反転の裁定
「とうとうこの日が来たのね」
胸が軽く浮いた。
だって、今日という日をーーアプリルが断罪される日がやってきたのだから。
これで私はハッピーエンドになる。
楽しみにしながら、大広間に向かった。
鐘が三度、乾いた空気を震わせた。伝令が罪状の見出しだけを淡々と読み上げ、沈黙が一拍置かれた。
形式張った手順が、ここが『取り返しのつかない場』だと全員に思い知らせた。
(凄い……アプリルの断罪のためにこんなに……)
大広間は異常な熱気に包まれている。
高窓から差し込む光は冷たく、磨かれた床に映る人影はざわめきに揺れている。
聖女様だってモニカだって、この裁定を見ていた。
私はその光景の中に立っていた。
白いドレスに身を包み、王子の隣に寄り添える位置にーーヒロインとして最も相応しい舞台。白は証人の色ーー少なくとも皆がそう受け取る色。衣装一つで、信憑は半歩、被告から離れていく。
けれど、列席している貴族や学院の教師達の視線は、中央に引き出される一人の女性に注目していた。
「……アプリル・ブラチスラバ」
兵に伴われて歩み出た彼女は、もうかつての華やかな令嬢ではなかった。
黒のメイド服、白い清潔なエプロン、きちんと結い上げられた髪。
それは確かに整えられていたがーーどこからどう見ても『使用人』の姿。
大広間の煌めきの中で、彼女だけが場違いのように映った。
さらには身体は鎖に繋がれていて、足首には足枷が。あきらかな被告人といえる姿だった。 鎖の輪と床石の擦れる金属音が、大広間の奥まで冷たく伸びた。
(……そう。これが”断罪”される者の姿なのよ)
観衆からは小さなざわめきが広がる。
「かつての令嬢が……」
「もうただのメイドではないか」
「一度の断罪だけではなく、二度もこの場に出るとは」
その声は、私の耳に甘美な響きをもたらした。
キリル王子は壇上に立ちながら、厳しい眼差しでアプリルを見ていた。
「アプリル・ブラチスラバ。王家の分家筋でありながら、一度の断罪で改心しないどころか、またしてもその名誉を汚す行為を行うとは」
低い声が広間を震わせ、アプリルの瞳が揺れる。
「ここにサフィ-・プラハ嬢の告発状がある。プラハ嬢、読み上げてくれ」
王子が私の告発状を掲げ、私に王子の視線が向いている。
視線が合う。王子のわずかな肯首だけで、膝の震えが嘘のように引いた。
私の胸は熱く跳ねる。
(殿下……これは、私の栄光の舞台ーー!)
既に高揚感で包まれていた。
「はい」
私は壇上に上がり、私が作った告発状を手にして読み上げる。
緊張しながらも、一言一言はっきりと言葉に出していく。
「よ、読み上げます……
『王立クリスタリア学院御中
私、サフィー・プラハは以下の事実をもってアプリル・ブラチスラバ嬢(現・学院付きメイド)を告発いたします。
一、アプリルは学院備品を故意に損壊しながら、それを他の生徒の責任に仕立てあげようといたしました。
一、アプリルは御前のお茶に毒薬を混入せんとし、その痕跡が残されておりました。
一、アプリルは同僚に対し「いずれ復讐してやる」と暴言を吐き、学院の和を乱しました。 一、アプリルはキリル殿下の御行動を密かに書き記し、他家に漏らそうと画策しておりました。
一、アプリルは日記にて王家への呪詛を書き連ね、反逆の兆しを見せておりました。
一、アプリルはメイドであるにも関わらず、身分を偽り未だに「自分はブラチスラバ家の令嬢」と称しておりました。 以上の罪状に鑑み、アプリル・ブラチスラバ嬢の学院における存在は到底容認できぬものと考えます。
署名:サフィー・プラハ』
ーー以上です」
それを観衆が聞いた途端、人々はアプリルを非難する目で見ていた。
こんな悪女だったのかと言わんばかりに。
最前列は眉をひそめ、中段は頷き、後列では早くも断罪の言葉が練られていく。波は奥から手前へと形を変え、ひとつの意思にまとまってゆく。
「よく勇気を示してくれた」
キリル王子は私をねぎらってくれる。
とても高揚して、この断罪の場面でも緊張感を和らげてくれる。
私は一旦席に戻った。
「アプリル・ブラチスラバ、今サフィー嬢の勇気ある告発に対し、認めるのか?」
「そんなことはしておりません!」
