マッサージのひととき
その夜。
「この世界のこと、難しいじゃん……」
本を開いて、羊皮紙に筆を走らせながら小さく呟いた。
ゲームを何度もプレイしていて、ある程度の世界観は分かっていたものの、この異世界における細かいところは分からなかった。
だからそこ、書物を読んで勉強を。
「サフィー、お茶を淹れたわ」
アプリルはトレイを持って近づき、机に紅茶を置いた。
湯気と共に漂う香りが、私の鼻をくすぐる。
彼女のトレイを持っている姿は、完全になれた様子だった。
「ありがとう……!」
「たまたま飲みたくなったので、一緒に淹れただけよ」
そう言いながら、アプリルはもう一個のカップで紅茶を飲み、日誌へ雑務の記録を書き込んでいく。
手伝いたいけれども、これの書き方を私は知らない。
だから、記録を書き終わった辺りでアプリルに言った。
「アプリル、ちょっとマッサージしてあげる」
これだったら出来ると思ったから。
「……大丈夫よ」
少し戸惑う声。
でもやってあげたかった。
「結構朝から夜まで大変そうだから、せっかくだからね」
「そう? お願いするわ」
私はそっと肩に手を置き、優しく揉みほぐしていく。元の世界でも部活で疲れた陽菜達にマッサージをしたりしていたから、多少は慣れている。
でも強すぎないように、ゆっくりと。
肩は想像以上に固く、彼女が本当に働きづめなのだと分かる。
「結構固い……大変だったのね」
「……それだけわたくしは、メイドとして仕えながら罰を受けているの」
ちょっと言葉を詰まらせながらも、私に吐き出すように答えていた。
肩がほぐれたら場所を変える。
私は黙って、その手を取ってほぐす。
雑務で硬くなった手のひら。けれど細くて白い指は、まるで白魚のように綺麗だった。
「頑張っているのね」
「……ありがとう」
マッサージを終えると、アプリルは小さく微笑んだ。
その横顔を見て、胸の奥が少し熱くなる。
「良いの。またしてほしかったら、いつでもしてあげるから」
「そうするわ。で、勉強はもう良いのかしら?」
アプリルは私が途中まで開いている書物と、羊皮紙を見て首を傾げる。
「今日はこれで良いの」
マッサージをしたら、眠気が押し寄せてきた。
だから今日の勉強はここまで。
私はペンを置いて、ベッドに身を沈める。
湯気の香りがやわらいで、部屋は静かになった。
同じ温度の紅茶を飲んでも、私と彼女の心は、同じ温度にはならない。
(これで多少は釣り合うはず。私はヒロインなのよ)
夢と現実のはざまで、まぶたがゆっくりと落ちていった。




