な人です。ですが、夫としては少し頼りないといいますか……」
「あら、どういうところが?」
体を前に乗り出し、ベリーナは真剣な顔でカレンの話に耳を傾ける。
「前に私の誕生日に花束を買ってきてくれたんです。真っ赤なバラが主役のとても綺麗な花束を喜んでいた私に、夫は何て言ったと思いますか?」
「そうね……花束よりも君の方が綺麗だよ、とか?」
「まさか、そんな気の利いた人じゃありません。彼は私に向かって『やっぱり花屋の女性に選んでもらってよかった』なんて、誇らしげに笑ったんです」
「まぁ……」
言葉を失い口を抑えるベリーナ。
「もうその瞬間、我慢できなくて言ってやったんです。他の女性と選んだ花束なんかもらっても嬉しくない、って」
「当たり前よ、そんなこと言われたら私だって怒るわ」
「だからその日から三日間、私は夫と口を聞かなかったです。そうしたら、三日目の夜に花束を抱えて夫が帰ってきたんです」
カレンはその時を思い出すように静かに目を閉じた。
「その花束は、いかにも寄せ集めって感じでお世辞にもセンスがいいとは言えませんでした。でも、選んでくれた花一つ一つに思いが詰まっていたんです。私の好きな花とか、初めてのデートで行った公園に咲いていた花とか、プロポーズしてくれた時に渡してくれた花とか……」
「素敵じゃない」
「だから、私も素直に彼に伝えたんです。他の人が選んだ花束よりも、あなたが一生懸命選んでくれたこの花束の方が何倍も嬉しいって」
ゆっくりと目を開け、カレンはベリーナの手をそっと握る。
「だから、ベリーナ様も旦那様に対して嫌だと感じたら、怒ってもいいんですよ」
「怒るなんて……」
「はっきり言ってカミロ様は私の夫と同じくらい、いえそれ以上に不器用な方です。ですから、怒るくらいして差し上げませんと、ベリーナ様のお気持ちに気付くこともないかもしれません」
「……でも」
「ならば、このままでよろしいのですか。カミロ様の真意も確かめずに契約結婚をお続けになっても」
痛いくらいまっすぐなカレンの視線を受け止めきれず、ベリーナは俯いた。
「嫌よ……だって、ずっと思っていたのよ。いつか会えたらまた『ミエル』のお菓子を半分こして食べたいって。幸せだねって一緒に笑いたいって」
「なら、そうお伝えしませんと」
「……聞いてくれるかしら」
「聞いてくれるか、じゃなくて聞いていただくんです!」
「カレンったら……」
二人の今後を決める幸せ会議は、数日後に迫っていた。




