ハッピーエンドの日々
春の祝典の日。
王太子妃である私は、白百合をあしらった純白のドレスに身を包み、王宮のバルコニーで群衆へ手を振っていた。
「王太子殿下、王太子妃殿下、万歳!」
人々の歓声が、途切れなく響く。
その全てを、私は笑顔で受け止めていた。
だってそれが”理想の王妃”であると、グルナ様に教えられたからだ。
隣にキリル王子。
彼の瞳は優しい。私に向けられる微笑には、真実の愛がある。
少なくとも、そう”感じるように”なっていた。
でも、夜になると夢を見る。
血のように紅い花びらが、石の床に散っていく夢。
アプリルが最期に見せたあの微笑が、何度もまぶたの裏で咲き乱れる。
「……本当に、これでよかったの?」
誰に訪うでもなく呟いた言葉は、夜風に溶けた。
「疑ってはいけませんよ」
でもその言葉に返答するように背後から響く、甘く透き通った声。
グルナ様がいた。
薄いベールのような衣をまとい、夜の庭園の光に包まれている。
その姿は聖女というより、もはや神話の幻のようだった。
「貴女は正しいことをなさったのです。あの女の罪を明らかにし、王国に秩序を取り戻した。だからこそ今、貴女は幸せなのです」
「……ええ、そうですね」
私は笑顔を作った。
けれど胸の奥は冷たく、呼吸さえ重かった。
「これからも、私の言葉を信じてくださいね」
グルナ様はそっと私の頬に触れた。
指先が触れた瞬間、全身に微かな熱が走る。
それは祝福のようでもあったけれど……呪いのようでもあった。
「来月には、神殿の孤児院を訪問なさい。そしてーー貴女の笑顔を、あの子達に見せてあげて」
「はい、グルナ様」
命令は常に”やさしい言葉”に包まれていた。
拒む理由が見つからない。
彼女の言うとおりにすれば、幸福は保たれるーーそう信じていた。
(そうだよね、グルナ様は……正しいの)
けれど、一つだけ気になったのがある。
王子も、廷臣も、侍女達でさえ、誰もグルナ様に逆らわない。
まるで”聖女”がこの国の真の支配者であるかのように。
(……アプリル?)
そしてある晩。
舞踏会の鏡の中に、誰もいないはずの影が映った。
アプリル・ブラチスラバである。
薄い赤のドレスに身を包み、微笑みながらこちらを見ている。
彼女の唇が、音もなく動いた。
『サフィー。貴女、それで幸せ?』
心臓が跳ねる。
次の瞬間、鏡の中にいたアプリルの影が煙のように消えてしまう。
私だけが残った鏡の中にいる私の顔は、泣いているようにも、笑っているようにも見えた。
(何でわざわざ出てくるの……)
その夜、眠れなかった。
グルナ様の声が頭の中に響く。
ーー信じなさい。疑えば、幸福は崩れる。
ーー貴女は選ばれたヒロイン。誰も取って代われない。
(結局一睡も出来なかった……)
そうして、朝が来る。
金の冠を戴き、絹のドレスに包まれ、誰もが羨む生活を送りながら、私の胸にはぽっかりと穴が空いていた。
(敦賀佐奈だった時よりも、何倍も何十倍も良いはずなのに……)
”ハッピーエンド”のはずなのにーー
心が、少しも満たされない。