アプリルは顔を上げて否定していたけれども、メイド服の裾を必死に握りしめる姿は、もはやかつての威厳を欠いていた。
「殿下、それは誤解です!」
ーーああ、これがヒロインと悪役令嬢の差。
殿下の隣で清らかなドレスを纏う私と、被告人席でメイド服に沈む彼女。
まるで天と地のような違いが、この場に刻み込まれている。
「……アプリル」
小さく唇を動かした時、彼女がこちらを見た。
その瞳にはーー悲しみと、何か言いたげな必死さが滲んでいた。
けれど私は、首を振る。
私は”ヒロイン”だから。
この世界で選ばれた者だから。
「わたくしは確かに茶器を割りましたが、それは事故。薬草も掃除の途中に取り違えただけ。呪詛など……ありもしません!」
その必死な弁明は、観衆の冷笑と囁きにかき消されていた。
「見苦しい……」
「言い訳をしている……」
「これが分家の末裔か……」
観衆の声が矢のように降り注ぐ中、アプリルの肩が小さく震えている。
何度も私を見ていたけれども、私は絶対に目を合わせない。
この悪役令嬢に同情なんて出来ない。
「否認する訳か。ではサフィー嬢、告発状を読み上げてくれたが、改めて証言を」
呼ばれた瞬間、さっきよりも心臓が高鳴った。
(いよいよ……これで私は”ヒロイン”になれる……!)
再び私は壇上に。さっきよりも緊張はほぐれていて、背後に佇む聖女様の眼差しが、温かな導きのように、私にさらなる自信を。
「サフィー嬢、見聞を語れ。アプリル・ブラチスラバの行いについて」
王子の問いに促されて、私は小さく息を吸って言葉を出していく。
「……はい。あれは学院の廊下でのこと。アプリル様は茶器を片付けていると見せかけて……わざと床に落とされました。割れた音に驚く私を見て、薄く割られたのを覚えております」
観衆がざわめく。アプリルが必死に首を振る。
「ち、違います! わざとではーー」
けれど私はアプリルの言葉を無視して、続ける。
「毎晩、アプリル様は日記へ殿下に対する呪詛を書き連ねて、殿下の死を願っておりました」
「証拠として、この切れ端がそなたとの部屋にあった訳だが……その通りだな?」
「そうです!」
私が仕込んだ後に、捜索したのね。
当然、証拠があるかどうか探すのは当たり前かぁ。私との相部屋であっても。
「切れ端であるが、呪詛と『あの男の微笑みを砕け』という文が書かれている。アプリル・ブラチスラバの筆跡でな」
「日記や日誌などを書いているのは事実ですが、そんな事を書いておりません!」
アプリルが必死に弁明しているけれども、信じる人なんて居ない。
彼女が言っているのは、雀の涙ほどの信用も無くなっているから。
さて、続けないと。
「そして、アプリル様は殿下を毒殺せんと、毒草入りの小瓶を所持しておりました。私ははっきりと見ました」
「これであるな?」
「は、はい!」
王子が小瓶を掲げている。
それは私が仕込んだ小瓶だった。無事に見つかったみたい。
「この小瓶はアプリル・ブラチスラバが軟禁されている小部屋にある、ベッドの下に隠されていたものであった」
「そんな……わたくしは知りません!」
「学院と王室が検査した結果、毒草が混じっている事も発覚している。これは、学院の監査部門が採取し、薬学の教官が鑑別した後、王室として確定させたものだ」
どよめきが観衆から広がる。
公式に毒草が混じっていたと言われれば、信じるよね。
しかも小部屋だったら、バレないように隠し持っていたって思えるし。
「私は……怖うございました……けれど、それでも真実を隠すわけには参りません。殿下、どうか信じてくださいませ」
出てくる声は震えていたけれど、観衆の心を揺さぶった。
「清らかだ……」
「なんて勇気……」
ささやきが広がる。
「お待ちください! アプリル様は……本当にそんな悪意のある方ではございません!」
そこに思いがけない人物が壇上に出てきた。
アプリルと同じように学院で働くメイド、ロータスだった。
眼鏡にワインレッドの髪をした彼女は青ざめながら、それでも必死の声で叫んでいた。
「そなたの名は?」
「あ、あたしは、アプリル・ブラチスラバの同僚、ロータス・ティソです」
殿下が眉を動かす。私は胸を押さえた。
まさか、ここで弁護を……?
