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聖女を信じて悪役令嬢を陥れ続けたら、断罪されたのは私でした  作者: 奈香乃屋載叶(東都新宮)


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聖女の檻

 扉の前に立った瞬間、胸の奥が小さく軋んだ。

 ここを境に、戻れなくなるような気がした。

 ノックした手がわずかに震えたのを、グルナ様に悟られたくなくて、息を整える。

 ーーそれでも、扉の向こうの光に吸い寄せられるように、私は手を伸ばした。


「サフィー、待っていたわ」


 月光を背に扉を優しく叩く。

 その声を聞いた瞬間、すべての躊躇は消えた。これが運命なのだと信じて。

 グルナ様が出迎えてくれて、部屋の中へ。

 微笑みと共に迎え入れられたその瞬間、空気が変わった。

 花や香水の甘さではなかった。

 香草を煎じたような、遠い昔にとある駅の片隅で嗅いだ匂いーー記憶の底に沈んでいた何かを呼び覚ます香り。

 本棚には色々な本があって、タイトルは見ただけでは分からないものも。


「サフィー、座って」


 優しく囁くグルナ様に導かれて、私は机の前にある椅子に座る。

 グルナ様の影が、蝋燭の炎に揺れて、壁に長く伸びる。

 椅子は清潔にしているのか、汚れひとつなかった。

 机を明るくする蝋燭の炎、様々な結晶の入った小瓶が置かれているくらい。

 あと、文字の無い羊皮紙があるだけ。


「……これは?」


 羊皮紙を見つめてグルナ様に訊いた。


「真実を記す紙よ。アプリル・ブラチスラバの罪を、学院に示すの」


 低く、穏やかに。

 けれどその声音の奥には、抗いがたい重みがあった。


「……罪、ですか?」


 思わず声が震える。

 するとグルナ様はゆっくりと私の背後に周り、両肩へ手を置いた。

 その手は温かいのに、どこか冷たい。逃げ場を塞ぐような感覚だった。


「サフィー、これはあなたにしか出来ないことなのよ」


 耳元で囁かれる。

 息が首筋をかすめて、思考が溶けていく。

 彼女の差し出す紙には、罪状の一覧が記されていた。

 それは、まるで私を”真のヒロイン”に導くための聖典のようだった。


「アプリル・ブラチスラバが、あなたを幾度となく辱め、学院の秩序を乱してきたこと。キリル殿下の御心を欺いてきたこと……あなたは見てきたでしょう?」


 私は唇を噛む。

 確かにアプリルから辛い目に遭わされた事はあった。でも、ここに列挙された罪状は……


「……そんなこと、本当にアプリルが?」


「ええ、全部事実よ。疑うの?」


 声の調子が一瞬だけ変わった。

 穏やかだった音が、刃物のように鋭くなる。

 その刹那、私の呼吸が止まり、身体が硬直した。

 でもすぐに、花のような笑顔が戻る。


「ごめんなさいね、少し熱くなってしまって。でも、それほど大切なことなのですわ」


 ああ、やっぱり優しい。

 そう思った瞬間、私の中の警鐘は遠ざかっていった。


「あなたが書くの。これは”あなたの声”でなけらばならないの。そうすれば、殿下も必ず信じてくださるわ」


 『あなたでなければならない』

 その言葉が、胸の奥で鋼のように固まった。

 なおさら書かない選択肢なんて無い。書けなければ私はヒロインじゃない。

 だって何も出来ないヒロインじゃないから、私は。

 ハッピーエンドのためには、これは必要なのよ。

 ヒロインが真実を語らなければ、物語は進まない。


「……グルナ様。これを書けば、私は殿下と結ばれるでしょうか?」


「勿論よ。貴女の行動は、必ず貴女を幸せへと向かわせてくれるから」


 柔らかな声。

 けれど次の一言で、空気が凍った。


「……ヒロインの座は、誰にも奪わせちゃいけないの。わかるでしょう?」


 一瞬、声が鋭くなる。

 まるで誰か別の人が言ったような、棘を含んだ言葉。


(……どこかで聞いたことのある声。前にどこかで……? でも、思い出せない……)


 胸がざわめいたが、次の瞬間にはグルナ様は慈愛の微笑みに戻っていた。

 疑問もすぐに消えてしまう。


「恐れなくていいのよ、サフィー。あなたは選ばれたヒロインなのだから」


 このグルナ様……いえ、聖女様の言葉はとても安心できて、私はそれまで抱いていた抵抗感も違和感も霧のように溶けていった。

 心の中で直接、灯がともっていくようだった。

 大丈夫、この告発状は私をハッピーエンドにする。

 王子と結ばれるならアプリルだって利用できるし、聖女様も大いに頼りにしなきゃ。

 そう思いながら、私は羽根ペンを手に取って、羊皮紙に筆を走らせて告発状を作成していく。

 インク瓶に浸した瞬間、蝋燭の炎がわずかに揺れた。


「……アプリル・ブラチスラバはーー」


 ペン先が紙を走る。

 書くたびに、炎が震え、影が踊る。

 それはまるで、紙が勝手に言葉を語り出しているかのようだった。 

 さらに聖女様の背後に漂う神々しさが、私を勇気づけて筆を走らせる気持ちを高めていく。


 良きことのためにと。


「そうよ、良い子ね、サフィー。貴女は”選ばれたヒロイン”なのよ」


 聖女様のその囁きで心が落ち着く。

 『選ばれたヒロイン』ーーその言葉が胸の奥で固まって、疑いは小さな霧となって消えていく。

 誰が何を言おうと、これが真実。

 アプリルは悪役、私は正義。

 そう信じて書くたびに、胸が軽くなっていく。


「……一、アプリルは学院備品を損壊しーー」


(割れた茶器……あれは事故、のはず……)


