悪役令嬢と庇うヒロイン
ある日の午後過ぎ、廊下を歩いていると、大きな音が響いた。
「ちょっと、何をしているの!?」
声はモニカのもので、声の方向に行ってみると、モニカがアプリルに因縁をつけていた。
水の入った桶が置かれていて、床はまだ濡れている。
どうやら水拭きなどを行っていたみたい。
モニカのスカートに染みが出来ていて、まるでうっかりアプリルがモニカのスカートを汚したように見えた。
「どうしてわたくしのせいなんですか?」
「アプリルは今まで、ここで掃除をしてたじゃないの。変な布の使い方をしているから、アタシに水がかかったじゃない! 弁償しなさいよ!」
アプリルは毅然と首を振った。
「けれど、わたくしはあなたがここを通った時には、布も水も使っていないですわ」
「さあ、どうだか。破滅したあなたは信用できないし、証人なんていないんだから」
モニカはどうしてもアプリルを嵌めたいみたい。
アプリルは破滅していて、信用が無くなっているから、モニカの言葉を信じるかもしれない。
おまけにモニカの取り巻きまでやってきて、彼女の加勢をしているし。
(……でも、その染みって!)
私は思わず声をあげた。
「その染みって、さっきの授業でついちゃったものでしょ!」
顔を上げたモニカが目を見開く。
「はぁ……? 何を根拠にーー」
「ちょっと甘い匂いするし、授業で使ったシロップでしょ。ほんのちょっとべたついているし」
確かに私は見ていた。
さっき私達は、お菓子を作る授業をしていた。
その際に、モニカが不注意でスカートにシロップをこぼしたのを。
「あら、わたくしの水には砂糖など入っていませんわよ。飲んでみます?」
「……っ!」
水の入っている桶をモニカに見せて、アプリルは潔白を証明しようする。
少々汚れていて、飲めそうにないけれど。
「もう、覚えていなさい!」
捨て台詞のように、モニカは取り巻きを連れてこの場を離れていたった。
残ったのは、アプリルと私だけ。
「サフィー助かったわ、ありがとう」
「ううん、私がもうちょっと頭が良かったら、完全に勝てたんだけれどね」
私は照れくさくはにかみながら笑うと、アプリルは布を畳んで、ふっと表情を和らげた。
「まぁ、十分ですわ」
(これがヒロイン。正しいことをしないと)
「おや、何か騒動があったけれども」
そのとき、後方から声がした。
振り返ると、キリル王子が廊下にやってきていた。
「殿下……!」
私は思わず前に出る。
「実は……」
説明しようとしたけれども、緊張のあまり喉がつまって言葉にならない。
「い、いえ……ちょっと言い争いを……」
焦ったのもあって、私はアプリルよりも先に答えてしまっていた。
でも王子は静かに頷いている。
「そうか。でも、解決したみたいだね」
「はい!」
私は、笑顔を見せながら王子に返答する。
声は少し裏返って、顔は熱を帯びていたけれど。
「君は勉強をよくしているみたいだから、解決力もあると思うし、これからも頑張ってくれ」
「勿論です!」
胸の奥がはじけるように高鳴る。
王子は微笑みを残して去って行った。
(ああ……やっぱり、これこそヒロイン!)
「まあ、サフィーのおかげだから……」
アプリルは小さく呟いた。
私ははにかみながら答える。
「えへへ……」
アプリルは少し呆れたように微笑み、私は胸いっぱいに夢を抱きしめていた。
「ああ……殿下……」
その余韻を抱えたまま、残りの授業を終えた後、私は寮の部屋へ戻った。
扉を開けると、部屋を掃除しているアプリルの背中が見えた。
煌めく夢の舞台から急に現実へ引き戻されたようで、思わず足が止まる。
(……やっぱり、釣り合わない。だって私はヒロインで、彼女は破滅済みの悪役令嬢。これは友情なんかじゃなくて、ただの気まぐれ……)
そう言い聞かせながら、ベッドに腰を下ろす。
けれど、夢の余韻は消えず、胸の鼓動はやけに大きかった。