「備品の茶器を壊したのは……確かにアプリル様ですが、それは事故で……! わざとなんて……」
観衆がざわめいた。
事故、という言葉は確かに庇いのつもりだろうけれど、『壊した』という事実を裏付けてしまった。
「日記の切れ端なんて、破れたら普通にあるでしょう! それが……」
「だとしたら、見つかった切れ端に何故呪詛が書かれているんだ? そんなものを書くわけが無いだろう」
切れ端だけだったら、たまたま破れただけって分かる。
それなのに、見つかったものに呪詛があったら、疑うしか無い。
ロータスは言葉を詰まらせて、視線を泳がせた。
「アプリル様は……誰にでも優しくて……」
その瞬間、私は観衆の視線を感じた。
皆の頭の中に、過去の光景が蘇っている。廊下で涙を流す私、彼女に声を荒げられた私。
誰もが見ていたからこそ、『優しい』という言葉は嘘に聞こえた。
「……嘘だ」
「俺、見たぞ。サフィー様を泣かせていただろう」
観衆からヤジが飛ぶ。
ロータスの声は震えて涙ぐみ、けれども必死に繰り返した。
「アプリル様は悪くありません! 本当に……!」
その姿すら、逆効果だった。
殿下は目を細め、「証言は十分だ」と冷たく言い放った。ロータスは従うしかなく、傍聴人の席に戻っていく。
私は震える唇を噛みながら、心の中で囁いた。
(これで……これで終わる。アプリル、あなたはもう逃げられない。そして私は殿下に選ばれる……!)
私の心は高揚に燃えていて、震えさえも甘美に変わっていた。
ロータスの必死の声は、結局アプリルを助けるどころか観衆の不信を煽るばかりだった。
殿下の厳しい眼差しがアプリルに注がれて、空気は完全に『断罪』へと傾いていた。
「では私の証言も以上です……」
これくらい証言したら大丈夫かな。
「証言、感謝する。下がっても良い」
「サフィー……! 貴女……!」
アプリルの声が、怒りと悲しみに震えていた。
私は証言を終えたので、壇上から降りようとした、その瞬間……
アプリルは鎖に繋がれた身をひきずりながら、必死に駆け寄ろうとする。
足枷が床を叩き、硬質な音が広間に響いた。
観衆が息を呑む。
「やはり罪を暴かれて逆上したのか!」
「怖ろしい……!」
伸びた手は、私の肩でも頬でもなく、王子が持っている告発状へと向いていた。掴んで破るーーのではない。止める、押し下げる、そのための軌道だった。
その姿はまさに”断罪される悪役令嬢”そのものだった。
けれど……
アプリルは伸ばした手を、ほんの一瞬だけ空中で止めた。
瞳に宿るのは怒気だけはなく、どこか苦悩の色。
「……なぜ……サフィ-。どうして貴女が、わたくしを……」
その音色は、私に聞こえるか聞こえないかのようなか細さだった。
一歩で触れられる距離。でも彼女の指先は、最後のところで震え、掴むことができない。
(……今、私を……庇おうとした?)
刹那、私の心に矛盾が突き刺さった。
アプリルを断罪するはずだけど、その手は私を傷つけるためじゃなくて、止めるために伸びていたのかも。
でも私はアプリルの断罪を止めるつもりはないけれど。
「これ以上の狼藉は許さぬ!」
広間に重々しい声が響き、観衆の視線は一気に『悪役令嬢の暴走』へと傾いていく。
私は小さく肩を震わせる。
(……大丈夫。私は、選ばれたヒロイン……迷う必要は無い……!)