 疑念が芽生えかけた瞬間、背中を撫でる手がそれをかき消した。


「サフィー。あれは彼女の悪意。あなたが一番よく知っているはずよ」


 いや、アプリルは事故に見せかけて壊したんだ。

 腹が立ってわざと事故に見せかけるように。


「……一、御前のお茶に薬品を混入せんとし……」


(薬瓶……それは掃除の途中で見た、ただの薬草だったのに……)


 筆が止まりかけた。でも、聖女様の手が優しく背中を撫でた。


「怯えなくてもいいの。貴女が真実を示せば、殿下は必ず守ってくださる」


 ……そう。

 これは殿下のため。

 ただの薬草の中に、毒草が混じっていたのよ。

 安全なものに危険なものを混ぜるのはよくある手段だから。


「ええ、それでいいの」


 私の肩を撫でながら、聖女様は慈愛の笑みを浮かべる。確実に書けるように、身体をほぐしながら。

 安心出来たからか、すらすらと書いていた。

 告発状に書かれる罪状は、全て真実。アプリルはこれだけの悪行をしてきたのよ。


「貴女の勇気が、この学院を救うのよ」


 聖女様の言葉に、私は小さく頷く。

 これでハッピーエンドはもうすぐよ。


「……出来ました」


 最後に『サフィー・プラハ』という署名をして告発状は完成した。私は深く息を吐く。

 私が書き終えた羊皮紙は、緊張と肩がこっていたのもあって少々文字が歪んでいた。最初にはインクが落ちた跡だって残っている。

 それでも机に置かれたままのそれを、聖女様は静かに手を取り、まるで聖典を扱うかのように胸に抱きしめた。


「素晴らしいわ。よくできましたね、サフィー」


 その声音は、慈母のように優しかった。

 私は安堵の息を吐く。

 世界が柔らかく包んでくれるような錯覚。

 正しかったんだ。選択は間違っていない。


「これで殿下は、真実を知ることが出来るのです。あなたの言葉が、この国を救うのですよ」


(私が……救世主?)


 胸が熱くなる。

 グルナ様の手が頬を撫でる。冷たいのに、心地よい。


「あなたは選ばれた人、迷う必要はありません」


「はい、私は……選ばれたヒロインですから!」


 私の頬に聖女様の手が触れる。

 ほんのりと冷たくて、嬉しくなる。

 『選ばれたヒロイン』ーー自分でも言葉に発すると、今日の出来事は正しい事をしたと誇れる気分だった。

 こうして私はアプリル・ブラチスラバへの告発状を書いたのであった。


「では、明日の昼にキリル殿下にお渡しなさい」


「わ、私がですか……?」


 嬉しいけれども、本当に私が受け取ってくれるかな。

 ろくでもない怪文書だって思われて、ビリビリに破られないかな。


「大丈夫よ。わたしも途中までは一緒ですし、殿下は絶対に受け取ってくれるから」


 私の不安を読み取ったのか、聖女様は私を安心させてくれた。

 それだったら、破られることはなさそう。


「ありがとうございます……!」


「さて、明日も授業がありますし、これで今日はお休みなさいな」


「はい……」


 私は聖女様の部屋を出て行った。

 部屋を出た瞬間、学院の廊下は異様に静まり返っていた。

 風の音も、夜鳥の声もない。

 まるで世界そのものが、息を潜めて私を見つめているようだった。

 けれど、私は笑顔のまま歩き出す。


(大丈夫。聖女様が言っていた通り、これは正しいこと)


 階段を降りながら、胸に告発状の重みを感じる。

 それは罪の重みではなく、未来の鍵のように思えた。


 ーー聖女様の声が、まだ耳の奥で囁いていた。


『ヒロインの座は、あなたのものよ』


 部屋へは無事に戻れた。


「サフィー、どこに行っていたの……?」


 ただアプリルは起きちゃっていたみたいで、私の事を気にしていた。ただ寝ぼけていて、さっき目を覚ましたタイミングで私が戻っちゃったらしい。


「ちょ、ちょっとトイレに」

 

 だから私は誤魔化して、ベッドに。


「そう……サフィー、昨日は悪かったわ」


「ううん……大丈夫」


 アプリルは疑問に思わず横になっていたし、私も同様に眠りにつく。でも昨日のことを謝っていて気にしていたみたい。

 こっちはもう気にしていない。

 むしろ、聖女様の事がバレないかとちょっとドキドキしていて、眠れたのは短時間だった。

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