光の余韻、影の囁き
翌朝。
舞踏会の余韻がまだまだ自分の中で残っていた。
鏡の前で髪を整えながら、昨夜の光景を何度も思い出していた。
王子と踊ったあの時間、グルナ様の瞳、拍手と歓声。
まるで夢の中にまだ居るみたいで、胸の奥がずっと温かい。
(……殿下に選ばれるのは、貴女です。わたしが保証します)
グルナ様の言葉が、心の中で何度も響く。
あの言葉を信じて良い。だって、彼女は聖女なんだから。
信じていれば、私は本当にヒロインになれる。
グルナ様に協力していれば、間違った結果にはならない。
アプリルは既に起きていてメイドの仕事をしているみたい。
それにしても、ここまで上手くいくなんて。
(夢じゃないよね? 舞踏会で踊ったのは)
舞踏会自体が夢の中の出来事だったのではないかという考えになってしまい、少々不安になりながらも、部屋を出て学院の廊下を歩いていく。
すると学院の廊下は、朝からざわめいていた。
「見た? 昨夜の舞踏会で、殿下がずっとサフィー嬢と踊ってたのよ!」
「まるで童話のお姫様みたいだったわ」
そんな声が次々と耳に入る。
頬が熱くなるのを感じながら、私は胸の前で手を組んだ。
(……やっぱり、みんな見てたんだ。夢じゃなかったんだわ)
誇らしさと幸せが胸に広がっていく。
さっき浮かんだ不安は一気に無くなっていた。
でもその時ーー視界の端に、赤い色がよぎった。
掃除道具を手にしたアプリルが、廊下の端で床を磨いていた。
彼女もきっと、舞踏会を見ていたはず。
一瞬だけ目が合ったけれど、すぐに逸らされる。
その仕草が、なぜか胸に小さな痛みを落とした。
(ごめんね……でも、私はヒロインなの。間違っちゃいけない)
心の中でそう呟いて、私は視線を前に戻した。
ーーその時、モニカが声をかけてきた。
「ねえサフィー、ちょっと手伝ってくれる?」
「えっ?」
モニカがティーセットを運んでいた。
どうやら備品室から取り出すみたい。
「は、はい……」
私もティーセットを運ぶ。
銀の盆の上に並んだカップやポットは、どれも繊細で高価そう。
緊張で手が汗ばむ。
(大丈夫……昨日の舞踏会よりもずっと簡単なことよ)
そう言い聞かせながら歩いたけれど指が少し滑った。
「あっ……!」
盆が傾き、カップのひとつが縁から落ちそうになる。
その瞬間、鋭い声が飛んだ。
「サフィー!」
振り返ると、アプリルが立っていた。
普段は落ち着いた声色の彼女が、その時だけは焦りを滲ませていた。
「大事な備品ですわ! もっと気をつけなさい!」
「……っ!」
咄嗟に手を伸ばしてカップはぎりぎりで救われた。
でも、私の胸にはその言葉の鋭さだけが突き刺さって、視界が滲んだ。
「ご、ごめんなさい……」
唇が震え、涙が零れる。
アプリルは一瞬驚いたように目を瞬き、すぐに声を和らげた。
「……そんなつもりではありませんの。ただ、危なかったから」
けれど、私にはもう『叱られた』という記憶しか残らなかった。
ロータスっていうメイドが慌てて駆け寄って、ハンカチを差し出す。周囲の生徒達もひそひそと囁く。
「アプリルが声を荒げた……?」
「やっぱり彼女だって、元々は……」
「サフィー様、泣いてる……」
耳に入ってくる囁きが、棘のように突き刺さる。
アプリルは俯いて、何も言わなかった。
その沈黙が、まるで罪を認めているように見えた。
(……やっぱり、グルナ様が正しかったんだ)
そう思い込むように胸の奥を押さえ、私はその場を離れた。
「サフィー、どうしたんですの?」
夕方、たまたまグルナ様と出会った。
もやもやとした表情をしていたから、グルナ様は声をかけたのかもしれない。
私自身、まだ心がざわついていたから、どうしてもこっちからも話したくなっていた。
「……そうでしたの。アプリルがそんな態度を?」
グルナ様の声は穏やかだった。
けれどその瞳の奥に、一瞬だけ光が閃いた気がした。
「気のせいかもしれません。でも……少し怖くて」
「大丈夫ですわ、サフィー。彼女は変われないのです。”悪役令嬢”という役割からは、誰も逃れられません」
その声は静かで、けれど絶対の確信を持っていた。
グルナ様はそっと私の手を取る。
「あなたは正しい。だからもう間違わないで」
その言葉に胸が震え、心が暖かくなっていく。
まるで光に包まれているようだった。
「……ありがとうございます、グルナ様」
胸の奥が温かく満たされる。
けれど、その温かさの奥に、小さな棘のような痛みが残っていた。
アプリルの顔が一瞬、脳裏をかすめる。
でも、すぐにその記憶を追い払った。
私の中で”正しい光”はもう決まっている。
「いいえ。明日の夜、少しお話ししましょう。大事な事がありますので」
そう言って、グルナ様は微笑んだ。その微笑に抗う理由なんてなかった。