心に芽生えた小さな疑念なんて、聖女様の微笑みでかき消された。
「暴れるな!」
衛兵に押さえつけられて、床に膝を突いたアプリル。
荒い息の中でなお私を見つめていたけれど、その視線は誰の目にも”逆恨みの憎悪”にしか映らなかった。
「見たか、今のを!」
「罪を暴かれて取り乱すなど……やはり卑劣な女だ!」
「殿下に呪いをかけたという噂も、本当だったのだろう!」
次々と飛ぶヤジ。
人々の囁きは渦を巻いて、やがて大広間を埋め尽くす大合唱に変わっていった。
ーーアプリル・ブラチスラバは悪。
ーーだから断罪されて当然。
その空気は、王子の声を待つまでもなく結論を導き出していた。
私は胸を押さえる。
罪悪感よりも、むしろ安堵が胸を満たしていく。
(……大丈夫。これで私は正しい。観衆も、殿下も、みんな私を信じてくれる……!)
「さ……サフィー」
アプリルが落ち着いた様子で震えながらも、私に話しかける。
彼女は押さえつけられていたけれども、観衆も殿下も忘れたように、ただ私だけを見ていた。
「お願いです……目を覚まして。貴女はそんな人ではないはず……!」
私の胸が強く波打った。
裁定の場で、こんな言葉を向けてくるなんて。
「グルナ様の言葉に惑わされてはいけません! 目を覚まして……! サフィーだけは……巻き込まれないで……!」
観衆がざわめく。
私は息を呑み、唇を噛む。
(巻き込まれないで? ……違う、私は巻き込まれてなんかいない。むしろ巻き起こしている。私は、選ばれたヒロイン。殿下と結ばれる運命なのよ!)
心の奥で必死にそう叫んだ。
なのに、どうしてだろう。彼女の必死の瞳に、わずかな揺らぎを覚えてしまった。
「……やめて。私は……私は、殿下のために……!」
私の頬を涙が伝っていた。
しかしその涙を見た人達は、憐れみではなくて『正義の証』と受け止めていた。
ーー真実を告げたヒロインが流す、清らかな涙だと。
「お願い……貴女は破滅しないで……」
アプリルが苦しげに首を振っても、その声はざわめきに飲み込まれていく。
大広間はすでにアプリルの『断罪ありき』の舞台と化していた。
ここまでに証言が次々と積み上げられて、アプリルは弁明を続けていたけれども、もう誰の耳にも届いてはいないし、逆に疑いが深まった。
私の涙混じりの訴えが『真実』として受け止められて、観衆は断罪の声を強めていく。
「やはり……極悪人め!」
「学院に混乱をもたらした女だ!」
その空気の中で、聖女様がゆるりと壇上に上がっていく。
慈母のような表情を浮かべながらも、聖女様の瞳は冷たく輝いていた。
「わたしは……信じたかったのです。アプリル・ブラチスラバが潔白であると」
会場が静まり返る。
「けれど……証拠も証言も、そうは告げてはくれません。悲しいことですが……わたしには、もはや信じる術がございません」
「聖女様までもが……!」
「もう救いようがない……!」
かつてアプリルが言っていた、『わたしは信じたかった……』この言葉かぁ。断罪を決定づける言葉。この言葉で人は、切り捨てられる。
一度とならず二度までも言われるなんてね。
ざまぁみろ。
観衆だって、”この女は本当に終わった”と確信している。
「やっぱり……言ってくるのね……」
絶望がアプリルを包んでいた。
そして王子の声が大広間に響き渡る。
聖女様は最前列の座席に戻っていく。
「アプリル・ブラチスラバ! 貴様の罪は明らかだ!」
王子の声が響くと、広間の観衆が沸き立った。喝采とざわめき、疑念と歓喜が渦を巻く。
アプリルは唇を固く結び、視線は少々下を向いている。
私は胸の奥で震えるほどの喜びを覚えた。
「告発状に記された罪状、並びに証拠……これに対して、さらなる弁明はあるか!」
アプリルは真っ直ぐに顔を上げて否認した。
「わたくしは……決してそのようなことはしておりません!」
彼女の発言は、多くの観衆からのブーイングが。とはいえ、一部で”そうだ”というひねくれている声もあったけれど。
私はアプリルの必死の声に、一瞬だけ心が揺らぐ。
けれども私は胸を張り、勇気を示さなければならなかった。
