聖女の祝福
王都に、穏やかな陽光が差し込む午後だった。
その日、王宮では国王陛下の体調が優れないという知らせが広がっていた。
病ではない。ただ、連日の政務の疲労と、加齢による衰え。
医師達が祈りを捧げる中、私はグルナ様の私室へと呼び出された。
「グルナ様、陛下の容態は……?」
私の問いにグルナ様は微笑んだ。
彼女の微笑は、まるで春の陽だまりのように柔らかい。
「心配はいりません、サフィー。陛下は神の御手の中におられます」
そう言って、彼女は机の上から小瓶を取り上げた。
淡い金色の液体が、瓶の中で光を反射している。
まるで陽光を閉じ込めたかのような、穏やかな輝きだった。
「これは”祝福の聖水”です。神殿で祈りを込めたもの。陛下にお渡しして、夜の祈りのあとに一口だけ飲んでいただきなさい」
「……癒しの力があるのですね?」
「ええ。疲れた魂を休ませるものです。きっと、神の慈悲が陛下を包んでくださるでしょう」
グルナ様の声は静かで、まるで夢の中のようだった。
私は深く頭を下げ、小瓶を両手で受け取った。
その瞬間、瓶の中の液体がかすかに揺れ、光が私の掌を照らしている。
「ありがとうございます、グルナ様。私……必ず、陛下にお渡しいたします」
「ええ、あなたなら大丈夫。この国を照らす太陽として、迷わないで」
そう告げたグルナ様の瞳は、どこか雪のように冷たかった。
その夜。
寝台の脇で、フェルディナンド国王が静かに横たわっていた。
キリル王子は国王の手を握って、私は少し離れた位置で跪く。
「父上……聖女様から、陛下のお身体のためにと頂いた聖水がございます」
私は銀の杯に液体を注ぎ、両手で差し出す。
黄金色の液体が、燭台の火を受けて神々しく輝いた。
国王は微笑み、ゆっくりとそれを受け取る。
「お前の優しさに、感謝する……サフィー」
静かな声。
杯が唇に触れ、液体が流れ込む。
その瞬間、部屋の空気がわずかに変わった気がした。
燭台の炎が一瞬だけ揺らぎ、王の指先が微かに震える。
「……陛下?」
キリル王子が声を掛ける。
国王は一度、微笑み返した。
でも、次の瞬間ーー胸を押さえ、苦悶の声を漏らした。
「父上っ!?」
杯が床に落ち、金色の液体が散る。
その光景を見て、私は凍り付く。
何が起きたのか理解できない。
”祝福の聖水”が、何故。
部屋の外から衛兵と侍医が駆け込む。
混乱の中で、グルナ様が現れた。
白い衣の裾を引き、まるでこの場を待っていたかのように。
「陛下は……神に召されたのです」
グルナ様の声は、悲しみではなく、祈りのように響いた。
「そんな……陛下……陛下……!」
私は泣き崩れた。
グルナ様はそっと肩に手を置き、囁いた。
「泣かないで。貴女はよくやりました。神は、正しき者に試練を与えるもの。これは、貴女が”真の王妃”になるための通過儀礼なのです」
その言葉が、私を完全に縛り付ける。
罪悪感も疑念も、その声に包まれて消えていく。
代わりに、”私は選ばれたヒロイン”という陶酔が満ちていた。
床にこぼれた液体は、まだ淡く光っていた。
それが祝福の輝きではなく、毒の残光であることにーーこの時の私は気づけなかった。




