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聖女を信じて悪役令嬢を陥れ続けたら、断罪されたのは私でした  作者: 奈香乃屋載叶(東都新宮)


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ハッピーエンドの代償

 朝の回廊に白い息がほどける。

 神殿附属の孤児院。まだ陽の昇りきらぬ時間に、私はグルナ様の後ろを歩いていた。

 壁に描かれた聖女の絵が、淡い光を受けて揺れている。

 子供達の寝室からは、咳の音と、かすかな祈りの声が聞こえていた。


「ここ数日は寒さで皆、体調を崩しております。王太子妃殿下がいらしてくださるなんて……」


 院長の老神官が、恐縮しながら言葉を継ぐ。

 その背を見ながら、私は自分が”癒しの象徴”として見られていることを意識した。

 少し誇らしい。

 けれど、同時に胸の奥で、何かがざわめく。


 礼拝室の奥。

 窓際の長椅子に、十人ほどの子供達が並んで座っていた。

 皆、薄い麻布の服を着ている。頬はこけて、指は凍えるように赤い。

 けれど瞳は澄んでいた。


「王妃さま!」


 誰かが声を上げると、他の子も一斉に立ち上がる。


「いいのよ、座って。無理しないで」


 私はしゃがみ込み、最前列の女の子に微笑んだ。

 細い髪を撫でると、彼女は安心したように目を閉じた。

 その瞬間、背後でグルナ様の布擦れがした。


「準備を」


 神官が頷き、香炉を揺らす。

 銀の鎖が揺れるたび、甘い香りが空気を満たす。

 窓の外から光が差し込み、子供達の髪が淡く金色に染まっていく。

 その光が、あたかも私の背から広がるように見えた。


「みんな、きっとよく眠れるわ」


 言葉が自然に口をついた。

 グルナ様が静かに頷く。

 合図を受け、侍女がそっと床の下に仕込まれた反射板を回転させる。

 光が一気に強まり、礼拝堂全体が輝きに包まれた。


「王太子妃様の奇跡だ!」


 院長の叫びが響いた。

 子供達の頬が上気し、彼らは歓声を上げる。

 咳をしていた女の子が息を吸い、胸の痛みが消えたかのように笑った。

 私の心は熱くなった。

 ああ、本当に……光が届いたのだ。


「サフィー」


 背後から、グルナ様の囁き。


「ね、簡単でしょう? あなたが”光”であるように整えて差し上げる。それがわたくしの役目です」


 優しい声。けれど、どこか機械的でもあった。


 私は子供達の頭を撫で、手を握る。

 その小さな指の温もりが、自分の存在を肯定してくれるようだった。

 ”私はヒロインなんだ”

 そんな錯覚が、胸に満ちていく。


 外へ出ると、太陽が昇っていた。

 朝露の匂いと、香炉の残り香が混ざり、胸の奥まで沁みる。


「グルナ様、あの子達……本当に癒されたのですか?」


 尋ねると、グルナ様は笑って言った。


「ええ。祈りは形を与えられた時、奇跡になるのです。貴女が立ってくれた、それだけで十分」


 その瞳は透き通っているのに、底が見えなかった。

 私は深く頭を下げた。

 だって、グルナ様が正しいのは、いつだってそうなのだから。


 遠くで鐘が鳴った。

 清らかな音が胸の奥で反響する。

 けれどその音の裏に、かすかに鎖の軋む音が混じっていたことにーー

 この時の私は、まだ気づいていなかった。



 私の執務室。机の上には羊皮紙がいくつも積まれている。

 『学院の秩序回復に伴う教員移動』

 『王宮付き書記官の更迭』

 『聖女グルナ・フストの指導下にて施行す』

 どの書面にも、既にグルナ様によって名前が書かれていて、誰にするかは決まっていた。

 私には選ぶ権利はない。

 出来るとすれば、私の署名と捺印をするだけ。


「サフィー、貴女の名前で」


 グルナ様はペンを差し出す。


「でも、これは……少し多くないでしょうか」


 そこそこの人数がグルナ様によって対象になっている。

 私には完全な拒否をする権利は無かったけれど。


「腐った枝は、早く落とすほど樹は伸びるのです」


 私は震える指で署名した。『王太子妃 サフィー・プラハ=プレスラバ』と。

 署名をしたら、私は印章を。

 これで私の命令で行ったものになる。


(……仕方ないよね)