私は選ばれたヒロイン。ここで躊躇すれば、殿下の信頼を失ってしまう。
「まだまだ彼女の罪は山ほどあるんだから! 私にもう一度、証言の許可を!」
聖女様に言われ続けてきた。
ーー断罪には、動かぬ証拠と決定的な証言が要る。
ーー揺るぎない黒を示さなければ、白とされてしまう。
だから確定させないと。
「分かった。サフィー嬢、証言を」
私は再び壇上に上がる。
ざわめく観衆、殿下の眼差しが私に向いている。
喉が渇くのも忘れて、私は一気に言葉を吐き出した。
「アプリルは……倉庫番を大金で買収していました! だから学院の備品を勝手に扱って、壊しても隠していたのです!」
その瞬間、観衆の間から小さな声が漏れた。
「……大金? でもアプリルは前の裁定後、ブラチスラバ家は大幅な減封があったし、家からの資金は絶たれたはずだ」
ささやきは波紋になって、床石の下に水路みたいに、静かに会場全体へ広がっていった。誰もまだ声を荒げない。
ただ、空気の比重だけが変わる。
「そうだ、メイドになってから金など持てるわけはない」
しまった、と思う間もなく私はさらに言葉を重ねていた。
「それだけではありません! アプリルは……先程も言ったとおり殿下を呪っていました! 私は夢で見ました! 日記だけではなく……呪っているところを実際に。夢の中で、祭壇に立って、殿下の名を繰り返し……」
「夢の中で?」
ーー音が消えた。
蝋燭の炎だけが、ばち、と小さく瞬いた。
「寝ているときの事を証拠にするのか……?」
「祭壇って、どこのだ? そんな馬鹿な……」
後列の誰かが鼻で笑った。その乾いた音が合図になって、笑いは隣の肩口へ、さらに前列へと広がっていく。
観衆のざわめきは明らかに嘲りへと変わっていく。
冷や汗が背を伝う。信じてもらうために私は必死に繋ぎ止めようとした。
「それに、寝言でも……『クーデターを起こす』と……私、聞きました!」
だからこそ思わず言ってしまった。
でも広間に、笑い声すら混じり始める。
「本当です……私は……私は……!」
客席の最前列で、聖女様の扇が一拍だけ止まる。すぐ笑みに戻ったが、蝶番の軋みのような僅かな緊張がそこにあった。
「寝言でクーデター? ありえん!」
「泣きながら喚いて……まるでお遊戯じゃないか!」
私は必死に首を振った。さっきも泣いていたけれども、さらに涙が出てきてしまう。
「ち、違います! 本当に……本当に聞いたんです! 殿下をお守りするために、私は……!」
声が裏返り、乾きかけていた頬をまた涙が伝っていた。
だけど観衆の目は冷ややかで、まるで私を狂人のように見ていた。
(どうして……どうして信じてくれないの……!?)
胸の奥で、何かが音を立てて崩れ落ちていった。
さっきまで私はハッピーエンドに向かっているはずだったのに……
「……泣きすぎて、まるで芝居だな」
観衆のひとりが吐き捨てるように言った。その声が広間全体に伝染していく。
場の重心が一瞬だけワインレッドの髪をした彼女へ傾いた。王子の瞳も、その針の先にとまる。
「あの……思い出しました! 小部屋に毒草入りの小瓶が見つかった件ですが……」
ロータスがさっきよりも大きめの声を出していた。
それを観衆が注目する。
「アプリル様が軟禁されて、メイドとして仕事をして不在の間、サフィー様が部屋に入っていました!」
「……っ!」
まさか……ロータスに見られていたなんて。
しかも掃除をする格好をしていたのに……
「掃除の際の格好をしていましたが、そのお顔などははっきりとサフィー様でした!」
「見張りの衛兵も、”掃除の女が入った”と記録している」
書記官が短く告げていた。ロータス一人の証言ではない、と場内に印をつけた。
「何ということだ!」
「捏造をした訳か!」
より私を見る目が厳しくなっている。
いつの間にか罪人を見るような目に。
「に、日記の切れ端なんだけど……不自然なくらい、切られた場所が新しすぎます。それに切り口の繊維の毛羽立ちが残っていますわ。数日前、古い日記なら、紙端はもっと酸化して黄ばみ、縁が脆いはずですのに」
モニカが震えていたけれども、はっきりと言っていた。
