サフィー・プラハのバッドエンド
翌朝、冷たい石床の上で目を覚ますと、全身が強張っていた。
寝具などなく、昨夜は崩れた建物の一角に身体を丸めて眠っただけ。
砂が髪に入り込み、喉は渇ききっている。
「……み、水……」
呟いて立ち上がる。
廃都を歩けば、崩れた井戸が見つかる。底に濁った水がわずかに溜まっていた。
掬い上げて口に含むと、鉄錆のような味が広がる。今までこんなもの飲んだ事無い。
高校のグラウンドの水道水が、どれほど澄んでいて、どんなに美味しかったか分かるくらいに。
それでも飲まなければ、生きられない。
「熱い……」
日が昇ると、廃都は焼け付くような熱に包まれる。
ひび割れた石畳を歩けば、かつての広場が現れる。
だがそこに人影はなく、風が吹けば砂嵐が巻き起こり、まるで誰かの囁きのような音が耳をかすめる。
「……殿下?」
思わず振り返る。
けれど、そこには誰もいない。
声はただ、廃墟の壁に反響しただけだった。
「寒い……」
夜になると、冷え込みが厳しい。
崩れた建物の中に膝を抱え、私は震えながら瞳を閉じた。
すると夢の中に、学院の灯火が現れる。
王子が微笑み、手を差し伸べる夢。
『未来は、君のものだ』ーーその言葉を何度も何度も繰り返し聞く。
でも、目を覚ますとそこには誰もいない。
けれど私は、また次の夜もその夢を求めて目を閉じる。
昼は廃墟をさまよい、古い本の切れ端や壊れた家具を拾い集める。
夜は王子や学院の夢を追いかける。
「……これでいい。私は……まだ、ヒロインだから……」
自分に言い聞かせるように呟く。
でも、その声は風にさらわれ、砂と共に消えていく。
廃都での生活は、孤独と幻だけを糧に続いていった。
風が吹き抜けるたびに、廃墟の瓦礫がきしむ。
私はその音に怯えるけれど、『殿下の足音かもしれない』と胸を躍らせる。
振り返っても、誰もいない。
ただ砂嵐が視界を覆うだけ。
「殿下……私を愛してくださいますか」
夢の中で、王子は笑顔で頷いてくれて、抱きしめてくれる。
でも目を開ければ、そこは朽ちた廃都の石畳。
それでも私は、夢を信じ続ける。
夜ごとに現れる王子の笑顔を。
『未来は、君のものだ』ーーその言葉を支えに。
だけど現実は、冷たい石と砂しか返してはくれない。
声を上げても、返事をする人は誰もいない。
涙が枯れても、孤独は癒えない。
「……でも、私はヒロイン……だから……」
呟きは砂に飲まれて消えた。
廃都に残されたのは、ひとりの少女の影。
誰にも届かない祈りと幻影に縋りながら、ただ朽ち果てていく。
ーー『未来は、君のものだ』
その言葉だけが、風の音に紛れて、いつまでも耳の奥にこびりついていた。
やがて月が昇る。
白い光が、崩れかけた塔の頂を照らす。
そこにいるのは、もはやヒロインですらなくーー
一人の”亡霊”だけだった。
ーーこれは、確かにバッドエンドだった。




