笑っていられるなら
グルナ様と別れ、寮への帰り道を歩いていた。
夕暮れの光が校舎の窓に反射して、眩しかった。
角を曲がった先で、アプリルが掃除道具を片付けているのが見えた。
掃除用の布を畳んでいて、背中越しでも疲れているのが分かる。
「……アプリル」
名前を呼ぶと、彼女は静かに振り返った。
その赤い瞳が、ほんの一瞬、光を宿す。
「サフィー。もう遅いのに、どうしたの?」
「いえ……ちょっと、通りがかっただけ」
口ではそう言いながらも、心の奥で何かを探していた。
謝りたいのか、確かめたいのか、自分でも分からない。
けれど、アプリルはそんな私の心を見透かしたように微笑む。
「……舞踏会、素敵でしたわ」
「……えっ?」
「殿下、ずっと貴女を見ておられましたわ。……本当に、嬉しそうに」
意外だった。
もっと皮肉でも言うのかと思っていたのに、その声は温かかった。
まるで、本当に喜んでくれているみたいに。
でも、胸の奥が少し痛みが走る。
その優しさが、今の私には怖かった。
(『彼女は変われないのです。悪役令嬢という役割からは誰も逃れられません』……グルナ様が、そう言っていた)
「ありがとう、アプリル。でも……私は、もう迷わないの」
アプリルは一瞬、悲しそうに目を伏せた。
それでも彼女は静かに頷いた。
「……そう。なら、いいの。サフィーが笑っていられるなら、それで」
笑っていられるならーー
その言葉が、何故だか胸の奥でひっかかった。
でも私は立ち止まらず、ただ微笑み返して歩き出した。
(……間違ってない。間違ってなんか、ないはずなのに……)
【アプリル視点】
わたくしはその背中を見つめていた。
手の中の布をぎゅっと握りしめる。
(本当は……気づいているのよね、サフィー。誰が貴女を操っているのかも)
夕陽が沈みきる頃、赤い瞳の奥にわずかな涙が滲んでくる。
(でもーー今は、もう届かない)
そのままわたくしは、ゆっくりと背を向けた。
わたくしの影は、廊下の端で薄れていき、やがて闇に溶けていく。




