月下の囁き
舞踏会が終わった後も、胸の高鳴りは収まらなかった。
王子と踊ったあの時間が、まだ身体に残っている。手のひらには彼の温もりが、耳の奥には褒めてくださった言葉が響いていた。
(……夢みたい。本当に私、ヒロインなんだわ……!)
そんな陶酔に包まれながら寮へ戻ろうとした時、背後から静かな声がした。
「サフィー、少しこちらへ」
振り向けば、月明かりに照らされた白銀の髪。グルナ様が穏やかに立っていた。
その姿を見た瞬間、私の心臓は再び早鐘を打つ。
「グルナ様……!」
「大広間では落ち着いて話せなかったでしょう。あちらで話しましょうか」
断れるはずがない。私は迷いなく頷き、その後を追った。
案内されたのは、王宮のバルコニー。
月明かりが照らしているけれども、人気が無く誰かに聞かれる心配も無い。
「舞踏会、見事でしたわ。殿下が貴女をずっと選び続けたでしょう?」
「は、はい……! 本当に、夢のようでした」
私の声は興奮で震えていた。グルナ様は柔らかく笑みを浮かべ、そっと私の手を取った。
「それは、貴女の努力と……わたしの導きの賜物でしたわ」
「……グルナ様のおかげです!」
嬉しさと感謝で胸がいっぱいになる。
けれど、その微笑の奥に、どこか影のようなものが覗いた気がした。
うん、気のせい。
「ですけれど……サフィー。せっかく得た輝きを曇らせる影があることも、忘れてはいけません」
「影……?」
グルナ様はわざと間を置き、真っ直ぐに私の瞳を見た。
「……アプリル・ブラチスラバ」
その名を聞いた瞬間、胸がひやりと冷える。
確かに、舞踏会の端でこちらを見ていた赤い瞳を思い出してしまう。
「彼女は断罪され、地位を失ったはず。それでも今なお殿下に近づこうとしている……」
「そ、そんな……」
私の声は震えていた。
けれど藤色の瞳に見つめられると、抗うよりも信じたくなる。
「貴女は純粋で優しい。だからこそ、彼女の芝居に惑わされてはなりません。サフィー……わたしと一緒に、学院を、そして殿下を守りましょう」
「わ、私に……出来ますか……?」
「出来ますとも。あなたはわたしに協力してくれますか?」
グルナ様の表情は真剣で、断れそうな雰囲気じゃ無い。
「も、勿論です……!」
「大丈夫ですよ。そんなに緊張しなくても、今すぐではありませんので」
微笑みながら優しく頭を撫でてくれるグルナ様。
緊張した感じが、ほぐれていく。
「そうなんですか……?」
「ええ。今日はもう遅いですので、これくらいで」
「あ……ありがとうございました!」
「サフィー、あなたは選ばれたヒロインですからね」
嬉しそうにしながらグルナ様はバルコニーから出て行った。
私も遅くなってはいけないので、寮へ戻ることにする。舞踏会は終わったんだから。