さっきの証言に加えて、小瓶や日記の捏造もバレてしまった。
「どうして……」
足が震える。視線が突き刺さる。
観衆の中には、怒りを露わにする者も居た。
「証拠を捏造してまで罪を作るとは!」
嘲りと疑念が、私を突き刺す。
信じてくれる人々が、遠ざかっていく。
「ち、違うんです! 殿下、どうか信じてください! 私は……私はヒロインなんです! ゲームのヒロインで……」
口走った瞬間、大広間の空気が凍り付いた。
王子は眉を動き、書記官が手を止めている、
ゲームって言う言葉。私が遊んでいたゲームであっても、この世界の誰も知らないはず。
私の声は、自らを狂気の檻に閉じ込めてしまった。
「グルナ様、信じてください! 私は何も……」
聖女様にすがる。
この人だったら、助けてくれると思ったから。
「……わたしは信じたかったのだけれども」
耳元に響くように、グルナ様の声が落ちた。
まただーーこの言葉で切り捨てられる。
さっきと同じ。最初の断罪でアプリルを突き放し、さっきもアプリルの断罪を決定づけていたのと同じ、冷たい響き。
慈愛を装いながら、私を切り捨てる刃の声。
「もうどうしようもありません」
「グ、グルナ様……?」
「聖女様も見捨てたか……!」
私の膝が崩れた。
さっきまで背を支えてくれていたはずの存在が、見放す。
恐怖で心臓が握りつぶされそうになる。
「いや……いや! 私は……私は間違ってない! 殿下! 殿下ぁ!」
王子に縋ろうと一歩を踏み出した瞬間、衛兵達が私の両腕を押さえつけた。
冷たい鉄の感触。
罪人に対して行うこと。
私は拘束されていく。
「放して! 放してよ! 私はヒロインなの! 断罪されるのはアプリルの方なのよ!」
必死に叫ぶ声は、もう誰の耳にも届かない。
観衆の瞳は、狂気に満ちた娘を見下ろす冷たさだけ。
「どうして……どうしてハッピーエンドにならないの……!」
涙で霞んだ視界に、殿下の顔はもう映らなかった。
ただ広間の床が、絶望に染まっていくばかりだった。
「サフィー・プラハ……お前の証言には、あまりに多くの矛盾と虚偽が見られる」
王子の声は、冷ややかで重く広間に響き渡った。
観衆のざわめきが一瞬にして静まる。
「殿下!? 私は……私はヒロインなのよ! だから信じてーー!」
私は泣き叫んだけれども、観衆の目には”哀れな錯乱”としか映らなかった。
当然王子が私を見る目はゴミを見ているようだった。
「証拠も捏造があり、罪は虚飾。虚偽告発および証拠捏造の罪、加えて王立クリスタリア学院規範の、学内秩序の重大な攪乱に該当する。よって、お前には学院を去り、廃都への追放を命じる」
「追放……!?」
はっきりと私の顔が青ざめているのを感じた。
どうして私が追放されないと……悪役令嬢の役目でしょ……!?
「そうだ。お前は今宵をもって、学院どころかこの都に立ち入ることは許されぬ。学び舎も、栄光も、全てを失い……荒れ果てた廃都で己の罪を悔いるがいい」
衛兵が私を大広間から連れ出そうとする。
観衆は拍手と冷笑をもって私に対するその宣言を迎えた。
「どうしてよ! これは間違いよ! 私が……私こそが……!」
叫んでも私の拘束は解かれず、大広間から連れ出される。
鐘が四回鳴った。
「ざまあみろ」
「自業自得だ」
「これで学院も平穏になる」
耳を塞ぎたいほどの嘲りが、私の耳に突き刺さる。
いつの間にか逆転した状況に、アプリルはただ呆然と私を見ていた。
「アプリル・ブラチスラバ嬢。汝にかけられた嫌疑はすべて取り下げられた。よって、この場をもって解放とする」
それはアプリルが逆転した瞬間だった。
何でアプリルが無罪になるのよ……!
でも私は拘束されているので、何も出来ない。
「サフィー・プラハという罪人を廃都へ追放せよ!」
王子の宣言で歓声が上がる。
本当だったら、アプリルが破滅して聞きたかったもの。私に対してじゃない。
それが王子の声を聞いた、最後であった。
連れ出される刹那、聖女様がほんの指の幅だけ口角を上げた。祝福にも慰めにも見える角度でーー私にだけ、別の意味に見えた。
こうして私が破滅して裁定は終わった。