 グルナ様が不要と思ったんだったら。

 私は署名捺印をしていく度に、胸がざわめく。

 でも、グルナ様の視線が私を捉えて離さない。

 その瞳の奥には、確信と慈悲が同居していた。

 まるで、”思慮は罪と知るべし”と告げるように。

 一枚また一枚と、私の署名が増えていく。


「よくできました」


 この日の署名捺印が完了すると、グルナ様は柔らかく笑みを浮かべ、私の手に触れた。


「これでまた一つ、王国は清められました。”選ばれたヒロイン”である貴女によって、この王国には光が運ばれます」


 その言葉に胸が熱くなった。

 けれど、なぜかその”熱”は、胸の奥を焼くように痛かった。


 私はペンを置き、深く息をついた。

 机の上の封蝋が、陽に透けて金色に輝いている。

 その光が、まるで”毒”のように見えたことを、私は見なかったことにした。


 署名を終えた書類の山が、光を受けて微かに揺れていた。

 それが風か……それとも誰かの吐息なのかは分からなかった。

 ただ、次の日には学院の一室が封鎖され、教師の一人が忽然と消えた。

 『彼女は別の任地へ』と誰かが言ったが、その任地の名は誰も知らなかった。

 


 神殿の奥、薬瓶の詰まった倉庫。

 棚ごとに貼られた札には、『鎮痛』、『滋養』、『祈祷用』と整然と書かれている。


「王宮へは”祈祷用”を、学院医務室へは”滋養”を。印はあなたの封蝋で」


 グルナ様は優しい。

 私は封蝋を落とし、王家の紋章を押す。手際は良くなった。

 ふと、ひとつの瓶の栓を近づけると、かすかに金属の匂いがした。


「これは?」


「保存料よ。遠方から運んだものだから」


 微笑と共に、栓は彼女の手で戻された。

 ほんの僅か、グルナ様の指先が薬瓶の口に触れた。

 そのしぐさは優雅で何気ないのに、何かを”混ぜた”ようにも見えた。

 もちろん、そんなはずはない。


 ーー疑えば幸福は崩れる。


 私は頷き、次の瓶へと印を押す。小さな”承認”が、私の手を通って国中へ広がっていく。


 大聖堂の控え室。侍者が銀の杯を磨いている。


「祝いには所作が大切。縁に指が触れすぎないように、そっと傾けて」


 グルナ様の指が、私の指をなぞる。

 杯の底で無色の水面が震えた。


「祈りの言葉は短く、視線は人へーー杯へではなく、あなたの”光”へ群衆を向けるの」


 私は言われた通りに微笑む。

 喉の奥に、ふと甘さが宿る。さっき倉庫で嗅いだ、あの微かな匂いを思い出しかけて、やめた。

 ”疑えば幸福は崩れる”ーーグルナ様の言葉が、呼吸みたいに身体にしみている。


 こうして私はグルナ様に従って、祈りを配り、印を配り、言葉を配った。

 どれも小さな善意の形をしていて、どれも私の指先を通っていった。

 でも私にとっては何も疑わなかった。


 グルナ様にとって”疑えば幸福ではなく破滅が待っている”と言われていたから。


 それでも私は幸せだった。

 だってグルナ様がそばにいる限り、世界は正しい。

 そして彼女が笑う限り、私はヒロインでいられるのだから。


 どんな事があったとしても、私には幸せな日々が続くと信じていた。

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